小倉直光――、この男、狩りが趣味であった。
その日、趣味の狩りをするべく、新たな狩場とされる三つ蛇岳のふもとにいた彼は、同行していた娘を狩りに集中するあまり迷子にさせてしまう。
――その姫は、馬からすら落馬し……、全身に傷を負って森を彷徨う羽目になり――、迷い歩く脚は霊山の奥へと向かっていた。
「――うう、父上……」
涙を流しながら霊山を彷徨い歩く姫の前に、突然強大な体躯の鎧武者のような妖魔が現れる。姫はあまりの恐怖に小便を漏らしながら腰を抜かした。
「ああ――、食べないで……ください」
「――」
「どうか――私はおいしくないです」
「――ふむ」
その妖魔は小さく頷くと娘に手を差し伸べる。恐る恐るその手を取った姫は――、
「あの――」
「その様子では――、妙な病気にかかるやもしれぬ……。わが屋敷に来るがいい」
妖魔はその体躯に似合わぬ優しい声で言ったのである。
◆◇◆
妖魔の屋敷にたどり着いて湯を貸してもらい――、衣服を着替えた姫は……妖魔に傷薬を塗られながら言う。
「あの――ありがとう……ございます。妖魔様――」
「いや――わしの名は”千脚大王”だ――」
「千脚? それは――」
「うむ――、これでも本体は大百足であるからな」
「む――百足!!」
その言葉に小さく悲鳴を上げて後退る姫。その態度に少し言葉を小さくして妖魔は言った。
「――ふ、やはり――わしは恐ろしいか?」
「あ――ごめんなさい!! そうではないのです!! 私は――蟲が大の苦手で……」
「むう――、わしは蟲そのものだから……。要はわしを恐れておることに違いはあるいまい?」
「あ――」
その妖魔の寂しそうな言葉に、姫は瞳に涙をためて言葉を返した。
「ごめんなさい!! 妖魔様!! ――助けてもらいながら……」
「いや――構わぬさ……。わしが勝手にしていることだ」
「――ごめん……なさい」
震えながらそう涙する姫に、妖魔は優し気に言った。
「フフ――、気にするでない。このわしは人に恐れられることには慣れている。所詮は年経ただけの百足――、常に嫌われるものだ……」
「――そんな」
姫は震えつつもその妖魔の手に触れる。その目には一杯涙をためていたが。
「怖いのなら――触れずとも好いぞ?」
「――いいえ、怖くありません!! 蟲は嫌いですが――、妖魔様は嫌いではありません!!」
明らかにやせ我慢する姫を見て――、千脚大王は優しげに笑った。
◆◇◆
「わ――遥か果てを見渡せる!! すごい妖魔様!!」
「ふふ――そんなに動くと落ちるぞ?」
姫は現在、千脚大王の肩に乗って霊山を降りている最中である。
すでに姫は妖魔を蟲だと恐れることもなく、その頭に手を置いて楽しげに笑っている。
「――この景色……もっと見ていたい」
「それは――、そうもいかぬだろう? おぬしの父上が待っておる」
「――もう一度、ここを訪ねていい?」
「――」
その姫の言葉に千脚大王は口ごもる。
「――それは――、無理であろうな……。この三つ蛇岳には”幾体もの龍神を喰らった恐ろしい大百足が住む”――と噂になっておる故」
「なぜ――そんなでたらめを?」
「――人とは……未知を恐れるものだ――。特にこのわしの体躯では」
その言葉を聞いて、姫は少し考えて言った。
「妖魔様は――、変化は出来ないの?」
「む? 多少はできるが――」
「ならば――、人に化けて都へといらしてください――。きっと私は貴方に恩返しを致します」
「しかし――」
そう口ごもる千脚大王に――、姫は楽しげに答えた。
「ならば――、人の姿にふさわしいお名前も考えないと――。そうですね――、とても静かな話し方をしますから”静寂”様――というのは?」
「静寂――」
それを聞いて千脚大王のその瞳は小さく光る。
「どうです?」
「――とても、良い名だ――」
心から楽し気な言葉を発する千脚大王――。こうして妖魔王・千脚大王は”静寂”となった。
◆◇◆
姫が森に迷い――、そして父親に助けられて幾月が経った。その後より姫は、どこかしらの男と逢瀬を重ねるようになった。
