スペクルム全体を混乱に陥れた“魔法大戦”これは水星の魔女シーラを筆頭に、土星の魔女、木星の魔女、金星の魔女、火星の魔女、月の魔女、天王星の魔女、冥王星の魔女、そしてブラックホールの魔女がスペクルム中に魔物を解き放ち生命力を奪っていった事から始まる。
人間、エルフ、竜族、妖精、獣人、小人、全ての種族が自国を護る為に戦った。魔物は魔術でしか倒す事が出来ない為、彼方此方で魔術が飛び交った。
魔術の使える者が極めて少ない獣人と小人はそれぞれ、獣人は竜族に、小人は妖精に加勢してもらった。
彼らの様に友好関係にある種族がおらず魔術師の少ない人間に手を貸したのが、まだ無名のハーフエルフ――――オズワルド・リデルだった。
オズワルドは己の正体を一切明かす事なく、人間達を護り果てはブラックホールの魔女を倒し、他の魔女らにも重傷を負わせて戦そのものを終結させた。
魔女達がそもそもこの様な大それた事を起こした切っ掛けもまた、戦にあった。
時は遡る事474年前、元々険悪状態であった人間とエルフが争いを始めたのだ。
発端は人間の国ミッドガイアの国王オリバー・ハウライト・ハートフィールドが恋仲であったエルフ……しかも王族の娘を公開処刑した事だった。これに激昂したエルフが宣戦布告し、間もなく人間とエルフは戦いを始めて死傷者を多く出したと言う訳だ。
その為、今日まで両種族は互いを憎み合っている者が多いのだ。特にエルフは長命で、当時を体験した者も居るから尚更だ。
ところで、戦争の切っ掛けとなった彼らの間には子供は居なかったのか? と度々議論される事がある。真相は未だ謎のまま。唯、その説は薄いと思われた。何故なら、人間とエルフとの間に産まれた子供、つまりハーフエルフは遺伝子の組み合わせ上奇形児として産まれる事が多い。五体満足とはいかず、脳も未発達。更には病気に罹りやすくて治りにくい虚弱体質なのだ。
この事から、もし産まれていたとしても474年後の現在生きている筈がないという事だ。
***
シャワーと着替えを済ませたオズワルドはいつもの席でティータイムを楽しんでいた。
柔らかな朝日が白い丸テーブルを目映く照らし、ティーカップに注がれた紅茶の上で光を散らした。
本日の紅茶は南国果実の香りのする、赤みの強いオレンジ色の水色の茶葉を使用している。
紅茶にはカフェイン、タンニン、テアニン、フッ素、ミネラル、ビタミンB群などの身体に良いとされる成分が含まれていて1日に何度も紅茶を飲んでいるオズワルドは滅多に病気をしない。
ハーフエルフである彼は単なる風邪でも大病になり兼ねないので、他にも普段から健康には気を付けている。
テーブルに広げた書物に目を通し、ティーカップに手を伸ばすと突然と咳が出た。それはすぐに治まり、身体にも異常が見られなかったのでそのまま紅茶を口に運んだ。
コンコン。
いつもと同じリズムのノックが聞こえた。尤も、ノックがする前から廊下を歩く華奢な足音とカートを引く音は聞こえていたのだが。
2回目のそれにオズワルドが短く返事をすると、扉が開きカートを引いた小柄なメイドが遠慮がちに入って来た。
「リデル様、朝食をお持ちしました」
「ああ」
オズワルドがテーブルの物を避けてスペースを空けると、手際よくそこにメイドは朝食を並べ始めた。
いつもと変わらない色取り取りの栄養のバランスの取れた朝食が並び、最後に純白の封筒が添えられた。
オズワルドは訝しげに封筒を手に取った。
「何だ、これは」
「そちらはドロシー王女からのお手紙です。先程擦れ違った時にお預かりしました。な、中身は見ていませんよ?」
「それは分かる。まだ封が開けられていないからな。……さっき廊下からドロシーの声がしたのはこの為か」
「あ、あの……リデル様ってドロシー王女と仲がよろしいんですね」
メイドが頬を赤らめると、オズワルドは小さく「まあ……」と曖昧な返答をして封筒を弄んだ。
メイドは終始オズワルドを熱っぽく観察しており、なかなか立ち去ろうとしなかった。
「……まだ私に用があるのか?」
オズワルドがメイドに視線を向けると、メイドは肩を上下させて一層頬を赤く染めて狼狽えた。
「あぁ、いえ! ごめんなさい。相変わらずお綺麗だなと! ……思っただけで、えっと」
オズワルドは溜め息をついた。
「そう。それは皮肉か?」
