あっという間にクリスマスが過ぎ、大晦日が過ぎ、新しい年がやってきた。

今年の年末年始も例年通り実家で過ごしたが、あまり心休まる時間ではなかった。「来年はもう4回生かぁ。早いわねえ」なんて母は言うし、「久々に琴子の写真を撮らせて」と父はうるさいし、「就職はどうするの? こっちに帰ってくる?」なんて祖母まで言い出すものだから、返事に窮して自室にこもる時間もしばしばあった。ひとり暮らしが長くなると、家族の干渉をうっとうしく感じてしまうものである。

いつもは地元の友人に連絡するのだが、なんとなくそれも億劫で、ひたすら餅のアレンジレシピを開発して過ごす日々となった。

間崎教授には、元日に「あけましておめでとうございます」と新年の挨拶を送った。過去に撮った梅の写真に簡単なイラストを描き、デジタルの年賀状を作って添えた。「すごいね」とか「上手だね」なんて甘い反応を期待してみたものの、教授からは「おめでとう。今年もよろしく」と定型文のような返事が来た。遊び心のない挨拶である。

『教授は初詣、どこかに行くんですか』

『行かない。混むから』

さすがの教授も、正月くらいはゆっくり過ごしているのか返事が早い。予想通りの答えに、だろうな、と納得した。教授が苦手なものは暑さ・寒さ・早朝・人混みときている。人に揉まれながら初詣に行く教授の姿は想像できない。

『じゃあ、混雑を避けてどこかに行きませんか』と、図々しく言ってみた。去年、おととしと正月を一緒に過ごしているのだから、このくらいは言ってもいいだろう。

返事があったのは数時間後のこと。携帯電話を見ると、『大根食べる?』というメッセージが来ていた。何だこのノリは。まるでご近所の親切なおばちゃんみたいな台詞ではないか。そう思ったものの、それを伝えるなんてばかな真似はするまい。『食べます』と答えると、『15日、あけておいて』とだけ返事が来た。とにもかくにも、新年最初の予定が決まったわけだ。





京都には、1月10日に帰った。まだ講義が始まらないこともあり、正月ぼけが抜けるには時間がかかりそうだ。ひとまず部屋の掃除をし、すっからかんの冷蔵庫を埋め、余った餅を食べる日々が続いた。スタンダードな焼き餅もいいが、きな粉をまぶして食べるのもよい。特に気に入ったのはフレンチトースト風アレンジだ。餅と牛乳、砂糖、卵を混ぜてバターで焼くだけで、フレンチトーストに変化するのは発明である。このレシピを開発した人にはノーベル賞が授与されてもよいのではないか、これは餅界の革命だ、とかなんとか考えながら食べているうちに、さすがに顔がふくよかになってきた。「ダイエットしなきゃ」が口癖のみっちゃんの横で、スナック菓子をぼりぼり貪っているようなわたしだが、さすがにそろそろまずいような気がする。体型よりも食欲を優先させてきたが、わたしも今年で21歳だ。社会人になる前に、もう少し美意識を高く持つべきかもしれない。

教授と約束をした1月15日、待ち合わせとして指定されたのは法住寺だった。すぐ近くには三十三間堂がある。今日は何か行事があるのか、袴姿の若者たちで賑わっていた。

三十三間堂と比べると、法住寺はこじんまりしていた。門のところには大きく「大根焚き(だいこだき)」と書かれている。

「めずらしく早いな」

振り向くと、教授がこちらに歩いてくるところだった。反論したい気持ちをぐっと抑え、「あけましておめでとうございます」と挨拶をする。

「大根って、これのことだったんですね」

「どうせ餅ばかり食べていたんだろうから、胃を休めさせてあげようと思って」

「監視カメラでもつけてました?」

「そんなもの、なくても分かる」

もしかして、わたしの顔が丸くなったことに気づいたんじゃなかろうか。思わず両手で頬を押さえた。明日から本気で切り替えなければ。そう、明日から。

法住寺の境内に入ると、おいしそうなにおいが漂ってきた。見ると、係の人が大鍋でぐつぐつと大根を煮ている。

「まずはこっち」

鍋の方に近づこうとするわたしを、教授が引き留めた。はい、と木札のようなものを手渡す。

「これは?」

「護摩木(ごまき)。名前と数え年、願いごとを書いて奉納するんだ」

「願いごとですか」

叶えたいことは、いろいろある。もっと写真をうまく撮れるようになりたいし、フォトコンテストでも入賞したい。ちゃんと就職できるかも不安だ。考えても一つに絞れそうにないので、結局無難に「無病息災」と書いてしまった。お参りは昨年みっちゃんと岡﨑神社で済ませているし、このくらいでいいのかもしれない。

