雨の日だった。
 年に何度かしか降らないような大雨が、私の傘を叩いていた。

 今、このあたりは警報が出ているらしい。
 そりゃあこんな雨なら、出てもおかしくない。

 傘があっても意味ないんじゃない? と言いたくなってしまうような大雨なのだから。
 お陰で2限終了後に下校できたのは有難いが、不満がないわけではない。

 頭の上で鳴っている音が、煩い。
 傘の上を跳ねる雨音を楽しみながら、ゆっくりと帰るのが好きだ。
 なのにこんな大雨では、折角の雨音も台無しではないか。

 いつもは上品なピアノ曲のようなのに、今日は――両手でバーンっと、がむしゃらに鍵盤を叩きつけているかのようだ。

 冷める。
 雨に濡れた空気に、身体が。最悪の音楽に、心が。冷める。

 私は少し速度を上げて、早足に家へ向かった。
 足を着く度になるはずの、水の跳ねるぴちゃっという音も、聞こえない。
 ローファーにしみ込んだ水で、爪先が、冷める。

 通りを抜けると、目の前には大きな山。
 曲がって、山に沿うように歩く。

 道路は完璧に整理されているが、流石に山は自然のままの状態。
 私が歩いているのは、濡れた道路。
 けれどすぐ横に目線を抜けると、水を含んで粘り気の出た土と、それを覆うように茂っている草木。

 早く建物に入りたい。
 そして、早く、ここを通り過ぎたい。

 そう、強く思って、更に足を早めた。

 私は、山が好きではない。いや、嫌いだ。
 何故なら山はある場所として、最近問題視されているから。

 山は――家庭用アンドロイドが捨てられる場所。
 いらなくなったアンドロイドが、不法投棄される場所。

 アンドロイドが一般家庭に普及したのは、いまから大体10年程前らしい。
 最初は価格も高く、必要性もあまり感じられなかったらしいが、今では大半の家に1代はアンドロイドがいる。

 家庭用、業務用に様々なアンドロイドがいるが、一般家庭用は愛玩用のアンドロイド。
 美男美女型であることが多く、ある程度は不自由なく身体を動かせるため、一緒に遊んだり、家事を手伝ってもらうこともできる万能型。
 愛玩用、といいながらも、人間にできることは、大抵なんでもできる。

 ペットのような感覚の人、家族として可愛がる人もいれば、家事を代行させ、召使のように扱う人もいる。
 そうやって様々な家庭で、様々なアンドロイドが暮らし始めたのが、約10年前。

 今もそれは変わらないが、新たな問題が浮上し始めた。
 それが、アンドロイドの不法投棄問題。

 流行っていたから買ったけど、飽きた。
 電気代が嵩む。
 思っていたほど可愛くなかった。
 他の子がほしくなった。

 アンドロイドの普及率が上がる一方、そんな様々な理由で手放す人も多くなっているらしい。

 但し、アンドロイドの廃棄にも勿論お金がかかる。
 故に主流となってしまった廃棄の仕方が――山に不法投棄する方法だった。

 だから私は、山が苦手なのだ。
 この山にも、誰かが捨てられるかもしれない。

 もし、もう動かなくなったアンドロイドが――アンドロイドの死体が落ちていたら、どうすればいいかわからない。
 怖いに決まっている。絶対遭遇したくない。

 少し前まではよく山に入って休日を過ごしていたが、もうそれもないだろう。
 横を通るのでさえ、嫌なのだから。


 ――なのに、出会ってしまった。
 こんなことを考えていたからだろうか。

 すぐ傍、山に入ってすぐ、数メートル先で、木にもたれかかるようにして、座っている人がいる。

 雨に濡れていることも気にせず、眠っているのか目を閉じている男の人。
 ここからでは人間にしか見えないが、間違いなくアンドロイドだろう。

 私有地に捨てるな。
 捨てるなら、せめてもっと奥、人目につかないところにしてよ。
 こんな、誰でも見つけられるような場所に、捨てないでほしい。

 ……無視したい。見なかったことにしたい。
 けれどそういうわけにはいかず、意を決してその人――アンドロイドに近づいた。

 黒い髪をした、背の高いアンドロイドだった。
 長袖の服を着ていて関節は見えないが、シミひとつない色白の肌は人間のものではなさそうだ。
 それに、人間なら雨の中、こんなところで眠ったりしない。

 「あのー……大丈夫ですか?」

 一応声をかけて、そっと頬に触れた。
 雨で冷えた肌は、シリコンの触り心地。
 うん、やっぱりアンドロイド。
 見た所外傷はなく、壊れているわけではなさそうだ。

 「聞こえるかな?起きてー?」

 内側が壊れていない限りは、起きる可能性は十分にある。
 まだ捨てられて間もないのなら、スリープモードに入っているだけ。
 もし、捨てられて1週間経ってしまっているのなら、もう彼は起きないのだが。

 「え、大丈夫だよね、起きるよね?」

 少し肩を揺すって、刺激を与えてみる。
 彼の眉と瞼が、少し動いた。

 それから、静かに瞼が上がる。
 本当はごく僅かな機械音が鳴っているのだろうが、雨音にかき消されて聞こえない。
 精巧な作りで、カメラとは思えない水色の瞳が、真っ直ぐに私を捉えた。

 「――おはよう。」

 彼は口を動かして、内部から音声を出す。
 抑揚も不自然でない、本当の人間のようだ。

 水色の瞳が観察するように私を見る。
 整った眉が下がって、困ったような顔を作った。

 「琉莉――マスターじゃない。はじめまして、ですね?」

 さっきまでタメ口だったのに、急に敬語になった。
 てっきりタメ口で学習されているのかと思ったが、違ったか。

 「私は心優(こころ)。はじめましてだよ。」

 「マスターのお知り合いですか?」

 不思議そうに聞いてくる彼に、私は無言で首を振る。

 「どちら様でしょう?それに……見たことのない場所、です。」

 多分彼は、捨てられたことにまだ気づいていない。
 どう伝えようか迷って――確認の形を取ることにした。

 「君の、個人データを参照してみてくれる? マスター登録のところ。」

 「……わかりました。」

 彼は目を閉じて、素直にデータを参照してくれる。

 アンドロイドには、感情がある。
 プログラムされた感情が。主人と一緒に育て、複雑化した感情が。
 きっと目を開けた時、彼は悲しむ。

 「……どうかな。」

 恐る恐る問いかけると、彼は静かに目を開いた。
 水色の目を丸くして、不安そうに私を見てくる。

 「琉莉の名前が、ありません。マスターの名を、記録するはずの場所が、空白になっています。」

 「やっぱりね。」

 もしまだ主人登録が外されていなかったら、彼がただの迷子なら、どれほどよかっただろうか。
 そんな都合のいいことは、勿論なかった。

 「どういうことでしょうか。わかりますか、心優さん?」

 私が言わなくてもそれくらい、察してくれ。
 きっと彼も、とうに察しているのだろう。けれど、信じられないのだきっと。
 ならば言おう。言える人は、私しかいない。

 「言い辛いんだけど、君は――捨てられたんだよ。」

 彼は一層目を見開いて、閉じた。
 ごく僅かな時間そうした後、もう1度私を見る。

 「――そう、ですか。」

 彼はそう言って、再び目を閉じた。
 目を閉じて、唇を釣り上げて、機械的に、綺麗に笑った。