「本部長からこの話を聞いた時に、俺もここに入りたいって志願したんだ。でも俺、最初はヘナチョコで弱くて……俺にはこの部署、無理だったのかなって落ち込んだりした事もあって……。その時に、本部長が掛けてくれた言葉がそれだった」

 失敗は、成功の一歩目。
 失敗と成功は切り離されたものではなく、その少し先で繋がっている。 

「だから、やればいいと思うよ」

 ヒスイさんの言葉に、胸の奥が熱くなる。
 ヒスイさんも、失敗をたくさん積み重ねて来たのかな。そう思うと、自分も頑張ってみたいと思えた。

「私、挑戦してみます」

 ヒスイさんの目を見つめて微笑む。

「いい笑顔だな」

 小さく呟かれたヒスイさんの言葉に、一気に顔が熱くなった。私は振り返っていた体を、急いで正面に戻す。それでも背中から抱き締めるヒスイさんの温もりが、その存在を強く主張していた。

「耳も、真っ赤だな」
「言わないで下さい」

 後ろからそんな事を指摘するなんて、ヒスイさんは案外意地悪なのかもしれないと思う。
 こんな風に、私ばかりドキドキしている。ヒスイさんは私よりも大人で、余裕があって、ほんの少し意地悪で……。そして、とても優しい。

「澪、空!」

 ヒスイさんの声に、夜空を見上げる。
 厚い雲が切れて、星の煌めきが広がり始めていた。

 六月下旬。その夜空では、春と夏の星座を両方見る事ができる。肉眼で真っ先に見つける事ができたのは、青白い光を放つおとめ座の一等星・スピカ。

 携帯の方位磁石で西を見る。
 宵の明星と呼ばれる一際明るい金星を探した。美の女神・アフロディーテの別称、ヴィーナス。私に、綺麗になれる魔法を掛けて欲しい。
 そんな事を考えた時、背中越しにヒスイさんの声が耳元で響いた。


「澪。俺のこと、少しは好きになった?」


 その問い掛けに、心が押し潰されてしまいそうになる。
 ヒスイさんの目的は、私の記憶を消すこと。だからヒスイさんはこんなにも、優しくしてくれている。
 それなのに私は、私はもう……。

 泣き出しそうになるのを堪えて私は言う。

「雲が切れたから、みんなを起こしに行ってきます」

 ヒスイさんの顔を見ないまま、その腕の中をすり抜けて走り出す。ヒスイさんからの問い掛けには、どうしても答える事ができなかった。

 好きになったら、好きだと言ったら、私の記憶からあなたの全てが消えてしまう。
 切なさに押し潰されそうになりながら、私は必死に階段を駆け降りて行ったのだった。