図書館を出てすぐ、ゴルゴが羽ばたいてきて華音の肩に停まった。

「ゴルゴ。何か面白いものでもあった?」

 問い掛けると、ゴルゴはサファイアブルーの瞳を輝かせてズイッと嘴を華音に突き出した。

「な、何だこれ。……カブトムシ?」

 ゴルゴはそれをズイズイ華音に押し付けてきた。
 使い魔であるゴルゴには食事は必要ないが、習性で虫などを捕まえる事がある。せっかく捕らえた獲物を愛する主人に是非もらってほしい……と言う事らしいが、当然華音は虫を食べないし欲しくもなかった。

「気持ちは嬉しいんだけど、カブトムシはなー……。もう少し幼かったら嬉しかったかも」

 一応受け取ったカブトムシはまだ生きていた。
 華音はゴルゴに申し訳ないと思いつつもカブトムシを放そうとして、ふと噴水で遊ぶ子供達の姿が目に付いた。

「ねえ、キミ。よかったらカブトムシもらってくれないかな」

 麦わら帽子の1番年下の男の子に渡すと、男の子は大喜びし近くに居た母親に感謝された。
 階段を下り、来た道を辿る。
 相変わらず暑い。寧ろ、先程よりも日差しが強くなっていた。1人きりで上り下りする歩道橋ほど辛いものはなかった。
 何とか渡り終えた歩道橋の日陰で少し休憩すると、最近出来たばかりの硝子張りのオシャレな洋菓子店が丁度目に入った。来た時はまだ閉まっていたが、もう何人か客が出入りしていた。
 華音の家にもオープンのチラシが届いていて、それを見た水戸とアルナがはしゃいでいた。
 以前水戸にモンブランを買う約束をしていた事もあり、丁度良いので寄っていく事に決めて日陰から出た。
 ゴルゴは店内には入れないので外で待機。

 飲食スペースのないこぢんまりとした店だが、ショーケースに並んだケーキはどれも綺麗で美味しそうだった。
 珍しいメニューも並ぶ中、華音は迷わずモンブランを3つ購入した。
 会計の際持ち帰り時間を訊かれて答えていると、レジ横の縦長の鏡にオズワルドが映り華音は妙案を思い付いた。
 そのまま帰る様に見せ掛け、こっそりとその鏡を使って魔法使いを憑依させると速やかに店を出た。
 ゴルゴが不思議そうな顔で近寄って来た。

「思った通り。これなら暑さを感じずに早く家に帰れそうだ」
『…………お前、いつもは人目を気にするくせに躊躇いなかったな。と言うか、私を何だと思ってる?』

 華音の内側にいるオズワルドは不満しかなかった。

「いつもオレに好き勝手するお前への仕返しだよ。今日はオレがお前を使ってやる!」
『まったく。子供だな』

 珍しく自分を頼って来たので好きにさせてみたら、あまりに平和すぎる言動。忽ち不満は消え去り、別次元の自分を微笑ましく思った。
 水のベールに包まれた華音は白いローブを靡かせ、誰も出歩いていない街道を駆け抜ける。
 鏡崎家の邸宅が見えて来た。

「よし! オズワルドもう出て行ってくれ」
『残念。それは出来ないな』
「はあ!? 嫌がらせか」
『お前がそれを言うか。そうではなくて、ほら。丁度お出ましだぞ』

 自宅の反対方向から、大蛇の形状の魔物が3体塀の上を這って来た。
 ゴルゴが青水晶の杖に変化し華音の手に収まる。

「夏休みぐらい休ませろよ。魔女の奴!」

 華音は懐へ飛び込んで来る魔物を杖で次々と吹き飛ばした。
 魔物はそれぞれ塀や電柱に打ち付けられるも、弾力性を兼ね備えたその胴体がバネの役割を果たし更に勢いを増して華音のもとへ戻って来た。
 ガバッと開かれた口から2枚舌が覗き、華音はゾッとした。慌てて左足を後ろへ引く。

