なんで、こんなに報われないんだろう。
なんて、神様は意地悪なんだろう。
どうしてこんなにも、噛み合わないんだろう。


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びっくりするくらいあっけなく、波花は死んだ。
とてもじゃないけど死んでるようには見えなくて、「んー?なに騒いでんのー?」と今にも呑気に起き上がりそうだった。

波花はほんと、太陽みたいな性格だった。明るくて無邪気でムードメーカー。辛そうな友達がいたら優しく包み込む。そんな俺たちの光だった。

ところが波花はなんと遺伝で病気を持ってるらしかった。こんな大人になるまで幼馴染の俺たちも知らなかったのは、発症するかどうかは運らしく、それまで何にもなかったからだ。

久しぶりに波花から連絡が来たと思ったら、告げられた言葉は余命半年。ふざけてんの?と思わず言った。いやー私も思ったよ〜。誰かとカルテ間違えてんじゃねーのかって、お医者さんに詰め寄りそうだったよ危ない危ない。まるで他人事だ。とりあえず俺は結月と一緒にお見舞いに行った。

梨をむしゃむしゃと齧りながら、3人で昔話をした。波花が卵温めて孵化させようとしてレンジに入れて爆発しておばさんに怒られたとか、波花が天体観測するとか言って近所の山に1人で泊まり込もうとしてみんな心配して大捜索になった話とか、波花がスライム風呂を作ろうとして栓をしてなくて排水口がスライムで詰まった話とか。見ての通り波花は突拍子もなくておかしな子だ。よく社会人になれたなと思うくらい。みんな波花に振り回されてて、それでも波花にはなぜかみんな怒れない。人を惹きつける力を持っていたのが彼女だった。

俺はハンバーグを齧りながら、チラリと向かいに座る深春を見る。相変わらず目を伏せてちびちびと食べている。俺の視線に気づいているのかいないのか。深春はカタンと箸を置いた。

「腹一杯か?」
「…うん。ごめんねいつも残して。」
「いや。無理しないで。」

ぎこちない会話。お互いに遠慮して、足場を探しながら話す会話。こんなはずじゃなかった。苦しくさせたいわけじゃなかった。

今の生活、どう思ってるんだ?

どうしてもその一言が怖くて言えない。苦しいと言われた時のダメージに耐えられる自信がない。それはつまり、少しでも楽しんでるんじゃないかなんて言う、意味のわからない期待を持ってるから。そんなはず、ないのに。

俺と深春と波花は、生まれた時からずっと一緒の幼馴染だ。
親同士が親友で家が近く、お互いの家族が自分の家族でもあった。
気がついたら俺は深春に恋をしていた。でも3人の関係を壊すなんてとてもじゃないけどできなくて、俺はなんにもしないまま心にしまっていた。

俺と深春が結婚することになった、1ヶ月前。
俺は深春に告白はしてないし、深春も俺にそう言う意味での好意は持っていない。
これは波花が望んだから。だからしょうがなく、深春は俺と結婚した。
望んだはずなのに、信じられないくらい苦しかった。

深春は俺と結婚する時、ぼんやりと遠くを見たまま言った。

「私、ずっと初恋を引きずってるの。これからもきっと、ずっと引きずってると思う。それでもいいなら、私と結婚して欲しい。」

俺は大丈夫だと言うしかなかった。波花がそう望んでる。深春は波花の願いを叶えることを望んでいる。親たちからの押しも強く、逃げられるとは思えない。どれもこれもきっと、波花の死のせいでこんなことになった。

私の幼馴染が結婚とか最高じゃない?私キューピットになって死ぬわけでしょ?やばいじゃん。神様に自慢できるよ。私多分天国行けちゃう。それに結婚式で、深春の友人代表スピーチも隼斗の友人代表スピーチも私なんて、面白いでしょ?やだよ私他の人には譲らないから…とりあえず私、深春のウエディングドレス見てから死ぬから!ねぇ結婚しなよ〜私お似合いだと思うんだけどな〜。波花は病室で何度もそんな話をした。私が死んでも寂しくないでしょ?なんて笑えない冗談を笑いながら言った。彼女なりの気遣いだったのかもしれない。彼女は深春をとても大事に思っていた。だから俺に、深春は絶対に私が死んだら耐えきれなくなると思うんだよね。お願いだから、支えてあげてね。なんて珍しく深刻な顔で言ってきたのだろう。

