高原での合宿を終えて、土曜の夕方に私は自宅マンションの前まで戻って来た。
 金曜の夜中にしっかりと星空が顔を出してくれたお陰で、私たちは明け方近くまで観測を行うことができた。
 三年生への写真立ての贈り物も、香織先輩達にとても喜んでもらえ、大成功の引退イベントになった。

『澪。俺のこと、少しは好きになった?』

 あの夜。ヒスイさんの問い掛けに答えず逃げ出してしまったことが、胸の中に引っかかている。次に会いに来てくれた時に、ちゃんと謝ろうと心に決めていた。

「澪!」

 マンションのエントラスで名前を呼ばれ、私は振り返る。

「蓮ちゃん! 蓮ちゃんも、部活帰り?」
「ああ。澪は合宿だったんだろ? 晴れたか?」
「うん。遅い時間からだけど、ちゃんと晴れたよ。すごくキレイだった」
「そっか、よかったな」

 蓮ちゃんの言葉に、私は笑顔でうなずく。

「あのね、蓮ちゃん。私、天文部の次の部長を引き受けることにしたの」
「澪が? 人前で話すの苦手なくせに、断れなくて無理やり押し付けられたのか?」
「違うよ! そうじゃなくて、ちゃんとね。私がやってみようと思ったの」

 そんな私の言葉に、蓮ちゃんは驚いたように目を丸くする。それから、私を諭すように言葉を続けた。

「澪には無理だ。周りに迷惑かける前に、今からでも断った方がいいと俺は思う」
「でもね。失敗しちゃうかもしれないけど、香織先輩が私に任せたいって言ってくれたの。だから私、挑戦してみようと思う」

 失敗は成功の一歩目。
 失敗と成功は切り離されたものではなく、その少し先で繋がっている。

 あの夜、ヒスイさんが教えてくれた言葉が私の背中をそっと押してくれた。

 私は今までずっと、その場で立ち止まっている事しかできずにいたのだと思う。
 変わりたいと願いながらも動けずにいた。

 踏み出す事はとても怖くて、不安で、その場に立ち止まっている方がずっとずっと楽だから……。

 だけど今、一歩目の足を前に進めてみたい。ヒスイさんと出会って、そう思える自分になれた。

 小学・中学と蓮ちゃんに頼ることばかりだったけれど、これからはちゃんと自分で進んで行きたい。

「蓮ちゃんは今日、試合だったんでしょ? どうだった?」

 バスケ部の二年生エースの蓮ちゃんは、部活も勉強も両方できるすごい人だ。

「勝ったよ」
「やっぱりすごいな、蓮ちゃんは」
「チームプレーだし、俺だけ凄い訳じゃないよ。それに……兄貴に比べたら全然ダメだ」

 蓮ちゃんはいつも、二つ上のお兄さんと自分を比べてばかりいる。とても、辛そうな顔をしながら……。
 そして決まって、そんな瞬間に私にこう言うのだ。

「澪は……変わらなくていいよ。ずっと、俺を頼ればそれでいいから」

 でもね、蓮ちゃん。
 私は、一歩踏み出してみたいんだ。

 蓮ちゃんの横顔を見つめて、私は心の中でそう呟いたのだった。