「いつまで待たせるつもりですか! 弓維さんがいないとこっちは困ると、先ほども言いましたよね!」
冴子様の怒声が響き渡る。
私は駆け付けたい気持ちでいっぱいなのだが、男性は驚く素振りもなく、また降ろしてもくれなかった。
「弓維さん」と呼んでいたことから、私が誰だか分かっているはずだ。冴子様が私を呼んでいることも。
それなのに、どうして? という私の疑問は、すぐに解消される。私たちの存在に気づいた冴子様によって。
「弓維さん!」
先ほどまで怒鳴っていた方とは思えないほど、花の開いた顔で呼ぶ冴子様。
さらに駆け寄ると、あろうことかしゃがみ込んで、靴を履きやすいように直しているのだ。勿論、私ではなくこの男性の靴を。
だってこの男性は……。
「無事だったのね。良かったわ、間に合って。しかも肇に抱っこされて、だなんて……これは和解したと思っていいのかしら」
何と、肇さんだという……。え? 嘘!
旦那様!?
驚きのあまり肇さんの首に回していた腕を外し、後ろにのけ反る。けれどヒョロっとしているのにも関わらず、その力は強く、私は勢いよく引き戻された。
「キャッ!」
「あっ、大丈夫でしたか。危なかったので、つい」
つい、という力には思いませんでしたけど!
「加減をしなさい。弓維さんは肇が思っている以上にか弱いんだから」
か、か弱い……兄さんには鋼だと言われたばかりなのに。この違い……。
冴子様はそう思ってくれていたんだ、と思うと嬉しくて、そのまま肇さんの服を握った。
「分かっているよ、母さん。だから、抱えて来たんじゃないか。弓維さんは今、足を挫いているから」
「何ですって!」
「それも、そこにいる義兄さんにやられたらしいですよ」
「まぁ、ウチの大事な嫁になんてことをしてくれたのかしら」
だんだん声が低くなる冴子様の態度に、私は慌てて振り返ろうとした。が、何故か肇さんに押さえつけられてできない。
「あ、あの、私!」
「すみません。僕も母さんも、ちょっとこのことについて頭にきているんです。だから少しの間だけ、大人しくしていてもらえませんか?」
「どうしてですか?」
「大事な人を傷つけられて、怒る人はいないでしょう」
「でも……」
冴子様なら分かるけど、肇さんは……と思っている間に、さらにどす黒い声が聞こえてきた。
「確かにお宅の娘さんですが、今は私ども、筒鳥家の嫁です。娘だからって勝手していいと思っているんですか?」
壁だか、机だかを叩いているのか、大きい声が聞こえて、思わず体がビクッと反応してしまった。
さらに兄さんや父さんの声と違って、冴子様のお声は甲高い。いくら普段より低くても。だから他の音と同じく、よく響いた。
すると、肇さんが優しく背中を撫でる。今なら後ろを振り向くことができるのだが、それが心地よくて、私はそのまま身を委ねた。
後ろでは、兄さんが余計なことを言ったのか、冴子様の怒声が耳に入ってきた。
「離婚ですって! それは嫁ぎ先から出すのであって、お宅が決められることではないわ。勘違いなさっているようだけど、川本家は筒鳥家と同等の立場ではなくてよ」
「しかし奥様が仰るほど、妹は大事にされていないように思えますが?」
「何ですって!」
火に油を注いで良いことはないのに、どうやら兄さんにはそれが分からないらしい。
「筒鳥家の嫁とは思えないほどの身なり。恰幅。ずっと奥様と共にいる姿はあれど、夫婦が一緒にいるところは見ない、と噂されています。これはどういうことでしょうか」
「つまり、私が弓維さんを使用人扱いしていると言いたいのね」
「だからこそ、妹がいないと困る、と仰っていたのではありませんか? ただで働かせる秘書なんて、貴重ではありませんか」
思わず唇を噛んだ。ずっと抱いていた想いを兄さんに言われ、悔しかったのではない。恥ずかしかった訳でもない。
同じような立場の母さんを侮辱し、冴子様を罵る言動が許せなかったのだ。
「えぇ。嫁ですもの、貴重ですよ。大事な大事な嫁であり、肇にとってもまた、大事な大事な妻ですから。御覧なさい。弓維さんを抱く肇の姿を。あれでも同じことが言えまして? 使用人扱いしているとでも?」
突然、背中を撫でていた肇さんの手が止まり、ぽんぽんと優しく叩かれた。驚いて体を少しだけ離すと、柔らかい表情の肇さんと目が合った。
さらに金色の瞳を細めて、愛おしそうに私を見る。その瞬間、一気に顔が熱くなり、両手で覆う。
な、なんでーーー!!