波花の話を聞いた親たちもまた、乗り気だった。そろそろいい年だしね。隼斗くんなら安心よねぇ。いえいえそんな、深春ちゃんみたいに素敵なお嫁さんもらえるなんて相当ない幸せよ?お互い相手もいないんでしょう?波花も望んでるし、いいんじゃない?式はどうしましょうか、ドレスは?新居はどこにするの?なんてどんどん勝手に話が進んでいった。俺と深春はポカンとしてそんな親たちを見ていた。

深春のウエディングドレスは息を呑むくらい綺麗だった。少し物憂げな表情と、式場のステンドグラスから差し込んだ光と、真っ白なベールがあまりに美しかった。俺はそんな深春を見て、幸せであるはずの状況に泣きそうになった。俺の花嫁、とはとてもじゃないけど言えないと思った。本当なら幸せいっぱいで笑っててほしかった。

波花は車椅子で式を見て、一番大きな拍手をして、一番綺麗で元気な声で讃美歌を歌った。お医者さんの制限なんて無視してはしゃぎ、披露宴の食事を心ゆくまで食べた。そしてその一週間後、波花は死んだ。

波花が死ぬ時、深春は泣かなかった。
ただ波花の手を握って、ありがとう、大好きだよ、と言った。波花はいつも通りおちゃめに笑って私もだよ〜!と言った。掠れた声だった。

深春は波花が死んでから、一切笑わなくなった。気を遣った微笑は除いて、だ。
親たちが抜き打ちで遊びにくるから不審に思われたらいけないと思い、寝室は一つしかない。俺はさりげなく寝落ちしたふりをしていつもソファで寝ていた。きっと、嫌だろうから。

俺はご飯だけは一緒に食べようと言った。そうでもしないと彼女はきっと一口も食べない。そのまま衰弱していってしまうだろう。
そんな食欲のない彼女のために、俺はなるべく喉越しのいいもの、深春の好きなものを作るようにしていた。ある程度のことができるのも、波花が昔から「料理できない男は今どきモテないんだから!」と仕込んできたからだろう。波花はすごく、料理がうまかった。

俺は別に、悲しんでないわけじゃない。波花はすごく、大事な幼馴染だったし、いなくなったのは信じられないし、すごく、寂しい。でも俺は今、深春とのことで手一杯で自分の気持ちに浸ってる余裕は無かった。

帰ってきて、びっくりした。深春が泣いていた。静かに泣いているのに、堪えきれないように声が漏れていた。
いつも泣いていたんだろうか。俺は見たことがなかったけど、ほんとは毎日こうして1人で苦しんでたんじゃないか。

俺が帰っていることには気がついていないようで、俺はなるべく音を立てないように夕飯の用意を始めた。作り置きのお惣菜を温める、そして今日は寒いからスープも追加で作る。深春が好きな、かき卵の春雨スープ。

呼びに行こうとドアの前に来ると中から声が聞こえた。思わずドアノブにかけようとした手を止めた。

「どうして言わなかったんだろう…。告白、すればよかった…。でも言えたわけ、無かった…っ。最期まで波花のそばにいたいなら、そうするしかなかった…。友達として、大好きっていうだけが精一杯だった…。波花…っ。なんで私じゃなくて波花なの…っ。私なら、私なら死んだってよかった。でも波花は死んじゃダメな人間だよ…。みんなを照らす太陽なんだから…波花ぁ…っ!」

俺は硬直した。
そして、納得した。あぁ、そうか。と。
深春の言う初恋の人は、波花なんだ。
そりゃ、一生勝てるわけない。波花になんてそもそも勝てやしないし、死人になんて誰だって勝てない。
俺はそこで、多分恋に区切りをつけた。自分は対象じゃないんだと言うショックはある。たけどそんなことより苦しんでる深春を1人にしたく無かった。そばにいたかった。

