鳴り響く秋の音と終わらない春の恋



春うららかな四月の終わり。
教室にいるみんなはそれぞれが輪を作り、どこか希望に満ちた面持ちで言葉を交わしている。
高校生になり、私は見慣れない顔ぶれにまだ少し緊張してしまう。
顔立ちは可もなく不可もなく。
性格でいえば、おとなしそうに見えて、実は意外と行動力があるというくらい。
特技があるわけでも、何か変わった趣味があるわけでもない。

私は本当にどこにでもいる、『普通』の女子高生だ。
それに比べて――。

机に突っ伏していた私はゆっくりと顔を上げて、視線をある方向に向けた。
既に三宅(みやけ)春陽(はるひ)くんはクラスの人気者で、彼の周りにはいつもたくさんの人がいた。
彼は私の方なんて一切見ることもなく、クラスメイトの発言に破願している。

三宅くんは『共依存病』という難病の影響で学校を一日置き、空けて登校しているが、その日も放課後まで人に囲まれて楽しそうに笑っていた。
きっと……それは彼の人柄がいいからなのだろう。

明るくて太陽のような三宅くんは、クラスで絶大な人気を誇っている。
その上、運動神経もいい。
この頃の私は三宅くんとは接点がなく、ただ、彼に惹きつけられるように、いつか話せたらと思うだけだった。

私の中の何かを変えてくれるような、『特別な出来事』と出会いたい。
特別な出来事に対して一生懸命になって、生きてみたい。

ここのところ、毎日。
変わらない日常を過ごしながら、私はそんなことを考えていた。
私と三宅くんの関係が変わったのは、それから一週間後のこと。


その日、私は体調がすぐれなかったけど、学校を休むほどでもなかったし、いつものように登校していた。

篠宮(しのみや)、これ、三宅に渡しておいてくれないか」

廊下を歩いていると、担任の教師とばったり会ってしまい、プリントを手渡された。
私が躊躇いながらも引き受けると、先生はほっと安堵の吐息を零す。

「篠宮、頼むな」

急いでいるのか、先生は足早に職員室に戻っていった。

「えっ……」

残された私はプリントを持ったまま、呆然と立ち尽くしていた。
三宅くんと話したことはいまだにないし、きっとこれからも話す機会なんてないと思っていた。
確かに……いつか彼と話してみたいと思っていたけど、挨拶する勇気すらないのに。

それなのにどうしてだろう。

私はこっそりとプリントを確認して、小さく溜息をつく。
廊下を歩いていると、三宅くんがこちらに向かってくるのが見えた。
別のクラスの女子たちが、彼が通り過ぎた後にこっそり振り返っている。
三宅くんは通りすがりの彼女たちが目をひくくらい、かっこいい男の子だ。

神様、どうか、私に勇気をください!

私はプリントを持って、三宅くんの方にゆっくりと近づく。
距離が縮まれば縮まるほど、鼓動が慌ただしくなっていく。
私は戸惑いながらも、彼の傍に立つ。
端正な顔がゆっくりと私の方に向き、不思議そうに瞬きを落とした。
こんなにも近くで、三宅くんのことを見たのは初めてで、私は上手に視線を合わせることができなかった。

「これ……。先生が三宅くんに渡して、って……」

それだけを言うのが精一杯だった。

「それだけだから」

私はうつむいたまま、口ごもり、くるりと踵を返す。
だけど、その時、私の身体がふらりと傾げた。
体調がすぐれない状態で学校に来たことで、やはり、無理がたたったのだろう。急激に疲労が襲ってきた。

「おい、大丈夫か」

三宅くんが咄嗟に肩を支えてくれる。

「大丈夫……」

歩き出そうとした途端、私は足元がぐらぐらと揺れる感覚に襲われる。

「ほら、つかまれよ」

三宅くんは私の肩に手を回し、抱きかかえるように支えて歩き出す。

わわわっ! 近いよ!!