「……奥様の仰りたいことは分かりました。けれど、夫婦が共にいるところを見たことがない、と聞きましたが」
「今、一緒にいるのが見えないの?」
「俺が言っているのは今ではありません。妹が嫁いでから、と言っているのです」
兄さんの言葉にハッとなる。
そうだ。何、真に受けているのよ、私ったら。これは離婚を回避するために、肇さんと冴子様が仕組んだこと。
優しく撫でてくれたことも、微笑んでくれたのも、そのためなのに……。でなかったら、五年もの間、姿を見せてくれなかったのは何故?
私にはそのどちらも判断し兼ねなかった。
「それについては、本当に弓維さんには申し訳ないと思っています。僕が不甲斐ないばかりに」
「え?」
ずっと兄さんとやり合っていたのが冴子様だったから、この返答もてっきりそうだと思い込んでいた。けれど肇さんは私を横抱きにしたまま、歩き出す。兄さんのいる方へ。
「公典さんは僕の姿を見て、どう思いますか?」
「どうって、そりゃ……」
「遠慮することはありません。一応、公典さんは僕の義兄なんですから。気味が悪いって仰っても構いません」
「気味がって誰がそんなことを!」
私は思わず口に出してしまった。
確かに青味がかった黒髪と金色の瞳は珍しい。だからといって、気味が悪い理由にはならない。むしろ……。
「綺麗なのに」
「そう言ってくれるのは母さんと弓維さんだけですよ。だから弓維さんの嫁ぎ先を探している、と聞いた時、すぐに話を持って行くように頼んだんです。誰にも取られたくないので、川本家が好むような条件をわざわざ付けて」
「わざわざ……! あんな人たちのために?」
「弓維さんはいいんですか? ここよりも待遇の悪いところ、そう年の離れた年配の男性の元へ後妻として嫁がされても」
「まさかっ!」
私は兄さんを見た。さらにその奥にいる父さんの顔も。すると案の定、二人して顔を背ける。その瞬間、私の中の何かがプツンと切れた。
「そこまでして私が憎いですか。子どもを、妹を売ったお金の上で生活するのが、そんなにいいですか。楽しいですか!」
ふざけるのも大概にしろ!
「いつまでも呉服店に拘って、なんて言葉はいいけど、実際は時代の波に乗れないだけでしょう! 他の事業に関わろうとするのが、そんなに怖い? 格好悪いことなの? 生きるためなんだから、いつまでも他の人に縋ってるんじゃないわよ!」
私は五年間、慣れない筒鳥家で必死に働いた。だけど……!
「こんな情けない人たちを養うために働いていたわけじゃない。あんたたちがだらしないせいで苦労をしている、母さんと義姉さんのためによ!」
「よく言ったわ、弓維さん。でも、その苦労も今日までよ」
「え?」
「弓維さんさえよければ、この川本呉服店はウチが買い取るわ」
「何だと、それは困る!」
兄さんが怒るのも無理がない。だって買い取られたら、兄さんたちは、どこに住むの? どうやって生きていくの?
