道満は狂気を纏った剣士・高倉恒浩と睨み合う。その道満の背に向かって梨花が叫ぶ。

「道満様――、私もお手伝いを……」
「いらん――、お前は戦いの邪魔だ」

 にべもない言葉に少し膨れる梨花であったが、道満は梨花の方を振り向かずに言った。

「おまえはその屋敷に入って、満忠の悪事の証拠を手に入れろ――。その程度の事お前にもできよう?」
「――あ、はい! そうですね――、この場は役割を分担した方がいいですね」
「ああ――、梨花……」
「はい?」

 その時、道満は一瞬梨花の方を振り返って笑った。

「後はお前に任せた――」
「――! はい!! 任せてください!!」

 梨花は満面の笑みで道満に返事をして、そのまま屋敷の中へと入って行く。道満と――、それと睨み合う形の恒浩は黙って見送ることになった。

「――ふ、あの程度の女は興味がありません。私は、何より強い者――、自分が強いと信じている者が、私の前で絶望する姿が楽しくて戦っているのですから」

 そう言ってニヤニヤと笑う恒浩を見て、道満はあきれ顔になって答える。

「なんとも趣味の悪い奴だな――、一見真面目に見える者ほどその内は狂気に満ちている――という事か?」
「ククク――、それは自分の師匠である安倍晴明の事を言ってらっしゃるのですか?」
「――は? あのろくでなしが真面目に見えるのなら――、拙僧(おれ)が特製の眼薬を煎じてやるぞ?」

 その緊張感のかけらのない言葉に、恒浩は妖しく笑って刀を上段に構えた。

「――まあ、お話はここまでにしましょう。楽しい殺し合いが始まるのですから」

 そういう恒浩に、道満は眉をひそめて答えた。

「ふん――、少しも楽しくないわ……」

 道満は、戦闘開始の合図代わりに、その場で歩を踏み、剣印をもって格子を描く。
 その瞬間、道満の身体能力は極限まで跳ね上がって、――一拍置いてから高速で地を奔った。

「ほう――、それがあなたの速度ですか!」

 恒浩は歯を見せて笑いつつ高速で迫る道満を迎え撃つ。――その刃が一度ひらめいた。

 ヒュ!!

 その刃は弧を描いて道満の右腕へと打ち込まれる。それを正確に見極めた道満は、霊手刀で受け流そうと構えをとった。

「む?!」

 ザン!!

 その瞬間血しぶきが飛ぶ。道満の霊手刀によって遮られるはずの恒浩の刃が、その軌道を大きく変化させて道満の右肩を切り裂いたのである。

「ぐ!!」

 道満は即座に反応して恒浩の直ぐ右脇を走り抜ける。そして二撃目を警戒し間合いを開けつつ、恒浩の視線の死角へと身を差し込んだ。

「はは――、見えているぞ!」

 恒浩はその動きが初めからわかっていたかのように、横斜め後方に身を躍らせつつ刃を道満に向けて振り抜いた。

(――コイツ……、こちらを見ずに――?!)

 ザン!!

 そして再び血しぶきが飛ぶ。道満は、その背を斜めに切り裂かれてその場に転がった。

(――なんて奴だ……、こいつの魔眼は”直接見る”必要がないのか?!)

 その驚愕の表情を上から見下ろしながら恒浩は嘲笑う。

「いいぞ――、その目だ――、その目が見たかった」
「ち――」
「貴様は驚いているな? 直接貴様を見ずに私が魔眼を扱ったのを――」

 恒浩は一回強く刀を振り――、刃についた道満の血を振り落とす。そして、嘲笑を浮かべながら道満に言った。

「――そう、私の目は”一度倒すべき敵を認識した”なら、その後は直接視認する必要はない。あとは――、どのように動けば敵を切り殺せるのか、その間近な未来が見えるのだ――」
「ち――、厄介な……」

 道満はその恒浩の言葉に舌打ちする。これではまるで、かの源頼光の再来ではないか――、いや、恒浩の場合は剣捌きそのものが洗練されており、頼光を越えるようにも感じられた。

(――これは、あの禁呪をまた使うしかないのか? ――そもそも、その為の隙を作れるのか?)

