夜の静寂の中、軽快な電子音が突如響き渡った。
 華音はサッとズボンのポケットからスマートフォンを取り出した。
 着信は桜花からだった。
 華音が母をチラッと見ると、母は小さく頷いたので画面をタップして耳に当てた。

「突然どうしたの?」
『聞いてよ! わたし、すっごく重要な事を今知ったのよ』

 電話越しに聞こえて来た可愛い声からは焦りが感じられた。

「重要な事?」
『なんと、今夜は夏祭りなの! 屋台に打ち上げ花火、これは行くしかない』
「そう言えばそうだったね」
『という事で行きましょう、華音』
「い、行きましょうって……」

 不意打ちの誘いに心臓が高鳴って頬が緩んだが、東京から大分離れた場所と母の存在が現実だった。
 諦める他ないと心の中で溜息をついて口を開く――――と、

「今から行けばいいじゃない」
「え……?」
『どうしたのよ?』
「ううん。ちょっと今出掛け先だから、すぐには行けないんだけどいい?」
『構わないわ。わたしも準備があるし。それじゃあ、会場で待ち合わせね!』
「また連絡するよ」

 通話を切ると、通信アプリにメッセージ通知があった。開いてみると、刃からで「今から3人で祭りに行かないか?」と言う誘いのメッセージだった。
 残念ながらたった今先客が出来たので、即断りの返信を送信した。
 以前ならどちらの誘いにも応じて皆仲良くを選んだかもしれないが、今の華音は友人よりも想い人を迷わず優先する様になっていた。
 母は息子のスマートフォンでのやり取りを眺め、電話口から聞こえて来た声の主に特別な想いを寄せているのだと分かった。彼女と通話している間、ずっと安心した顔をしていたのだから。
 母はくるりと向きを変え、嬉しい気持ちを抑えきれずに軽やかに歩いて行った。

「さて、こんなおばさんとのデートよりも可愛い女の子とのデートの方が楽しいわよねっ」
「デ、デートじゃないから。……本当にありがとう、母さん」

 こうして、母の協力あって予定よりも大分早く祭り会場に到着した。
 母は華音を車から降ろした後、会社に戻るからと言ってアクセル全開で走り去っていった。
 川沿いを中心に屋台がズラリと並び、夜に溶けた町中をオレンジ色の優しい光で照らしていた。
 川辺で花火師が打ち上げ花火の待機中で、通り過ぎていく人々はその活躍を待ち侘びているかの様にわくわくした顔をしていた。
 昼間は車道として機能していた場所も、今はがらりと役目を変えて歩道となっており大勢の人々が往来していた。
 既に桜花は会場に到着しているとの連絡を受け、華音は彼女が居る場所へ向かっている最中だった。

 知っている場所とは言え、これだけ沢山の人が密集しているとなると大分視界は狭まり、おまけに同じ様に並ぶ屋台が位置感覚を狂わせて目的地へ行くのは容易ではなかった。
 難儀しつつも勇敢に進んでいると、人の合間を颯爽と歩いて行く人の姿が目に付いた。
 すらりと背が高く、背中まで流れる菫色の長髪はさらさら揺れていた。服装は真夏であると言うのにファーの付いた真っ黒なロングコートに、背中から左右の腕に向かって伸びる3本ずつの肋骨の様な形状の太い骨は重量感があった。
 後ろ姿であったし一瞬だけだったので顔も性別も判断が付かなかったが、見て分かった要素だけでも十分その人物の美麗さとミステリアスさを表していた。

 不思議な人だったな。祭りの日だしコスプレなのかも。

 他にも定番の浴衣だけでなく、ゴシックやロリータなどの独特なファッションを楽しんでいる人々も多く居たので異質には映らなかった。

「おーい! 華音」

 不意に名前を呼ばれて人混みの向こうを見ると、桜花が一生懸命背伸びをして大きく手を振っていた。
 華音は人混みを押し退けて駆け寄るや否や、桜花の他にも見知った顔があった事に驚き落胆した。

「何でお前らまで……」
「何でって失礼な。華音こそ、俺らの誘い断っといて桜花ちゃんの誘いは乗るって酷くね? 裏切られた気分だわー」

 刃が態とらしく肩を竦め、雷は苦笑した。
 雷の左右には浴衣姿の弟妹が居て、おまけにアルナも違和感なくそこに並んでいた。

「いや、だって。桜花の誘いの方が早かったし」

 華音が説明を促す様に桜花を見ると、桜花は自信満々な顔で応えた。

「此処に来たら偶然皆に逢ったのよ! せっかくだから一緒に楽しむ事にしたの」

 悲しくも、この状況を最終的に作り上げたのは他でもない桜花であった。
 やっぱり片想いか……と華音が1人落ち込んでいると、生温かな視線が幾つか向けられた。刃、雷、(めぐみ)だった。
 雷が華音の肩を叩いて耳打った。