「ウチの嫁を侮辱し、且つ怪我をさせたばかりか監禁。加えて無理やり他家への縁談話を持ち掛けた詐欺罪。これだけでも警察に突き出せる案件だと思うけれど? それを穏便にすませよう、と言っているのよ」
「そしたら……そしたら俺たち川本家はどうなる!」
「知ったことではない、と言いたいけれど、弓維さんの実家だからね。住まいは探してあげてよ。これからは売ったお金で細々と暮らしながら、真面目に働きなさい。これまで弓維さんが頑張ってきた以上に」
「……冴子様。一つ、お願いがございます」
そう言うと、肇さんはようやく私を降ろしてくれた。
「買い取った川本呉服店を私にくださいませんか? 洋装店として立て直したいんです。ずっと思ってきたことなので、できれば……」
「その店に、ご家族を住まわせたいの? そしたら、また同じことが起こるわよ?」
「はい。ですから、他の従業員と同じように、雇用の形を取らせてもらいます。住み込みではなく、通いで」
「なるほどね。けれど大変よ。その覚悟はあって?」
「はい。ずっと冴子様の傍で、その大変さを見てきましたから」
「そう。分かって言っているのならいいわ。軌道に乗るまでは、筒鳥家が支援しましょう。これでどうかしら。といっても、貴方たちに選択の余地はないけどね」
私は兄さんを見据えた。
今後は私の下に付くことになる。プライドの高い兄さんに務まるのだろうか。
「……そうすれば、警察に突き出さないんだな」
「えぇ。そうですよね、冴子様」
「……弓維さんがいいのなら」
「私は構いません。肇さんもいいですよね」
隣に立つ肇さんを見上げる。私を助けてくれたのに、承諾を得ないのは嫁として……ううん、人としてしたくはなかった。
「僕のこれまでの行為を許してくれるのなら、というのは卑怯ですか?」
「ほんの少しだけ。さきほどの理由だけだとは、思っていませんので」
私が肇さんの容姿を怖がらないことを知っているのに、姿を見せなかった。だから、気味が悪いというだけでは、理由にならない。
「分かりました。それは落ち着いたらお話します」
「絶対ですよ」
約束を取り付け、私と肇さん、冴子様は一旦、筒鳥家の屋敷に帰った。
後日、川本家に行き、買収の手続きや引っ越し先などの話し合いが行われることとなるのだが、それは冴子様のお仕事。
私は、というと、足の怪我を診るために、病院へと向かうことになった。
冴子様の怒声が響き渡る。
私は駆け付けたい気持ちでいっぱいなのだが、男性は驚く素振りもなく、また降ろしてもくれなかった。
「弓維さん」と呼んでいたことから、私が誰だか分かっているはずだ。冴子様が私を呼んでいることも。
それなのに、どうして? という私の疑問は、すぐに解消される。私たちの存在に気づいた冴子様によって。
「弓維さん!」
先ほどまで怒鳴っていた方とは思えないほど、花の開いた顔で呼ぶ冴子様。
さらに駆け寄ると、あろうことかしゃがみ込んで、靴を履きやすいように直しているのだ。勿論、私ではなくこの男性の靴を。
だってこの男性は……。
「無事だったのね。良かったわ、間に合って。しかも肇に抱っこされて、だなんて……これは和解したと思っていいのかしら」
何と、肇さんだという……。え? 嘘!
旦那様!?
驚きのあまり肇さんの首に回していた腕を外し、後ろにのけ反る。けれどヒョロっとしているのにも関わらず、その力は強く、私は勢いよく引き戻された。
「キャッ!」
「あっ、大丈夫でしたか。危なかったので、つい」
つい、という力には思いませんでしたけど!
