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「はぁ……」

 隊長室を出てすぐに無意識にこぼれ出た自分の溜息に気付き、俺はくしゃくしゃと髪を掻く。

「ヒスイくん」

 歩き出した瞬間に後ろから誰かに呼び止められ、同期の誰かだと思った俺は、「うるせーな、誰だよ」と雑に答えて振り返る。

 するとそこにいたのは、悪魔討伐本部の最高位である本部長だった。
 高原の屋上で、澪に語った尊敬する上司だ。この本部長に憧れて、討伐本部への配属を希望した。その人の声だと気付かず失礼な物言いをしてしまうなど、相当に冷静さを欠いている。
 同期が自分を、「ヒスイくん」と呼ぶ事などないと気付けなかった。

「本部長……申し訳ありません」
「元気に頑張っているかな?」

 本部長は俺の失礼な言葉を全く気にする様子もなく、穏やかにそう問いかけてくる。その問いに、俺は歯切れの悪い言葉を返した。

「自分なりに、頑張っている……つもりです」

 下界への出張申請は本部長決裁。
 その申請書類が、各部の隊長だけではなく本部長にまで回っている。

 澪の記憶を消せずに戻ってきた事を、本部長からも叱責されてしまうのだろうか。

「珍しいね。君のそんな言い回しは、自信をなくしているのかな?」
「そう……かもしれません。何度も、下界への出張期間の延長申請ばかり回してすみません」
「君が、必要だと思ってそうしたんだろ?」
「はい」
「それなら、あれこれ考えずに思うままにやればいい」
「え?」

 落としていた視線を上げて、本部長を見る。

「君が君を誇れる働き方を、貫けばいい」
「本部長……。有り難うございます!」

 俺が笑顔を作ると、本部長も笑顔で頷く。

「ヒスイくんの上の隊長は、先代本部長の孫でね。彼も私の部下という立ち位置ではあるが、先代が今は上層部に在籍している関係で、あの隊長の人事関わる事に私の意見は全く通らなかったんだ」

 本部長の言葉で、もうずっと前から組織の悪癖が続いているのだと知る。

「本当は君を、隊長まで引き上げたかった。しかし、討伐本部以外からも『若すぎる』と反対が入ってね」

 本部長が、真っ直ぐに俺の目を見て言葉を続ける。

「優秀であることに年齢は関係ない。上にそう進言したが、通らなかった。……まぁ、今の話は年寄りの独り言だから、軽く聞き流してくれると助かるよ」

 きっと本部長は、俺を励ます為にこの話をしてくれた。
 期待しているのだと、伝える為に。

「ありがとうございます!」

 微笑んでから歩き出した本部長の後ろ姿に、腰を折って頭を下げる。
 顔を上げてからも、その背中を見つめていた。

『君が君を誇れる働き方を、貫けばいい』

 本部長からの言葉を思い返していると、廊下の角を曲がる寸前に、本部長が何か呟くのが微かに聞こえてくる。

「彼は、あいつとよく似ている。私の親友と、同じ決断をする事になるかもしれないな」

 本部長の、親友?
 その人は、何を決断したのだろう。

 遠ざかってしまった背中に、それを問うことはできなかった。
 
『君が君を誇れる働き方を、貫けばいい』

 次に澪に会った時に、伝えなければいけない。
 記憶を奪う。その期限が迫っている事を……。

 自分にとっての、本当の誇りとは何なのか。
 この行為の是非を問われているような気がした。