「これから二週間、実習期間中はこのクラスの副担任として一緒に勉強させて頂きます。神崎翡翠です。みなさん、宜しくお願いします」
そんな挨拶の後、クラスの女子たちから歓声と拍手が湧き起こった。
担任の山内先生の隣に並んでいるその人は、山内先生よりもずっと背が高く、黒のスーツ姿がスタイルの良さを際立たせている。短髪でサラサラと流れる黒髪も、とても爽やかな印象の実習生だった。
神崎 翡翠さん。
なんて綺麗な名前なのだろう。宝石の名を息子につけた彼のご両親は、きっとロマンチックな人に違いない。
朝のホームルームの時間を利用して、クラスみんなで話し合い、実習期間中は彼のことを『ヒスイ先生』と呼ぶ事にした。
「背高いですね。身長、教えて下さーい」
「ヒスイ先生! 好きな食べ物はなんですか?」
「好きなファッションは?」
「ヒスイ先生の趣味も知りたい!」
呼び名が決まるとすぐに、女子からの質問タイムが始まった。その中で一番早く質問したのが舞衣ちゃんだ。私と違い行動力抜群だ。
「えっと、身長は百八十二センチです。好きな食べ物はコーヒーとプリンで、服は黒色のものが多いかな」
そんなヒスイ先生の返答に、私は驚きで思わず椅子から立ち上がりそうになった。
私が舞衣ちゃんにタイプを聞かれて、無自覚にスラスラと答えていた好みのタイプと、ヒスイ先生のへんとうが全く同じだったのだ。
これには舞衣ちゃんも気付いたようで、前方の座席から私を振り返り、声を出さずに口の動きだけで、「同じだよね」とつぶやいた。
私もそんな舞衣ちゃんの目を見つめてうなずき返す。
「プリンは、卵がたっぷり入った濃厚なやつで、ちょっとご褒美的な……」
続いたその言葉に、今度はもう瞬間的に立ち上がっていた。
「卵たっぷり高級プリン!」
ご褒美スイーツとして、テスト勉強などを頑張った時に購入している私が大好きなプリンだ。
以前、家族の誰かに食べられてしまった事があり、それからは奥の方に隠すようにしている。けれど不思議な事に、その時プリンを食べたのが家族の誰だったのか分からないままだった。両親はもちろん、弟も勝手に食べたりはしていないと言っていた。
それでも、目の前でプリンを誰かに食べられた事だけは心に残っている。とても美味しそうに、私の部屋でそれを食べる誰か。
家族以外で、そんな人がいるはずもないのに……。
昨日からずっと、分からないことだらけだ。何か分かりそうで、結局なにも分かっていない。そんな思考の繰り返しで、ずっと頭の中がモヤモヤしている。
立ち上がったままでいた私に、ヒスイ先生が声を弾ませてこちらを見た。
「そう、それ! 卵たっぷり高級プリン。あれ、うまいよね。君も好きなの?」
その問い掛けに、一斉にクラス中の視線が私に向けられる。教室の中で目立つ行動などした事がなかった私は、緊張のあまり質問に答えることも出来ずに焦って席についた。
すぐに他の女子たちから「私もそれ好きー」などの声が上がり、みんなの視線はまたヒスイ先生に注がれる。
そんな教室の中で、私は一人ヒスイ先生から視線をそらしてうつむいていた。
どうしよう。
顔が熱い。
わずか数秒、真正面から目があった。
たったそれだけの時間なのに、苦しいくらいに鼓動が高鳴る。
トクリッ、トクリッと繰り返す心音が、私に何かを伝えようとする。
『これ美味いな。すっげー美味い』
瞬間また頭の片隅で穏やかな低音の声が響き、私は必死になって自分の記憶をたどった。
思い出したい。
思い出せない。
それはまるで、周波数のズレたアナログラジオのように、ザラついたノイズに混ざって時折聞こえてくる不明瞭な声のようだった。
心の中の声と、目の前にいるヒスイ先生の声は、とてもよく似ているような気がする。
『澪!』
そう名前を呼んでくれた心の声の主は、いったい誰なのか。ずっと、その誰かに思いを馳せるたびに鼓動が甘く震える。
