9月下旬になっても暑さは一向にやわらぐ気配を見せず、クーラーに頼る日々が続いていた。

気づけばあと1週間ほどで夏休みも終わるというのに、結局がっつり出かけたのは間崎教授と壬生に行った日くらいだ。みっちゃんと会う時はお互いの部屋が多く、夏休みらしいことはあまりできなかった気がする。

だけど、後期の講義が始まってしまったらなかなか頻繁には出かけられない。この貴重な時間をなんとか充実させなければいけない、と、日焼け止めクリームをたっぷりと全身に塗りたくり、わたしは意を決してまだまだ強い太陽光の下に飛び出した。





京阪出町柳駅の改札前に行くと、そこにはすでに間崎教授の姿があった。

「遅い」

わたしを見て、挨拶代わりに一言投げつける。「あーすいませんすいません」と軽くいなして、改札にICカードをタッチした。暑さに苦手な教授がまたもや付き合ってくれたのだ、こんなことくらいで腹を立ててはいけない。わたしもだいぶ大人になった。

出町柳駅から中書島駅までは20分ほどで到着する。普段はなかなかこちらまでは来ないので、同じ京都市なのに、まるで見知らぬ土地に来たような感覚を味わう。京都に来て約1年半が過ぎたけれど、まだまだ知らないことは多いし、行っていない場所も多い。

「この間は新選組、今度は坂本龍馬……夏休みは充実していたようだな」

教授は暑さに顔をしかめながら、地図も見ずに小道を歩いていく。わたしにとっては知らない場所でも、教授にとってはなじみのある場所だ。

「在宅学習と言ってください。別に引きこもってばかりいたわけじゃないですよ。ちゃんと学生らしくアルバイトにも励んでいました」

「ああ、あの祇園の」

わたしのアルバイト先である「花の」は、夏休みだと帰省する学生が多く、この時期は人手が足りていない。結局わたしも帰省したのは1週間だけで、あとはひたすらシフトを入れてこつこつとお金を稼いでいたというわけだ。

「もうすぐ目標額が貯まるんです。やっぱり紅葉は新しいカメラで撮りたいなぁって」

「それはいいね。今年の紅葉の写真は、去年よりさらに期待できそうだ」

急に機嫌をよくした教授を見て、しまった、と思った。自分でハードルを上げてしまった。

この人は、とにもかくにも写真、写真。よい写真が手に入れば満足なのだ。一方わたしは写真に深みが出るような知識がほしい。ある意味利害関係が一致している。別に不満があるわけではないし、ありがたいとも感じているのだけれど、もう少し「撮影係」以外の価値を与えてほしい。

そうこうしているうちに、木造の建物が見えてきた。「旅籠 寺田屋」という文字に気づき、もう目的地に着いたのだ、と分かった。寺田屋の前にはすでに数人の観光客がいて、楽しそうに写真を撮っている。やはりどの時代でも坂本龍馬は人気なのだ、としみじみ思った。

受付を済ませて中に入り、2階へと続く階段を上った。坂本龍馬ファンなら誰でも知っている寺田屋は、薩摩藩の定宿としても指定されており、壬生寺や八木邸と同じく幕末期における非常に重要な場所の一つだ。部屋をのぞくと、龍馬の姿が描かれた掛け軸が目に飛び込んできた。近づいて見てみると、そのすぐ近くには龍馬が使っていたピストルのレプリカまで置いてある。

「この『梅の間』は、当時龍馬がよく宿泊していた部屋なんだよ」

「へぇーっ。龍馬関連のものがたくさんありますね」

教授の声を聞きながら、わたしはカメラを構えてシャッターを押した。画面におさまった龍馬の掛け軸を見て、思わず顔が緩む。この間は新選組、今回は坂本龍馬。双方にゆかりのある場所を訪れることができるなんて、幕末好きとして感無量だ。

「わたし、龍馬もですけど、寺田屋伊助の妻であるお登勢さんもすきなんです。尊皇攘夷派の志士たちを陰ながら支えていて、すごく面倒見がいいところが……」

「龍馬から託されたお龍を養女としただけでなく、お龍の母にも仕送りをしてあげていたようだしね。人としての器が大きい女性だったんだろう」

こっちにおいで、と教授が手招きするので、わたしは撮影を中断してそばに近寄った。そこには「弾痕」と書かれた文字と、その説明書き通り小さな窪みがあった。

「わ、すごい! これ、当時のものですか?」

「さぁ、どうかな。寺田屋は鳥羽・伏見の戦いで一度焼失している。建物自体が再建という説もあれば、焼失したのは一部だけで、弾痕や刀傷は当時のままだという説もある。……どちらにせよ、当時を知ることができる貴重なものだということには間違いないよ」

