昼食を食べ終えたわたしたちは、再びタクシーに乗って次の目的地へと向かった。間崎教授が運転手に告げた場所は「岩屋寺」だ。
「秋はもみじだけだと思っているだろう」
わたしは首を傾げた。だって、今日は「もみじ狩り」だ。もみじ以外に何を見るのだろう。
「次行く場所はイチョウがきれいなんだよ」
「へーっ、イチョウですか」
大学のキャンパスにもイチョウはあるから、その美しさは知っている。だけど、秋といえばもみじというイメージが強くて、わざわざイチョウを見にいく発想はなかった。タクシーの揺れに合わせるように、期待で胸が跳ねる。
20分ほど経つ頃には、進む先にかすかに黄色が見えてきた。あっ、と思ったと同時にタクシーが停まる。
駆け寄ると、もみじとイチョウが美しく混じり合っていた。それだけではなく、もみじの葉一枚一枚にも黄色やオレンジ、赤色など、さまざまな色がついている。一歩進むたび、地面に落ちた葉がサクサクと乾いた音を立てた。上にも下にも色が溢れている。
こんなに美しいのに、毘沙門堂と違って周囲に人の姿は見えない。大通りから離れているせいだろうか。風が葉を揺らす音が、先ほどよりも鮮明に聞こえる。
振り返ると、タクシーを降りた教授がこちらに近づいてくるところだった。
「最高?」
「最高です! ここならゆっくり写真が撮れそうです」
そうでしょう、よかった。教授が満足そうに笑った。わたしはカメラを手に取り、何度もシャッターを切っていった。毘沙門堂も美しかったけれど、ここはまた違ったすばらしさがある。
よく見ると、周囲にはいたるところに句碑が建てられていた。そのうちの一つに近づいていくと、「塵ほどの時雨に逢ふも京の寂 照海」と書かれている。
すぐそばには岩屋寺へと続く石段があった。上っていくと、そこには建物がいくつか、それと、小さな池があった。ここにも人の姿はない。どこからかみゃお、と鳴き声が聞こえ、小さな猫が目の前を横切った。岩屋寺に住んでいる猫だろうか。人がいないからこそ、のびのびと散歩を楽しんでいるのかもしれない。あまり知られていない場所なんだ、と教授が言った。
「赤穂事件を知っているかい」
「もちろんです。教科書にも出てくるし……忠臣蔵のドラマも何本か見ました」
赤穂事件、通称「忠臣蔵」。わたしくらいの世代でも、その名前を知っている人は多いだろう。
江戸時代、赤穂藩主である浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が、江戸城本丸「松の廊下」で吉良上野介(きらこうずけのすけ)を斬りつける事件が起きた。これにより浅野内匠頭は切腹、赤穂藩も取り潰しとなったが、吉良上野介は傷も浅く、何のお咎めもなかった。これを不服とした赤穂藩の旧藩士たちは、主君の仇討ちとして吉良を討ち取ることを決めた。大石内蔵助(おおいしくらのすけ)ら47名の藩士は、浅野の月命日でもある12月14日に吉良邸へ討入りし、その首をとったのだという。
「評価は分かれるみたいですけど、わたしは感動的な話だと思います。主君への忠誠心が感じられて」
「岩屋寺は大石内蔵助が隠棲していた場所で、大石寺とも呼ばれているんだ」
「そうなんですか? わたし、忠臣蔵もだいすきなんです」
「だろうと思った」
「どうして?」
「新選組や坂本龍馬がすきだと言っていたから。こういうのも気に入るかと思って」
わたしのためにこの場所を選んでくれたのか。そう考えたら急に恥ずかしくなって、思わず目を逸らしてしまった。そういえば去年も、ハートのあじさいを見せるために三室戸寺に連れていってくれたり、遠回しに八坂庚申堂に行くよう誘導してくれたりしたっけ。そういう気遣いは、素直に嬉しい。
教授といると、どんどん自分の世界が広がっていく。知識が増え、すきな場所が増える。素敵だ。それはとても、素敵なことだ。
もしわたしが京都に来なかったら、どうなっていただろう。地元がきらいなわけではないけれど、きっとわたしの世界は狭いままだっただろう。変わらない交友関係。変わらない日常。それを変えてくれたのは京都と、この人だ。