あまりにも近すぎる距離に、私は思わず狼狽した。

「だ、大丈夫だから! 一人で歩けるから!」
「そんな真っ白な顔をして大丈夫とか言われても説得力ねーし」

私は三宅くんに支えられて保健室へとたどり着く。
今は保健室の先生はいないみたいだ。
三宅くんは先生が戻ってくるまで、私の傍にいてくれるみたいだ。
ふたりぼっちの保健室。心地よい温もりが私に訪れた。
連れ添ってくれた嬉しさと緊張で、私は胸がいっぱいになる。

「三宅くん、ごめんね」
「ごめんは禁止」
「……うん。ありがとう」

目の前には太陽のような三宅くんの笑顔。
その瞬間、私はそれまで経験したことがないような胸の高鳴りを感じた。

「……ねえ、三宅くん。聞いてもいいかな?」
「ん……?」
「共依存病って、どんな感じの病気なの?」

そもそも、共依存病とは何か。
そんな私の気持ちを汲み取ったのか、三宅くんは頬を撫でながら応えた。

「おう、一日置きに身体が入れ替わる病気だなー」
「よく漫画とかである入れ替わりみたいなのかな」

どう応えたらいいのか分からず、私は曖昧な顔で曖昧に返す。

「そうそう。そんな感じー」

心を奪われたのは笑う姿だった。
私はいつの間にか、三宅くんのことを目で追っていた。

「俺の相方、秋斗(あきと)って名前だから。こっちで出会った場合も仲良くしてくれよな」
「……うん」

今の自分とは別に、もう一人自分がいるのはどういう感覚なのだろうか。
まるで、どちらも自分自身のように三宅くんは表現している。

「三宅くんと秋斗くんは、その、兄弟……なの?」
「うーん、そうだな。同じ魂を宿している双子の兄弟みたいな感じかな」
「そうなんだね」

背中合わせで、言葉も交わせなくて。
それでも生きているもう一人の自分。
たとえ、どちらかが死んでしまっても、それはなかったことになったりはしない。

「違う学校に通っているの?」
「そうそう。父さんがなんつーか世間体を気にしてさ。同一人物が同じ学校に通っているのはまずいんじゃないか、って話の流れになって俺、三宅春陽はこの高校に。で、三宅秋斗は別の音楽科の高校に通う運びになったんだよな」

零れ落ちた言葉は、切なさを帯びて私の耳に届いた。

「それでも変に思う人がいるかもしれないから、って、秋斗の時は父さんに言われたとおりにキャラ作りをしている」
「キャラ作り……?」

私が不思議そうに首を傾げると、三宅くんはとっておきの腹案を披露するように笑った。
「本来の俺の性格とは違う自分を演じているんだー」

その言葉はどこまでもどこまでもどこまでも、私の内側に響いた。
本当の性格とはかけ離れた自分を演じてしまうというのはどんな感じなんだろう。

「違う自分を演じているの。そういえば、音楽科の高校って……?」
「父さんに言われて、小さい頃からヴァイオリンを習っているんだ。秋斗の時だけー」

裏を知れば、同じ事象でも見方が変わる。
見方が変われば、私の知らなかった世界も変わっていく。

「……三宅くんは秋斗くんのことが大切なんだね」
「おう。俺の魂の片割れだからなー」

どこまでもまっすぐな笑顔と言葉に、私は無性に泣きたくなる。

魂の片割れは自分。
それはつまり――

三宅くんがこの世界から消えてしまう確率は二分の一。
随分、分の悪い賭けだ。

三宅くんはいつか死んでしまうかもしれないのに、怖くないのだろうか。
それとも、どちらも自分自身だから怖くないのだろうか。
いや、置いて行かれる悲しさも、それを追い求めてしまう苦しさも、三宅くんにはよく分かっているのだ。
……きっと、三宅くんは三宅くんとして生きていくことも、秋斗くんとして生きていくことも選べずにいる。

思えばこの時だ。三宅くんという男の子が頭から張り付いて離れなくなったのは。

「……私は三宅くんにこのまま、生きていてほしいよ」

私が三宅くんに特別な想いを抱くようになったのは、この日が始まりだった。





それからの毎日は充実した日々だった。
月曜日は一週間の始まり。
金曜日までは果てしなく遠い。
でも、教室に向かう先に三宅くんの後ろ姿を見た途端、身体に力が入る。

「三宅くん、おはよう」
「おっす」

三宅くんと挨拶をするだけで、私の胸が鼓動を早めているのが分かる。

「その……昨日はありがとう」
「無理は禁止」
「……うん。ありがとう」

さりげない優しさに触れて、私は穏やかに微笑んだ。

「三宅くん、かっこいい。篠宮さん、話せていいなー」
「知っている? 三宅くんのお兄さん、すごくかっこいいんだよ」
「なにそれ!? お兄さんとのツーショット、たまらなくない!」

