「――日和様」

 呼びかけ、一度間を空けてからスッと障子を開き、陽織は一礼して部屋へと入った。
 障子を閉め、布団の上で身を起こした状態でこちらへと視線を向ける日和へと前へと陽織は座る。いつもなら、寝ておくようにと叱るところなのだけれど、今は叱ることもなく陽織は真っ直ぐに日和を見つめる。

 日和の胸に日向は居ない。今は、家に居る別の者へと預かって貰っていた。陽織が日和の元へと来た理由の為――その為にしばらくは日向と離れ離れとならねばならなかった。
 障子からはまだ東日が入ってくる。陽は中天には差し掛かってはいない。その閃光を背に受けながら、陽織は静かに――重い口を開いた。

「日和様、弥音様が参られました」
「そうですか」

 日和はスッと一度瞳を閉じ、静かに頷いた。それは、三日前から知っていたこと。心の準備も覚悟もしていた。

「お通ししてください」

 瞳を開け自分へと向けられたその言葉に――陽織はぐっと拳を握り、出そうになる言葉を押し止めた。このことは、月隠家への訪問の連絡があってから何度も話したことであった。伝える言葉、伝えたい言葉はもう何度も話している。
 それでもなお……それでもなお、まだ足りなかった。いくら伝えようと日和の決意が変わることがないことは誰よりも知っている。そして、日和の考えが正しいことも。
 だからといってっ――陽織は胸で叫んだ。何の用かは分からないが、おおよそのことは想像できる。
 上首のここまでのなさりよう……赤子を産んだばかりだというのに、日和に安息の日々はない。親しい仲である弥音が来たことが、事の危なさを表していた。

「日和様……」

 陽織は呼びかけた。その一言に全てを込めるように。自分の全てが伝わるように願って。

「…………」

 日和は――ニコリと微笑んだ。陽織の気持ちは誰よりも知っている。
 だからこそ――だからこそ、

「お待たせしてしまってはいけません、陽織。弥音様をお通ししてください」

 日和は他の何も言わず、ただそのことだけを伝えた。それが、日和の答えだった。

「…………」

 陽織は俯き――そして、その場を下がる。
 一度も顔を上げることなく、流れる雫を見せることなく陽織は部屋を後にした。

 涙を見せるわけにはいかない。いや、本来なら泣くことも許されない。
 誰よりも悲しみを背負っている日和が泣いていないのに、仕えている自分が泣いてはいけない。だが、それでも涙は止まらず……陽織は雫を隠すことしかできなかった。