ゆっくりと顔を上げて、もう一度ヒスイ先生を見る。
「あ……」
心の声を聞いた時と同じ、切なさを帯びた自分の鼓動が全身に反響する。
神崎翡翠さん。
今日、初めて会った。
「どうして……?」
私は両手で左胸を強く押さえつける。
手のひらまで伝わってくるその音は、確かに恋の音色をしているような気がした。
「はい、はい! みんな質問はそこまで」
あまりに白熱するヒスイ先生への質問タイムに、担任の山内先生がパンパンと手を叩いて場を静かにさせた。
「じゃあ、朝会を終わります。みんな一時間目の用意をして」
そうして授業を始めようとして、すぐに何か思い出したようにヒスイ先生を見る。
「そうだ。神崎くんは確か、天文関係に興味があるんだったね。うちのクラスには天文部が二人いるから、天文部に顔を出すのも楽しいと思うよ」
そんな山内先生の提案に、ヒスイ先生が笑顔でうなずいた。
「ぜひ、参加してみたいです」
ここまでの会話だけでも私には衝撃的なことだったのに、山内先生が更に衝撃な言葉を口にする。
「奥井さん。君、部長だったよね。放課後、神崎くんを案内してくれる? 顧問の村岡先生には僕から話しておくから。よろしくね」
「へ……? え?」
軽いパニック状態の私を置き去りに、山内先生が再びヒスイ先生に話を振った。
「神崎くん、彼女が部長の奥井さん」
山内先生が私を手のひらで指し示す。その動きに合わせて、ヒスイ先生の視線が私を見た。
「奥井さん、よろしくね」
「ひゃい」
はい。と答えるつもりが、緊張のあまり思い切り噛んで「ひゃい」になってしまった。
クラス中に笑いが起こり、舞衣ちゃんは堪えきれずに吹き出している。そしてヒスイ先生も、「フフッ」と肩を揺らして楽しそうに笑っていた。
恥ずかしすぎて、消えてしまいたい。
放課後にヒスイ先生を自分が案内するのかと思うだけで、緊張と、それだけではない胸の高鳴りで苦しくなってしまう。
授業が始まってからも、内容が何一つ頭に入って来なかった。
そんな挨拶の後、クラスの女子たちから歓声と拍手が湧き起こった。
担任の山内先生の隣に並んでいるその人は、山内先生よりもずっと背が高く、黒のスーツ姿がスタイルの良さを際立たせている。短髪でサラサラと流れる黒髪も、とても爽やかな印象の実習生だった。
神崎 翡翠さん。
なんて綺麗な名前なのだろう。宝石の名を息子につけた彼のご両親は、きっとロマンチックな人に違いない。
朝のホームルームの時間を利用して、クラスみんなで話し合い、実習期間中は彼のことを『ヒスイ先生』と呼ぶ事にした。
「背高いですね。身長、教えて下さーい」
「ヒスイ先生! 好きな食べ物はなんですか?」
「好きなファッションは?」
「ヒスイ先生の趣味も知りたい!」
呼び名が決まるとすぐに、女子からの質問タイムが始まった。その中で一番早く質問したのが舞衣ちゃんだ。私と違い行動力抜群だ。
「えっと、身長は百八十二センチです。好きな食べ物はコーヒーとプリンで、服は黒色のものが多いかな」
そんなヒスイ先生の返答に、私は驚きで思わず椅子から立ち上がりそうになった。
私が舞衣ちゃんにタイプを聞かれて、無自覚にスラスラと答えていた好みのタイプと、ヒスイ先生のへんとうが全く同じだったのだ。
これには舞衣ちゃんも気付いたようで、前方の座席から私を振り返り、声を出さずに口の動きだけで、「同じだよね」とつぶやいた。
私もそんな舞衣ちゃんの目を見つめてうなずき返す。
「プリンは、卵がたっぷり入った濃厚なやつで、ちょっとご褒美的な……」
続いたその言葉に、今度はもう瞬間的に立ち上がっていた。
「卵たっぷり高級プリン!」
ご褒美スイーツとして、テスト勉強などを頑張った時に購入している私が大好きなプリンだ。