慌ただしくも平穏な毎日。
気がつけば、周りは恋が溢れている。
三宅くんは『共依存病』の影響で学校を一日置き、空けて登校しているため、いつでも会えるわけではない。
それでも三宅くんと初めて会話した日から、私は知らない間に三宅くんに視線が行くことが多くなってしまった。
心が強く惹かれたからとか、切なくて甘酸っぱくて、命が燃え尽きるような恋をしたとか。
そうしたものだと誤魔化すことだってできるだろう。
なのに、目を離すことができなくなったのは、三宅くんがこれから進む未来を一緒に見てみたいと思ったからだ。

「ねえねえ」と口にしてはチラチラと見ている私と、何かねだりたいことがあると知って笑っている三宅くん。
その場に私たちが揃うと大抵、そんな場面に行き当たる。
馴染みの者は「またか」と笑うし、 馴染みのない者は「なに、あれ?」と周囲の知人へ問うことだろう。

三宅くんは相変わらず、クラスの人気者で男女問わず、好意を抱いている人がたくさんいると思う。
妬まれることもあったけれど、それは三宅くんと一緒にいることができる裏返し。
そう考えて、今日も無意識に三宅くんばかりを見てしまう。

学校の帰り、分かれ道で立ち止まって、日が暮れるまでお喋りしたり。
売店で買った新商品のパンを半分こにして食べたり。
ただ、がむしゃらに生きていく毎日が新鮮で楽しかった。

これから何をしよう。
これから何処に行こう。

そうやって二人で話せる度に、積もる想いには名前はまだ無くて。
ただ、大切な大切な『特別』で。

特別であることが幸せ。
こんな当たり前の日常こそが『特別な幸せ』なんだと気づけて良かった。

三宅くんと一緒に過ごす時間は不思議と心地よく、自分が自然体でいられるような気がした。








「なあ、(しずく)。もう一人の俺に会ってみないか?」

思わぬ提案を持ちかけられたのは、お互いに苗字から下の名前で呼び合う仲になったばかりの頃だった。
その頃は私の中に芽生えた三宅くんの――春陽くんへの特別な想いがどんなものなのか漠然と分かっていた。

「秋斗くんに?」

春陽くんの意外な発意に、私は項垂れるとほんのりと頬を赤くした。
秋斗くんにはヴァイオリンのレッスンが忙しいこともあり、今まで会ったことはない。
それに……私は秋斗くんに会うことを少し躊躇っている。
その理由は単純。私は春陽くんが『共依存病』だと認めたくなかったからだ。

「雫に聞いてほしい曲があるんだよ」
「春陽くんじゃダメなの?」
「俺じゃ上手く、ヴァイオリンを弾けないんだよな」

そう言えば、ヴァイオリンのレッスンを受けているのは秋斗くんだけだと言っていた。
もしかしたら、頭では理解していても、春陽くんの身体がヴァイオリンを弾くことに慣れていないからかもしれない。

「雫、頼む。雫が欲しがっていた本、プレゼントするからさ」
「……う、うん」

結局、私は春陽くんの頼みを断れず、後日、秋斗くんに会いに行くことになった。


「あら、雫、どこかに出かけるの?」

約束の日。鏡の前で髪を整えていたら、お母さんにそう聞かれた。

「あ、うん。ちょっとね……」

お母さんは不思議そうに私の髪形や服装を眺める。
今日は普段、友達と出かける時よりも、おしゃれをしていることに気づいたからだろう。
支度を済ませた私はそそくさとリビングで朝食を食べてから家を出た。

駅前の広場に着いた私は足早に人込みの中を歩き、駅の電光板の時刻に目をやった。
見れば、待ち合わせ時間まではまだ時間があった。
少し早く来すぎたのかもしれない。
私はベンチに座ると、そわそわと視線を彷徨わせる。

秋斗くんはどんな人なのだろうか。
同じ魂を宿している双子の兄弟みたいな感じって言っていたから、きっと春陽くんに似た人なのだろう。
ただ、本当の性格とはかけ離れた自分を演じているって言っていたから、春陽くんとは違う感じなのかも。
いくら考えても想像は尽きない。

その時、携帯の振動がメールの着信を教えてくれる。
画面に映る送り主は『秋斗くん』。
勇気を振り絞ってメールを開くと――。

「あっ……」

思わず出た言葉に呼応するように、私は表情を綻ばせる。
誰も気づいてないと確認するまで数秒固まってから、もう一度、メールの内容を確認した。

『おっす、雫。今、着いて改札に向かっているとこ。休日に雫と一緒に出かけるのは初めてだから緊張するな』

メールの内容が春陽くんらしくて、私はホッとする。
これから会う人が、本当にもう一人の春陽くんなんだと分かり、先程までの緊張が徐々に薄れていく。

休日に一緒にお出かけ。
あっ。これって……もしかして初デートってことになるのかな……?

