*
救急車で運ばれた春陽くんはそのまま入院することになった。
場所は、秋斗くんと春陽くんが生まれた時からずっと、『共依存病』の治療のために入退院を繰り返している総合病院。
でも、二人の病室は、家族以外は面会謝絶だという。
結局、私はその日、春陽くんに面会することは叶わず、家に帰宅した。
(……春陽くん、私、どうしたらいいの……)
夕食を終え、部屋に戻ってきても、思考がまるで追いつかない。
春陽くんが倒れたこと、秋斗くんに入れ替わった時間がいつもより早かったこと、どれもあまりに突然すぎて現実感がなかった。
(怖い……。このまま、春陽くんの時間が減ったら……)
時間が凍りついたと錯覚するくらい、私にはこの時が長く感じた。
どれくらい、時間が経っただろうか。
『……雫、ごめんな。秋斗になったら連絡するな……』
頭が混乱する中、私は先程の春陽くんの言葉を思い出す。
それなのに一向に、秋斗くんからの連絡はこない。
何かあったのだろうか。
『秋斗くん、病院にいるのかな。春陽くんは大丈夫?』
メールを送っても返信はこない。
春陽くんが入院したことで、メールを見る余裕がないのかもしれない。
でも、今はその沈黙が不安で仕方なかった。
その時、外で激しい激突音が響いた。
「な、なに?」
カーテン越しに窓の外を見ると、電柱の近くで車が破損しているように見えた。
周囲の人達がざわつき、多くの人達が現場へと引き寄せられている。
近くの家の人達も、何事かと窓からのぞき込んでいた。
交通事故があったのだろうか。
はるくんの死を漠然と思い出させる光景。
今すぐ、秋斗くんに会わないといけないような気がする。
言いようのない胸騒ぎに押されるように、私は急いで部屋を出た。
「ちょっと、雫。こんな時間にどこに行くの!」
「お母さん、ごめんなさい。どうしても行かないといけないの!」
戸惑うお母さんにそう言い残すと、私は靴を履き、外に出た。
事故現場には、多くの人達が集まっていた。
(事故……。もしかして、秋斗くんの身に何かあったのかもしれない)
私は首を振って、考えてたことを頭の中から追い払った。
大丈夫。
絶対に大丈夫だから。
集まっている人達の中をすり抜けて、私は病院に急ぐ。
息を切らして走っていると、携帯が鳴って電話の着信を教えてくれる。
私は立ち止まり、携帯を手に取った。
画面に映るのは『秋斗くん』。
動転する気持ちを落ち着かせ……私は電話に出た。
「……もしもし」
「篠宮さん」
一拍あってから、秋斗くんの声がした。
「あ、秋斗くん」
「先程は突然、倒れてしまって申し訳ありません」
「ううん、気にしないで。春陽くんは大丈夫?」
電話の向こう側で、躊躇うように息を吸う気配があった。
「はい。……ただ、僕たちの担当医師の話では、僕たちの入れ替わる周期が早まっているそうです。今回のように、突然入れ替わりが生じる可能性が高い。そして――」
携帯を持っている手が震える。じわりと汗が滲んだ。
動揺する思考の中、私は静かに秋斗くんの言葉の続きを待った。
「僕が春陽として生きられる時間は、あまり残されていないそうです……」
「そんな……!」
私は弾かれたように声を上げていた。
思わぬ事実に、動悸が激しくなる。
「篠宮さん。僕は知っているんです。春陽を救う方法を。……そのために必要な代償を」
秋斗くんの悲痛な想いが声に乗って、私の胸に届く。
「父さんと僕達の担当医師の先生が話しているのを偶然、聞いたんです。僕が死ぬことで、春陽の時間を取り戻すことができることを」
「……っ」
頭の中が真っ白になる。
だんだんと意味を理解していくに連れて、秋斗くんがこれから行おうとしていることが分かってくる。
私はどうすればいいのだろう。
なにを望めばいいのだろう。
正解が分からないのに、ただ、春陽くんを救いたい気持ちと、秋斗くんに死んでほしくない気持ちだけは本当で、その狭間で泣いてしまいたくなった。
―――プツッ。
嫌だ。そんなの……。
でも、私がその想いを紡ぐ前に、電話は切れてしまう。
震えるほどの寂しさの中で、私はただ、立ち尽くすしかなかった。
