「この暁より、しはぶき病みにやはべらむ、頭いと痛くて苦しくはべれば、いと無礼にて聞ゆることなどのたまふ」
たどたどしい説明を聞きながら、配られたレジュメに書かれている文字を指でなぞる。古文はきらいではない。きらいではないけれど、大得意というわけでもない。大学生になったら、もっとすらすら読めるようになると思っていた。だけど受験が終わると古文単語はぽろぽろ忘れていくし、知らない言葉は増えるし、解説がないとさっぱり分からない。
「『しはぶき病み』は『咳き病み』と書き、風邪など咳の出る病気を指す言葉です。『はてはては御胸をいたうなやみたまへば』『御気あがりて、なほ悩ましうせさせたまふ』『御物の怪めきていたうわづらひたまへば』に見られるように、怪異、物の怪によるものも含め、源氏物語には病についての描写が数多くあります。また、若紫の段には光源氏が「瘧病(わらわやみ)」をわずらったという描写もあり……」
間崎教授が担当している国語学国文学演習では、学生が源氏物語の原文に釈文・語釈を施し、通釈を作成して発表しなければならない。単なる現代語訳ではなく、単語一つを細かく分析したり、自分が興味を持った箇所をとことん追究する必要がある。わたしの発表はまだまだ先だが、こんなに難解な内容をしっかり調べ上げなければいけないと思うと、今から気が重い。
教授は講義室の片隅で学生の作ったレジュメを真剣に見ている。よく調べたものだと感心しているのか、全然だめだとあきれているのか、表情からは何も読み取れない。
発表を終えると、学生は不安そうに間崎教授を見た。教授はなかなか口を開かない。こういうことはしばしばあるので、学生たちはみな固唾を呑んで教授の言葉を待っている。
数分後、教授は「あぶり餅が」と小さくつぶやいた。
「え? あぶり餅?」
発表していた学生が眉をひそめる。レジュメには「あぶり餅」という単語は一度も出てこない。周囲の反応に気づいたのか、教授は顔を上げるとしばし固まり、「……あぶり餅で有名な今宮神社ですが」と続けた。
「創建以来疫病退散の神とされ、人々の信仰を集めていたんですよ。『しはぶき病み』に着目したのはおもしろいですね。そのついでに、この時代の人々がどのように病を克服しようとしたか、どんな医療があったのかを調べてみるのもおすすめですよ」
周囲の学生はみな「なるほど」なんて納得したようにうなずいているが、なんとなく文脈がぎこちない。いつも流しそうめんのようにするすると話すのに、今のは少々むりがある。その後ぽつぽつとアドバイスをして、その日の発表は終了した。
「さっき、全然話聞いてなかったでしょ」
あとを追いかけて尋ねると、教授は「聞いてた、聞いていました」と心のこもっていない返事をした。
「それは嘘つきの言い方です。真剣に聞いていると思ったら、お餅のことを考えていたんですね」
他の学生は騙せても、わたしの目はごまかせない。しっかりしているように見えて、案外適当なところがあるのも知っている。
「昨日、テレビであぶり餅が紹介されているのを見たんだよ。だから、今日はあぶり餅のことしか考えていない」
ひどい。発表していた学生が聞いたら怒りそうな理由だ。どれだけ労力をかけて発表の準備をしたことか。今の言葉、録音しておけばよかった。そう思いつつも、教授の心を奪う「あぶり餅」とは一体何なのか、ついそちらが気になってしまう。
「……あぶり餅って、おいしいですか」
「食べたことないのか。食いしん坊のくせに」
自然と足がとまった。ショックだった。食べることはすきだけれど、教授に食いしん坊と思われていたなんて。
「わたし、もうはたちです。そんな小学生みたいに思われるのは、し、し、心外です」
「じゃあ、食べないのか」
「何を?」
「あぶり餅。せっかく誘おうと思ったのに」
残念だ、とこれみよがしに肩を落とし、教授はすたすた歩いていく。
「食べます。食べたいです」
わたしは全速力で教授を追いかけた。
「でも、そんなにいっぱいは食べないです。一口いただけたらそれでいいんで」
「全部食べられてしまいそうだ」