 道満は右肩の傷から流れる血を押さえつつ考える。その様子を笑いながら眺める恒浩は、今度は刃を下段に構えてじりじりと道満との間合いを詰め始めた。

(考えてる暇もないか――、これは……マズいな)

 次の瞬間、――恒浩が一気に駆ける。道満はそれをあえて恒浩の方へと突っ込んで、その真横をすり抜けようとした。

 ザン!!

 三度、恒浩の刃がひらめいて、道満の身体から血しぶきが飛ぶ。今度は左肩が切り裂かれていた。
 道満はそのまま地面に倒れ込んで転がる。激痛に顔をしかめつつ、道満は恒浩の追撃が来るのを予想した。

(――?)

 しかし、追撃はこなかった。そのまま奔り抜けた恒浩は、道満の方を振り向いてから言った。

「さて――、蘆屋道満……、貴様も術者ならば傷を早く癒すがいい……」
「――なに?」
「このまますぐに倒れられたら――、殺し合いを楽しむことは出来まい?」

 そういう恒浩の嘲笑を見つめながら道満は唇をかむ。

(――コイツ……、正真正銘の戦闘狂か――)

 道満はゆっくり立ち上がると傷に手のひらを当てて短い呪を唱えた。
 霊力の糸が手から生まれてそれが傷を縫い付けてゆく。その光景を心底楽しそうに恒浩は見つめていた。

「ち――」

 それでも流れた血は戻らない。道満は顔を歪めながら舌打ちするしかなかった。

「さあ――続きをしよう」

 再び恒浩は刀を構える。そして――、

 ――それから道満は、恒浩の刃をその身に何度も受ける羽目になった。
 恒浩は確かに戦いの先が見えているようで、道満がどのように防ごうとしてもそれをかいくぐって傷を与えた。
 それはまさに一方的であり、歴戦の道満をして絶望感を得るのに時間はかからなかった。

(――ぐ、……全く歯が立たん――)

 全身を血まみれにした道満はそれでも何とか立っていた。
 同じように――”道満の血”で全身を朱に染めた恒浩は、楽しそうに笑いながら言った。

「こらこら――、もっと抵抗してくれなければ……、一思いに殺してしまいかねんぞ?」

 道満と恒浩――、その身体能力に関しては格差はほとんど存在してはいない。
 しかし、恒浩の魔眼が――、明確に越えることのできない壁として、道満の前に立ちはだかっていた。

(――このままでは、弄り殺される……やはり)

 切り札である禁呪を使うべきか――、道満が思考していた時……、目の前を一匹の蛾が飛んで行くのが見えた。
 ――そして、それが恒浩の肩に止まったのである。

「――」

 恒浩はそれに気付く様子もなく、ただ道満を見て笑っている。――と、不意に道満の脳裏に閃きが起こった。
 道満は高速で思考しつつ――、ニヤリと笑う。

「? 蘆屋道満――、なぜ笑う? 死を前に狂ったか?」

 不意に浮かべた道満の笑顔に、恒浩は笑顔を消して問いかけてくる。道満は笑い続けながら答えた。

「いや――、なるほど……、貴様の魔眼は、貴様の言う通りだな――と思ってな」

 道満は全身の痛みに顔をしかめつつ立ち上がる。それを少々驚きの目で見つめる恒浩。

「――何を企んでいる?」

 恒浩は道満の表情を見て何かを悟る。道満はそれでも笑いながらその手の霊手刀を構えた。

「さて――、次はこちらから行くぞ」

 道満の自信に満ちたその言葉に、少々困惑顔の恒浩が迎え撃つ体制をとる。
 道満はその姿を見て笑いつつ――、一気に恒浩との間合いを詰めた。

「馬鹿が――、そのように無造作に私に近づけば――」

 ザン!!