先程、届いたメールをじっと見つめていると、心まで暖かくなった。
改札に向かっているというのなら、もうすぐここに来るということだ。
早く来ないかな、と私はそわそわと浮かれ気分で待っていた。
……けど。

「篠宮さん」
「……えっ」

突如、横から凛とした声が響く。
冷たく、はっきりと輪郭を持った綺麗な声。
無意識に振り向いた私は次の瞬間――完全に意表を突かれた。

「こちらでは初めまして。お会いすると約束していました、三宅秋斗です」
「はい……?」

さらさらと揺れる髪。長身で、まるで芸能人のような端正な顔立ち。ヴァイオリンのケースを手にしている、その容姿は並外れている。
冷めきった声と凍てついた瞳。そして、一目で心を奪われる美しさ。
とんでもないイケメンが、そこにいた。


「あなたが三宅秋斗くん……?」

私は少しだけ身を乗り出した形で名を呼んでみる。
でも、彼はそっけない態度で軽く頷いてみせただけだった。

「ここでは何ですし、場所を移しませんか?」
「は、はい……」

秋斗くんの提案に、私は慌てて立ち上がる。
だけど、私は時間が止まったように、秋斗くんの顔から目を逸らせない。
観察すればするほど、春陽くんとはあまりにも違う。
ひょっとしたら別人なんじゃないかと思うほどだ。

「あの……」

目が合った瞬間、すぐに逸らされ、秋斗くんは駅ビルのほうへと歩き出す。

笑顔が絶えなかった春陽くんとは違い、秋斗くんはほとんど表情を変えない。冷静な立ち振る舞いだ。
だからか、春陽くんとは全くの別人のように思える。

秋斗くんの先導でショッピングモールに向かう。駅を出て少し歩いた先に見えてくる、六階建ての大きなビルだった。

「えっ、ショッピングモール?」

ビルを見上げた私は独り言のようにつぶやいた。
てっきり、ヴァイオリンが弾ける場所に行くものと思っていたからだ。

秋斗くんは何かを考えているような表情になったが、すぐに背中を向け、ショッピングモールに入っていった。
店内は明るい光の中、軽やかな音楽が流れていて人の数もそこそこ多い。
エスカレーターで上がり、彼が最初に入ったのは大きな本屋だった。

「篠宮さん。約束どおり、プレゼントしますので」

秋斗くんがそう言って差し示した先は新刊コーナーだった。

「そっか……。秋斗くん、ありがとう」

その言葉を受けて、私は嬉しそうに目を細める。
春陽くんと交わした約束。
だから、彼は最初に本屋に足を向けたのだ。

「えっと……あるかな……?」

私は売り場を流し見るようにして確認する。
ジャンル別に所狭しと平置きされたコミックスに、映像化が決まったポップ付きの本、特装版の本、大きな特典の付いた本が目のつきやすい高さの棚に面置きされて並んでいた。
やがて、この冬に記録的興収を上げた映画の原作小説が目に入った。

「『満天のコーラス』。あの、この本です」

私が目的の本を見つけると、秋斗くんはその本を受け取った。
そのまま、レジで支払いを済ませ、私に本を渡した。

「どうぞ」
「ありがとう。本当にいいのかな?」

私の疑問に、秋斗くんはほとんど表情を変えずに視線を逸らす。

「別に……。約束なので」

素っ気なく返された言葉にどう反応すればいいのか分からなかったけれど、戸惑いながらも「ありがとう」と応えた。



それから私たちはお洒落なアクセサリーショップに寄ったり、楽器店や雑貨を巡ったり、様々な場所を回遊した。

「あの人、めっちゃかっこいいね」
「ねえ。隣のあの子、彼女なのかな」

時々、同じ年頃の女の子たちが、秋斗くんが通り過ぎた後にこっそり振り返っている。

「彼女……」

私は吹き抜けの手すりに触れながら、下階へ目を落とす。

秋斗くんは……春陽くんは、私のこと、どう思っているのかな……?