土曜日の朝は、いつもより早く起きてメイクをした。教授と出かけるのは原谷苑以来だ。どんな服を着ていこうか前日から悩みに悩んで、結局デニムのオーバーオールにした。動きやすいし、ポケットもついているし、リュックにも合う。前日の天気予報では雨だったけれど、幸いまだ降り出す気配はない。折り畳み傘の出番が来ないことを願う。
今宮神社に到着すると、すでに教授が楼門の前に立っていた。
「お待たせしました」
そう言いながら駆け寄ると、表情を変えることなく「ああ」と応じる。すぐそばに建てられた駒札を見ると、「鎮疫の神として信仰が厚い」と書かれていた。
「『安良居(やすらい)祭は疫神鎮めの祭礼であり、京都の奇祭の一つとして知られている』ですって」
「広隆寺の牛祭、鞍馬の火祭、やすらい祭の三つが京都三大奇祭。昔の人々は、桜が散る時に疫神も飛び散ると考えていたんだ。疫病の根源を美しい花傘に集めて疫社に封じ込めようとしたことから、『花鎮めの祭り』ともいわれている」
「へぇー、おもしろいお祭りですね。見てみたいなぁ」
「君はいつも元気そうだな。風邪とかひかないのか」
「小学生の時以来ひいたことないです」
「やっぱり」
「何がやっぱりなんですか」
なんとなく言いたいことは察したが、あえて気づかないふりをした。世の中には、知らぬが仏という言葉もある。
目的はあぶり餅だが、その前にまずはお参りだ。天候のせいなのか、境内にそれほど人はいなかった。これならゆっくり写真が撮れそうだ。
進んでいくと、女性の顔が彫られたレリーフのようなものを見つけた。説明書きには「桂昌院(お玉の方)」と書かれている。
「桂昌院は徳川家光の側室で、綱吉の生母。京都にある数々の社寺復興に寄与した人物だ。女性として最高位まで昇り詰めたことから、『玉の輿』の語義の起こりともされている」
「玉の輿ですか。わたしもアラブの石油王と結婚したいです」
「せいぜい頑張って」
頑張って、と言われたらまだ素直に受け止められるのに、「せいぜい」をつけられるだけで癇に障るのはなぜなのか。
そのまままっすぐ進み、本殿にお参りをした。鎮疫の神なので、ここは無難に「無病息災」だろうか。実家にいれば家族が看病をしてくれるだろうが、ひとり暮らしだとそうもいかない。出席日数が足りなくて単位を落とす可能性もある。体調管理だけはしっかりしておかなければ。
「境内のどこかになまずがいるから、探しながら歩いてみるといい」
「なまず?」
「そう。なまず」
なぜなまずがいるのかは分からないが、とにもかくにも歩くしかあるまい。
境内には大徳寺門前に祀られていた大将軍社、西陣織の業祖神を祀った織姫社など、多数の摂末社があった。中でも興味をそそられたのは、阿呆賢(あほかし)さんというふしぎな石だ。
「『神占石(かみうらいし)』ともいわれていて、軽く手で撫で体の悪いところをこすれば健康になるそうだ。君には必要なさそうだが」
「教授は胸でも撫でたらどうですか。デリカシーのなさが直りますよ」
「残念、今この瞬間にあぶり餅が消えた」
「冗談です」
阿呆賢さんは神占石だけでなく「重軽石」とも呼ばれているらしい。手のひらで軽く三度叩いて持ち上げると重くなり、次に願いを込めて三度撫でて持ち上げる。その時、初めに持った時より軽くなっていれば願いが叶うそうだ。具体的な願いも思いつかないので、今回は試さないことにした。石の重さで未来が分かってしまうなんて、少しおそろしくもあった。
その後も境内を歩き回ったが、なまずはなかなか見つからない。そもそも本物のなまずなのか、なまずの形をした何かなのか、桂昌院のようなレリーフなのかも分からない。この広い境内で見つけるのは至難の業だろう。そうこうしているうちに、また入口近くに戻ってきてしまった。
「なまず、全然見つからないです。本当にいるんですか」
「いるいる。絶対いる」
教授は適当な返事をしながら、一つの摂末社に近づいていった。
「ここは宗像(むなかた)社。素盞鳴尊(すさのをのみこと)の十握剣(とつかのつるぎ)から生まれた宗像三女神を祀っているんだ」
「宗像三女神?」