 その瞬間、道満の右腕から血しぶきが飛ぶ。その上腕部に恒浩の刃が打ち込まれていた。

「む?!」

 恒浩は困惑の表情で自身の刀を見る。なぜなら――、

「――ふ、どうした? 不思議な顔をして――」

 道満は血にまみれながら笑う。その左手で右上腕部に打ち込まれた刃を握っていた。
 今、恒浩の手にする刃は、道満の上腕を断ち切ることも、引き抜いて戻すことも出来なくなっていた。

「疾く――!」

 道満がそう唱えた瞬間、恒浩は背後に何者かの気配を得た。

(――?!)

 背筋を奔る悪寒に――、全力を以て刀を道満から引き抜く恒浩。今度はあっさりと刀が抜けた。

「何を?!」

 未だ収まらぬ悪寒に道満を警戒しつつ背後を振り返る。すると――、

「――?」

 そこには何も存在しなかった。いや――、ただ宙を舞う蛾が一匹見えるだけであった。

「蘆屋道満? ――貴様、一瞬私の動きを止めて、何かをしましたね?」
「何の話だ?」
「――私が気づかないと思っているので?」

 その恒浩の言葉に、道満はただ”さてな――”と答えるだけであった。

「――まあいい、何をしようと同じこと。少々遊び過ぎたので、このまま死になさい」
「ほう――、もうしまいにすると?」

 薄く笑う道満に恒浩は笑みを消して刀を構える。

「このまま一撃で首を刈らせていただきます」

 そういうが早いか恒浩は、道満との間合いを一瞬にしてゼロにしたのである。
 閃光が空を奔り――、そのまま道満の首へと伸びてゆく。

「――」

 そして――その刃は……、

「あ――」

 道満の首を刈ることもなく空を切った。

「あ――え?」

 恒浩は何が起こったのか理解できずに動きを完全に止めている。それを道満は笑いながら見つめている。

「おや? どうしたのだ? 空振りだな?」

 道満が笑いながらそう言う。その言葉を聞いて、やっと正気に戻った恒浩は、道満から離れるべく後方へと跳躍した。

「あ――」

 そのまま足から着地することなく地面に転がる恒浩。――その段になってやっと、自分の感覚に違和感がある事を自覚した。

「何を――? 貴様……私に何をした?!」
「ん? それを知りたくば、お前の周囲をよく観察してみるがいい」

 その道満の言葉に、恒浩は自身の周囲に顔を向ける。その目にそれが映り込んだ。

「蛾――?」

 それはまさしく夜に舞う蛾――、それも一匹ではなく何十匹も恒浩の周りを舞っている。

「――まあ、視覚というものは……、意識しなければ見えていないのと同じでな」

 その蛾は宙を舞いながら細かな鱗粉を周囲に撒き散らしている。それこそが――、

「まさか――、霊丹?!」
「そのまさかよ――、今の貴様の感覚は大きくズレてしまっておるのだ」

 道満は流れる血を拭いながら話を続ける。

「お前の魔眼は正確無比だ――、それを狂わせる事は出来ぬ。ならば――、それをもとに動こうとする貴様自身を狂わせればよい」
「く――、私は……」

 恒浩はよろよろと立ち上がって後退る。

「やはり遊びが過ぎたか――」

 そう言って薄く笑って道満に背を向けた。

「は――、逃げるか……」 

 道満はその背中に声をかける。それに対して恒浩は笑顔を消さずに言った。

「蘆屋道満――、貴様は笑ってはいるが、もはやマトモに動くことが出来ないのだろう?」
「――」
「ここは痛み分けという事で――、下がらせていただく」

 恒浩は刀を杖代わりによろよろとその場を去ってゆく。道満はそれを追いかけることなく見送った。

「まあ、その通りだよ……。畜生――」

