翌日の昼休みの屋上で、私は泣き出しそうな思いを隠して笑う。それでも、香織先輩と舞衣ちゃんに「今日はどうしたの?」と声を掛けられた。

 ずっと無理をしていることが、バレているのかもしれない。すぐに明るい声で話したけれど、私のヘタクソな強がりでは誤魔化せそうにない。

 天使の記憶がただの夢だと思っていた時は、気軽にそれを相談できた。でも、それが夢ではなかった事を話す訳にはいかない。

「澪、どうしたの?」
「澪?」

 二人の問い掛けに、私はどうにか言葉を選んで想いを語ることにした。

「私……」
「ん?」
「私、好きな人ができました」

 二人の顔を見つめて、初めて知った想いを伝える。

「私。大好きな人ができたんです」

 繰り返した言葉と同時に、胸の中の切ない想いが堪えきれずに涙となって零れ落ちた。

「あれ、ごめんっ……泣くつもり、なかったのに……」

 顔を上に向けて、「へへ」と笑おうとする私を、舞衣ちゃんと香織先輩が左右からギュッと抱き締めてくれる。

「それなのに……。もし、もしもあと数日で、それを忘れてしまうとしたら。二人なら、どうしますか? その相手にはもう、会えなくなって自分の中からその存在が消えてしまうとしたら、香織先輩と舞衣ちゃんなら、どうしますか?」

 震える声で話した突拍子も無い質問。
 その相手が誰なのかも、どうして忘れてしまうのかも、何の説明もなくこんな事を言われても、何を言っているのだと笑われるかもしれない。

 だけど、知っていた。
 香織先輩も舞衣ちゃんも、絶対にそんな事をしない人だと知っているから、私は誰より信頼している二人にこの想いを語った。

「私は、絶対その想いを無かった事にしたくないって思う!」

 舞衣ちゃんの声が大きくなる。

「私もそう思う。好きだった事を忘れたく無いから、私なら何かに書き残すかもしれない」

 香織先輩が舞衣ちゃんの意見にうなずきながら、落ち着いた声で言葉を続ける。

「澪が、どうしてそれを忘れてしまうのか私には分からないけど、本当に忘れてしまうのなら、その想いは無かった事になる。だけどね……」

 先輩はそこでいったん言葉を切り、語調を強め続きを話してくれた。

「それでもきっと、きっとね。記憶からその事実が抜け落ちても、心は、その時の恋の鼓動を忘れないと思うんだ」

 強く響いた香織先輩の声が、砕けてしまいそうだった私の心を包んでくれる。

「だからね。私は感謝する。その想いをくれた人に、私は感謝する」

 まるで魔法のような言葉が、絶望の中にいた私に光をくれた。
 静かに目を閉じて、胸の鼓動を感じる。
 そしてゆっくりと瞳を開けると、灰色に見えていた目の前の世界にちゃんと光が差しているのが分かる。

『その想いをくれた人に感謝を』

 考えもしなかった。

『記憶からその事実が抜け落ちても、心はその時の、恋の鼓動を忘れない』

 一人ではそんな考えに、たどり着く事なんてできなかった。

 やっぱり、香織先輩はすごいな。
 誰より尊敬するこの先輩は、いつも私には思いもよらない考え方を教えてくれる。

「ありがとうございます!」

 私が心からの笑顔を向けると、舞衣ちゃんが明るく言葉を挟んだ。

「さすが香織先輩! 人生二周目ってみんなから言われるはずですね!」
「近頃はクラスメイトに『ベテラン』って呼ばれてるから」
「絶妙なあだ名〜!」

 三人で、顔を見合わせ笑いあう。

「相手が誰なのか、二人に何も話さなくてごめんなさい。でも最後に一度だけ、彼とデートができるんです。私がその人を忘れても、その人には少しでも私のことを覚えていて欲しい」
「澪! それなら最高にオシャレ頑張らないとだね! デートはいつ?」

 舞衣ちゃんが身を乗り出して日付を聞く。

「今度の日曜日」
「なら、土曜に服買いに行くよー! 一緒に行くから、最高に可愛いの買おう」
「うん。ありがとう、舞衣ちゃん!」

 例えこの恋が、忘れてしまうものだとしても。消えてなくなるその瞬間まで、全力で恋をすると心に決めた。

 だからどうか。
 記憶を無くしてしまっても、心がこのときめきを、この瞬間の鼓動を覚えていますように……。