☆本日の作業用BGMは『燃えろいい女』(ツイスト)でした……。
ーーーーー
★★★
以前と同じように親子で離れに身を寄せ、母は母屋で奥向きの仕事を手伝い、私は徒歩か循環バスで高校へ通う、という毎日が始まった。
朝食と夕食は母屋で摂る。
入学式当日の朝食時、もそもそトーストを齧り、
「やっぱり、今日は来なくていいよお母さん」
「頑なねえ神幸ちゃん。でもお母さん一緒に行っちゃうもんね」
私のボサボサ頭を櫛で梳きながら、母は揶揄うように笑った。
「前髪鬱陶しいね。鬼●郎みたいよ?」
「もう一人の親父を隠してるんだよ」
私は大概寝坊する。無意識に体が起きるのを拒んでいるのかもしれない。
学校に行くことは楽しいルーティンではない。当然だ。
独りでいることは最早習慣なので苦痛でもないが、下校までが長過ぎて辛い。
「私も学校が無きゃ一緒に行くのになー」
食事時、何故かいつも対面に座る綾女が、柔和な顔で呟いた。
自慢の黒髪ストレートは今日も艶々だ。
既に食事を終え、ほうじ茶を楚々と啜っている。
「ほんと? じゃあ、綾女ちゃんガッコさぼって一緒に行こうか!」
「えーいいの?! 私、本気にしちゃうよ? お母さん!」
行儀悪くガタガタ椅子を鳴らし、興奮気味に綾女が叫ぶ。
綾女は、一滴も血の繋がらない母を、何の衒いもなく「お母さん」と呼ぶ。
亡くなった実の母である正妻とは、殆ど親子らしい思い出が無いのだそうな。
私の母の方が、「お母さん」としての馴染みが深いらしい。幼い頃の記憶が根付いているのかもしれない。
母は母で、多少正妻さんに遠慮もありながら、綾女が懐いているのがとても嬉しそうだ。
☆☆☆
鉛色の雲が空を覆う、ごきげんな曇天模様。いやあ気が合いますね。
少し肌寒い。
かっぱ橋の停留所で、今日初めて身に纏った鎧のような制服の腕を擦りながら、
「綾女は?」
「本気で連れて行くわけないでしょ。学校はちゃんと行ってもらわないと」
ナニ言っとる? て感じで母が呆れたように言った。
今日は髪を結い上げた訪問着姿。さすがに化粧は薄目だ。そりゃそーだ、夜の仕事に行くわけではないのだから。
「歩いた方が早いと思うんだけど」
「あたしが嫌なの!」
母は青い顔でぴしゃり言い切った。
古河にいた頃より、母は気の所為か少し痩せたようだ。溜息を吐くことも増えた。
ハタチそこそこで私を産んでいるので、言うほど歳でもない。
が、最近は多少老けて見えるような気も……。
「お嬢様が多いらしいけど、早くお友達出来るといいわね」
姿を現した緑色のバスにチラと目をやり、母が呑気にのたまった。
残念ですが母上——それはロト6で三等を当てるより難しいでしょう。
私は俯いて、気付かれないよう小さくため息を漏らした。
☆☆☆
入学式を終え母と別れたあと、教室では最初のホームルームが始まっている。
さっきから無駄話が一切聞こえない。どうゆうこと?
浮足立った感じがまるでない。むしろピリついているような。
私を除いて、クラス内の殆どが見知った顔のハズだ。なのに馴れ馴れしい空気が漂っていない。
新参者である私に向けられる好奇の視線も感じない。
これが所謂「お嬢様」の学校なのだろうか? いや、進学校の矜持ってやつ?