 道満はため息交じりに呟く。そのまま恒浩は夜の闇の中へと姿を消したのであった。


◆◇◆


「はあ――、はあ……、なんと無様な、この私が――」

 恒浩は息を荒くしながら闇を彷徨う。

「この私が――敵前より逃げねばならんとは」

 まさしく油断大敵――、あまりに戦闘を楽しみ過ぎて、逆襲を受ける羽目になってしまった。

「は――、しかし……、あの男――。蘆屋道満……、おそらくはまだ強くなる――」

 今はあの程度の反撃しかできぬようだが――、彼はまだまだ発展途上。
 おそらくは――、すぐにでも自分では太刀打ちできぬほどの強者になるだろう。――そう恒浩は心の中で笑った。

(――ああ、おそらく生きて再戦は果たされないだろう――。惜しい話である――が)

 なぜか恒浩はそう予感を覚える。――その時、彼は自身に迫るナニカを感じ取っていた。
 しばらく走ったのちに、恒浩は疲れてその場にへたり込む。息を弾ませるその男に、不意に声がかけられた。

「いやはヤ――、見事にしてやらレましたなナ」
「――牟妙法師か……」

 そこに立っていたのは確かに牟妙法師その人であった。恒浩は感情の籠っていない目を向けて言う。

「お前、戦いを見ていたのか。ならばなぜ手助けをしなかった?」
「ははは――、そのようなつマらぬことはシませんとも」
「――」
「それとモ、楽しい殺し合いノ邪魔をしてほしかっタと?」 

 恒浩は黙ってため息をつく。それを見て牟妙法師は笑みを強くした。

「確かニ、私は満成様の客としテ留まってあなた方ノお手伝いをしてイます――。デモ、私は私個人の感情デ、色々お手伝いヲしているだけで、配下ではありまセん」
「そうか――、まあ予想はしていたが」

 恒浩は黙って目を瞑って身を横たえる。
 牟妙法師は恒浩の下へと歩いていき、その顔に自分の顔を近づけて言う。

「そもそも――、私にはやるべキことがありマす……」
「――」
「はてさテ――、恒浩殿……。貴方は私がイつも唱えていル呪文を覚えておイでですか?」
「なにが言いたい?」

 牟妙法師は満面の笑みで呪文を唱える。

「ナウマクサンマンダボダナンアギャナテイソワカ――」
「――」
「そノ”アギャナテイ”は――、実は意味のない言葉の組み合わセでしてな――。この呪文を言い換エると、”あまねく諸仏、『無意味なるもの』に帰依します”となルのです」
「無意味――、そうか……、お前の目指すモノ――、研究……とは」

 牟妙法師は、何かを悟った様子の恒浩に笑顔を向けつつ答える。

「――最も、その言葉ガ、大日如来であろウが、帝釈天であろうガ、地蔵尊であろうが、私にトっては無意味であることニは変わりないのですが。この無意味な呪文ハ――、無意味ではあルのですが、今のあなたニとっては意味があるのです」

 ドス――、

「か――」

 不意に牟妙法師の腕が恒浩の腹に突き刺さる。

「――は……」

 ――その腕は腹を貫通してその内蔵を抉りかき回している。

「ほら――、こうして”死”という意味をたっタ今得まシた」
「牟――妙……、や――はり」
「ナウマクサンマンダボダナンアギャナテイソワカ――」

 その法師の顔は血にまみれ――、妖しく笑っている。

「ナウマクサンマンダボダナンアギャナテイソワカ――。さて恒浩殿……、無意味ついデに、我が糧となる貴方ニ特別にお教えいタします」
「は――あ……」
「私の名もマた――無意味な言葉の羅列――、すなワち”死怨院牟妙(しおんいんむみょう)”――、それが私の本当の名デすよ」

 闇を纏って邪悪が笑う。血にまみれたその笑顔は、すべてを飲み込むほどに深い闇を湛えていた。