『2月19日。昨日とは打って変わって薄暗い天気。私の周りでは頭痛いって言っている子が続出したよ。静兄は大丈夫?
静兄と沢山話したいけど面会が出来ないって言われちゃったから、手紙送るね。届いてたら嬉しいな。
昔話、一緒にしよ。
静兄は海の近くに。私は田んぼの近くに住んでた。静兄のお父さんがやってた魚屋さんに私の親も働いてて、家族ぐるみの付き合いがあったんだよね。もう無くなっちゃったけど、あの空間大好きだったな。
今残っている静兄との記憶の始まり。それは3才の頃。あの場所での事。私と4才差だから、静兄はその時7才だった筈。
魚屋の2階、私たちの遊び場。
一緒に寝転がって、天井を見上げてた。白い地面にミミズが這ってるみたいな模様を見て、静兄は笑ってた。
確か指を指していたかな。私の記憶の中に音は無かったから言ってた事は覚えないけど、多分
「あれが顔に見えるね」
とか。
「あそこ犬みたいじゃない?」
とか。そんな事ばっかり言ってたんでしょ。
私はね(あ、動いてるなぁ)って思った記憶があるよ。目の錯覚だけど。模様だから動く筈はないんだけど、今でもその感覚は鮮明に覚えてる。
あの時は沢山遊んで貰ったね。
おままごととかもしたよね。あんまり覚えてはないんだけど私、静兄をこき使ってた気がするな。楽しかったよ。
そういえば「ぎっこんばったん」って一緒にシーソーごっこもしたか。あれが一番好きだったなぁ。今になって思うけど、あれ結構辛いよね。腹筋鍛えられたでしょ?
あと、慣れない絵本も読んでくれたでしょ。今思い出してみたけどとてつもなく拙い読み方だったね。誰か録音とかしてないのかな。また聴きたい。
まだ沢山思い出話したいけど手が疲れたからこのぐらいにしておくね。
あの時を始まりと数えたら15年。私は18才になったよ。今の私を形作っている物の中心にあるのは、間違い無く静兄とのあの時間だと思う。
本当に、沢山ありがとう。
私の中に残る一番古い記憶。それがこれで良かったよ。またね、大好き。
真瑚より』
そんな手紙を読みながら、ただ涙を流す。
記憶を辿れば鮮明に思い出す。あの時は真瑚が泣かないようにとずっと気を張っていたから、当時真瑚が笑ってくれた事。今真瑚が楽しかったと言ってくれている事。それがどうしようもなく嬉しかったのだ。
直接的な契約を交わさなくとも、十五年という月日の中で自然と真瑚と俺は彼氏彼女の関係になっていた。一生千切れる事の無い赤い糸で結ばれている。
あぁ、記憶を読み返すだけで幸せになるな。
俺はずっと、真瑚の言葉を借りるならば十五年、彼女に恋をしていたから。
今すぐにでも返事をしたいが、身体が言うことを聞かない。
あの時こう思っていたとか。あの日はああだったよねとか。真瑚の笑い話だって。伝えたい事は山ほどある。しかし意識とは真逆で身体は一切動かない。
憎い。それだけだ。
ベッドの上で藻掻く。起き上がろうと全身に力を入れる。ペンはどこか。紙はどこか。視線を彷徨わせる。
呼吸の乱れを感じて、俺は真っ暗闇に落ちた。
まだ死にたくない。そんな思いだけが俺の命綱だった。