「加減をしなさい。弓維さんは肇が思っている以上にか弱いんだから」
か、か弱い……兄さんには鋼だと言われたばかりなのに。この違い……。
冴子様はそう思ってくれていたんだ、と思うと嬉しくて、そのまま肇さんの服を握った。
「分かっているよ、母さん。だから、抱えて来たんじゃないか。弓維さんは今、足を挫いているから」
「何ですって!」
「それも、そこにいる義兄さんにやられたらしいですよ」
「まぁ、ウチの大事な嫁になんてことをしてくれたのかしら」
だんだん声が低くなる冴子様の態度に、私は慌てて振り返ろうとした。が、何故か肇さんに押さえつけられてできない。
「あ、あの、私!」
「すみません。僕も母さんも、ちょっとこのことについて頭にきているんです。だから少しの間だけ、大人しくしていてもらえませんか?」
「どうしてですか?」
「大事な人を傷つけられて、怒る人はいないでしょう」
「でも……」
冴子様なら分かるけど、肇さんは……と思っている間に、さらにどす黒い声が聞こえてきた。
「確かにお宅の娘さんですが、今は私ども、筒鳥家の嫁です。娘だからって勝手していいと思っているんですか?」
壁だか、机だかを叩いているのか、大きい声が聞こえて、思わず体がビクッと反応してしまった。
さらに兄さんや父さんの声と違って、冴子様のお声は甲高い。いくら普段より低くても。だから他の音と同じく、よく響いた。
すると、肇さんが優しく背中を撫でる。今なら後ろを振り向くことができるのだが、それが心地よくて、私はそのまま身を委ねた。
後ろでは、兄さんが余計なことを言ったのか、冴子様の怒声が耳に入ってきた。
「離婚ですって! それは嫁ぎ先から出すのであって、お宅が決められることではないわ。勘違いなさっているようだけど、川本家は筒鳥家と同等の立場ではなくてよ」
「しかし奥様が仰るほど、妹は大事にされていないように思えますが?」
「何ですって!」
火に油を注いで良いことはないのに、どうやら兄さんにはそれが分からないらしい。
「筒鳥家の嫁とは思えないほどの身なり。恰幅。ずっと奥様と共にいる姿はあれど、夫婦が一緒にいるところは見ない、と噂されています。これはどういうことでしょうか」
「つまり、私が弓維さんを使用人扱いしていると言いたいのね」
「だからこそ、妹がいないと困る、と仰っていたのではありませんか? ただで働かせる秘書なんて、貴重ではありませんか」
思わず唇を噛んだ。ずっと抱いていた想いを兄さんに言われ、悔しかったのではない。恥ずかしかった訳でもない。
同じような立場の母さんを侮辱し、冴子様を罵る言動が許せなかったのだ。
「えぇ。嫁ですもの、貴重ですよ。大事な大事な嫁であり、肇にとってもまた、大事な大事な妻ですから。御覧なさい。弓維さんを抱く肇の姿を。あれでも同じことが言えまして? 使用人扱いしているとでも?」
突然、背中を撫でていた肇さんの手が止まり、ぽんぽんと優しく叩かれた。驚いて体を少しだけ離すと、柔らかい表情の肇さんと目が合った。
さらに金色の瞳を細めて、愛おしそうに私を見る。その瞬間、一気に顔が熱くなり、両手で覆う。
な、なんでーーー!!
「……奥様の仰りたいことは分かりました。けれど、夫婦が共にいるところを見たことがない、と聞きましたが」
「今、一緒にいるのが見えないの?」
「俺が言っているのは今ではありません。妹が嫁いでから、と言っているのです」
兄さんの言葉にハッとなる。
そうだ。何、真に受けているのよ、私ったら。これは離婚を回避するために、肇さんと冴子様が仕組んだこと。
優しく撫でてくれたことも、微笑んでくれたのも、そのためなのに……。でなかったら、五年もの間、姿を見せてくれなかったのは何故?
私にはそのどちらも判断し兼ねなかった。
「それについては、本当に弓維さんには申し訳ないと思っています。僕が不甲斐ないばかりに」
「え?」
ずっと兄さんとやり合っていたのが冴子様だったから、この返答もてっきりそうだと思い込んでいた。けれど肇さんは私を横抱きにしたまま、歩き出す。兄さんのいる方へ。
「公典さんは僕の姿を見て、どう思いますか?」
「どうって、そりゃ……」
「遠慮することはありません。一応、公典さんは僕の義兄なんですから。気味が悪いって仰っても構いません」
「気味がって誰がそんなことを!」
私は思わず口に出してしまった。
確かに青味がかった黒髪と金色の瞳は珍しい。だからといって、気味が悪い理由にはならない。むしろ……。
「綺麗なのに」
「そう言ってくれるのは母さんと弓維さんだけですよ。だから弓維さんの嫁ぎ先を探している、と聞いた時、すぐに話を持って行くように頼んだんです。誰にも取られたくないので、川本家が好むような条件をわざわざ付けて」
「わざわざ……! あんな人たちのために?」
「弓維さんはいいんですか? ここよりも待遇の悪いところ、そう年の離れた年配の男性の元へ後妻として嫁がされても」
「まさかっ!」
私は兄さんを見た。さらにその奥にいる父さんの顔も。すると案の定、二人して顔を背ける。その瞬間、私の中の何かがプツンと切れた。
「そこまでして私が憎いですか。子どもを、妹を売ったお金の上で生活するのが、そんなにいいですか。楽しいですか!」
ふざけるのも大概にしろ!
