「貴様っ、牢番を担いながら逃がしたか!!」

 荒ぶる感情のまま、男は力の限りで日和を殴り飛ばす。
 日和は倒れながらも、もう一度顔を上げ、そして、姿勢を正した。

「我が家は男は居らず女が僅か七人ばかり。わたしが居なくなれば、家の存続はできないでしょう。それでも、そんな家でも全てを捕らえると言われるのですか」

 静かに――深々と言葉を紡ぐ。そして、

「我が一命を持って、妖を逃がした罪は償いましょう。月隠は亡くなり、わたしは死ぬ。それで全ての終わりにしてください」

 日和は瞳に燐とした閃光を宿らせ、殴った男へ視線を向けた。どこまでも澄んだ眼差し、凛とした声――その纏う強き心に。

「っ!!」

 男はもう一度日和を殴り、背を向けた。

「もうよい! 逃げた妖をすぐに追えっ、追って殺せ! 月隠の女どもなどもうよい! 家から追い出し、二度と我が月代の門を潜らせるな!!」

 側仕えの男が周りに命じる。騒ぎとともに、朔月の者たちはこの場を去っていった。
 僅かに残った数人――日和の後ろに居た男が側仕えへと問いかける。

「この女はどういたしますか」
「自ら償うと言ったのだ。殺して、死体はどこぞに打ち捨てておけ」

 見もせずに側仕えの男は日和から離れていった。上首も立ち上がり、言葉なく屋敷の奥へと入っていく。最後に残ったのは始末を命じられた男二人と、屋敷から様子を見る数人、そして、日和だけだった。

「――――」

 去っていく上首に、日和は静かに瞳を閉じ頭を下げた。
 現上首に頭を下げたのではない。大小母様の恩に、そして、お世話になった月代家に日和は頭を下げ、心でお礼を言った。
 妖の皆にも、月隠の皆にもお礼を言い――そして、

(日向……)

 愛する我が子に謝り、そして、願う。強く、心から願い祈る。
 幸せを――苦しみの中にも凛と日に向かう強き生き方を、信念を持った純粋さを、花舞う微笑を持った優しさを。

 日和は頭を上げると、すっと瞼を開けた。
 微笑み。死に向かう者とは思えない、周りが驚くような静かで澄んだ優しい微笑み。

 花舞い、花散る――月代の家の者たちが日和を見たのはそれが最後だった。
 ただ、日和の微笑みと優しい温もりだけが、一輪の花咲いたように皆の心に残っていた。