「ミャー」
その時、私の飼い猫であるハチワレ猫のマタタビが、部屋の扉をカリカリと掻く音がした。普段はマタタビが自由に出入りできるよう部屋の扉を少し開けているけれど、今日はヒスイさんと話がしたかったので扉を完全に閉めていたのだ。
カリカリと響く爪音に扉を開けると、マタタビは私に頭を擦りつけて甘えてくる。
マタタビは、このマンションの近くのゴミ捨て場に捨てられていた。小さなダンボールに『買えなくなったので、どなたか拾ってやって下さい』とそんなメモが貼られていた。その飼い主にどんな事情があったのかは分からないけれど、人の都合で捨てられて、当時まだ子猫だったマタタビは必死に声が枯れるまで狭いダンボールの中で鳴き続けていた。
我が家に来て、幸せを感じてくれていると嬉しいなと思う。
マタタビは私にスリスリと体を寄せた後で、少し警戒しながらヒスイさんの方へと寄って行った。
「ナー」
マタタビがヒスイさんに向かって、なにか話でもするように鳴き声を上げる。するとヒスイさんが、「フフッ」と声を出して笑った。動物には天使の姿が見えているらしく、この前の花火の情報もヒスイさんはノラ猫に教えてもらったと言っていた。
「マタタビは、ヒスイさんに何を言ったんですか?」
「こいつ。ヤキモチ、妬いてるんだ。澪を独り占めするなって、澪は俺の命の恩人だから、もしも澪を傷付けたら許さないぞって俺に牽制してきた」
「ナァー、ニャー」
また、マタタビがヒスイさんに何か話し始める。
今度は先程と違い、ヒスイさんは少し照れたように頭をかいていた。
「今度は、何て言ったんですか?」
「…………や。今のは……、男同士の内緒話って事で」
「え? 気になります!」
教えて欲しくてヒスイさんの顔を覗き込むと、誤魔化すように空になったコップを差し出された。
「アイスコーヒー、おかわり!」
仕方なく、私はアイスコーヒーのおかわりを淹れにキッチンへ向かう。
部屋を出てから一度だけ自室を振り返ると、「大切だって……思うよ」と呟くヒスイさんの声が、半分開いた扉から聞こえたような気がした。
部屋の中の様子を伺うと、ヒスイさんがマタタビへと手を伸ばし頭を撫でている。マタタビは警戒を徐々に解いていき、しばらくすると「うにゃ〜」とリラックスの声を上げていた。
その後にどんな話し合いがあったのか分からないけれど、もうヒスイさんを信用したのかマタタビは気持ちよさそうに伸びをしている。
可愛い愛猫と、切ない恋心をくれた人。
好きがギュッと詰まったツーショットに、自然と胸がときめいてしまう。
ポケットに入っていた携帯をとり出し、二人の光景を写真に撮る。画像フォルダを確認すると、そこに写っているのはやはりマタタビの姿だけだった。
ヒスイさんは天使なのだ。
その現実が、改めて私の胸を刺す。ズキリと、心の奥底まで痛みが走り抜けた。