『秋斗の身体の方に魂が紐付いているのなら、完全に紐付く前に……秋斗が死ぬことで春陽は生き残ることができる』
はるくんのお母さんが告げていた、春陽くんの時間を取り戻す方法を思い出す。
秋斗くんは、春陽くんのために死んでしまうのだろうか。
命を閉ざすことで、春陽くんを救うつもりなんだろうか。
私はあの時、病院に残らなかったことを後悔した。
「秋斗くん、待って! お願い、死なないで!」
震える声はどこにも届くこともなく、街灯の輝きの中に消えていく。
時の流れは残酷で、一瞬でも留まることを知らない。
一歩一歩を進めるたび、私たちの今は過ぎ去っていく。
それでも私たちは前に進まなければならない。
いつまでも、立ち止まっているわけにはいかないのだから。
秋斗くんがいる場所。
私が真っ先に思いついたのは春陽くんが入院している病院。
いてもたってもいられなくなった私は、病院に向かって走った。
「えっ? いない?」
夜間診療受付の窓口に訪れた私は、秋斗くんの姿がどこにも見当たらないことに困惑していた。
家に帰ったんだろうか。
それとも……。
怖い。怖い。
今すぐ会いたい。
秋斗くんに、今の私の想いを伝えたい。
行き場のない気持ちが体中を巡る。
(秋斗くん、どこにいるの? お願い、返事して!)
私は叫びたかった。
あの夜の海に溶けてしまいたかった。
そうすれば、秋斗くんのもとに行けるような気がしたから。
病院を出て、辺りをやみくもに探していく。
秋斗くんがどこにいるのか、なんて見当もつかない。
それでも、なりふり構っていられなかった。
あっ。もしかしたら……?
その時、もう一つの心当たりに気づいた。
夏祭りの会場だった神社。
タクシーに乗って、大急ぎで神社に向かう。
閑散としている神社。
私は一人、神社の奥へと進んでいく。
すると、裏手の向こう側に人影を見つけた。
秋斗くんだ。
でも、夜空を見つめる秋斗くんの姿は、どこか思い詰めた響きがあった。
「秋斗くん、待って! お願い、死なないで! 諦めないで!」
想いをこらえきれなくなって、私は秋斗くんに勢いよく抱きついた。
溢れる感情のままに、涙がぽろぽろとこぼれる。
「篠宮さん……。どうしてここに?」
秋斗くんは驚いたふうに私を見つめた。
「秋斗くんがここにいると思ったから。秋斗くんは……どうしてここにいるの?」
「それは……」
秋斗くんの声で、全てが分かってしまった。
ここにいる理由が決して明るいものではないことを。
きっと、春陽くんの時間はあまり残されていないんだろう。
その事実に直面した結果、秋斗くんはここに来たのかもしれない。
「篠宮さん……。僕たちは絶対に諦めたくないです。でも、どうしても、もしもの時のことを考えてしまうんです。どちらかでしか生きられなくなる時のことを……」
そう吐露する秋斗くんの表情はどこか苦しそうだった。
胸の奥底で暴れるどうしようもない感情は消えなくて。
きっと、今も寂しいと叫んでいる。
『春陽』と呼んで、弟に駆け寄りたくてたまらないのだろう。
お兄さんに助けを求めたくてたまらなかった春陽くんのように。
「もしも、その時が来たら……僕は迷わず、春陽のために命を捧げるつもりです。たとえ、父さんに怒られるようなことになったとしても、それでも僕は春陽に生きていてほしいから」
……痛い。
心が痛い。
身を焼かれるような焦燥。
息を吸う時間すら惜しくて、私は頭がくらくらした。
想いばかりが先に立ち、何をすれば良いかが思いつかない。
それほどまでに、私の――秋斗くんと春陽くんへの想いは大きかった。
「死ぬことは怖くなかった。僕は春陽でもあるから。ただ、僕として――三宅秋斗として、篠宮さんに会えなくなることが辛かったんです」
「…………っ」
初めて秋斗くんと出逢った日。
あの日の輝きを思い出して、その度にもう戻れない事実に打ちのめされる。
このままでは運命を変えようと必死にもがく私たちに背を向け、秋斗くんは一人黙っていなくなってしまうかもしれない。
秋斗くんは死んでしまうのだろうか……。
それを悟った瞬間、怖くなった。
恐怖が全身を駆け回り、私はすがりつくように叫んだ。