以前、家族の誰かに食べられてしまった事があり、それからは奥の方に隠すようにしている。けれど不思議な事に、その時プリンを食べたのが家族の誰だったのか分からないままだった。両親はもちろん、弟も勝手に食べたりはしていないと言っていた。
それでも、目の前でプリンを誰かに食べられた事だけは心に残っている。とても美味しそうに、私の部屋でそれを食べる誰か。
家族以外で、そんな人がいるはずもないのに……。
昨日からずっと、分からないことだらけだ。何か分かりそうで、結局なにも分かっていない。そんな思考の繰り返しで、ずっと頭の中がモヤモヤしている。
立ち上がったままでいた私に、ヒスイ先生が声を弾ませてこちらを見た。
「そう、それ! 卵たっぷり高級プリン。あれ、うまいよね。君も好きなの?」
その問い掛けに、一斉にクラス中の視線が私に向けられる。教室の中で目立つ行動などした事がなかった私は、緊張のあまり質問に答えることも出来ずに焦って席についた。
すぐに他の女子たちから「私もそれ好きー」などの声が上がり、みんなの視線はまたヒスイ先生に注がれる。
そんな教室の中で、私は一人ヒスイ先生から視線をそらしてうつむいていた。
どうしよう。
顔が熱い。
わずか数秒、真正面から目があった。
たったそれだけの時間なのに、苦しいくらいに鼓動が高鳴る。
トクリッ、トクリッと繰り返す心音が、私に何かを伝えようとする。
『これ美味いな。すっげー美味い』
瞬間また頭の片隅で穏やかな低音の声が響き、私は必死になって自分の記憶をたどった。
思い出したい。
思い出せない。
それはまるで、周波数のズレたアナログラジオのように、ザラついたノイズに混ざって時折聞こえてくる不明瞭な声のようだった。
心の中の声と、目の前にいるヒスイ先生の声は、とてもよく似ているような気がする。
『澪!』
そう名前を呼んでくれた心の声の主は、いったい誰なのか。ずっと、その誰かに思いを馳せるたびに鼓動が甘く震える。
ゆっくりと顔を上げて、もう一度ヒスイ先生を見る。
「あ……」
心の声を聞いた時と同じ、切なさを帯びた自分の鼓動が全身に反響する。
神崎翡翠さん。
今日、初めて会った。
「どうして……?」
私は両手で左胸を強く押さえつける。
手のひらまで伝わってくるその音は、確かに恋の音色をしているような気がした。
「はい、はい! みんな質問はそこまで」
あまりに白熱するヒスイ先生への質問タイムに、担任の山内先生がパンパンと手を叩いて場を静かにさせた。
「じゃあ、朝会を終わります。みんな一時間目の用意をして」
そうして授業を始めようとして、すぐに何か思い出したようにヒスイ先生を見る。
「そうだ。神崎くんは確か、天文関係に興味があるんだったね。うちのクラスには天文部が二人いるから、天文部に顔を出すのも楽しいと思うよ」
そんな山内先生の提案に、ヒスイ先生が笑顔でうなずいた。
「ぜひ、参加してみたいです」
ここまでの会話だけでも私には衝撃的なことだったのに、山内先生が更に衝撃な言葉を口にする。
「奥井さん。君、部長だったよね。放課後、神崎くんを案内してくれる? 顧問の村岡先生には僕から話しておくから。よろしくね」
「へ……? え?」
軽いパニック状態の私を置き去りに、山内先生が再びヒスイ先生に話を振った。
「神崎くん、彼女が部長の奥井さん」
山内先生が私を手のひらで指し示す。その動きに合わせて、ヒスイ先生の視線が私を見た。
「奥井さん、よろしくね」
「ひゃい」
はい。と答えるつもりが、緊張のあまり思い切り噛んで「ひゃい」になってしまった。
クラス中に笑いが起こり、舞衣ちゃんは堪えきれずに吹き出している。そしてヒスイ先生も、「フフッ」と肩を揺らして楽しそうに笑っていた。
恥ずかしすぎて、消えてしまいたい。
放課後にヒスイ先生を自分が案内するのかと思うだけで、緊張と、それだけではない胸の高鳴りで苦しくなってしまう。
授業が始まってからも、内容が何一つ頭に入って来なかった。