「多紀理姫命(たきりひめのみこと)、湍津姫命(たぎつひめのみこと)、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)。弁財天と同一視され、『弁天さん』とも呼ばれている」
「弁財天なら知っています。美の女神様ですよね」
カメラを構え、写真を撮る。なんとなく社殿の台石に目をやった途端、あ、と声が出た。
「見つけました、なまずがいます!」
「よく見つけたね」
そこにはうっすらと彫られたなまずがいた。ひとりだったら絶対見落としていただろう。
「でも、どうしてなまず?」
「なまずは古くから弁財天の使者とされているんだ。弁天なまずって知らないか」
「聞いたことないです。なまずよりうなぎの方がすきなので」
「食べ物の話はしていない」
空腹がピークを迎えているのか、食べ物のことばかり考えてしまう。これでは食いしん坊と言われても反論できない。すぐ近くの東門をくぐり抜けると、両側に店が二軒向かい合っていた。
「お店が二つあります! どちらもあぶり餅のお店ですか?」
「そうだよ。1000年創業の一和(いちわ)と、江戸時代から続くかざりや。どちらもおいしいから、すいている方に行こう」
どちらも気になったが、店の人の呼び込みもあり、今回はかざりやに決めた。作っている様子をのぞいてみると、竹串にささった親指大の餅が、手際よく炭火であぶられている。やすらい祭では、あぶり餅を食べて無病息災を願うらしい。
「おいしいです」
運ばれてきたあぶり餅を食べると、ほろっと白味噌の甘味が広がった。
「普段は赤味噌を使うことが多いんですけど、白味噌もまろやかでいいですね」
「そうだな。久々に食べられてよかった」
「これで一人前かぁ」
おいしいけれど、一口サイズなのですぐに食べ終えてしまった。思わず本音を漏らすと、
「そういうところが食いしん坊なんだ」とため息をつかれた。
一和のあぶり餅を手土産に、わたしたちは帰路に着いた。おそろいの袋をゆらゆら揺らして、石畳の上を歩く。空を見上げると、雲間から太陽がのぞいていた。天気予報も、たまにはあたらない方がいい。
たどたどしい説明を聞きながら、配られたレジュメに書かれている文字を指でなぞる。古文はきらいではない。きらいではないけれど、大得意というわけでもない。大学生になったら、もっとすらすら読めるようになると思っていた。だけど受験が終わると古文単語はぽろぽろ忘れていくし、知らない言葉は増えるし、解説がないとさっぱり分からない。
「『しはぶき病み』は『咳き病み』と書き、風邪など咳の出る病気を指す言葉です。『はてはては御胸をいたうなやみたまへば』『御気あがりて、なほ悩ましうせさせたまふ』『御物の怪めきていたうわづらひたまへば』に見られるように、怪異、物の怪によるものも含め、源氏物語には病についての描写が数多くあります。また、若紫の段には光源氏が「瘧病(わらわやみ)」をわずらったという描写もあり……」
間崎教授が担当している国語学国文学演習では、学生が源氏物語の原文に釈文・語釈を施し、通釈を作成して発表しなければならない。単なる現代語訳ではなく、単語一つを細かく分析したり、自分が興味を持った箇所をとことん追究する必要がある。わたしの発表はまだまだ先だが、こんなに難解な内容をしっかり調べ上げなければいけないと思うと、今から気が重い。
教授は講義室の片隅で学生の作ったレジュメを真剣に見ている。よく調べたものだと感心しているのか、全然だめだとあきれているのか、表情からは何も読み取れない。
発表を終えると、学生は不安そうに間崎教授を見た。教授はなかなか口を開かない。こういうことはしばしばあるので、学生たちはみな固唾を呑んで教授の言葉を待っている。
数分後、教授は「あぶり餅が」と小さくつぶやいた。
「え? あぶり餅?」
発表していた学生が眉をひそめる。レジュメには「あぶり餅」という単語は一度も出てこない。周囲の反応に気づいたのか、教授は顔を上げるとしばし固まり、「……あぶり餅で有名な今宮神社ですが」と続けた。
