――――そうだ、離婚しよう。

その日、そう決めた。むしろ今までは実家を出ることしか考えていなかった。
その最良の手段が鬼である旦那さまに嫁ぐことだったのだ。

でも考えてみれば、私が鬼である旦那さまの人間の妻じゃなきゃ理由などないのだ。
私が旦那さまと結婚したのは実家の罪滅ぼし……だし、実家を庇い立てする理由もないことに気が付く。

ずっとずっと私を縛り付けてきた柵から解放されたこの鬼の屋敷に入り、あの家は実に小さなものだったのだと思い知った。

そう、この世界には鬼と人間がいるのだ。鬼と言う、人間の上位種がいる。

上位種である鬼は見目麗しく優秀なものが多いが、女性が少ない。だから人間の娘から伴侶を迎えるのだ。

そしてその際に重要となるのが霊力の質である。人間の中でも【巫女】の末裔と呼ばれる家は取り分け洗練された霊力を引き継ぐ娘が生まれやすいのだと言う。

巫女の家の娘と結ばれれば、次代に優秀な鬼が生まれやすくなるから。

だからこそ、鬼からは巫女の家の娘を嫁に迎えることが好まれる。

さらに鬼の中でも【頭領】と呼ばれる一番偉い家の子息が人間の嫁を迎える場合は、より優先的に選べるのだとか。

そうして鬼の頭領の一族は巫女の家の中でも、頭領の子息……次期頭領と年の近い娘のいる私の実家に婚姻をと打診した。

国を纏めるのは人間だが、国を裏から動かしているのは鬼の力である。だからこそ人間の貴人たちも鬼に娘を嫁がせることに躍起となる。

私の実家もそうだった。両親は自分たちによく似た美しい菖蒲(あやめ)を次期頭領の婚約者にと推した。
菖蒲は私の妹だが、私は似ても似つかない。あくまでも私の方がだ。

美男美女の両親に似ない平凡な私を、両親は自分たちの子ではないと罵り、菖蒲を蝶よ花よと育てたのだ。

そして菖蒲はわがままに育ち、映えある鬼の頭領の子息……紅緋さまとの邂逅において、菖蒲は紅緋さまが嫌だと暴れたらしい。

本当ならば鬼の頭領の子息にそんな失礼な態度をとれば、どんな不利益をこうむるか分からなかったところ、代わりに私を婚約者にすげれば赦すとご容赦いただいたのだ。

そうして、嫁ぐまで手紙のやり取りすらなかった旦那さまに嫁いでから、早半年。

ふとひとは覚めると冷静になるものである。いや……元々何の夢も見ていなかったようなものだが。

鬼と言う存在に夢を見て覚めぬ人間も多い。妹もそれだが、だからと言って私が旦那さまの妻である必要はない。

顔すらも見たことがなく、本邸で暮らすことすら赦されず、別邸で側仕えの赤丹(あかに)と2人、暮らす日々。

それでも、いいと思っていた。ずっとあの実家でいないものとして暮らすよりはずっとましだと思っていた。こちらに来れば、実家から解放される。それだけが救いであった。

少なくともこちらでの赤丹との暮らしは充実していた。赤丹は顔の上半分を覆う仮面を外さない不思議な鬼だったが、しかし仮面の中から覗く赤い瞳はいつも優しげで、いつも私のことを心配してくれた。

本人は旦那さまの側仕えで、私の世話を任された……と言っているけども。私にとっては初めて出会えた家族のような存在だった。

「あの、赤丹」

「どうした……?杏子(あんず)
すっかり打ち解けた赤丹が、赤丹以外が滅多に呼ぶこともない私の名を呼んでくれる。

「あの……私、本邸に行こうと思って」
「本邸に……何故……」

「あの……旦那さまにお伝えしないといけないことがあって……」
今まではずっと、生きていくために自分の意見を圧し殺して暮らしてきた。けれど、旦那さまは顔を見せないが、ここでの赤丹との充実した日々が私を我が儘にしたのだろうか。いや……でもこれも、私が生きていくために、必要だと決意したことだ。
「だから、赤丹」
赤丹の顔をまっすぐに見据える。
もう覚悟は決まったのだ。
「旦那さまに……?」
しかし赤丹は珍しくぽかんとしている気がする。

「うん、分かってる。本邸には来るなって言われてるけど、最後くらいは……行かないと」
「最後って……何?」
どこか焦っているような……。無理もないか。赤丹にとって旦那さまは……主だものね。
なるべく赤丹には面倒をかけたくないのだが。いや、だからこそ、赤丹にはしっかりと伝えよう。旦那さまに離婚を提案したら、生意気だとすぐに追い出されてしまうかもしれない。
赤丹に挨拶する暇もないかもしれないから。

「私、旦那さまと離婚しようと思うの」

「は……?」
赤丹は呆然としている。けれど、せめて最後の挨拶はちゃんとしたい。

「今までありがとう、赤丹」
赤丹と出会えて良かった。実家からも、旦那さまや頭領の家からも冷遇されているのは分かってる。それでも赤丹と出会えて、一緒に過ごして来られたから救われた。

――――けれど。

「もう決めたの。さようなら」
そして後ろを振り返らずに、離れを飛び出す。振り返ってしまったら、名残惜しくなってしまいそうだから。

着の身着のままとはまさにこのことだが、持ち出せるようなものなどない。実家でも日々着古す着物くらいしか持っていなかった。

唯一本邸から支給のあったお着物は頭領の家のものだから持ち出せない。どうやって生きていくかなんて、分からない。帰る実家もない。

しかし決意を決めた日、離れの扉を飛び出した瞬間。どう言うことか、一番会いたくない少女が目に入る。

「あははははっ!みすぼらしい……!本当に本邸から追い出されて暮らしてるのね……!」
美しい声で、顔で嘲笑するのは私の妹……菖蒲(あやめ)だった。