受付を済ませて堂内に入った。本尊である「大聖不動明王」は、毎年12月14日から翌年1月28日の間のみにご開帳されるらしい。さらに右奥へ進んでいくと、そこにはたくさんの位牌が祀られていた。
「もしかして、これって……」
「そう。赤穂事件で活躍した四十七士の位牌だよ」
「こんなに貴重なものが祀られているんですね」
壬生寺や八木邸、寺田屋に行った時も思ったけれど、ドラマで見ているとなんとなくフィクションのように感じていたものが、ゆかりの地に足を運ぶことによって一気に現実味を帯びていく。事実を分かりやすく伝えるためにドラマや映画を作るのに、それによって架空の出来事のように感じるなんて、矛盾しているような気もするけれど。
「戒名の上には自刃を意味する『刃』、下には討ち入りを意味する『剱(けん)』の文字が刻まれている。ここには『必ず本懐を遂げよう』という、志士たちの強い意志が表れているんだよ」
「そんなに深い意味があるんですね……あれ?」
じっくりと位牌を眺めていたら、ふと違和感が降ってきた。
「教授、この人だけ『刃』の文字がないです」
わたしは左端にある寺坂吉右衛門(きちえもん)の位牌を指差した。教授はああ、とうなずいて、「赤穂事件で唯一生き残った人物だよ」と言った。
「大石内蔵助は、『もしこの位牌が見つかったらどうなるのか』ということを考えた。自分たちが切腹してしまったあと、幕府により位牌を探し出されるかもしれない。それを免れるためにも、寺坂吉右衛門を生き延びさせ、位牌を隠し守らせた、という説があるんだ」
「そんな話、全然知りませんでした。教科書にも書かれていないし、学ぶ機会もないから」
「彼らは忠義を尽くした一方で、人を殺めているからね。だが、大石内蔵助は常に一歩先のことを考え行動する力を備えていた。彼の生き様はもっと知られるべきだと思うよ」
隣の部屋には、大石内蔵助が実際に愛用していた手槍や薙刀、鎖襦袢などが置かれていた。どれもレプリカではなく本物だ。まるで今もここで生活しているかのように感じる。
ガラス越しに展示されている掛け軸が目に入った。墨で描いた鳥の絵とともに、和歌が添えられている。
「濁江のにごりに魚のひそむともなどかはせみの捕らで止むべき」
わたしの視線を追って、教授が読み上げた。
「大石内蔵助がなじみのお茶屋に頼まれて、この掛け軸に文章をつけた。それがこの和歌だ」
「どんな意味なんですか?」
「たまには自分で考える。文学部でしょう」
痛いところを突かれて言葉に詰まった。一緒にいると、つい教授を頼りたくなってしまうのが、わたしの悪い癖だ。
目を細めて、その掛け軸をじっと見つめた。歌の中に「かわせみ」とあることから、きっと描かれた鳥はカワセミなのだろう。そんなに難しい歌ではないけれど、大石内蔵助が読んだのなら、きっと裏の意味があるはずだ。
「ヒント。カワセミは魚を見つけたら百発百中で仕留める」
「うーん……あっ、どれだけ濁った水の中にいてもカワセミが魚を仕留めるように、吉良がどこにいても必ず仕留める、って感じでしょうか」
「……まぁ、この和歌はそんなに難しくなかったから」
「わたしに間違えてほしかったんですか?」
正解を答えたのに、不満そうな顔をされる理由が分からない。膨大な知識を持っているくせに、なぜ子供っぽいことをするのだろう。きっとこんな一面、他の学生たちは知らないだろう。
すぐそばには「風さそう花よりもなお我はまた春の名残を如何にとかせん」という、浅野内匠頭の辞世の句も飾られていた。昔の人は、死の間際にもこうして歌を詠むのか。それはどんな気持ちだろう。現代の人だったらSNSにつぶやくような感覚なのだろうか。今しか知らないわたしには、想像することしかできない。
貴重な品を見たあとは、廊下を渡ってさらに奥の建物に入った。先ほど訪れた場所と同じく、その建物も「毘沙門堂」というらしい。