「創建以来疫病退散の神とされ、人々の信仰を集めていたんですよ。『しはぶき病み』に着目したのはおもしろいですね。そのついでに、この時代の人々がどのように病を克服しようとしたか、どんな医療があったのかを調べてみるのもおすすめですよ」
周囲の学生はみな「なるほど」なんて納得したようにうなずいているが、なんとなく文脈がぎこちない。いつも流しそうめんのようにするすると話すのに、今のは少々むりがある。その後ぽつぽつとアドバイスをして、その日の発表は終了した。
「さっき、全然話聞いてなかったでしょ」
あとを追いかけて尋ねると、教授は「聞いてた、聞いていました」と心のこもっていない返事をした。
「それは嘘つきの言い方です。真剣に聞いていると思ったら、お餅のことを考えていたんですね」
他の学生は騙せても、わたしの目はごまかせない。しっかりしているように見えて、案外適当なところがあるのも知っている。
「昨日、テレビであぶり餅が紹介されているのを見たんだよ。だから、今日はあぶり餅のことしか考えていない」
ひどい。発表していた学生が聞いたら怒りそうな理由だ。どれだけ労力をかけて発表の準備をしたことか。今の言葉、録音しておけばよかった。そう思いつつも、教授の心を奪う「あぶり餅」とは一体何なのか、ついそちらが気になってしまう。
「……あぶり餅って、おいしいですか」
「食べたことないのか。食いしん坊のくせに」
自然と足がとまった。ショックだった。食べることはすきだけれど、教授に食いしん坊と思われていたなんて。
「わたし、もうはたちです。そんな小学生みたいに思われるのは、し、し、心外です」
「じゃあ、食べないのか」
「何を?」
「あぶり餅。せっかく誘おうと思ったのに」
残念だ、とこれみよがしに肩を落とし、教授はすたすた歩いていく。
「食べます。食べたいです」
わたしは全速力で教授を追いかけた。
「でも、そんなにいっぱいは食べないです。一口いただけたらそれでいいんで」
「全部食べられてしまいそうだ」
土曜日の朝は、いつもより早く起きてメイクをした。教授と出かけるのは原谷苑以来だ。どんな服を着ていこうか前日から悩みに悩んで、結局デニムのオーバーオールにした。動きやすいし、ポケットもついているし、リュックにも合う。前日の天気予報では雨だったけれど、幸いまだ降り出す気配はない。折り畳み傘の出番が来ないことを願う。
今宮神社に到着すると、すでに教授が楼門の前に立っていた。
「お待たせしました」
そう言いながら駆け寄ると、表情を変えることなく「ああ」と応じる。すぐそばに建てられた駒札を見ると、「鎮疫の神として信仰が厚い」と書かれていた。
「『安良居(やすらい)祭は疫神鎮めの祭礼であり、京都の奇祭の一つとして知られている』ですって」
「広隆寺の牛祭、鞍馬の火祭、やすらい祭の三つが京都三大奇祭。昔の人々は、桜が散る時に疫神も飛び散ると考えていたんだ。疫病の根源を美しい花傘に集めて疫社に封じ込めようとしたことから、『花鎮めの祭り』ともいわれている」
「へぇー、おもしろいお祭りですね。見てみたいなぁ」
「君はいつも元気そうだな。風邪とかひかないのか」
「小学生の時以来ひいたことないです」
「やっぱり」
「何がやっぱりなんですか」
なんとなく言いたいことは察したが、あえて気づかないふりをした。世の中には、知らぬが仏という言葉もある。
目的はあぶり餅だが、その前にまずはお参りだ。天候のせいなのか、境内にそれほど人はいなかった。これならゆっくり写真が撮れそうだ。
進んでいくと、女性の顔が彫られたレリーフのようなものを見つけた。説明書きには「桂昌院(お玉の方)」と書かれている。
「桂昌院は徳川家光の側室で、綱吉の生母。京都にある数々の社寺復興に寄与した人物だ。女性として最高位まで昇り詰めたことから、『玉の輿』の語義の起こりともされている」
「玉の輿ですか。わたしもアラブの石油王と結婚したいです」
「せいぜい頑張って」
頑張って、と言われたらまだ素直に受け止められるのに、「せいぜい」をつけられるだけで癇に障るのはなぜなのか。