名簿順に簡単な自己紹介が始まった。
想像したとおり、皆持ち上がりのようだった。明るくハキハキとした口上に、ここで初めてあちこちから揶揄う様な声が上がる。
大分空気が解れてきて、やっとこ当たり前のような「教室」という雰囲気になっていく。
私のもそもそとした自己紹介で一旦空気が伸縮したが、まあいつものことだ。
多少、珍しそうな視線が幾つか感じられた。
鳴き止んだ鈴虫がまた囀りを始めたか――と思ったら。
真後ろの女の子が静かに立ち上がると、何故か――瞬時に空気が切り替わった。
周囲とは異種なオーラ(?)を感じた。ちょっとあったかい風な。
その子は、
「――岩手から参りました、春美冬と申します。右も左もわからぬ田舎者ではございますが、何とぞ、格別のご厚誼を賜りますよう、衷心よりお願い申し上げます」
慇懃な挨拶ののち、深々と身体を折った。
教壇に立つ担任の女教師が、目を見開いてまじまじと彼女を見詰めている。
シーンとした教室内で、私は首を捻ってその子を見やったまま、半開きの口で思わず――
「……かっこええ……」
近畿地方のおっさん風に漏らしてしまった。
実際、キリッとした「イイ女」だ。
残念ながら「ナツコ」ではないが。
目線を下げて私の顔をちらと窺った彼女は、思いがけず菩薩のような柔らかい微笑を浮かべた。
銀縁の眼鏡が照明をキランと受け流して、一瞬鋭く光った。
☆☆☆
入学直後に席替えがあり、そのまま一か月が過ぎ去った。
私は安定のソロプレイヤーとして、これまでと変わらぬ日々を淡々と消化していた。
元々、太古から存在していたようなコミュニティが幾つかあったが、勿論、私は何処にも所属していない。
だが、ここの生徒たちは——皆一定の距離を保ちながらも、特別避ける素振りもなく、用があれば普通に声を掛けてくれる。育ちがよい、ということなのか。私の遍歴を知る者が皆無だからなのか。
深い繋がりは期待していないが、それほど萎縮するような環境でもなかった。
部活に所属せず、授業が終わればすぐに校舎を出る毎日。
猫が集う神社があると知り、家とは反対方向だが偶に訪れるようになった。
銀杏の樹々がドームのように生い茂るその社には、なるほど猫の皆さんが多数寛いでいた。
首輪のある猫も多い。ご近所さんだろうか。
ある日、いつものようにしゃがみ込んで主の如き大きな黒猫(のち、オグラ名誉会長と勝手に命名)に挨拶していると、
「もし――永峰さん?」
背後から声を掛けられ、ビクンと大袈裟に立ち上がってしまった。
ドキ胸で視線を向けると――楚々と佇んでいたのは、同じクラスの子だった。
「岩手から参りました」と自己紹介した、「春」という……。
鏡面のような銀縁メガネをキランと光らせ、
「ああ、やっぱり。驚かせて申し訳ございません。見知ったお顔が、と思ったので」
立ち居振る舞いから、既に「委員長」という(多分)ありがたくない二つ名を頂戴している春さんは、衒いもなく気さくに話しかけてきた。
「永峰さん、よくいらっしゃるのですか?」
「そ、そうですね。猫に会いに……」
「左様で。わたくしは、お社をお詣りするのが趣味でして……」
近くの鳥越に住む春さんは、週末、神社でアルバイトに勤しんでいると言った。
だから? あの時に感じた「アレ」は……。
ぼんやり思い出しながら、並んで猫と戯れる彼女に思わず問い掛けてしまった。
「ナツコさんは――」
「『冬』です、美冬です、美冬とお呼びください、クラスメイトですし」
「……み、美冬しゃんは(アレ?)、なんでそんな神々しいオーラを纏ってるんですにゃ?」
……猫かよ(三村ツッコミ)。
目を丸くした彼女は――
少し困ったような顔で、
「えーと……時にそのような事を言われますが……やはりどこか変でしょうか」