そこには四十七士の木像が安置されていた。よく見ると、あたりまえだけれど一つ一つ顔が違う。生前の面影を色濃く映しているのだろう。
木造の前には木の板が二つかけられており、片方には「萬山不重君恩重」、もう片方には「一髪不軽我命軽」と書かれていた。
「『万山重からず君恩は重し、一髪軽からず我命は軽し』。大石内蔵助愛用の小刀の鞘に書かれていた対句だ」
「たくさんの山よりも主君への忠義の方が重い、わたしの命は髪の毛一本よりも軽い……」
ぎこちなく訳してみると、教授は「そうだよ」と言った。わたしはもう一度心の中で繰り返し、その意味を考えた。どれだけ読み返しても、共感することは難しい。
「今と昔じゃずいぶん人の考え方が変わったような気がします。流れる空気、っていうんでしょうか。今の日本人だったら、たとえ尊敬する人のためでも命を投げ出すようなことはできないなぁって……」
「一度決めたことをやり抜く力、先を見越して行動する力のようなものが強かったんだろう。昔は今のように平和でもないから……。今を貴重な時間だと自覚してごらん。きっと、生き方が変わるよ」
「貴重な時間、ですか」
そう語る教授の横顔は、いつかの時のようにさみしく映った。この人は、時折こんな顔をする。過ぎた時間を後悔しているような、切なさを感じる。わたしに語りかけるその言葉も、すべて自分に言い聞かせているように思う時がある。
わたしは、ちゃんと成長しているだろうか。カメラを買っただけで満足してはいないだろうか。時間は有限であり、大切な時間もきっとすぐに消えてしまうだろう。だからこそ、今できることを行わなければ。そう思いながら、わたしは本堂を出た。
「あっ、待ってください」
先に石段を下りようとする教授を呼び留める。わたしがカメラを構えると、教授はすぐに察して脇に逸れてくれた。来る時にくぐった門から鮮やかなもみじが顔を出し、やわらかく風に揺れている。
将来のことなんてまだ分からない。昔の人たちのように、主君に命を捧げることもできやしない。だけどこの限りある命を、今日という日を生き抜くために使おうと誓った。
「秋はもみじだけだと思っているだろう」
わたしは首を傾げた。だって、今日は「もみじ狩り」だ。もみじ以外に何を見るのだろう。
「次行く場所はイチョウがきれいなんだよ」
「へーっ、イチョウですか」
大学のキャンパスにもイチョウはあるから、その美しさは知っている。だけど、秋といえばもみじというイメージが強くて、わざわざイチョウを見にいく発想はなかった。タクシーの揺れに合わせるように、期待で胸が跳ねる。
20分ほど経つ頃には、進む先にかすかに黄色が見えてきた。あっ、と思ったと同時にタクシーが停まる。
駆け寄ると、もみじとイチョウが美しく混じり合っていた。それだけではなく、もみじの葉一枚一枚にも黄色やオレンジ、赤色など、さまざまな色がついている。一歩進むたび、地面に落ちた葉がサクサクと乾いた音を立てた。上にも下にも色が溢れている。
こんなに美しいのに、毘沙門堂と違って周囲に人の姿は見えない。大通りから離れているせいだろうか。風が葉を揺らす音が、先ほどよりも鮮明に聞こえる。
振り返ると、タクシーを降りた教授がこちらに近づいてくるところだった。
「最高?」
「最高です! ここならゆっくり写真が撮れそうです」
そうでしょう、よかった。教授が満足そうに笑った。わたしはカメラを手に取り、何度もシャッターを切っていった。毘沙門堂も美しかったけれど、ここはまた違ったすばらしさがある。
よく見ると、周囲にはいたるところに句碑が建てられていた。そのうちの一つに近づいていくと、「塵ほどの時雨に逢ふも京の寂 照海」と書かれている。
すぐそばには岩屋寺へと続く石段があった。上っていくと、そこには建物がいくつか、それと、小さな池があった。ここにも人の姿はない。どこからかみゃお、と鳴き声が聞こえ、小さな猫が目の前を横切った。岩屋寺に住んでいる猫だろうか。人がいないからこそ、のびのびと散歩を楽しんでいるのかもしれない。あまり知られていない場所なんだ、と教授が言った。
