その光景を見た時――、静枝は何が起こったのか理解出来ずにいた。
 自分の大切な幼馴染が、人間――それも平安京の守護を担うその中心的人物とともに現れたからである。
 そして――、その事は静枝の憎悪に凝り固まった心によって、最悪の勘違いを導く結果となった。

「なんで? ――梨花」
「静枝――やっと見つけた……」
「梨花――、貴方」

 静枝の顔が青白く変わっていく。それを不思議に思いつつ梨花は言った。

「――静枝……、こんなところで何してるの?」
「梨花――」
「もう――こんなことはやめて……」
「梨花!!」

 不意に静枝が絶叫する。それを驚きの表情で見る梨花。

「――貴方、なんで人間の――そいつと一緒にいるの?」
「え? この二人の事? ――この人たちは」
「裏切ったの?」
「え――」

 その静枝の言葉に、梨花は妙な方向に静枝の思考が向かおうとしている事実に気づいた。

「あ――、違うの――この人たちは……」
「梨花!! ――裏切ったのね?! 人間に私を売り飛ばしたのね!!」
「ちが――」

 その静枝の叫びに、梨花は言葉を返そうとするが。それを周囲にいる静枝の仲間が制した。

「静枝!! 梨花は裏切り者だ!! この場は私たちに任せて逃げろ!!」
「――く……」

 静枝は仲間の言葉に頷き――、そして静かに梨花を睨む。梨花は慌てて叫ぶ。

「静枝――!! 違うの!! これは――」
「何が違うのか!! ――そいつらが誰か、私だって知ってる!!」
「それは――」

 最悪の事態に――、梨花は背後の晴明たちを振り返る。

「晴明様――」
「ふむ――ここは私に任せてください」

 そう言って晴明が梨花の前に進み出る。

「私の名は安倍晴明――、それは知っておられるのですね?」
「――」

 晴明を睨む静枝に静枝の仲間が叫ぶ。

「こいつの話を聞くな!! 逃げろ!!」
「いや――待っていただきたい。我々はあなた方の敵ではない」
「ふん!! 信用できるか!!」

 叫ぶ仲間たちの様子に、少し冷静を取り戻した静枝が言う。

「敵ではない? ならばなんだというのだ?」
「――私は貴方の過ちを正したいのです」
「過ち? 家族の――仲間の仇を討つことがか?」
「いえ――」

 静枝の言葉に晴明ははっきりと首を横に振る。

「貴方が仇だと信じている藤原兼家様は――、貴方の村を滅ぼした元凶ではないのですよ」
「なに?!」

 その晴明の言葉に驚く静枝。しかし――、

「は――、いまさらそのような話で我らを惑わすつもりか?!」
「そうではありません」
「ならば――証拠はあるのか?!」
「あります」

 そう断言する晴明に驚く静枝。それを見て梨花は涙ながらに訴えた。

「――その兼家って人は……、静枝の村が襲われた時期には、政争に敗れて身動きできない状態だったのよ。そもそもそんな命令を下せる状況じゃなかったの!!」
「な――」

 その事を聞いた静枝は仲間たちは驚きの顔を梨花に向ける。

「――そうです。貴方はもしかして、妙な人物に嘘を吹き込まれているのではないですか?」
「――」

 その言葉に困惑気味に静枝を見つめる静枝の仲間たち。

「――それで?」

 その時、不意に静枝がそう呟く。

「え?」
「それで? ――絶対にあの兼家でないという証拠は?」
「いや――だから」

 静枝の妙に落ち着き払った態度に、困惑の表情になる梨花。

「――いまさら」

 そう小さく呟くと――、静枝は仲間たちに向かって叫んだ。

「何を困惑している!! こいつらは人間だぞ?! 仲間を庇うために嘘も付く!!」
「え?!」

 その言葉を聞いて、梨花だけでなく晴明たちすら驚きの表情をつくる。

「――そ、そうか!! そうだよな!!」