救急車で運ばれた春陽くんはそのまま入院することになった。
場所は、秋斗くんと春陽くんが生まれた時からずっと、『共依存病』の治療のために入退院を繰り返している総合病院。
でも、二人の病室は、家族以外は面会謝絶だという。
結局、私はその日、春陽くんに面会することは叶わず、家に帰宅した。
(……春陽くん、私、どうしたらいいの……)
夕食を終え、部屋に戻ってきても、思考がまるで追いつかない。
春陽くんが倒れたこと、秋斗くんに入れ替わった時間がいつもより早かったこと、どれもあまりに突然すぎて現実感がなかった。
(怖い……。このまま、春陽くんの時間が減ったら……)
時間が凍りついたと錯覚するくらい、私にはこの時が長く感じた。
どれくらい、時間が経っただろうか。
『……雫、ごめんな。秋斗になったら連絡するな……』
頭が混乱する中、私は先程の春陽くんの言葉を思い出す。
それなのに一向に、秋斗くんからの連絡はこない。
何かあったのだろうか。
『秋斗くん、病院にいるのかな。春陽くんは大丈夫?』
メールを送っても返信はこない。
春陽くんが入院したことで、メールを見る余裕がないのかもしれない。
でも、今はその沈黙が不安で仕方なかった。
その時、外で激しい激突音が響いた。
「な、なに?」
カーテン越しに窓の外を見ると、電柱の近くで車が破損しているように見えた。
周囲の人達がざわつき、多くの人達が現場へと引き寄せられている。
近くの家の人達も、何事かと窓からのぞき込んでいた。
交通事故があったのだろうか。
はるくんの死を漠然と思い出させる光景。
今すぐ、秋斗くんに会わないといけないような気がする。
言いようのない胸騒ぎに押されるように、私は急いで部屋を出た。
「ちょっと、雫。こんな時間にどこに行くの!」
「お母さん、ごめんなさい。どうしても行かないといけないの!」
戸惑うお母さんにそう言い残すと、私は靴を履き、外に出た。
事故現場には、多くの人達が集まっていた。
(事故……。もしかして、秋斗くんの身に何かあったのかもしれない)
私は首を振って、考えてたことを頭の中から追い払った。
大丈夫。
絶対に大丈夫だから。
集まっている人達の中をすり抜けて、私は病院に急ぐ。
息を切らして走っていると、携帯が鳴って電話の着信を教えてくれる。
私は立ち止まり、携帯を手に取った。
画面に映るのは『秋斗くん』。
動転する気持ちを落ち着かせ……私は電話に出た。
「……もしもし」
「篠宮さん」
一拍あってから、秋斗くんの声がした。
「あ、秋斗くん」
「先程は突然、倒れてしまって申し訳ありません」
「ううん、気にしないで。春陽くんは大丈夫?」
電話の向こう側で、躊躇うように息を吸う気配があった。
「はい。……ただ、僕たちの担当医師の話では、僕たちの入れ替わる周期が早まっているそうです。今回のように、突然入れ替わりが生じる可能性が高い。そして――」
携帯を持っている手が震える。じわりと汗が滲んだ。
動揺する思考の中、私は静かに秋斗くんの言葉の続きを待った。
「僕が春陽として生きられる時間は、あまり残されていないそうです……」
「そんな……!」
私は弾かれたように声を上げていた。
思わぬ事実に、動悸が激しくなる。
「篠宮さん。僕は知っているんです。春陽を救う方法を。……そのために必要な代償を」
秋斗くんの悲痛な想いが声に乗って、私の胸に届く。
「父さんと僕達の担当医師の先生が話しているのを偶然、聞いたんです。僕が死ぬことで、春陽の時間を取り戻すことができることを」
「……っ」
頭の中が真っ白になる。
だんだんと意味を理解していくに連れて、秋斗くんがこれから行おうとしていることが分かってくる。
私はどうすればいいのだろう。
なにを望めばいいのだろう。
正解が分からないのに、ただ、春陽くんを救いたい気持ちと、秋斗くんに死んでほしくない気持ちだけは本当で、その狭間で泣いてしまいたくなった。
―――プツッ。
嫌だ。そんなの……。
でも、私がその想いを紡ぐ前に、電話は切れてしまう。
震えるほどの寂しさの中で、私はただ、立ち尽くすしかなかった。