意を決して、俺はコンコン、とドアをノックし、開けた。
バッと深春が顔を上げた。

「聞いてた、の…?いつ帰って…」
「深春、ごめん。」

深春は俺の言葉を聞いて、俺が聞いたと悟ったらしい。俺は話そうと言いかけたけど、深春は一粒、大粒の涙を流し、上着を掴んで俺の横をすり抜け、走って家を出ていった。

「深春…っ、待って!」

俺も追いかけたけれど、深春の姿は見当たらない。この短時間でそんな遠くに行けるわけ。とりあえず周りの住宅地を走り回ってみるも、全く意味がない。秋の夜は冷え込んでいた。だんだんと喉がぎゅうとなっていく。近くの公園に行っても、深春の友人に電話をかけてみてもおらず、俺は途方に暮れた。こんな夜中に、1人で出るなんて。

気がつけば2時間が経っていて、もう日付を超えようとしていた。俺はとりあえず家に戻り、そこでようやく実家のことを思い出した。しかし深春の実家に電話をかけてみるといないと言われた。俺は絶望した。

チクタクと時計の音が無機質に鳴る。
耳に入る時計のが増えただけ、時間の経過に焦りが募る。

嫌われてしまったのか。立ち聞きなんてしたから。
申し訳ないとは思うけどでも、一緒に暮らす夫婦として、苦しむ妻を放っておく夫がいるんだろうか。
俺は冷え切った夕飯を片付けようと立ち上がった。


プルルルル プルルルル


その時、携帯に一通の電話が来た。
誰かが見つけたのかという期待は一瞬で消えた。知らない番号だった。
とりあえず出てみると、懐かしいような、でもちょっとだけ記憶と違う声がした。

「あっ、隼斗くん?」
「えっと、あ、はい。」
「私柚月なんだけど、わかる?深春の姉。」
「あっ、あぁ!」

小さい頃は一緒にいつも遊んでいたけど、そのうち自分の友達と遊ぶようになりだんだん疎遠になったが、時々見かけたのは覚えている。最近はめっきり会っていなかった。

「今頑張って深春から番号聞き出したとこなの。ちょっと代わるからさ。電話、してあげてくれない?」
「…っ、ありがとうございます…っ!」

ほら、深春。と宥めるような声がして、やがて人が変わった気配がした。

「…深春?」

なにも声がしないので、問いかけてみると小さな小さな声で、ごめんと声が聞こえた。

「ううん、全然大丈夫。」
「……引いた、よね。」
「なにが?」
「女子が好きなんて。」

ショックだったのか、とやっと気づいた。俺にバレてしまったことが。
そんなの、なんにも関係ないのに。

「全然、そんなことないけど。」
「…えっ。」
「勝手に勘違いしないでよ、そんな最低なやつじゃないよ。」
「ご、ごめ」
「謝らないでよ。…好きって気持ちは、誰にだってあるんだから。そして人と違うと言われていることを言うのがが怖いのも当たり前だろ。」
「…うん。」
「……俺さ、好きなんだよ。」
「…え?」
「深春のこと。」
「…っ。」

息を呑む気配がした。

「ごめんな、こんな時に言うことじゃないんだけど思わず。別に報われようとは思ってないんだ。ただ、大事にしたい。苦しい時に、帰れる場所でありたい。都合よく使ってくれて構わないから、パートナーとして、俺と、暮らしてくれませんか。」

しばらくなにも音がしなかった。それこそ引いてしまったのかと不安になったが、やがて泣いているのだとわかった。

「…あり、がとう。」
「ううん。こちらこそ無理に結婚させちゃってごめんな。」
「…そんなことない。私、隼斗と結婚できて、よかったと思ってる。本当に。」
「…本当?」
「うん。だから、これからも、よろしくお願いします。」
「…はい。夜ご飯、温めとくから、帰ってきてくれる?」
「…うんっ!」