黙している秋斗くんが今、どう思っているのかが知りたくて堪らなかった。

やがて昼時になり、私たちは昼食を取るためにフードコートに立ち寄った。
互いにメニューを決め、空いている席に腰かける。

秋斗くんは、もう一人の春陽くんなんだよね。
でも、何故か、私のこと、まるで他人みたいに苗字で呼んでいるし。

携帯をいじっている秋斗くんは、春陽くんとは別人のような顔を見せてくる。
ランチを食べている今も、その姿に翻弄されているような気分だ。
険しい顔は真剣そのもので、春陽くんとのギャップに戸惑うばかり。

「見た見た? めっちゃかっこいい人がいる」
「うんうん。見てたよ。ちょー感動した」

それに周囲の女子たちが騒いでいるし、高校内外にファンの多そうな人だから、芸能人としゃべっているような感覚が抜けない。

「あたし、本気で狙おうかな」

今、私の目の前にいる秋斗くんのことだ。
彼女たちの目は、それこそ本気の眼差しだった。
そして、私に対して向けてくる視線が……非常に痛い。
めっちゃ嫌だ、このシチュエーション……。

「あれ……」

そう思っていた時、携帯が震えた。メールが来たみたいだ。
画面に映る送り主は『秋斗くん』。
私はおそるおそる携帯を手に取って、メールの内容に目を通した。

『雫、会話が全く盛り上がらなくてごめんな。あー、くそー。なんで俺は雫のこと、苗字でしかも『さん』付けで呼んでいるんだー。敬語で話すの、すげー面倒くさいんだよな。でも、秋斗の場合、雫とは初対面になるし。とにかく、本当にいろいろとごめんな』

春陽くんの謝罪のメール。
もしかして……秋斗くんにとっては初対面になるから、私のことを苗字で呼んでいるの……?


「あの……これって……」
「何か……?」

物言いたげな視線を向けても、送り主であるはずの秋斗くんは怪訝そうに見つめてくる。
まるで何のことを言っているのか、分かっていないようだ。

うん。明らかにメールと現実の温度差が激しいと思う。
これってやっぱり、春陽くんと秋斗くんは本当は別人で、もしかしたら春陽くんはどこかでこっそり私たちのことを見守っているだけなのかもしれない。

「あ、あの……」

躊躇ながらも、私は訊いた。

「どうして、秋斗くんの時は感情を表に出さないの」
「父に言われたとおりにしているので」

予測できていた即答には気に払わず、本命の問いを口にする。

「あなたは本当に春陽くんなの?」
「そう伝えたはずですが」

核心に迫るその問いにも、秋斗くんは淡々と返す。

「本当に?」
「はい。演じているだけです」

全然違うよ。
まるで人が変わったみたい。
たちの悪いドッキリにでも遭っているみたいだ。
でも、視界に入る周辺には春陽くんらしき人はいない。

どういうことなんだろう?

どれだけ考えても、今の状況に納得いく説明をつけることができなかった。

「ただ……」
「ただ……?」

秋斗くんは秘密を口にするように口角を上げる。

「たまにこうして、素が出るけどなー」
「え……」

秋斗くんは静かに告げてから、私を見てにっこりと笑った。

あれ……?
星の灯のように、心にぽかんと浮かんだ『答え』に頬が熱くなる。

「もしかして……春陽くん?」
「おう。雫、どうだ」

そうして微笑んでいる姿は春陽くんみたいで妙な感慨が湧いてしまう。
複雑な心境を抱く私とは裏腹に、秋斗くんは表情を綻ばせる。

「似合わないだろ」
「確かに、秋斗くんにその話し方は似合わないかも」

そうだろうな、と笑う秋斗くんの笑顔がより眩しく思えた。

なんだ……。

先程までの心配が杞憂に過ぎなかったことを悟る。
確かに今こうして、間違いなく春陽くんは秋斗くんとしてこの世界に存在していた。
その事実は途方もなく、私の心を温める。

「でも、秋斗くん、その、声」

ちらちらとこちらを見る女子たちに気づいたらしく、秋斗くんは視線を逸らして言う。

「……篠宮さん、今の発言は忘れてください」
「えっ? あ……はい」

いつの間にか、秋斗くんの表情は一変して、無表情になっている。
切り替えが早い。
随分、キャラ作りに慣れているみたいだ。
お父さんの影響かな?