「――一体どこの誰だ? 調べよ!!」
小倉直光は怒り顔で配下の者に調べさせる。そして――、その逢瀬の相手が静寂という名であり、いつも都の外より姫のもとへと通っていることを知る。
そのような何処の馬の骨ともわからぬ輩に姫を渡すわけには――、そう考えていた直光は、かねてから進めていた婚姻話を強引に進める。
そして――あの日、
「父上――、なぜ話を聞いていただけないのです?!」
「は――、当然であろう? 貴様――どこの誰と会っておるのだ!!」
「それは――」
「嫁入り前でなんと破廉恥な――。このようなことが無きよう……お前は嫁に行かせる!!」
「そんな――」
姫は涙を流し――、父は怒りに震える――。そんな時――、
「直光さま――、門前に――」
「なんだ?」
配下の言葉に急いで門前に向かう直光。その直光の屋敷の門前に一人の男が跪いていた。
その男は門に向かって言った。
「小倉直光様――、わしは姫と幾度か会っていた男でございます。どうかお話をいたしたく――」
「ふん? 貴様が破廉恥な馬鹿を行った男か!! 話だと?」
「わしは真剣に姫を想うております――。どうか姫との間を――」
「認めろと? 馬鹿を言うな!!」
男の言葉に激しい叱責を返す直光。それでも男は頭を下げた。
「どうかこの通りでございます!! ――もはやわしは姫なしでは生きてはいけぬのです!!」
「しらんしらん!! 貴様のことなど知った事ではない!! 勝手に死ね!!」
「どうか――、どうか」
ただ頭を下げる男の方へと歩み寄った直光は、――その男を足蹴にした。
「う――」
「は!! この破廉恥な愚か者が!! 死ね!! 死んでしまえ!!」
「く――」
それでも男は無抵抗で足蹴にされる。それを見咎めて姫が走った。
「やめて!! 父上!! ――どうか静寂様を許して!!」
「は――知らん知らん!!」
「――父上!! こうなったら――」
不意に姫は思いつめた表情になる。それを足蹴にされる男――静寂は見咎めた。
「姫――いけない!!」
「父上!! 聞いてください!!」
姫は決意の表情で言う。それを見た直光は男を足蹴にするのを一瞬だけ辞める。そして――、
「父上――、私は――、私のお腹には」
「む? まさか――」
それは直光にとって最悪ともいえる事実。
「静寂様の――ややが宿っております」
「な!!」
あまりの事に目を見開く直光。そしてその目は一瞬で細くなった。
「この愚か者が!!」
――次の瞬間、その腰に差していた刀を直光は引き抜く。そして、それをこともあろうに姫に向かって振るった。
「姫!!」
静寂の悲鳴が門前に響く。――血しぶきが飛んだ。
「あ――」
いきなりの事態に意識を失う姫。それを見た静寂は――、
「貴様あああああああああああああああ!!」
直光に向かって怒りの咆哮を上げたのである。
その瞬間、変化が解けて巨大な体躯の武者へと変じる静寂。それを見て直光は腰を抜かした。
「娘を――、姫を切るとは――、貴様は――!!」
怒りに我を忘れる静寂はその腕を直光へと伸ばした。その瞬間――直光は叫ぶ。
「ああ!! 妖魔だ!! こ奴妖魔だぞ!! ――我が娘は妖術で惑わされていたのか!!」
「ぬ――」
その言葉に一瞬で静寂の怒りがさめた。
(――ああ、なんということ……、わしは結局――姫と父親の仲を壊して……)
彼はただ心の中で姫との出会いを後悔する。ただ救って――、何もせず返し――そして二度と会わぬのが正解であったのだろう。
「――く、わしは……」
その大きな体躯を小さくして項垂れる妖魔を見て、殺気立つ屋敷の兵たち――、そして直光も。
「早く術者や検非違使を呼べ――、この悪しき妖魔を殺すのだ!!」
「――」
この事態に、もはや生きる意味を失った千脚大王は、その場に跪く。
(――ああ、姫――、わしはおぬしとの逢瀬を知ってしまった――。それがもはや失われるのならば――)
――自分が生きている意味はないだろう。
