平安京の外れ、広葉樹が生い茂る林にて玄狐・雅辰はひとり佇んでいた。

「ふむ――、あの怨霊……あっさり負けてしもようじゃな。まあ――、これもまたわしの見た未来への伏線であろうが」

 雅辰がそう呟きながら平安京の方に手を差し伸べると、その手のひらに上に小さな炎が生まれた。

「ふふ……、まさに風前の灯――、もはやこのまま滅びるが定めか? 怨霊よ――」
【お……のれ……、どう……まん】
「かか――、今更呪っても無駄であろうな。そもそも宿命のあるかの男と違って、お前にはなにもない――」

 雅辰は全てを理解していたかのように笑う。

「わしは――、本当は宿命に逆らって平安京を滅ぼすつもりであった。それがどのような破滅の未来をもたらすのか――、それすらどうでもよかったのだ」

 そこまで言うと雅辰は目を瞑って思い出す。

「しかし――、わしは見てしまった。訓子(さとこ)が望んだ世界……、妖魔も人間も争わず共に暮らす国。かつてのわしですら有りえぬと考えていた国」

 雅辰は小さく笑って目を開く。

「宿命の人間――、蘆屋道満。お前はこれからも苦しみ絶望するであろう……。その果てに愛するものとすら決別することになる。しかし――、しかし……だ」

 ――それら全ては、来たるべき未来への試練なれば……。

「さあ――進むいがよい蘆屋道満、おのれの心を信じて進むがよい。その先にわしはあって、その時こそ再び相対するとしよう。この国が未来へ進む価値があるのか? それとも滅びるべきなのか? その未来をわしらの相対で決めるとしようぞ」

 ――それまでにわしの足元まで追いついてくるがよい――。

 雅辰は笑いながら天を仰ぐ。その先に来たるべき運命の戦いが確かに見えていた。
 雅辰は滅びを望む――、それが正しい未来を壊す行いであろうとも。大切なものを失った心が滅びを望んでいるのだ。しかし、その大切なものが望んでいた未来の片鱗を彼は見てしまった。
 だからこそ――、彼はあえて相対を望む。彼の憎悪の炎は消えず――、今も心のなかに燃え続けている。――彼は未来なき滅びを望んでいる。
 でももし――、彼が見た未来の片鱗を蘆屋道満が実現できるのなら?
 今はまだかの者を信頼することは出来ない。自身を乗り越えられるほどの意志を示さなければ信じることが出来ない。
 ――だから雅辰は蘆屋道満との相対を望む。

 こうして、未来をかけた最後の戦い――、その宿命がここに決定づけられたのである。


 ふと雅辰は手のひらの炎を見る。

「――ふむ? 貴様……、どうやらおかしな呪をかけられているようだな? これは――」

 崩壊しかけている怨霊の命の炎を手にしたことによって、雅辰はその怨霊の秘密を知ることが出来ていた。

「なんと――、貴様……、他の虚ろな魂を取り込んでおるのか? これは……なんと哀れな」

 怨霊に取り込まれている小さな魂を感じてそれを悲しげな表情で見つめる雅辰。

「うむ……開放してやるか? このままではこの愚か者と心中するだけであるからな」

 しかし、その小さな魂に触れた瞬間、雅辰は一つの未来の片鱗を見る。

「――ふ、ははは……、なるほど。これもまた宿命か――。ならばよい、わしが力を与えてこの怨霊ごと残してやろう。再び活動するには時間が必要になるが」

 雅辰は意思を込めてその手のひらの炎に妖力を送り込む。炎は力を取り戻して空へと舞い上がった。

「さあ――、貴様が元いた場所へと帰るがいい。もしかの男がわしの試練を乗り越えられたら、おそらくその子孫がお前を封じに来るであろう。その先にお前が進むべき未来がある――」

 怨霊の炎は遥か西へと飛び去る。
 それを雅辰は――、”幼子を慈しむような優しげな表情”で見送ったのである。


◆◇◆


 永観二年――、円融天皇が花山天皇に譲位したことで【藤原義懐】が外叔父として補佐、花山天皇の乳母子で信頼が厚かった【藤原惟成】とともに権勢を奮うようになっていた。
 彼らはその権威を持って様々な政策を打ち出すが、他の【藤原頼忠】【藤原兼家】らとの確執を招き、政治そのものが停滞するようになっていた。
 しかし、寛和元年七月十八日――、寵愛していた【藤原忯子】を亡くした花山天皇は供養すべく出家を望むようになる。
 そこに陰謀をめぐらせたのが、早く次女・詮子が生んだ懐仁親王を皇位につけたい【藤原兼家】であった。
 本来は一時の気持ちであった出家を、息子らを使って本当に出家する気になるように仕向けさせた兼家は、翌年六月二十三日にその出家を実行に移すに至る。
 ――そして、兼家の全ての陰謀は成り、花山天皇は出家するにいたり――、懐仁親王の即位が決まってしまったのである。
 そして、花山天皇の補佐役だった藤原義懐は、翌朝に元慶寺に駆け付けるが、出家した天皇の姿を見て自らも出家。藤原惟成も花山天皇に従って出家。かくして兼家の政敵はことごとく消えることになる。

 全てはまさに【藤原兼家】の望み通り――、その日から兼家とその息子たちの全盛の時代が始まることとなる。
 この事件の事を、後の書では【寛和の変(かんなのへん)】と称することになる。


 ――結局、兼家の裏の陰謀は表に出ることはなかった。
 藤原忯子の死の真相も何もかもが、兼家が手に入れた巨大な権力の前に”存在しないもの”とみなされ、それはこれ以降も平安京の闇を生み出す原因となるのである。
 果たして、それを見た蘆屋道満はどのように思ったのであろうか?

 その結果は――、遙か未来に明かされることになる。