「いつまでも呉服店に拘って、なんて言葉はいいけど、実際は時代の波に乗れないだけでしょう! 他の事業に関わろうとするのが、そんなに怖い? 格好悪いことなの? 生きるためなんだから、いつまでも他の人に縋ってるんじゃないわよ!」
私は五年間、慣れない筒鳥家で必死に働いた。だけど……!
「こんな情けない人たちを養うために働いていたわけじゃない。あんたたちがだらしないせいで苦労をしている、母さんと義姉さんのためによ!」
「よく言ったわ、弓維さん。でも、その苦労も今日までよ」
「え?」
「弓維さんさえよければ、この川本呉服店はウチが買い取るわ」
「何だと、それは困る!」
兄さんが怒るのも無理がない。だって買い取られたら、兄さんたちは、どこに住むの? どうやって生きていくの?
「ウチの嫁を侮辱し、且つ怪我をさせたばかりか監禁。加えて無理やり他家への縁談話を持ち掛けた詐欺罪。これだけでも警察に突き出せる案件だと思うけれど? それを穏便にすませよう、と言っているのよ」
「そしたら……そしたら俺たち川本家はどうなる!」
「知ったことではない、と言いたいけれど、弓維さんの実家だからね。住まいは探してあげてよ。これからは売ったお金で細々と暮らしながら、真面目に働きなさい。これまで弓維さんが頑張ってきた以上に」
「……冴子様。一つ、お願いがございます」
そう言うと、肇さんはようやく私を降ろしてくれた。
「買い取った川本呉服店を私にくださいませんか? 洋装店として立て直したいんです。ずっと思ってきたことなので、できれば……」
「その店に、ご家族を住まわせたいの? そしたら、また同じことが起こるわよ?」
「はい。ですから、他の従業員と同じように、雇用の形を取らせてもらいます。住み込みではなく、通いで」
「なるほどね。けれど大変よ。その覚悟はあって?」
「はい。ずっと冴子様の傍で、その大変さを見てきましたから」
「そう。分かって言っているのならいいわ。軌道に乗るまでは、筒鳥家が支援しましょう。これでどうかしら。といっても、貴方たちに選択の余地はないけどね」
私は兄さんを見据えた。
今後は私の下に付くことになる。プライドの高い兄さんに務まるのだろうか。
「……そうすれば、警察に突き出さないんだな」
「えぇ。そうですよね、冴子様」
「……弓維さんがいいのなら」
「私は構いません。肇さんもいいですよね」
隣に立つ肇さんを見上げる。私を助けてくれたのに、承諾を得ないのは嫁として……ううん、人としてしたくはなかった。
「僕のこれまでの行為を許してくれるのなら、というのは卑怯ですか?」
「ほんの少しだけ。さきほどの理由だけだとは、思っていませんので」
私が肇さんの容姿を怖がらないことを知っているのに、姿を見せなかった。だから、気味が悪いというだけでは、理由にならない。
「分かりました。それは落ち着いたらお話します」
「絶対ですよ」
約束を取り付け、私と肇さん、冴子様は一旦、筒鳥家の屋敷に帰った。
後日、川本家に行き、買収の手続きや引っ越し先などの話し合いが行われることとなるのだが、それは冴子様のお仕事。
私は、というと、足の怪我を診るために、病院へと向かうことになった。