「ち、違います! 皮肉だなんて……」
「どちらでもいいが、必要以上に私に構わない事だ。さあ、もう終わったのならさっさと次の仕事に移れ」
「……はい。申し訳ありませんでした」
メイドはオズワルドの威圧感に負け、悄然と引き下がった。
「それでは失礼します」
一礼し、メイドはカートを引いて部屋を出て行った。
オズワルドは窓硝子に映った400年以上も変わらぬ己の顔を見、もう1度深い溜め息をついた。
あのメイドは純粋無垢だ。目を見れば分かる。恐らく、オズワルドに対して言った言葉や感情は嘘偽りではない。
だが、だからと言って素直に受け止めてしまえば周りの忌避の対象がオズワルドだけではなくなってしまう。本当なら、ドロシーにもこれ以上関わってきてほしくないのだが彼女はどんなに冷たくされてもオズワルドから離れる事はなかった。オズワルドの嘘などお見通しだった。
オズワルドは封を開け、2つ折りの紙を取り出して内容を確認した。
「……果たし状、か?」
内容だけでなく、女性らしさの欠片もない力強い文字が一層そう思わせた。
外見や所作は女性らしい美しさを持っているドロシーであるが、文字だけは昔からあまり褒められたものではなかった。
オズワルドは手紙を丁寧に封筒に戻し、疑問を抱いたまま食事を始めた。
朝食後、オズワルドは中庭へ向かった。手紙に書かれていた指定の場所だ。
風に揺れる白い花畑の中心に、手紙の差出人が仁王立ちして待ち構えていた。
オズワルドは思わず踵を返しそうになったが、ドロシーのアメジスト色の大きな瞳に捕らえられて叶わなかった。
「よくぞ来ましたわね。オズワルド」
更に名指しされてしまっては、前に足を進める他ない。
オズワルドは気は進まないが足を進め、ドロシーの前に立った。
「ドロシー。態々呼び出して、何か急ぎの要件でもあるのか?」
「オズワルド。わたしは怒っているのです」
「お前を怒らせた覚えはないが?」
「何をとぼけるのですか。わたしは聞いたんですのよ。貴方が先日マルスと城下街に遊びに行ったって」
「あー……」
忘れようとしていた屈辱が蘇り、オズワルドは苦い顔をした。
「何故わたしではなく、マルスと行ったのですか。わたしは納得出来ていません」
「何故って、私だって城を出るつもりはなかった。アイツに無理矢理連れて行かれただけだ」
「無理矢理って、貴方ほどの実力者なら振り払えたじゃありませんか」
「いや、お前は気付いていないだろうがアイツは相当……」
強いと言いかけたが、何となくやめておいた。
「とにかく、決して遊びに行った訳ではないし仲良くもないからな」
「そうですか。ですが、マルスと2人きりで城下街に行った事には変わりありませんわね。わたしだけ仲間外れはあんまりです。そう言う訳ですので、オズワルド。今からわたしとデートしなさい!」
「断る」
即答だった。
これまで自信満々だったドロシーは動揺し、オズワルドの表情をチラチラと覗った。
オズワルドは白いローブを翻す。
「要件はそれだけなら、私は戻るぞ」
「ちょ、ちょっと……」
ドロシーの返事など聞かず彼は立ち去ろうとしており、ドロシーは右往左往とした後に決死の覚悟でオズワルドを呼び止めた。
「待って下さい! わたしとのデートを断ると言うのなら――――」
オズワルドが振り返ると、ドロシーは頬を赤らめて自分の服を震える手で掴んでいた。
「此処で一糸纏わぬ状態になって大騒ぎしますわ!」
元々露だった胸元が更に見え、オズワルドは慌ててドロシーの腕を掴んだ。
「な、何馬鹿な事を」
ドロシーは恥ずかしさと悔しさで目に涙を溜めながら暴れた。
「オズワルドに乱暴されたって泣き喚くんだから!」
「やめろ! それだけは本当にやめろ!」
最早、この状況だけでも周りからして見ればそう見えるのだが、オズワルドはドロシーを止めるのに必死で気付いていなかった。また、近付いて来る足音さえも聴力の優れた耳には届かなかった。
「おやおや、昼間から何やら楽しそうだ」
声がして漸くオズワルドは背後に人が来た事に気付いた。
みるみるうちにオズワルドの顔が青ざめる。
「お父様!」
ドロシーがそう呼んだ事で、オズワルドの全身からは更に血の気が引いていった。
ぎこちない動作で振り返ると、にこやかな顔のハーヴェイ・C・ハートフィールド国王陛下の姿がそこにあった。