この人でも動揺することがあるんだ、というくらいには目が泳いでいる。
明確な答えは有していないようだった。
私の気の所為だったのだろうか……。
「変ということはにゃいです(戻らん!)」
「そうですか? おかしなところがございましたら、遠慮なく仰ってくださいね」
はにかむ眼鏡の奥で、瞳が妖しい光を放った――ような気もしたような、そうでもないような。
☆☆☆
――思い返してみますと、当時の彼女もよくわかっていなかったのでしょうねぇ……。
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以前と同じように親子で離れに身を寄せ、母は母屋で奥向きの仕事を手伝い、私は徒歩か循環バスで高校へ通う、という毎日が始まった。
朝食と夕食は母屋で摂る。
入学式当日の朝食時、もそもそトーストを齧り、
「やっぱり、今日は来なくていいよお母さん」
「頑なねえ神幸ちゃん。でもお母さん一緒に行っちゃうもんね」
私のボサボサ頭を櫛で梳きながら、母は揶揄うように笑った。
「前髪鬱陶しいね。鬼●郎みたいよ?」
「もう一人の親父を隠してるんだよ」
私は大概寝坊する。無意識に体が起きるのを拒んでいるのかもしれない。
学校に行くことは楽しいルーティンではない。当然だ。
独りでいることは最早習慣なので苦痛でもないが、下校までが長過ぎて辛い。
「私も学校が無きゃ一緒に行くのになー」
食事時、何故かいつも対面に座る綾女が、柔和な顔で呟いた。
自慢の黒髪ストレートは今日も艶々だ。
既に食事を終え、ほうじ茶を楚々と啜っている。
「ほんと? じゃあ、綾女ちゃんガッコさぼって一緒に行こうか!」
「えーいいの?! 私、本気にしちゃうよ? お母さん!」
行儀悪くガタガタ椅子を鳴らし、興奮気味に綾女が叫ぶ。
綾女は、一滴も血の繋がらない母を、何の衒いもなく「お母さん」と呼ぶ。
亡くなった実の母である正妻とは、殆ど親子らしい思い出が無いのだそうな。
私の母の方が、「お母さん」としての馴染みが深いらしい。幼い頃の記憶が根付いているのかもしれない。
母は母で、多少正妻さんに遠慮もありながら、綾女が懐いているのがとても嬉しそうだ。
☆☆☆
鉛色の雲が空を覆う、ごきげんな曇天模様。いやあ気が合いますね。
少し肌寒い。
かっぱ橋の停留所で、今日初めて身に纏った鎧のような制服の腕を擦りながら、
「綾女は?」
「本気で連れて行くわけないでしょ。学校はちゃんと行ってもらわないと」
ナニ言っとる? て感じで母が呆れたように言った。
今日は髪を結い上げた訪問着姿。さすがに化粧は薄目だ。そりゃそーだ、夜の仕事に行くわけではないのだから。
「歩いた方が早いと思うんだけど」
「あたしが嫌なの!」
母は青い顔でぴしゃり言い切った。
古河にいた頃より、母は気の所為か少し痩せたようだ。溜息を吐くことも増えた。
ハタチそこそこで私を産んでいるので、言うほど歳でもない。
が、最近は多少老けて見えるような気も……。
「お嬢様が多いらしいけど、早くお友達出来るといいわね」
姿を現した緑色のバスにチラと目をやり、母が呑気にのたまった。
残念ですが母上——それはロト6で三等を当てるより難しいでしょう。
私は俯いて、気付かれないよう小さくため息を漏らした。
☆☆☆
入学式を終え母と別れたあと、教室では最初のホームルームが始まっている。
さっきから無駄話が一切聞こえない。どうゆうこと?
浮足立った感じがまるでない。むしろピリついているような。
私を除いて、クラス内の殆どが見知った顔のハズだ。なのに馴れ馴れしい空気が漂っていない。
新参者である私に向けられる好奇の視線も感じない。
これが所謂「お嬢様」の学校なのだろうか? いや、進学校の矜持ってやつ?