妖魔の周囲を多くの兵が取り囲む。そして――、
「覚悟せよ!!」
兵達の声が響いた。
(――ああ、楽しかった――、生まれてから――初めての想いを知った。それだけでわしは幸福せであった――)
ただ姫を想って調伏を待つ妖魔に――、その耳に誰よりも知る声が聞こえた。
「だめええええええ!! 静寂様を殺さないで!!」
それはかの姫――、並ぶ兵達を目前に、手を広げて千脚大王を守る。
「姫――、ダメだ――、それでは」
「静寂様――大丈夫です。私が守ります」
「――」
あまりの事態にそれを見ていた直光が叫んだ。
「なんと愚かな――、完全に妖魔に取り込まれたか娘!!」
「父上――違います!! 私は――」
「妖魔の子をはらみ――、挙句にその心すら取り込まれたならば――」
直光は自分の娘であったモノに冷たい目を向けた。その意味を察して千脚大王は立ち上がった。
「いけない!! 姫!! こちらに!!」
「はい!! 静寂様!!」
その次の瞬間――、千脚大王はそのあまりにも巨大な源身――、大百足の正体を現した。
「あああああ!!」
その姿に腰を抜かす直光。
「ああ――、三つ蛇岳の――大百足?!」
「――」
その直光の言葉に答えることなく。姫を頭に乗せた大百足は、周囲の兵を蹴散らして都の門へと向かった。
「――姫……」
「は――はい」
少し震える姫に、千脚大王は優しい言葉をかける。
「わしの姿は――恐ろしいか?」
「は――はい、私は蟲が嫌いですから――、本当に恐ろしくて腰が抜けそうです」
「そうか――、すまんな……わしがこのような化け物で――」
「いいえ――静寂様」
その時、姫は確かに震える体で、目に涙をためながら”静寂”に向かって笑顔を向けた。
「蟲が怖くても――、その気持ち悪さはすぐに慣れます。そんな恐怖より――、私の静寂様への想いは強いのですから」
「ああ――姫」
その言葉に静寂は――、生まれて初めての涙を流す。そして――、
――その妖魔王は――、姫を命を懸けて守ると誓ったのである。
――そして、時は現在へと戻る。
その日、趣味の狩りをするべく、新たな狩場とされる三つ蛇岳のふもとにいた彼は、同行していた娘を狩りに集中するあまり迷子にさせてしまう。
――その姫は、馬からすら落馬し……、全身に傷を負って森を彷徨う羽目になり――、迷い歩く脚は霊山の奥へと向かっていた。
「――うう、父上……」
涙を流しながら霊山を彷徨い歩く姫の前に、突然強大な体躯の鎧武者のような妖魔が現れる。姫はあまりの恐怖に小便を漏らしながら腰を抜かした。
「ああ――、食べないで……ください」
「――」
「どうか――私はおいしくないです」
「――ふむ」
その妖魔は小さく頷くと娘に手を差し伸べる。恐る恐るその手を取った姫は――、
「あの――」
「その様子では――、妙な病気にかかるやもしれぬ……。わが屋敷に来るがいい」
妖魔はその体躯に似合わぬ優しい声で言ったのである。
◆◇◆
妖魔の屋敷にたどり着いて湯を貸してもらい――、衣服を着替えた姫は……妖魔に傷薬を塗られながら言う。
「あの――ありがとう……ございます。妖魔様――」
「いや――わしの名は”千脚大王”だ――」
「千脚? それは――」
「うむ――、これでも本体は大百足であるからな」
「む――百足!!」
その言葉に小さく悲鳴を上げて後退る姫。その態度に少し言葉を小さくして妖魔は言った。
「――ふ、やはり――わしは恐ろしいか?」
「あ――ごめんなさい!! そうではないのです!! 私は――蟲が大の苦手で……」
「むう――、わしは蟲そのものだから……。要はわしを恐れておることに違いはあるいまい?」
「あ――」
その妖魔の寂しそうな言葉に、姫は瞳に涙をためて言葉を返した。
「ごめんなさい!! 妖魔様!! ――助けてもらいながら……」
「いや――構わぬさ……。わしが勝手にしていることだ」
「――ごめん……なさい」
震えながらそう涙する姫に、妖魔は優し気に言った。
「フフ――、気にするでない。このわしは人に恐れられることには慣れている。所詮は年経ただけの百足――、常に嫌われるものだ……」
