◆
山の緑が濃い。
昼過ぎともなると五月とはいえ汗ばむ陽気だ。
維麻とともに車両を降りて、大きく深呼吸をした。
終着駅の乗降客は、僕と維麻のほかには大きなお腹の妊婦さんがひとりいるだけだった。妊婦さんは改札をくぐって、迎えの家族が運転しているのであろう軽自動車に乗り込んでいく。
「維麻は、なんでこの電車に?」
「なんでって?」
「別荘からわざわざ出てきたんだよね」
この駅には、めぼしい施設は何もないはずだ。
「何しに……うーん……」
「もしかして、無計画?」
「まあ、そんなとこ」
相変わらずだ。
記憶の中の維麻は、活発で好奇心旺盛で、じっとしているということはなかった。だからこそ、目の前にいる色白でほっそりとした美少女に育った彼女のことを、東条維麻だと認識できなかったわけだ。
「相変わらずって顔してる」
「まあね、無計画に乗るような路線じゃないからビックリしてる」
「べつに無計画でもいいじゃん、計画通りばっかじゃつまらんでしょ」
維麻が、改札にICカードをかざしながら首をかしげる。
こいつといると、いつもペースを乱される。
でも、僕はそれが嫌いではなかった。
「あれ、自動改札、使わないの?」
「うん、ちょっと待ってて」
僕は維麻にひとこと断ってから、窓口の駅員さんに声をかけた。始発駅で買った切符にスタンプを押してもらう。
中学生になって、一人で電車に乗ってもよいとお墨付きをもらってから何度も繰り返した行動だ。
電車の切符は、原則としては鉄道会社が回収することになっている。
けれど、僕のような好事家や旅行の思い出の品にしたいという人のために、駅員さんがいる駅に限って、使用済みであることを証明するスタンプを押してもらい、持ち帰ることができる。
この始発から終点までの駅名が刻印された切符を集めるのが、僕の趣味。
たまに、「往復割引があるので」と駅員さんに声をかけられることがあるのだけれど、
「お待たせ」
「切符なんて買う人、いるんだ」
維麻が大きな目を丸くする。
こんな田舎駅にもICカード改札機は配備されている。
「いるんだよ。帰りの分も買うしね」
「え、待って待って。きみ、もう帰るの!?」
「うん。今乗ってきた電車に乗って帰る」
「ええ……?」
「そうしないと、次の電車は夜八時の終電だし」」
「えっ、それはマズいよ。私も乗らなきゃじゃん!」
ころころと表情を変える維麻に、思わず吹き出した。
そうだった。維麻はこういう人だ。
あんな別れかたをしたのに、まるで先週まで一緒に遊んでいたみたいに感じる。
「っていうか、和也こそ、ユーは何しにこの駅へ!?」
「話はあと。発車時間まであと十二分だから、それまでにトイレを済ませたい」
「む、それは重要!」
それぞれ身支度を済ませて、折り返し電車に乗り込む。
止まるときとおなじ、のんびりした軋みをたてて茜色のモハ1系が動き出す。
それから、僕たちは喋りに喋った。
この偶然の出会いに、いかに驚いたか。
僕の趣味である、始発から終点を制覇する乗り鉄のこと。
維麻の着ている服は、彼女の手作り(!)だということ。
最近ハマっている配信者のこと、読んだ小説のこと、Spotifyのシャッフル再生で聴いた古い音楽のこと。
休日の午後を走る電車の、のんびりとした揺れに合わせて、時間が流れる。
彼女の突然の転校とその後のお互いの生活という、本来であれば真っ先に話題にあがるべき事柄については、示し合わせたように触れなかった。
山の緑が濃い。
昼過ぎともなると五月とはいえ汗ばむ陽気だ。
維麻とともに車両を降りて、大きく深呼吸をした。
終着駅の乗降客は、僕と維麻のほかには大きなお腹の妊婦さんがひとりいるだけだった。妊婦さんは改札をくぐって、迎えの家族が運転しているのであろう軽自動車に乗り込んでいく。
「維麻は、なんでこの電車に?」
「なんでって?」
「別荘からわざわざ出てきたんだよね」
この駅には、めぼしい施設は何もないはずだ。
「何しに……うーん……」
「もしかして、無計画?」
「まあ、そんなとこ」
相変わらずだ。
記憶の中の維麻は、活発で好奇心旺盛で、じっとしているということはなかった。だからこそ、目の前にいる色白でほっそりとした美少女に育った彼女のことを、東条維麻だと認識できなかったわけだ。
「相変わらずって顔してる」
「まあね、無計画に乗るような路線じゃないからビックリしてる」
「べつに無計画でもいいじゃん、計画通りばっかじゃつまらんでしょ」
維麻が、改札にICカードをかざしながら首をかしげる。
こいつといると、いつもペースを乱される。
でも、僕はそれが嫌いではなかった。
「あれ、自動改札、使わないの?」
「うん、ちょっと待ってて」
僕は維麻にひとこと断ってから、窓口の駅員さんに声をかけた。始発駅で買った切符にスタンプを押してもらう。
中学生になって、一人で電車に乗ってもよいとお墨付きをもらってから何度も繰り返した行動だ。
電車の切符は、原則としては鉄道会社が回収することになっている。
けれど、僕のような好事家や旅行の思い出の品にしたいという人のために、駅員さんがいる駅に限って、使用済みであることを証明するスタンプを押してもらい、持ち帰ることができる。
この始発から終点までの駅名が刻印された切符を集めるのが、僕の趣味。
たまに、「往復割引があるので」と駅員さんに声をかけられることがあるのだけれど、
「お待たせ」
「切符なんて買う人、いるんだ」
維麻が大きな目を丸くする。
こんな田舎駅にもICカード改札機は配備されている。
「いるんだよ。帰りの分も買うしね」
「え、待って待って。きみ、もう帰るの!?」
「うん。今乗ってきた電車に乗って帰る」
「ええ……?」
「そうしないと、次の電車は夜八時の終電だし」」
「えっ、それはマズいよ。私も乗らなきゃじゃん!」
ころころと表情を変える維麻に、思わず吹き出した。
そうだった。維麻はこういう人だ。
あんな別れかたをしたのに、まるで先週まで一緒に遊んでいたみたいに感じる。
「っていうか、和也こそ、ユーは何しにこの駅へ!?」
「話はあと。発車時間まであと十二分だから、それまでにトイレを済ませたい」
「む、それは重要!」
それぞれ身支度を済ませて、折り返し電車に乗り込む。
止まるときとおなじ、のんびりした軋みをたてて茜色のモハ1系が動き出す。
それから、僕たちは喋りに喋った。
この偶然の出会いに、いかに驚いたか。
僕の趣味である、始発から終点を制覇する乗り鉄のこと。
維麻の着ている服は、彼女の手作り(!)だということ。
最近ハマっている配信者のこと、読んだ小説のこと、Spotifyのシャッフル再生で聴いた古い音楽のこと。
休日の午後を走る電車の、のんびりとした揺れに合わせて、時間が流れる。
彼女の突然の転校とその後のお互いの生活という、本来であれば真っ先に話題にあがるべき事柄については、示し合わせたように触れなかった。