名簿順に簡単な自己紹介が始まった。
想像したとおり、皆持ち上がりのようだった。明るくハキハキとした口上に、ここで初めてあちこちから揶揄う様な声が上がる。
大分空気が解れてきて、やっとこ当たり前のような「教室」という雰囲気になっていく。
私のもそもそとした自己紹介で一旦空気が伸縮したが、まあいつものことだ。
多少、珍しそうな視線が幾つか感じられた。
鳴き止んだ鈴虫がまた囀りを始めたか――と思ったら。
真後ろの女の子が静かに立ち上がると、何故か――瞬時に空気が切り替わった。
周囲とは異種なオーラ(?)を感じた。ちょっとあったかい風な。
その子は、
「――岩手から参りました、春美冬と申します。右も左もわからぬ田舎者ではございますが、何とぞ、格別のご厚誼を賜りますよう、衷心よりお願い申し上げます」
慇懃な挨拶ののち、深々と身体を折った。
教壇に立つ担任の女教師が、目を見開いてまじまじと彼女を見詰めている。
シーンとした教室内で、私は首を捻ってその子を見やったまま、半開きの口で思わず――
「……かっこええ……」
近畿地方のおっさん風に漏らしてしまった。
実際、キリッとした「イイ女」だ。
残念ながら「ナツコ」ではないが。
目線を下げて私の顔をちらと窺った彼女は、思いがけず菩薩のような柔らかい微笑を浮かべた。
銀縁の眼鏡が照明をキランと受け流して、一瞬鋭く光った。
☆☆☆
入学直後に席替えがあり、そのまま一か月が過ぎ去った。
私は安定のソロプレイヤーとして、これまでと変わらぬ日々を淡々と消化していた。
元々、太古から存在していたようなコミュニティが幾つかあったが、勿論、私は何処にも所属していない。
だが、ここの生徒たちは——皆一定の距離を保ちながらも、特別避ける素振りもなく、用があれば普通に声を掛けてくれる。育ちがよい、ということなのか。私の遍歴を知る者が皆無だからなのか。
深い繋がりは期待していないが、それほど萎縮するような環境でもなかった。
部活に所属せず、授業が終わればすぐに校舎を出る毎日。
猫が集う神社があると知り、家とは反対方向だが偶に訪れるようになった。
銀杏の樹々がドームのように生い茂るその社には、なるほど猫の皆さんが多数寛いでいた。
首輪のある猫も多い。ご近所さんだろうか。
ある日、いつものようにしゃがみ込んで主の如き大きな黒猫(のち、オグラ名誉会長と勝手に命名)に挨拶していると、
「もし――永峰さん?」
背後から声を掛けられ、ビクンと大袈裟に立ち上がってしまった。
ドキ胸で視線を向けると――楚々と佇んでいたのは、同じクラスの子だった。
「岩手から参りました」と自己紹介した、「春」という……。
鏡面のような銀縁メガネをキランと光らせ、
「ああ、やっぱり。驚かせて申し訳ございません。見知ったお顔が、と思ったので」
立ち居振る舞いから、既に「委員長」という(多分)ありがたくない二つ名を頂戴している春さんは、衒いもなく気さくに話しかけてきた。
「永峰さん、よくいらっしゃるのですか?」
「そ、そうですね。猫に会いに……」
「左様で。わたくしは、お社をお詣りするのが趣味でして……」
近くの鳥越に住む春さんは、週末、神社でアルバイトに勤しんでいると言った。
だから? あの時に感じた「アレ」は……。
ぼんやり思い出しながら、並んで猫と戯れる彼女に思わず問い掛けてしまった。
「ナツコさんは――」
「『冬』です、美冬です、美冬とお呼びください、クラスメイトですし」
「……み、美冬しゃんは(アレ?)、なんでそんな神々しいオーラを纏ってるんですにゃ?」
……猫かよ(三村ツッコミ)。
目を丸くした彼女は――
少し困ったような顔で、
「えーと……時にそのような事を言われますが……やはりどこか変でしょうか」
この人でも動揺することがあるんだ、というくらいには目が泳いでいる。
明確な答えは有していないようだった。
私の気の所為だったのだろうか……。
「変ということはにゃいです(戻らん!)」
「そうですか? おかしなところがございましたら、遠慮なく仰ってくださいね」
はにかむ眼鏡の奥で、瞳が妖しい光を放った――ような気もしたような、そうでもないような。
☆☆☆
――思い返してみますと、当時の彼女もよくわかっていなかったのでしょうねぇ……。