 静枝の仲間たちは納得した風で再び警戒態勢をとる。それを見て晴明は――、

「静枝さん――貴方」
「安倍晴明――、仲間を庇おうとしても無駄だ!! 我々は必ず兼家という外道を討つ!!」
「――」

 その言葉に――何かを悟ったような表情を晴明は作った。

「まずいですね――、少々、我々も事を焦り過ぎたようです」

 晴明はその状況を見てさすがに後悔をする。静枝の深層にある心を読み切れていなかったからである。

「待って――、静枝!! この人たちは敵では――」
「人間は敵だ――、それ以外にない!!」
「静枝――」

 梨花の言葉に耳を貸そうとしない静枝。さすがに晴明は考える。

(――私としたことが……、いけませんね――。この歳になってもまだ、ヒトの心というモノの複雑さを理解できていないとは)

 ――と、その時、道満が叫ぶ。

「おい!! 師よ!! 静枝に逃げられるぞ!!」
「――強引に捕まえる――しかないのか?!」

 そんな事をすれば今度こそ――。その段になって晴明は珍しく焦りを得ていた。
 結局今わの際まで語り合えなかった源博雅の事があって、晴明は彼女らもそうなるのではないかという恐れがあったのである。

「静枝殿!! 貴方は本当に――」
「――」

 珍しく焦りを浮かべる晴明を睨んで静枝は踵を返す。

「――梨花――」
「静枝!!」

 梨花の叫びもむなしく、仲間に庇われた静枝は逃走を図る。それを止めようと道満は奔るが――。

「道満様!!」

 邪魔する静枝の仲間を殴り飛ばそうとする道満に、梨花が悲鳴のような声を上げた。

「やめて!!」
「しかし――!!」

 そう言って振り返る道満の目に――、梨花の涙が写った。

(――クソ!! なんてこった!! ――あの静枝という娘の心がここまで頑なだったとは――)

 道満は梨花の涙を見て身動きが取れなくなる。その唇をかみ――、静枝たちが逃走するのを黙って眺める。
 事態は最悪な方へと転がっていく――。晴明と道満は、彼女の本心を読み切れなかった自分たちの事を悔いる他なかったのである。


◆◇◆


「――」

 誰もいなくなった屋敷の中で、ただ梨花の泣き声だけが響く。

「――申し訳ない」

 そう言って晴明は頭を下げる。それに梨花は答えた。

「いいえ――、静枝を見つける事が出来ればどうにかなると……勝手に思い込んでいたのは私です」
「――いや、誤解が解ければどうにかなると――、我々も軽く考えすぎていた。そうならない事態を想定していなかった私たちの落ち度でしょう」
「晴明様――」

 涙にくれる梨花に――晴明は答える。

「一応――式は飛ばして追跡させていますが――。術具にたけた土蜘蛛相手では、どれだけの追跡が出来るかわかりません」
「――すぐに見失う――か」

 晴明の言葉に道満が苦虫を噛みつぶしたような表情をつくる。

「ならば――、もう――、襲撃の時に止める以外に――」

 その道満の言葉に晴明は頷く。

「このことがあった以上――、彼女らの術師への警戒は強くなるでしょう。占いで正確な襲撃時期を予測することはできますが――、止めるには強引な手段が必要になる」

 その言葉に梨花は心配そうな顔を晴明に向ける。

「梨花さん――、彼女らが傷つくのを恐れるのは理解できますが。こうなった以上――」
「――わかりました。でも――一回だけ……、一回だけ彼女と話す機会をください」
「――わかりました。こうなった責は我々にあります。必ずその機会を作って見せましょう」

 その晴明の言葉に、梨花は涙を拭いて決意の表情になる。
 大切な幼馴染に大切な言葉をかけることはできなかった――、その後悔を次は決してしない。それだけを心の中で決意したのである。


