7
「無理言っちゃってごめんね。寝ちゃう前にちょっとだけ話したくて」
夕梨から連絡が来たのは、それから数日後のことだった。ベッドの上でちょっと指を動かすくらいのことは出来ると言っていたので状態は良くなったのだろうか。消灯時間までWi-Fiが繋がるらしく、ビデオ通話を繋げて話そうということになった。
「やっほ」
「や」
繋がっているかを確認するために、軽く手を振る。
夕梨が動いているだけで、嬉しい。
「変わらず綺麗で」
「でしょ~? 病院着姿の私もかわいいでしょ?」
「うん」
久しぶりの会話で、なかなか言葉が出てこない。鬱病の人が外に出られるのが最上の状態のように、こうして喋れるまでの間には自分たちの知りえないものが含まれている。それをお互い感じているのだけはわかった。
「そういえば製本終わったよ。サイトの審査が終わったら、たぶん出ると思う。見て見て~、やりたいことリストいい感じに埋まりそうなの」
夕梨はやりたいことリストをカメラ内に映す。画面端からペンが現れると『・(伊沢くんと!)電子書籍を出す』にびっと線が引かれた。
夕梨が書いたその線は……弱弱しいものだった。
恐らく、手にあまり力が入っていないんじゃないかと察せるほどに。
「よーしこれで私は満足! ごめんね、これだけはこれは伊沢くんがいるときにしたかったから。えへへ……」
だと言うのに、声はいままでのものと変わらない。
いや、変えないように努力していることが、言葉の端々に伝わってくる。
息がしづらいのかもしれない。いつもより、呼吸が浅めだ。
それでも彼女が心配させまいと頑張っているのだ。俺は気付いていないように努めることにして会話を続けた。
「いや大丈夫だよ。むしろ俺も顔見たかったし。どう? やりたいことは出来た?」
「うん! おかげさまで、いっぱい楽しめたよ!」
パラ、パラとページをめくる。
「伊沢くんとも手を繋げたし、本屋デートも出来たし! それに……」
夕梨のやりたい100のこと。
前回見た電子書籍を出すと書かれたページの先。
次のページが出来ていた。
その中には、俺としたいことが書かれては横線で消されている。
「それに……?」
「ううん、大丈夫。私は幸せものだったなあ。この年で、心の底から大好き!って人に会えただけで恵まれてるのかも」
「もしかしたら今世は会うのが目的だったりしてな」
「あははっ! なにそれ、伊沢くんもロマンチックなこと言うんだねえ……。でも、うん、そうかも。でもでも今世だけで終わらせるつもりはないよ! 私、来世もよろしくするんだから!」
「……夕梨?」
光の具合だろうか。音声のノイズだろうか。
一瞬だけ、夕梨の顔や声が泣いているように聞こえた。
「なぁに? 和樹くん」
「いや……何か泣いてるように見えてさ」
「なわけないじゃんか~! いくら伊沢くんのことが好きでも、話しただけで泣かないよ~!」
「そっか……そうだよな、ごめん」
「もう、伊沢くんってば、私のこと好きすぎ!」
ふと電話の傍から、女性の声が聞こえる。
看護師さんが近くにいるのだろう。
「……あ、消灯時間だって。本当に、何から何までありがとうね。いたらないことが多い私だけど、次もいてくれたら嬉しいな」
いたらない? それは俺の台詞だ。
辛いことを抱えていても、いつも元気でいてくれて。
ひどく落ち込んでいる俺をここまでにしてくれたのは夕梨。おまえじゃないか。
……夕梨のためなら何も負担にはならない。
むしろこれ以上のことが出来ない自分が情けなくて、仕方がないんだ。
なんでも言ってくれ。無茶ぶりもわがままも、全部してあげるから。
ずっとずっとそばにいるから。
でも口からは言葉が出てこない。
一度口を開いてしまったら、いまにも泣いてしまいそうだからだ。
夕梨、死なないでくれって懇願してしまいそうだからだ。
「そうだ。この入院が終わってさ、今度会えたら『好き』って言ってくれるかな?」
電話口から、夕梨のお願い。
────好きと言ってほしい。
ここまでの関係になっても、俺は好きという言葉を言えずにいた。
これから死ぬ人間が吐くには無責任な言葉だと思っていたからだ。
その代わり、俺は回りくどい方法で好きを伝えてきたつもりだった。
伝えているつもりだった。でも彼女が欲しかった言葉は────
泣いてもいい。
泣いて生きてほしいと懇願してもいい!
────今度と言わず!いま!!!