「――そんな」
姫は震えつつもその妖魔の手に触れる。その目には一杯涙をためていたが。
「怖いのなら――触れずとも好いぞ?」
「――いいえ、怖くありません!! 蟲は嫌いですが――、妖魔様は嫌いではありません!!」
明らかにやせ我慢する姫を見て――、千脚大王は優しげに笑った。
◆◇◆
「わ――遥か果てを見渡せる!! すごい妖魔様!!」
「ふふ――そんなに動くと落ちるぞ?」
姫は現在、千脚大王の肩に乗って霊山を降りている最中である。
すでに姫は妖魔を蟲だと恐れることもなく、その頭に手を置いて楽しげに笑っている。
「――この景色……もっと見ていたい」
「それは――、そうもいかぬだろう? おぬしの父上が待っておる」
「――もう一度、ここを訪ねていい?」
「――」
その姫の言葉に千脚大王は口ごもる。
「――それは――、無理であろうな……。この三つ蛇岳には”幾体もの龍神を喰らった恐ろしい大百足が住む”――と噂になっておる故」
「なぜ――そんなでたらめを?」
「――人とは……未知を恐れるものだ――。特にこのわしの体躯では」
その言葉を聞いて、姫は少し考えて言った。
「妖魔様は――、変化は出来ないの?」
「む? 多少はできるが――」
「ならば――、人に化けて都へといらしてください――。きっと私は貴方に恩返しを致します」
「しかし――」
そう口ごもる千脚大王に――、姫は楽しげに答えた。
「ならば――、人の姿にふさわしいお名前も考えないと――。そうですね――、とても静かな話し方をしますから”静寂”様――というのは?」
「静寂――」
それを聞いて千脚大王のその瞳は小さく光る。
「どうです?」
「――とても、良い名だ――」
心から楽し気な言葉を発する千脚大王――。こうして妖魔王・千脚大王は”静寂”となった。
◆◇◆
姫が森に迷い――、そして父親に助けられて幾月が経った。その後より姫は、どこかしらの男と逢瀬を重ねるようになった。
「――一体どこの誰だ? 調べよ!!」
小倉直光は怒り顔で配下の者に調べさせる。そして――、その逢瀬の相手が静寂という名であり、いつも都の外より姫のもとへと通っていることを知る。
そのような何処の馬の骨ともわからぬ輩に姫を渡すわけには――、そう考えていた直光は、かねてから進めていた婚姻話を強引に進める。
そして――あの日、
「父上――、なぜ話を聞いていただけないのです?!」
「は――、当然であろう? 貴様――どこの誰と会っておるのだ!!」
「それは――」
「嫁入り前でなんと破廉恥な――。このようなことが無きよう……お前は嫁に行かせる!!」
「そんな――」
姫は涙を流し――、父は怒りに震える――。そんな時――、
「直光さま――、門前に――」
「なんだ?」
配下の言葉に急いで門前に向かう直光。その直光の屋敷の門前に一人の男が跪いていた。
その男は門に向かって言った。
「小倉直光様――、わしは姫と幾度か会っていた男でございます。どうかお話をいたしたく――」
「ふん? 貴様が破廉恥な馬鹿を行った男か!! 話だと?」
「わしは真剣に姫を想うております――。どうか姫との間を――」
「認めろと? 馬鹿を言うな!!」
男の言葉に激しい叱責を返す直光。それでも男は頭を下げた。
「どうかこの通りでございます!! ――もはやわしは姫なしでは生きてはいけぬのです!!」
「しらんしらん!! 貴様のことなど知った事ではない!! 勝手に死ね!!」
「どうか――、どうか」
ただ頭を下げる男の方へと歩み寄った直光は、――その男を足蹴にした。
「う――」
「は!! この破廉恥な愚か者が!! 死ね!! 死んでしまえ!!」
「く――」
それでも男は無抵抗で足蹴にされる。それを見咎めて姫が走った。
「やめて!! 父上!! ――どうか静寂様を許して!!」
「は――知らん知らん!!」
「――父上!! こうなったら――」
不意に姫は思いつめた表情になる。それを足蹴にされる男――静寂は見咎めた。
