【side:ヒスイ】
あの高原の屋上から天界へと戻ってくると、すぐに直属の上司である第一部隊の隊長から俺は呼び出しを受けた。
「一人の人間の記憶を奪うだけで、お前は一体いつまでかかってるんだ!」
「我々が記憶を奪う手段は、人間にとっては大きな意味のある行為です。気持ちの整理に時間が掛かるのは当然ではないでしょうか」
「何を言っている! 気持ちの整理などしなくても、一瞬で記憶は消えるんだ。どうせ後は何も覚えていないくせに、何をグズグズしている!」
隊長の言葉の端々から、人間の感情を軽視していることが滲み出ていた。
「ですが、隊長! この件は、元々こちらの落ち度で起こった事態です。奥井澪は、その被害者ですよ!」
あえて『こちらの落ち度』という言い方をしたが、これは完全に隊長の判断ミスから始まった事態だ。自分本位にも程がある。
「お前は、人間に何をそこまで肩入れしている?」
「肩入れなどではありません。ただ、納得してもらいたいだけです」
尊敬する先輩から大役を任されて、不安に揺れていた顔。俺の言葉に真剣に耳を傾け、「頑張ってみようと思います」と笑った顔。その笑顔を褒めただけで、照れて耳まで赤く染めていた純真さ。
そして、屋上での別れ際に泣き出しそうな声で、「みんなを呼びに行く」と走り去って行った澪の後ろ姿が脳裏に浮かぶ。
守りたい。
そう、思うのは……。ただの、庇護欲だ。
それ以上でも、それ以下でもない。
心の奥底で痛みを発した何かを無視して、俺はそう結論をだす。
「ヒスイ……前にも言ったと思うが。それなら他の者を下界に送ると」
「待って下さい! 期限を設けます。本日の新月から満月までの十五日、私に時間を下さい。奥井澪の記憶は、必ず私が消去します」
嫌悪しかない隊長に、それでも頭を下げた。
「お願いします。あと少し、猶予を下さい」
「それが限度だぞ」
「はい。ありがとう、ございます」
心の中でまた一つ。
大切な感情のカケラが砕けたような気がした。