「へぇーっ。この弾痕は寺田屋で起きた事件の時にできたんでしょうか」

わたしは写真を1枚撮り、教授と一緒に次なる部屋に足を進めた。どこもかしこも龍馬の生きていた時代を色濃く映し出しているようで、見ているだけでとても楽しい。提灯のような丸い電灯が白く光り、寺田屋の当主である伊助やお登勢の写真を照らしている。テレビや小説で知った歴史が、生命を持ったものとして瞳に映る。

「その寺田屋で起きた二つの事件、ドラマで見たなら知っているでしょう」

わたしが写真を撮っていると、教授は試すような口ぶりで尋ねてきた。

「もちろんです。一つ目は、寺田屋騒動ですよね。確か、薩摩藩の内紛みたいな……」

「そのふわふわした知識をもう少し固められたら褒めてあげてもいいんだけどな」

教授は風を求めるように窓から外をのぞき込んだ。わたしもつられて見下ろすと、寺田屋に入る時に見かけた庭がよく見えた。わたしのように龍馬に興味を持った人たちが、石像らしきものに向かってカメラを向けている。あれは、龍馬の像だろうか。あとで庭も見てみなければ。

「薩摩藩には島津久光を中心とした公武合体を主張する温和派と、勤王討幕を主張する急進派との二派があった。それくらいは知っているでしょう」

「もちろんです。わたし、高校時代は日本史選択でしたから。これでも結構成績よかったんですよ!」

「そういう自慢は、ちゃんと自分の口で説明できるようになったらしてくれないか」

わたしは慌てて教授の冷めた目から顔を背けた。しまった。完全に自慢する相手を間違えた。成績自慢が通用するのは、親戚と地元のご近所さんだけだ。一度大学に入ってしまえば、わたしよりも優秀な学生なんて山ほどいる。こうして教授に貶されるのももはや日常と化しているから、言い返す気力すら起きない。

「久光は急進派の動きを押えようとして、約1000人の家臣たちと京都に向かった。これを知った急進派の有馬新七たちは、幕府側にある関白の九条尚忠らを殺害するため、この寺田屋に集まったんだ。これを知った久光は、家臣を派遣しその計画を断念させようと説得を試みたが失敗。ついに乱闘となり、新七ら7名が斬られ、そのうちふたりは重傷を負い、翌日切腹した。この騒動で命を落とした薩摩藩過激派九名の志士たちは『九烈士』と呼ばれ、寺田屋からすぐのところにある大黒寺には、彼らの墓があるんだよ」

「こわい事件ですよね……。何で昔の人ってすぐに斬り合いになってしまうんでしょう。もっと平和的な解決方法はなかったんですかね」

「今とは時代の空気が違う、としか言えないな。結局、人は自分が生きている時代しか知ることはできないし、現代の常識や考えが過去にあてはまるとは限らない」

教授は窓の外から目を離し、また歩き出した。先ほど上った階段を、逆再生のように下りていく。

1階の廊下を進んでいくと中庭があり、その先には年季の入った風呂があった。

「このお風呂、もしかして龍馬が襲撃された時の?」

「そう。そちらは説明できるでしょう」

「もちろんです。寺田屋に宿泊していた龍馬を、伏見奉行である林肥後守忠交(ただかた)の捕り方が暗殺しようと襲撃した事件ですよね。入浴中だった龍馬の妻・お龍は、寺田屋が何者かに囲まれていることにいち早く気づき、裸のままお風呂から出て、階段を駆け上がり、龍馬たちに危機を知らせたんです。これが、第2の寺田屋事件!」

「さすが、夏休み中勉強もせずにドラマを見ていただけのことはある」

「もっといい褒め方ないんですか?」

意地悪く笑う教授を睨んで、わたしは風呂に向かってカメラを構えた。





先ほど2階から見下ろした庭に出ると、坂本龍馬の石像や、お登勢を祀る祠、占いの壺、「伏見寺田屋殉難九烈士之碑」と刻まれた石碑などがあった。どれもこれも、龍馬が生きた時代を刻んでいる。

わたしは平和な時代に生まれた。平和な国に生まれた。だけどそれはすべて過去の人たちが血や涙を流して作り上げた平穏だ。そしてその平穏は、明日にでも壊れてしまうものなのかもしれない。だからこそ、こうしてカメラを持って笑う日を大切に生きなければ。過去に触れるたび、心の中でそんなことを思う。

寺田屋をあとにしたわたしたちは、再び中書島駅に戻って京阪電車へ乗り込んだ。電車に揺られながら、先ほど撮ったばかりの写真を見返す。わたしだって、この夏休みをドラマばかり見て過ごしていたわけじゃない。新しいカメラを買うためアルバイトに励んだり、よりよい写真が撮れるよう試行錯誤してきたのだ。わたしの写真は成長しているだろうか。去年より、昨日より、今日の写真が1番だと信じたい。だって写真だけが、唯一、わたしの誇れることなんだから。

ふと隣を見ると、教授がわたしと同じようにカメラをのぞき込んでいた。見やすいように画面を傾けてあげると、眼鏡の奥にある瞳がふわりと微笑む。言葉はなくても、その表情だけで十分だ。