◆◇◆


 それから一週間――、結局静枝の行方を見つけることはかなわなかった。そして、とうとう藤原兼家による羅城門視察が始まろうとしていたのである。
 その日、羅城門付近は厳重な警戒態勢にあった。――実は、どこかから藤原兼家が何者かに狙われている――、という匿名の知らせがあったからである。
 検非違使は周囲を警戒し――、その警戒の中心を藤原兼家が歩いていく。
 ――時は正午過ぎ――、晴天に恵まれたその日――、荒れ果てた羅城門はただ何も語らず佇んでいた。

「本当に荒れておるな――」

 口を袖で隠して兼家が言う。それもそのハズ――、羅城門の屋根裏には死んだ人間の遺骸が打ち捨てられ、それゆえに腐臭が漂っていたのである。
 かつてはきらびやかに飾られていた壁や柱も、もはや古び――、或いは装飾がはぎとられてしまい、まさに無残な姿であった。

「この改修は――相当手間になるな。しかし――」

 それだけに自分の名を内裏全体――そして帝へと届ける役に立つだろうと兼家は考えた。
 と――不意に、兼家の鼻に腐臭以外の匂いが届く。それは――、

「む? 何かが焼けるような――」

 ――そう疑問に思う兼家。そうそれこそが、それから起こる事件の始まりとなったのである。


◆◇◆


 起こる事件のしばらく前――。

「――仲間はどうした?」

 外套の人物がそう言って静枝に聞く。静枝は静かに答えた。

「すでに襲撃態勢に入っている」
「――それは、大丈夫なのか? 勝手をされると、こちらの手引きが出来ぬ可能があるが?」
「――いいのだ……、もはや」
「?」

 その静枝の言葉に疑問の表情をつくる外套の人物。それを見つつ静枝は考える。

(あの晴明の言うとおり――、もしかしたら私たちはこの人間にいいように使われているのかもしれない。でも――)

 復讐を中止する? そんな事は――許されない。なぜなら――、この日のために静枝はすべての準備をしてきたのだから。
 だからここはすべてを黙って襲撃をする。大きな反撃を受けて多くの者が死に――、自分も死ぬだろうが、そんなことはもはやどうでもいい。

(――梨花……、貴方の事を再び見ることが出来た時点で私の未練はなくなった――。ごめんね――、もう私は止まれないのよ――)

 そう考えながら静枝は踵を返す。それを見咎めて外套の人物は言う。

「貴方までどこに? 勝手なことは――」
「兼家を殺せばそれでよかろう?」
「それは――」

 その静枝の物言いに困惑する外套の人物。そして――、

「すべてを終わりにしてくる――」

 そう言って黙ってその場を去る静枝。それを困った顔で外套の人物は見送った。


◆◇◆


 天元三年――、以前にも大風で倒壊し再建された羅城門は――、この時には荒れ放題であった。
 後の書にある「羅城門上層ニ登リテ死人ヲ見シ盗人ノ語」という話によれば、倒壊以前にはすでに荒廃しており、上層では死者が捨てられていたとされている。
 そして――この日、再び羅城門は倒壊する。
 後の書には暴風雨による倒壊とされたその倒壊によって羅城門は失われ――、それ以降再建されることはなかったといわれる。

「――!!」

 藤原兼家はあまりの事態に驚き目を見開く。羅城門の門下に入った瞬間、その周囲が燃え始めたのである。

「誰か!! 火を止めよ!!」

 そう叫ぶ兼家に従い検非違使たちが消火に走り回る。消化しないと兼家自身羅城門から逃げることが出来ないからである。
 ――その瞬間、兼家の周囲を警戒する者はいなくなる。それこそが――、

「――藤原兼家」
「?」

 不意に語かけられ――兼家が振り返る。そこに静枝が立っていた。

「むすめ? お前は――」
「兼家――、我らの恨みを知れ――」

 そういう娘の周りに――さらに見知らぬ女性たちが集まってくる。
 その光景を首をかしげて見つめる兼家。

 ――かくして、羅城門は大火に巻かれ――、悲しい復讐劇が始まる。