「ごめんなさいね。あなたたちに何も言わずに引っ越してしまって」
はるくんのお母さんは私たちを見て、懐かしそうに微笑んだ。
「この近くに住んでいるんですか?」
「……ええ。あの日、陽琉を喪ったことにどうしても耐えられなかったから……。生まれ故郷であるこの街まで逃げ出したの。知り合いの誰にも行き先を告げず、連絡を絶ってね」
私の質問に、はるくんのお母さんは寂しそうに言葉を紡いだ。
「この街に居着いて、『共依存病』治療の研究に取り組む毎日。そんな生活が変わったのは、あの子の――秋斗の噂を聞いた時だったわ」
「秋斗くんの噂……」
「そう……。あの人と同じように、周囲からヴァイオリンの『天才』として喝采を浴びているという噂」
確信を持ってその変化を受け入れているはるくんのお母さんの静かな声が、決して変わらない事実を突きつけてくる。
「秋斗が生きているなら、きっと……春陽も生きている。あの子の半身は……今も生きている、って分かったから……私は前を向こうと思えた」
「……半身。それって、春陽くんとはるくんは双子ってことなんでしょうか?」
私の疑問に、はるくんのお母さんは一切の反応を返さなかった。
「うん」とも「いいえ」とも言わない。
認めたい。認めたくない。
そんな微妙な均等にある心の天秤を揺らしている。
だから、私は少し質問を変えてみた。
「秋斗くんと春陽くんは、はるくんの『兄弟』なんですか?」
「そうよ。あの子たちは、私とあの人の子ども」
はるくんのお母さんは今度は淀みなく、私に真実を突きつけてくる。
「結婚したものの、ヴァイオリニストであるあの人とは何度も意見の食い違いが生じてね。私たちはあの子たちが物心つく前に離婚したの」
間を置いて、はるくんのお母さんはそう言葉を落とす。
相槌を返せないまま、私たちははるくんのお母さんの言葉の続きを待った。
「秋斗と春陽の親権はあの人が、陽琉の親権は私が持ったわ。気難しいあの人のもとに行った秋斗と春陽のことがずっと気がかりだったけど、それでも陽琉と過ごす日々は楽しかった」
はるくんのお母さんは瞳を閉じて昔日の記憶を辿る。
「今思うと少し甘やかしてばかりだったかも。でも、あの子を育てるのは楽しかったわ。陽琉は誰よりも優しい子だったから」
はるくんのお母さんの言葉は、私たちの瞳を揺らがせるのに十分すぎた。
私たちの傍らにはいつだって、はるくんの存在があったから。
はるくんの優しさがあったから。