SHRが終わるなり教室を出て、早足で通学路を歩いた。
 買い物に行くなら早く帰らなくてはいけないし、なにより琉夏を待たせている。
 そう思うと、のんびりしていられない。

 駆け足気味に山を登って、屋敷の前に着いた。
 今日はちゃんと整備された道を登ってきたから、昨日程は疲れていない。
 差し込んだ鍵を回して、重い扉を開く。

 「ただいまー!」

 近くにいたら聞こえるかな、と大きな声を出してみる。
 琉夏はどこにいるのだろうか。
 適当に待っていてとは言ったが、何をしているのか全く見当がつかない。

 探そうとすると、少し先でドアが開いた。
 出てきた琉夏は、私の顔を見てにこりと笑う。

 「おかえりなさい、心優さん。」

 「ただいま。何してたの?」

 近づいてきた琉夏にもう一度挨拶をしてから、首を傾げて聞く。
 琉夏が出てきたのは客室だ。特に面白いものはないと思うのだが。

 「掃除をしていました。勝手にすみません。」

 「ええ、こちらこそごめん、ありがとう。」

 すぐに答えた琉夏は、申し訳なさそうに眉を下げて謝った。
 昨日は客室は掃除しなかったから、やっておいてくれたのだろう。

 「他の部屋も、いくつかしたのですが……ご迷惑でしたか?」

 「ううん。すごく助かるよ! ありがとう。」

 正直に答えると、琉夏は安心したように、柔らかく笑った。
 綺麗な黒い髪に、小さなごみが付着しているのが目に入る。
 ちょっとごめん、と断ってから、琉夏の髪を梳いた。

 「もういいよ。」

 「……あ、ありがとうございます。」

 ごみがちゃんと取れたのを確認して、琉夏から手を離した。
 ぽかんとしていた琉夏は、私が摘まんだごみを見て察したようで、慌てて礼を言った。

 「髪は触覚がないので、気が付かないんです。すみません。」

 「そうだね。」

 琉夏は照れたように、細い指先で頬を掻いた。
 人間と同じように触覚を持っていて、その仕草だって、人間のようだ。

 こうしていると、琉夏を人間と間違えそうになることがある。
 まだ1日しか一緒にいないのに、既に何度も。

 これは、よくあることなのだろうか。
 それとも私が、アンドロイドに慣れていないだけだろうか。
 このまま2人で過ごしていれば、いつか琉夏をアンドロイドとして見れなくなってしまうのではないか――なんて。

 「どうか、しましたか?」

 「ううん、何でもない! 買い物行かないとね、準備してくるよ!」

 私がぼーっと琉夏の顔を見つめていたせいで、心配されてしまった。
 着替えてくるね、と一声かけてから、クローゼットへ向かう。
 琉夏はまだ不思議そうにしていたけれど、「わかりました。」と返事をしてくれた。