「赤穂事件を知っているかい」
「もちろんです。教科書にも出てくるし……忠臣蔵のドラマも何本か見ました」
赤穂事件、通称「忠臣蔵」。わたしくらいの世代でも、その名前を知っている人は多いだろう。
江戸時代、赤穂藩主である浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が、江戸城本丸「松の廊下」で吉良上野介(きらこうずけのすけ)を斬りつける事件が起きた。これにより浅野内匠頭は切腹、赤穂藩も取り潰しとなったが、吉良上野介は傷も浅く、何のお咎めもなかった。これを不服とした赤穂藩の旧藩士たちは、主君の仇討ちとして吉良を討ち取ることを決めた。大石内蔵助(おおいしくらのすけ)ら47名の藩士は、浅野の月命日でもある12月14日に吉良邸へ討入りし、その首をとったのだという。
「評価は分かれるみたいですけど、わたしは感動的な話だと思います。主君への忠誠心が感じられて」
「岩屋寺は大石内蔵助が隠棲していた場所で、大石寺とも呼ばれているんだ」
「そうなんですか? わたし、忠臣蔵もだいすきなんです」
「だろうと思った」
「どうして?」
「新選組や坂本龍馬がすきだと言っていたから。こういうのも気に入るかと思って」
わたしのためにこの場所を選んでくれたのか。そう考えたら急に恥ずかしくなって、思わず目を逸らしてしまった。そういえば去年も、ハートのあじさいを見せるために三室戸寺に連れていってくれたり、遠回しに八坂庚申堂に行くよう誘導してくれたりしたっけ。そういう気遣いは、素直に嬉しい。
教授といると、どんどん自分の世界が広がっていく。知識が増え、すきな場所が増える。素敵だ。それはとても、素敵なことだ。
もしわたしが京都に来なかったら、どうなっていただろう。地元がきらいなわけではないけれど、きっとわたしの世界は狭いままだっただろう。変わらない交友関係。変わらない日常。それを変えてくれたのは京都と、この人だ。
受付を済ませて堂内に入った。本尊である「大聖不動明王」は、毎年12月14日から翌年1月28日の間のみにご開帳されるらしい。さらに右奥へ進んでいくと、そこにはたくさんの位牌が祀られていた。
「もしかして、これって……」
「そう。赤穂事件で活躍した四十七士の位牌だよ」
「こんなに貴重なものが祀られているんですね」
壬生寺や八木邸、寺田屋に行った時も思ったけれど、ドラマで見ているとなんとなくフィクションのように感じていたものが、ゆかりの地に足を運ぶことによって一気に現実味を帯びていく。事実を分かりやすく伝えるためにドラマや映画を作るのに、それによって架空の出来事のように感じるなんて、矛盾しているような気もするけれど。
「戒名の上には自刃を意味する『刃』、下には討ち入りを意味する『剱(けん)』の文字が刻まれている。ここには『必ず本懐を遂げよう』という、志士たちの強い意志が表れているんだよ」
「そんなに深い意味があるんですね……あれ?」
じっくりと位牌を眺めていたら、ふと違和感が降ってきた。
「教授、この人だけ『刃』の文字がないです」
わたしは左端にある寺坂吉右衛門(きちえもん)の位牌を指差した。教授はああ、とうなずいて、「赤穂事件で唯一生き残った人物だよ」と言った。
「大石内蔵助は、『もしこの位牌が見つかったらどうなるのか』ということを考えた。自分たちが切腹してしまったあと、幕府により位牌を探し出されるかもしれない。それを免れるためにも、寺坂吉右衛門を生き延びさせ、位牌を隠し守らせた、という説があるんだ」
「そんな話、全然知りませんでした。教科書にも書かれていないし、学ぶ機会もないから」
「彼らは忠義を尽くした一方で、人を殺めているからね。だが、大石内蔵助は常に一歩先のことを考え行動する力を備えていた。彼の生き様はもっと知られるべきだと思うよ」
隣の部屋には、大石内蔵助が実際に愛用していた手槍や薙刀、鎖襦袢などが置かれていた。どれもレプリカではなく本物だ。まるで今もここで生活しているかのように感じる。
