ロッカールームで着替えを済ませた私は、通用口に向かっていた。
 
 建物の構造上、通用口から出るにはに休憩室を通らなければならない。
 どうか誰もいませんように、と心の中で念じる。
 誰かと会話をするには、いまの私の心は、やはり少々すり減っている。
 
 あれから佐倉が店長に怒られないのか不安だったけれど、一部始終を見ていたはずの店長が彼に何かを注意した様子はなかった。
 ボディタッチをしながら談笑はしていたけれど。
 
「はー……」
 
 しおれながら窓のない通路を黙々と歩いていると、後ろから誰かのドタドタした忙しない足音が聞こえて、びくりと肩が跳ねる。
 振り向くと、向かってきたのは優也先輩だった。
 
「あやみ……!」
「⁉」
 
 目を見開いた優也先輩が、あっという間に目の前まで迫ってきて、反射的に後ずさりをしてしまった。
 
「……えっ! な、どうしたんですか」
 
 青白く薄暗い照明の下、額に汗をかいた優也先輩。
 都会の洗練された年上の男性だと私が思っていた人はいま、必死さと興奮の入り混じった表情で、目の奥がぎらぎらしている。
 
「ど、どうしたんですか……?」
「俺、お前に言いたいことがある」
「は、はぁ。何でしょうか」
「……」
 
 優也先輩はなかなか用件を言わず、「……ふぅ、はぁ」と、何度も鼻で大きく息を吸ったり吐いたりを繰り返していた。
 
「……?」
 
 なんなのだろう。何かの覚悟を決めているようにも見えるし、タイミングを見計らっているように見える。でも、どことなくばつが悪そうだ。
 しっかり沈黙を保ってからようやく優也先輩は顔を上げ、きっ! と私の顔を見た。
 
「俺、お前とは付き合えないから」
「……えぇっ⁉」
 
 いきなりのお断り宣言にびっくりする。既に気持ちは冷めているので悲しさはないけれど、とにかく驚いた。
 付き合えないということは、私が映画に誘った時点で先輩は私の好意に気が付いていたということだ。
 その時にはリカと既にお付き合いをしていたはずなのに、どういう気持ちで誘いをOKしたのだろうか。
 
 疑問に思っていると、通路の前方から、複数人の足音が聞こえた。
 
 角を曲がってこちらにやってきたのは、今日シフトに入っていたホールスタッフ達だった。
 皆すぐに私たち気が付いて立ち止まる。すると優也先輩が瞳をキョロキョロさせ、今度は私から目を逸らして声を張り上げた。
 
「申し訳ないけど、俺、彼女いるから。だから何度も電話とかメッセージ連投とか、困る!」
 
 後から追いついてきた人達が、ひそひそと耳打ちし合っている。
 
「えっ何これ。修羅場的なやつ?」
「ユウヤがキレてる……笑」
 
 (ひそ)められた声は、明らかに(たの)しげだった。優也先輩が興奮していた理由はきっとこれだ。
 あっという間に「片思いの相手にしつこく迫っているらしい女」にされてしまった私だけれど、そんなことは全然していない。
 
 だって電話をかけることはおろか、メッセージを送る勇気を持てず、向こうからメッセージが来た時にだけドキドキしながら返事をしていただけなのだから。
 
 どうやって誤解を解いたら良いのかわからず固まっていると、その場にいた中の、リーダー格の子が眉間に皺を寄せ、意を決したように口を開いた。
 
「──謝りなよっ、あやみ!」
「……え?」
「ユウヤが断ってるのに、しつこくメッセとか鬼電とかしたんでしょ? 優しいユウヤがキレるって相当じゃん」
「えっ。しつこくなんてしてないよ……!」
 
 私は拳をぎゅっと握った。
 
「先輩と話をするのはシフトが同じ時、休憩のタイミングが合えばだったし、メッセージをやりとりしたのは数えられるくらいだよ」
 
 しどろもどろになって説明しながら、悟ったことがあった。
 それはこの場にいる私以外の全員が、「本当の事情なんてどうでもいい」と考えたうえでこの修羅場を演出している、ということだ。
 
「だからそんなしつこいこと、してない……」
 
 やっていないことをやっていないと言ったところで、この場をどう収めれば良いのかは、まったくわからなかった。
 リーダー格の子が、呆れたようにため息をつく。
 
「しつこいかどうかはさ、あなたが決めることじゃないんじゃない。被害者のユウヤが決めることでしょ」
「……!」