「赤松と祭り楽しんで来いよ」
「でも……」
「心配すんなって」
「めぐ、応援してる!」

 刃も雨もしっかり頷き、華音を温かく送り出す。
 風牙はイマイチ何も分かっておらず退屈そうにしており、アルナは桜花のもとへ向かう華音の後について行こうとした。

「駄目だよ、キミは。お兄さん達と一緒に遊ぼうねぇ」

 アルナを刃が笑顔で捕まえた。やけに優しげな声も相俟って、その風貌は性犯罪者のそれだった。

「離せ! アルナに触ルナ! てゆーか、お前誰なんだ!」

 アルナがじたばた動き、肩の上のほわまろが主を掴む腕を伝って刃の肩に飛び乗ると思い切り首筋に歯を立てた。

「ぎゃああぁっ! な、何このラビット」

 拍子にアルナを離したが、暫くほわまろからの攻撃は止まなかった。
 華音は踵を返し、ほわまろをむんずと掴んだ。

「こら。無闇に人を噛んじゃ駄目だよ」

 そのままアルナの肩へ戻した。
 アルナはひしっと華音に抱きついた。

「何なんだ、この暴漢! アルナ、性的虐待されたぁ」

 泣き出すが態とらしかった。

「馬鹿な事言うんじゃねー! 俺の性の対象はお前みたいなお子様じゃねーんだよ。もっとこう……」

 刃の視線がチラッと桜花の胸元へ向き、透かさず華音と雷がその金髪頭を殴り付けた。
 桜花は首を傾けて目を瞬かせた。

「アルナはお子様じゃないぞっ。アルナはお前達人間よりも遙か昔から生きている立派な大人だ。アルナから見ればアホ面、お前なんて赤ん坊の様なものだ」

 華音から離れたアルナが八重歯を剥き出しにそう言い放つと、刃と雷は瞠目した。雨は冗談だと思って笑い、風牙の関心はもう屋台の方へと向いていた。

「ちょ……ちょっと待て。この子って人間じゃない、のか? どう見ても人間なんだが」

 雷が恐る恐る言う。

 そうなのだ。雷と刃を始め、華音と桜花以外にはアルナはアルナ自身の魔法によって長耳のエルフには見えずに普通の人間にしか見えない様になっている。違和感のある金髪と赤目も違和感を抱かせないのだ。

「驚いたか。アルナはエルフ族。そして、通り名は月の魔女。8人の魔女(プラネット)が1人だ。元」

 アルナ自ら名乗り、更に刃と雷に衝撃が走った。

「ま、魔女って華音と桜花ちゃんが戦ってる敵じゃね!?」

 刃がアルナから距離を取ろうとする。

「何逃げようとしているんだ。アルナはもう敵じゃない。アルナはカノンの嫁となったんだ」

 今度はアルナから刃へ距離を詰めた。
「は、話が読めねー……。嫁って何、嫁って。話が()()ねーだけに」
 これ以上月の魔女に訊いたところで話が拗れるに違いないと思った刃、そして雷は華音に説明を求めて華音はかいつまんで説明した。
 説明している間に風牙がふらふら歩いていき、それを雨が追っていき無関係な彼らには聞かれずに済んだ。
 話が終わると断りを入れて雷が弟妹を追い掛けていった。

「なっるほどねー。だから“元”なのか」

 刃は何度も頷いた。
 話が一段落したところで、華音には別の疑問が残っていた。

「それはともかく、何でアルナがこんなところに居るんだよ」
「楽しそうな音が聞こえて来たからな。来てみたら、オウカとアホ面と色黒ブラザーズが居たんだ」

 エルフは聴力が優れていた事を思い出し、納得した。

「俺の名前は刃だ! 覚えとけ、ちび魔女。さあ、俺達も行くぞ」

 刃の手が再びアルナを掴み、引き摺っていく。

「アルナはカノンとデートするの! お前となんてやだやだぁ」
「お前も大人って言うなら空気読めよな」
「空気は吸うものだぞ!? ムカつく――!」

 主の怒りと嘆きを感じ取ったほわまろはまた刃の肩に飛び移り、首筋をガジガジ。先程の傷口を容赦なく広げていく。
 刃は激痛に悶絶しながらもアルナを離さず、華音と桜花に手を振った。

「そんじゃ、お祭りデート楽しめよー!」
「デート……」

 声が重なると2人は頬を赤く染めた。
 元々2人で逢う予定であったが、こう改めて2人きりになると意識してしまう。

「じゃあ、行こうか」

 気遣ってくれた親友達にも後ろめたい想いがあったし、ずっとこのままとはいかないので華音は平静を装って一歩踏み出した。

「う、うん!」

 赤茶色の長髪を揺らし、桜花も小走りで華音の後に続いた。