そのまままっすぐ進み、本殿にお参りをした。鎮疫の神なので、ここは無難に「無病息災」だろうか。実家にいれば家族が看病をしてくれるだろうが、ひとり暮らしだとそうもいかない。出席日数が足りなくて単位を落とす可能性もある。体調管理だけはしっかりしておかなければ。
「境内のどこかになまずがいるから、探しながら歩いてみるといい」
「なまず?」
「そう。なまず」
なぜなまずがいるのかは分からないが、とにもかくにも歩くしかあるまい。
境内には大徳寺門前に祀られていた大将軍社、西陣織の業祖神を祀った織姫社など、多数の摂末社があった。中でも興味をそそられたのは、阿呆賢(あほかし)さんというふしぎな石だ。
「『神占石(かみうらいし)』ともいわれていて、軽く手で撫で体の悪いところをこすれば健康になるそうだ。君には必要なさそうだが」
「教授は胸でも撫でたらどうですか。デリカシーのなさが直りますよ」
「残念、今この瞬間にあぶり餅が消えた」
「冗談です」
阿呆賢さんは神占石だけでなく「重軽石」とも呼ばれているらしい。手のひらで軽く三度叩いて持ち上げると重くなり、次に願いを込めて三度撫でて持ち上げる。その時、初めに持った時より軽くなっていれば願いが叶うそうだ。具体的な願いも思いつかないので、今回は試さないことにした。石の重さで未来が分かってしまうなんて、少しおそろしくもあった。
その後も境内を歩き回ったが、なまずはなかなか見つからない。そもそも本物のなまずなのか、なまずの形をした何かなのか、桂昌院のようなレリーフなのかも分からない。この広い境内で見つけるのは至難の業だろう。そうこうしているうちに、また入口近くに戻ってきてしまった。
「なまず、全然見つからないです。本当にいるんですか」
「いるいる。絶対いる」
教授は適当な返事をしながら、一つの摂末社に近づいていった。
「ここは宗像(むなかた)社。素盞鳴尊(すさのをのみこと)の十握剣(とつかのつるぎ)から生まれた宗像三女神を祀っているんだ」
「宗像三女神?」
「多紀理姫命(たきりひめのみこと)、湍津姫命(たぎつひめのみこと)、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)。弁財天と同一視され、『弁天さん』とも呼ばれている」
「弁財天なら知っています。美の女神様ですよね」
カメラを構え、写真を撮る。なんとなく社殿の台石に目をやった途端、あ、と声が出た。
「見つけました、なまずがいます!」
「よく見つけたね」
そこにはうっすらと彫られたなまずがいた。ひとりだったら絶対見落としていただろう。
「でも、どうしてなまず?」
「なまずは古くから弁財天の使者とされているんだ。弁天なまずって知らないか」
「聞いたことないです。なまずよりうなぎの方がすきなので」
「食べ物の話はしていない」
空腹がピークを迎えているのか、食べ物のことばかり考えてしまう。これでは食いしん坊と言われても反論できない。すぐ近くの東門をくぐり抜けると、両側に店が二軒向かい合っていた。
「お店が二つあります! どちらもあぶり餅のお店ですか?」
「そうだよ。1000年創業の一和(いちわ)と、江戸時代から続くかざりや。どちらもおいしいから、すいている方に行こう」
どちらも気になったが、店の人の呼び込みもあり、今回はかざりやに決めた。作っている様子をのぞいてみると、竹串にささった親指大の餅が、手際よく炭火であぶられている。やすらい祭では、あぶり餅を食べて無病息災を願うらしい。
「おいしいです」
運ばれてきたあぶり餅を食べると、ほろっと白味噌の甘味が広がった。
「普段は赤味噌を使うことが多いんですけど、白味噌もまろやかでいいですね」
「そうだな。久々に食べられてよかった」
「これで一人前かぁ」
おいしいけれど、一口サイズなのですぐに食べ終えてしまった。思わず本音を漏らすと、
「そういうところが食いしん坊なんだ」とため息をつかれた。
一和のあぶり餅を手土産に、わたしたちは帰路に着いた。おそろいの袋をゆらゆら揺らして、石畳の上を歩く。空を見上げると、雲間から太陽がのぞいていた。天気予報も、たまにはあたらない方がいい。