と反応するときには、電話は切れていた。
通話が終わり、即座に「ごめんね」というメッセージが送られてきた。
ぎゅっと暗くなったスマホを強く握りしめる。
約束する。今度会ったら、何度でも何度でも言おう。
だいすきだ。俺は夕梨のことがだいすきだ。だいすきでたまらない。
一緒にいてほしい。ずっとそばにいてほしい……俺と一緒に生きてほしい……と。
「無理言っちゃってごめんね。寝ちゃう前にちょっとだけ話したくて」
夕梨から連絡が来たのは、それから数日後のことだった。ベッドの上でちょっと指を動かすくらいのことは出来ると言っていたので状態は良くなったのだろうか。消灯時間までWi-Fiが繋がるらしく、ビデオ通話を繋げて話そうということになった。
「やっほ」
「や」
繋がっているかを確認するために、軽く手を振る。
夕梨が動いているだけで、嬉しい。
「変わらず綺麗で」
「でしょ~? 病院着姿の私もかわいいでしょ?」
「うん」
久しぶりの会話で、なかなか言葉が出てこない。鬱病の人が外に出られるのが最上の状態のように、こうして喋れるまでの間には自分たちの知りえないものが含まれている。それをお互い感じているのだけはわかった。
「そういえば製本終わったよ。サイトの審査が終わったら、たぶん出ると思う。見て見て~、やりたいことリストいい感じに埋まりそうなの」
夕梨はやりたいことリストをカメラ内に映す。画面端からペンが現れると『・(伊沢くんと!)電子書籍を出す』にびっと線が引かれた。
夕梨が書いたその線は……弱弱しいものだった。
恐らく、手にあまり力が入っていないんじゃないかと察せるほどに。
「よーしこれで私は満足! ごめんね、これだけはこれは伊沢くんがいるときにしたかったから。えへへ……」
だと言うのに、声はいままでのものと変わらない。
いや、変えないように努力していることが、言葉の端々に伝わってくる。
息がしづらいのかもしれない。いつもより、呼吸が浅めだ。
それでも彼女が心配させまいと頑張っているのだ。俺は気付いていないように努めることにして会話を続けた。
「いや大丈夫だよ。むしろ俺も顔見たかったし。どう? やりたいことは出来た?」
「うん! おかげさまで、いっぱい楽しめたよ!」
パラ、パラとページをめくる。
「伊沢くんとも手を繋げたし、本屋デートも出来たし! それに……」
夕梨のやりたい100のこと。
前回見た電子書籍を出すと書かれたページの先。
次のページが出来ていた。
その中には、俺としたいことが書かれては横線で消されている。
「それに……?」
「ううん、大丈夫。私は幸せものだったなあ。この年で、心の底から大好き!って人に会えただけで恵まれてるのかも」
「もしかしたら今世は会うのが目的だったりしてな」
「あははっ! なにそれ、伊沢くんもロマンチックなこと言うんだねえ……。でも、うん、そうかも。でもでも今世だけで終わらせるつもりはないよ! 私、来世もよろしくするんだから!」
「……夕梨?」
光の具合だろうか。音声のノイズだろうか。
一瞬だけ、夕梨の顔や声が泣いているように聞こえた。
「なぁに? 和樹くん」
「いや……何か泣いてるように見えてさ」
「なわけないじゃんか~! いくら伊沢くんのことが好きでも、話しただけで泣かないよ~!」
「そっか……そうだよな、ごめん」
「もう、伊沢くんってば、私のこと好きすぎ!」
ふと電話の傍から、女性の声が聞こえる。
看護師さんが近くにいるのだろう。
「……あ、消灯時間だって。本当に、何から何までありがとうね。いたらないことが多い私だけど、次もいてくれたら嬉しいな」
いたらない? それは俺の台詞だ。
辛いことを抱えていても、いつも元気でいてくれて。
ひどく落ち込んでいる俺をここまでにしてくれたのは夕梨。おまえじゃないか。
……夕梨のためなら何も負担にはならない。
むしろこれ以上のことが出来ない自分が情けなくて、仕方がないんだ。
なんでも言ってくれ。無茶ぶりもわがままも、全部してあげるから。
ずっとずっとそばにいるから。
でも口からは言葉が出てこない。
一度口を開いてしまったら、いまにも泣いてしまいそうだからだ。
夕梨、死なないでくれって懇願してしまいそうだからだ。
「そうだ。この入院が終わってさ、今度会えたら『好き』って言ってくれるかな?」
電話口から、夕梨のお願い。
────好きと言ってほしい。
ここまでの関係になっても、俺は好きという言葉を言えずにいた。
これから死ぬ人間が吐くには無責任な言葉だと思っていたからだ。
その代わり、俺は回りくどい方法で好きを伝えてきたつもりだった。
伝えているつもりだった。でも彼女が欲しかった言葉は────
泣いてもいい。
泣いて生きてほしいと懇願してもいい!
────今度と言わず!いま!!!
と反応するときには、電話は切れていた。
通話が終わり、即座に「ごめんね」というメッセージが送られてきた。
ぎゅっと暗くなったスマホを強く握りしめる。
約束する。今度会ったら、何度でも何度でも言おう。
だいすきだ。俺は夕梨のことがだいすきだ。だいすきでたまらない。
一緒にいてほしい。ずっとそばにいてほしい……俺と一緒に生きてほしい……と。