「姫――いけない!!」
「父上!! 聞いてください!!」
姫は決意の表情で言う。それを見た直光は男を足蹴にするのを一瞬だけ辞める。そして――、
「父上――、私は――、私のお腹には」
「む? まさか――」
それは直光にとって最悪ともいえる事実。
「静寂様の――ややが宿っております」
「な!!」
あまりの事に目を見開く直光。そしてその目は一瞬で細くなった。
「この愚か者が!!」
――次の瞬間、その腰に差していた刀を直光は引き抜く。そして、それをこともあろうに姫に向かって振るった。
「姫!!」
静寂の悲鳴が門前に響く。――血しぶきが飛んだ。
「あ――」
いきなりの事態に意識を失う姫。それを見た静寂は――、
「貴様あああああああああああああああ!!」
直光に向かって怒りの咆哮を上げたのである。
その瞬間、変化が解けて巨大な体躯の武者へと変じる静寂。それを見て直光は腰を抜かした。
「娘を――、姫を切るとは――、貴様は――!!」
怒りに我を忘れる静寂はその腕を直光へと伸ばした。その瞬間――直光は叫ぶ。
「ああ!! 妖魔だ!! こ奴妖魔だぞ!! ――我が娘は妖術で惑わされていたのか!!」
「ぬ――」
その言葉に一瞬で静寂の怒りがさめた。
(――ああ、なんということ……、わしは結局――姫と父親の仲を壊して……)
彼はただ心の中で姫との出会いを後悔する。ただ救って――、何もせず返し――そして二度と会わぬのが正解であったのだろう。
「――く、わしは……」
その大きな体躯を小さくして項垂れる妖魔を見て、殺気立つ屋敷の兵たち――、そして直光も。
「早く術者や検非違使を呼べ――、この悪しき妖魔を殺すのだ!!」
「――」
この事態に、もはや生きる意味を失った千脚大王は、その場に跪く。
(――ああ、姫――、わしはおぬしとの逢瀬を知ってしまった――。それがもはや失われるのならば――)
――自分が生きている意味はないだろう。
妖魔の周囲を多くの兵が取り囲む。そして――、
「覚悟せよ!!」
兵達の声が響いた。
(――ああ、楽しかった――、生まれてから――初めての想いを知った。それだけでわしは幸福せであった――)
ただ姫を想って調伏を待つ妖魔に――、その耳に誰よりも知る声が聞こえた。
「だめええええええ!! 静寂様を殺さないで!!」
それはかの姫――、並ぶ兵達を目前に、手を広げて千脚大王を守る。
「姫――、ダメだ――、それでは」
「静寂様――大丈夫です。私が守ります」
「――」
あまりの事態にそれを見ていた直光が叫んだ。
「なんと愚かな――、完全に妖魔に取り込まれたか娘!!」
「父上――違います!! 私は――」
「妖魔の子をはらみ――、挙句にその心すら取り込まれたならば――」
直光は自分の娘であったモノに冷たい目を向けた。その意味を察して千脚大王は立ち上がった。
「いけない!! 姫!! こちらに!!」
「はい!! 静寂様!!」
その次の瞬間――、千脚大王はそのあまりにも巨大な源身――、大百足の正体を現した。
「あああああ!!」
その姿に腰を抜かす直光。
「ああ――、三つ蛇岳の――大百足?!」
「――」
その直光の言葉に答えることなく。姫を頭に乗せた大百足は、周囲の兵を蹴散らして都の門へと向かった。
「――姫……」
「は――はい」
少し震える姫に、千脚大王は優しい言葉をかける。
「わしの姿は――恐ろしいか?」
「は――はい、私は蟲が嫌いですから――、本当に恐ろしくて腰が抜けそうです」
「そうか――、すまんな……わしがこのような化け物で――」
「いいえ――静寂様」
その時、姫は確かに震える体で、目に涙をためながら”静寂”に向かって笑顔を向けた。
「蟲が怖くても――、その気持ち悪さはすぐに慣れます。そんな恐怖より――、私の静寂様への想いは強いのですから」
「ああ――姫」
その言葉に静寂は――、生まれて初めての涙を流す。そして――、
――その妖魔王は――、姫を命を懸けて守ると誓ったのである。
――そして、時は現在へと戻る。