「教授は何て書いたんですか」

「君と同じ。無病息災」

「健康が一番ですもんねぇ」

引換券を手渡し、大根の入った深皿を受け取った。教授とふたり、あいている場所に腰かける。一口食べると、冷えた体が内側からあたたまっていくのを感じた。

「味が染みていておいしいです。優しい味ですね」

「大根焚きは、健康を祈願するための年中行事でね。12月に行われる場合も多いんだが、法住寺では毎年この時期に開催されているんだ」

大きな神社での華やかな初詣も魅力的だが、こうして穏やかに過ごす正月もいいものだ。

「教授は、ご実家に帰ったりしなかったんですか」

「帰ったよ。5日間だけ」

息で大根を冷ましながら、教授が答える。この人、少し猫舌かもしれない。

「前も聞きましたけど、地元ってどちらなんです?」

「そんなに知りたい?」

「知りたいです。教授って、あんまり自分のこと話さないから」

「生まれは東京。実家は広島」

前はまったく教えてくれなかったのに、どういう風の吹き回しか、やけにあっさり答えてくれた。

「意外です。もっとこう、都会的なイメージがありました」

「ばかにしてるだろ」

「してません。牡蠣が食べたいです」

「また食べ物のことか」

一時期は食いしん坊と思われることを恥ずかしく感じたが、もう今更どうでもいい。取り繕うことの無意味さを知った。

法住寺は、後白河法皇の院政御所「法住寺殿」が営まれた時、中心となったお寺だそうだ。かつては広大な敷地を持ち、三十三間堂は寺域内にあったお堂の一つだったらしい。忠臣蔵で有名な赤穂浪士・大石内蔵助が討ち入り前に参拝したとも伝えられており、四十七士の像も安置されているという。

この日は特別に後白河法皇御尊像がご開扉されているということで、大根を食べ終えてから見にいった。写真撮影はできないので、お参りをして、しっかりと記憶に刻みつける。

「ちょうど不動護摩供(ごまく)が行われるから、参加しよう」

教授の言葉で、わたしたちは本堂に上がった。護摩供とは、壇の爐中に供物を投じ、燃え盛る浄火によって煩悩を焼き払い、供物の香りを諸尊に供えることで福をもたらす修法のことだそうだ。揺らめく炎を見ていると、身も心もあたたまってくる。終わりには、牛王牘(ごおうふだ)をいただいた。あらゆる厄災から守ってくれるという。

「なんだか、いいことありそうです」

わたしたちは牛王牘を眺めながら、法住寺をあとにした。

歩道には、まだ先ほどの若者たちが大勢並んでいる。みな袴姿で、弓のようなものを持っていた。

「今日は、三十三間堂でも何かやっているんでしょうか」

何気なく尋ねると、教授は「ちょうど通し矢が行われているんだよ」と答えた。

「全国から新成人や有段者が集まって、その腕を競うんだ」

「成人かぁ」

ついこの間成人式に参加したのに、あれからもう一年が経ってしまった。みっちゃんが常々言うように、昔より時の流れが早く感じる。

「教授、お願いがあります」

「いやです」

「まだ何も言ってません」

「言わなくても分かる」

「今年こそ、一緒に雪を見にいきましょう」

案の定、教授は心底いやそうな顔をした。まるで泥沼に足を踏み入れる前のような表情だ。

「桜や紅葉は何度も行っているのに、まだ雪は一緒に見ていないじゃないですか。写真は褒めてくれるくせに」

「京都はあまり雪が積もらないからな」

「わたし、知ってます。北の方ならどっさり積もるって。どうしてそんなにいやなんですか」

「寒いから」

それに、と教授は小さい声でつけ足した。

「雪には、あまりいい思い出がない」

「じゃあ、楽しい思い出に書き換えてあげます」

意気込んでそう言ったものの、教授は「行けたら行く」と生返事をした。

「今日は三十三間堂が無料開放されているんだ。ついでに寄っていこうか」

「話を逸らさないでくださいよ」

ぎゃーぎゃー喚くわたしから逃げるように、教授はすたすたと歩いていく。わたしは諦めて肩を落とした。

京都で雪が降る日は少ないし、積もるとなればなおさらだ。去年もおととしも、ひとりで雪を見ることになってしまったのだから、今年こそは教授と一緒に見なければ。だって来年は、どうなっているのか分からない。

未来は楽しみでもある一方、おそろしくもある。いいことが起きるか、悪いことが起きるか。おみくじや占いに頼っても、細かいことまでは分からない。

今年一年、穏やかに過ごせますように。いつまでも教授と、京都を巡ることができますように。そう願いながら、わたしは教授のあとを追いかけていった。