ちりんちりん……。
 涼やかな音にすずが目を開くと、そこは三途の川だった。
 上空では、数多の鬼灯達が彼岸へと向かって風に流されている。
 多くの命が失われた光景が彼女の眼に映り込む中で、彼女はひとり寂しく呟いた。

「どこかで、戦があったのかな……」

 鬼灯に包まれることなく姿を保つすずは、彼ら(鬼灯となった魂)とは違って三途の川を容易には渡ることは出来ないらしい。

「私……も……」
(鬼灯を追いかければ、死に逝くことができる……?)

 いつもなら鬼火が灯っている川沿いの灯籠には、今日はあかりがない。
 すずの足元や視界を明るく照らすのは、命の灯だけ。

 足元がおぼつかない中で、鬼灯の群れの明かりだけを道しるべに、彼女は歩き出そうとする。

(でも、最期に……)

 しかし、いざ足を踏み出そうとすると、彼女の思いに迷いが生まれた。

(竜胆様に会いたかった……)

 迷いを振り切るように空を見上げ、鬼灯の群れを追いかけて三途の川に足を踏み入れそうになったそのとき……。

「……すず!」
「……っ」

 彼女が最も焦がれていた声が、物悲しく辺りに響き渡る。
 瞬間、川沿いの灯籠が一斉に灯火を上げた。

「すず、逝くな!」
(最期に会えて、よかった……)
「竜胆様……」

 蒼い鬼火に照らされたすずの表情には、悲しさと同時に、竜胆に出会えた嬉しさが滲んでいる。

「私ね、離婚したの」
「……」

 竜胆は返事をしなかったが、拳を握り締める様子からは、感情を堪えているようにも見える。

「でもそのあとずっと監禁されて……。生きていても、竜胆様が望んでくれたように歩んでいくことは、もう出来ない……」
(せっかく、生き返らせてもらったのに……)
「だからもう……死なせて……」

 振り返り、竜胆に悲しく微笑むすず。

「生き永らえらせてくれて、ありがとう……」
「すず!!」

 そうして三途の川へと歩み出そうとしたすずを、竜胆が引き寄せた。

「逝かないでくれ、すず……っ!!」

 勢いよく引き寄せられたすずは、青鬼の胸元に飛び込んでしまう。
 そのまま勢いあまってふたりで竜胆畑へと倒れ込んだ。

「すまない……」
「竜胆様……? どうして泣いているの? 傷跡が痛いの?」

 すずが彼の様子を伺うと、蒼い鬼火に照らされた鬼の瞳は涙で濡れていた。
 彼女は心配そうに手を伸ばし、竜胆のまぶたの上に未だ残り続ける傷にそっと触れる。

「そうやって……他人のことばかり心配するんだな」
「だって竜胆様のことが心配だから……」
「すずの魂が感じている痛みのほうが、俺は余程心配だ」

 竜胆が離れ難い様子ですずを強く抱きしめる。

「すずが辛い目にあったのは俺のせいだ。俺がすずに生きていてほしいと思ったから……力を与えて、送り返してしまったから……」

 時折寂しそうな様子を見せるものの、いつもは物静かで落ち着いている竜胆。
 そんな彼が感情を言葉と行動に乗せてすずに伝えようとしている。

「竜胆様のせいじゃないよ」
「しかし……!」
「だって、送り返してくれたおかげで、本来よりも長く父さんや母さんと一緒にいられたんだよ。だから、ありがとう」

 竜胆の様子がとても愛おしく感じ、すずも彼を抱きしめ返した。

「それにね。竜胆様と一緒にここで会う時間が、一番好きなの。生き返らせてもらえなかったら、そんな時間は過ごせなかったから」
「俺も……。俺を恐れず、真っ直ぐな瞳で見つめてくれるすずが、恋しかったんだ……」

 竜胆がすずを抱きしめる力を緩め、彼女の瞳を見つめる。

「だから俺は、すずを彼岸に送りたくはない。ここに居てくれ……!」
「い、いいの? ここにいても、大丈夫なの?」
「ああ。大丈夫だ。それに、俺がすずにここに居て欲しいんだ」

 そして二つの角を彼女の額にコツリとすり寄せ、切なく囁いた。

「……俺は、すずを好いているから」
「え……?」
「好きだ、すず」

 無理矢理に結婚させられた時にすら言われたことのない言葉にすずが目を見開くと、彼の金色とすずと同じ蒼色の瞳が、真剣なまなざしで彼女を見返してくる。

「俺と一緒に、生きてくれないか……?」
「私で、良いの?」

 両親に合えなくなった今、誰からも愛してもらえないと思っていたすずは、恋しく感じていた鬼からの言葉に、瞳に涙を浮かべて問いかける。

「ああ。すずが良いんだ!」
「私も、竜胆様が好き」

 すずが竜胆を抱きしめた瞬間、三途の川に風が吹く。

「竜胆様と一緒にいたいの!」

 ちりんちりん……と鳴く竜胆の花々は、彼女の達の胸の高鳴りを表しているようでもあった。