『秋斗の身体の方に魂が紐付いているのなら、完全に紐付く前に……秋斗が死ぬことで春陽は生き残ることができる』
はるくんのお母さんが告げていた、春陽くんの時間を取り戻す方法を思い出す。
秋斗くんは、春陽くんのために死んでしまうのだろうか。
命を閉ざすことで、春陽くんを救うつもりなんだろうか。
私はあの時、病院に残らなかったことを後悔した。
「秋斗くん、待って! お願い、死なないで!」
震える声はどこにも届くこともなく、街灯の輝きの中に消えていく。
時の流れは残酷で、一瞬でも留まることを知らない。
一歩一歩を進めるたび、私たちの今は過ぎ去っていく。
それでも私たちは前に進まなければならない。
いつまでも、立ち止まっているわけにはいかないのだから。
秋斗くんがいる場所。
私が真っ先に思いついたのは春陽くんが入院している病院。
いてもたってもいられなくなった私は、病院に向かって走った。
「えっ? いない?」
夜間診療受付の窓口に訪れた私は、秋斗くんの姿がどこにも見当たらないことに困惑していた。
家に帰ったんだろうか。
それとも……。
怖い。怖い。
今すぐ会いたい。
秋斗くんに、今の私の想いを伝えたい。
行き場のない気持ちが体中を巡る。
(秋斗くん、どこにいるの? お願い、返事して!)
私は叫びたかった。
あの夜の海に溶けてしまいたかった。
そうすれば、秋斗くんのもとに行けるような気がしたから。
病院を出て、辺りをやみくもに探していく。
秋斗くんがどこにいるのか、なんて見当もつかない。
それでも、なりふり構っていられなかった。
あっ。もしかしたら……?
その時、もう一つの心当たりに気づいた。
夏祭りの会場だった神社。
タクシーに乗って、大急ぎで神社に向かう。
閑散としている神社。
私は一人、神社の奥へと進んでいく。
すると、裏手の向こう側に人影を見つけた。
秋斗くんだ。
でも、夜空を見つめる秋斗くんの姿は、どこか思い詰めた響きがあった。
「秋斗くん、待って! お願い、死なないで! 諦めないで!」
想いをこらえきれなくなって、私は秋斗くんに勢いよく抱きついた。
溢れる感情のままに、涙がぽろぽろとこぼれる。
「篠宮さん……。どうしてここに?」
秋斗くんは驚いたふうに私を見つめた。
「秋斗くんがここにいると思ったから。秋斗くんは……どうしてここにいるの?」
「それは……」
秋斗くんの声で、全てが分かってしまった。
ここにいる理由が決して明るいものではないことを。
きっと、春陽くんの時間はあまり残されていないんだろう。
その事実に直面した結果、秋斗くんはここに来たのかもしれない。
「篠宮さん……。僕たちは絶対に諦めたくないです。でも、どうしても、もしもの時のことを考えてしまうんです。どちらかでしか生きられなくなる時のことを……」
そう吐露する秋斗くんの表情はどこか苦しそうだった。
胸の奥底で暴れるどうしようもない感情は消えなくて。
きっと、今も寂しいと叫んでいる。
『春陽』と呼んで、弟に駆け寄りたくてたまらないのだろう。
お兄さんに助けを求めたくてたまらなかった春陽くんのように。
「もしも、その時が来たら……僕は迷わず、春陽のために命を捧げるつもりです。たとえ、父さんに怒られるようなことになったとしても、それでも僕は春陽に生きていてほしいから」
……痛い。
心が痛い。
身を焼かれるような焦燥。
息を吸う時間すら惜しくて、私は頭がくらくらした。
想いばかりが先に立ち、何をすれば良いかが思いつかない。
それほどまでに、私の――秋斗くんと春陽くんへの想いは大きかった。
「死ぬことは怖くなかった。僕は春陽でもあるから。ただ、僕として――三宅秋斗として、篠宮さんに会えなくなることが辛かったんです」
「…………っ」
初めて秋斗くんと出逢った日。
あの日の輝きを思い出して、その度にもう戻れない事実に打ちのめされる。
このままでは運命を変えようと必死にもがく私たちに背を向け、秋斗くんは一人黙っていなくなってしまうかもしれない。
秋斗くんは死んでしまうのだろうか……。
それを悟った瞬間、怖くなった。
恐怖が全身を駆け回り、私はすがりつくように叫んだ。