 一番近くのスーパーに行って、色々食材を買ってきた。
 オムライスの材料だけではなく、3日分くらい。

 同級生に会ったらどう説明しようかと思っていたが、幸い知り合いには遭遇しなかった。
 琉夏は買い物にも慣れている様子で、1人の時より楽に買い物ができた。
 
 荷物も殆ど持ってもらったし、今も琉夏が料理をしていて、私は呑気に課題をしている。
 手伝いたかったのだが、琉夏の手際があまりにもよくて何もできなかった。

 琉夏の様子を伺えるよう、何かあればすぐキッチンへ行けるよう、一応ダイニングで勉強している。
 そうは言っても琉夏はアンドロイドだ。ミスはしない。
 
 学習用のタブレット端末から顔を上げ、キッチンの方に目を向ける。
 琉夏はフライパンを使って、食材を炒めているようだ。
 任せっきりで、何だか申し訳ない。

 洗い物は私が頑張ろうかな、と決めて、再びタブレットに向き直る。
 まずは課題を終わらせなくては。

 英語は終わったのだが、数学の問題数が多い。
 得意な範囲だから苦戦はしないと思うが、数が多いと骨が折れる。

 なるべく琉夏と話したりしたいし、琉夏が料理をしている間に終わらせておきたい。


 「――心優さん。」

 「わっ……びっくりした。」

 暫く集中して取り組んでいると、いつの間にか隣に琉夏が座っていた。
 驚いて顔を上げると、琉夏は私を見てくすりと笑った。

 「熱心ですね。」

 「ごめん、早く終わらせたくて……。」

 柔らかく微笑んだ琉夏は「ご飯できましたよ。」と教えてくれた。
 手際がいいから早いのだろうなと思いながら、「ありがとう。」と礼を言う。

 「終わりそうですか?」

 「丁度終わったよ。」

 タブレットカバーを閉じると、琉夏はキッチンへ戻っていった。
 すぐにダイニングに戻ってきて、私の前にお皿を置いてくれた。

 「お疲れさまでした。どうぞ。」

 「ありがとう。……美味しそう!」

 お皿の中央にはふんわりとしたオムライスと、それに添えられたサラダが乗っている。
 黄色い卵の上には、ケチャップで猫の絵が描いてあった。

 「可愛いねこれ。すごい!」

 「ありがとうございます。」

 湯気の立つスープの器を置いて、琉夏は私の前の席に座った。
 野菜が沢山入っているスープも、かなり美味しそう。
 美味しそうな上に可愛くしてあるなど、どれだけ料理が得意なんだ。

 「琉莉が、猫好きなんですよ。カフェで猫のラテアートを頼んでいたので、真似してたんです。」

 「真似でこれできるって……すごすぎるよ。」

 型でも使ったのかな、と思う程綺麗な猫型。
 アンドロイドだからできるのだろうか。それとも、琉夏だからできるのだろうか。

 「ありがとうございます。どうぞ、召し上がってください。」

 「ありがとう。いただきます。」

 手を合わせてから、スプーンを持つ。
 オムライスを1口分取ると、本当に中身が白色だった。
 すごく違和感があるな、などと思いながら、口に運んでみる。

 「どう……ですか?」

 私が飲み込んだのを見て、琉夏が様子を伺ってくる。
 オムライスを見ていた視線を琉夏に向け、感想を伝えた。

 「美味しい……すごく美味しいよ!」

 「美味しいですか! 嬉しいです。」

 言葉の通り、琉夏は嬉しそうに笑った。
 本当に美味しい。
 初めて食べたが、普通のオムライスと同じくらい――いや、それより美味しいかもしれない。

 「マヨネーズだけじゃなくて胡椒効いてるの、好きかも。」

 「そうですか!? 琉莉が『何か物足りない』って言って、2人で試行錯誤したんです。」

 もう1口食べて言うと、琉夏はますます嬉しそうに顔を輝かせた。
 マヨネーズの風味や、玉ねぎが少し大きめに切ってあるのも美味しい。
 味わいながらもう一度「美味しいよ。」と言う私を、琉夏は嬉しそうに笑って見ている。

 「琉莉さんも料理得意だったんだ?」

 「いえ、琉莉は料理できませんよ? 琉莉が食べて、感想を基に僕が改良していたんです。」

 「そっか。」

 琉莉さんは食べる専門だったのか。
 何気なく聞いておいてようやく、琉夏には味がわからないことに気が付いた。
 
 食事ができない。物を口に含むことはできるが、飲み込めない。
 味覚もない。誤飲を防ぐために搭載されなかったらしい。

 あんなに楽しそうに料理をするのに。
 あんなに嬉しそうに琉莉さんと食事を話してくれるのに。
 こんなに嬉しそうに、食べている私を見ているのに。
 こんなに嬉しそうに、私の感想を聞くのに。

 私はこれを“琉莉さんとの思い出の味”と言ったけれど。
 琉夏にはそれが、わからないんだ。

 琉夏は、どこまでも人間らしくて。
 人間と同じように触覚があって、人間と同じような仕草をする。
 けれどやっぱりアンドロイドで、人間とは違うんだ。