ガラス越しに展示されている掛け軸が目に入った。墨で描いた鳥の絵とともに、和歌が添えられている。
「濁江のにごりに魚のひそむともなどかはせみの捕らで止むべき」
わたしの視線を追って、教授が読み上げた。
「大石内蔵助がなじみのお茶屋に頼まれて、この掛け軸に文章をつけた。それがこの和歌だ」
「どんな意味なんですか?」
「たまには自分で考える。文学部でしょう」
痛いところを突かれて言葉に詰まった。一緒にいると、つい教授を頼りたくなってしまうのが、わたしの悪い癖だ。
目を細めて、その掛け軸をじっと見つめた。歌の中に「かわせみ」とあることから、きっと描かれた鳥はカワセミなのだろう。そんなに難しい歌ではないけれど、大石内蔵助が読んだのなら、きっと裏の意味があるはずだ。
「ヒント。カワセミは魚を見つけたら百発百中で仕留める」
「うーん……あっ、どれだけ濁った水の中にいてもカワセミが魚を仕留めるように、吉良がどこにいても必ず仕留める、って感じでしょうか」
「……まぁ、この和歌はそんなに難しくなかったから」
「わたしに間違えてほしかったんですか?」
正解を答えたのに、不満そうな顔をされる理由が分からない。膨大な知識を持っているくせに、なぜ子供っぽいことをするのだろう。きっとこんな一面、他の学生たちは知らないだろう。
すぐそばには「風さそう花よりもなお我はまた春の名残を如何にとかせん」という、浅野内匠頭の辞世の句も飾られていた。昔の人は、死の間際にもこうして歌を詠むのか。それはどんな気持ちだろう。現代の人だったらSNSにつぶやくような感覚なのだろうか。今しか知らないわたしには、想像することしかできない。
貴重な品を見たあとは、廊下を渡ってさらに奥の建物に入った。先ほど訪れた場所と同じく、その建物も「毘沙門堂」というらしい。
そこには四十七士の木像が安置されていた。よく見ると、あたりまえだけれど一つ一つ顔が違う。生前の面影を色濃く映しているのだろう。
木造の前には木の板が二つかけられており、片方には「萬山不重君恩重」、もう片方には「一髪不軽我命軽」と書かれていた。
「『万山重からず君恩は重し、一髪軽からず我命は軽し』。大石内蔵助愛用の小刀の鞘に書かれていた対句だ」
「たくさんの山よりも主君への忠義の方が重い、わたしの命は髪の毛一本よりも軽い……」
ぎこちなく訳してみると、教授は「そうだよ」と言った。わたしはもう一度心の中で繰り返し、その意味を考えた。どれだけ読み返しても、共感することは難しい。
「今と昔じゃずいぶん人の考え方が変わったような気がします。流れる空気、っていうんでしょうか。今の日本人だったら、たとえ尊敬する人のためでも命を投げ出すようなことはできないなぁって……」
「一度決めたことをやり抜く力、先を見越して行動する力のようなものが強かったんだろう。昔は今のように平和でもないから……。今を貴重な時間だと自覚してごらん。きっと、生き方が変わるよ」
「貴重な時間、ですか」
そう語る教授の横顔は、いつかの時のようにさみしく映った。この人は、時折こんな顔をする。過ぎた時間を後悔しているような、切なさを感じる。わたしに語りかけるその言葉も、すべて自分に言い聞かせているように思う時がある。
わたしは、ちゃんと成長しているだろうか。カメラを買っただけで満足してはいないだろうか。時間は有限であり、大切な時間もきっとすぐに消えてしまうだろう。だからこそ、今できることを行わなければ。そう思いながら、わたしは本堂を出た。
「あっ、待ってください」
先に石段を下りようとする教授を呼び留める。わたしがカメラを構えると、教授はすぐに察して脇に逸れてくれた。来る時にくぐった門から鮮やかなもみじが顔を出し、やわらかく風に揺れている。
将来のことなんてまだ分からない。昔の人たちのように、主君に命を捧げることもできやしない。だけどこの限りある命を、今日という日を生き抜くために使おうと誓った。