「バウンドするなんて聞いてない! 蛇はそんな動きしないからな!?」

 続いて右足を浮かせ、左足を軸にして後ろへ宙返り。塀に着地すると、すぐさま魔物が跳んできて華音は塀を飛び降りる。丁度魔物の頭部目掛けて片足を下ろし、今度は華音がその弾力性を生かして踏み台にし高く遠くへ跳ぶ。
 向かい側の塀に着地した華音は、方向転換に手間取る魔物達目掛け魔術を放つ。

「メイルストローム!」

 空中に描かれた魔法陣から大渦潮が出現し、3体のうち2体を巻き込んでグルグル回転する。
 魔術から運良く逃れた1体はアスファルトを這って電柱によじ登った。
 やがて魔術が消えると、同時に魔物も取り込んでいた2人分の生命力を吐き出して消滅した。
 近くでは先程まで聞こえなかった幼子と女性の声が塀の向こうから聞こえ始めた。
 敵は残り1体。その筈だが、何故か姿が見当たらない。
 頻りに辺りを確認する華音の内側からオズワルドが言う。

『真上から来るぞ』
「うわっ……太陽眩し」

 真夏の元気溌剌太陽を背景に、太くて長い影が縦に降ってくる。
 魔物の大きく開かれた口が華音の頭部に迫る。
 華音が杖を掲げると、見事に口から胴体まですっぽりと収まった。オズワルドからは批難の声が上がった。
 華音は鮎の塩焼き状態で身動きの取れない魔物に魔術で止めを刺す。
 四方から無数に飛んで来た氷の刃に串刺しにされ魔物は消滅。宙を舞う光の中、再び青水晶の杖が姿を現した。

『私の使い魔を魔物の口に突っ込むなんて最低だな……』
「これが1番確実だったんだよ。あとでゴルゴに謝っておくよ。それより、これで終わりだな?」
『ああ。魔女の魔力も感知出来ないし、終わりでいいだろう。心配せずとも今日のところは還ってやる。だが、次こんな事があってみろ。その時は……』
「わ、分かった! 協力してくれてありがとう。あとはゆっくり休んでくれ」

 スッとオズワルドの魂が身体から出ていき、華音の姿は元に戻った。ゴルゴも杖から戻って元気に羽ばたく。

「さっきはごめんな。ゴルゴ」

 ゴルゴは華音の眼前に降りてきて小首を傾げると、鏡崎家の敷地内へと飛んでいき庭木で羽を休めた。
 華音もゴルゴに続き、門を潜った。

 玄関を開けると、いつも出迎えてくれる筈の水戸やアルナの姿がなかった。不審に思いつつ華音は玄関を上がってスリッパを履いた。

「水戸さん、アルナ、ただいまー……」

 リビングに顔を覗かせたが、此処にも2人の姿はなく閑散としていた。
 華音はローテーブルにケーキの入った箱を置き、ソファーに腰掛けずに天井を仰ぎ見た。
 誰も居ないのに冷房が付いていて快適空間となっているのは厳しい日照りの中、華音が帰宅する事を分かっていた水戸が気を利かせたからだ。
 その水戸もアルナも此処に居ないが、気まぐれで好奇心旺盛な幼子みたいなアルナはともかく水戸は華音に黙って外出はしないだろう。
 そうなると、この広い家の何処かに居る筈である。2階には華音の自室の他に、水戸とアルナの自室もあって、そこで各々プライベートを過ごしている。さすがに鏡崎家に雇われているとは言え、水戸は24時間全てを華音に捧げている訳ではないし華音を溺愛するアルナもアルナで色々あるのだ。
 ちなみに、その他の多数ある部屋は全て空き部屋だ。侵入者が潜んでいてもバレなさそうではあるが、門に監視カメラがあったりとセキュリティーは万全でこれまで強盗に入られた事は1度もない。
 自室に居るのなら態々訪ねる必要はなく、同じ屋根の下に住む者同士でもプライバシーは守らなくてはならないと言う思いから華音はじっくりと彼女達が来てくれるのを待つ事にした。

 ソファーに座り、テレビのスイッチを入れる。
 1人の時間を過ごす時は大抵本かスマートフォンを見る事が多いが、この長い連休中にずっとそればかりだと飽きが来るのでたまにはテレビでも見ようと思ったのだ。
 テレビ画面にパッと涼しげな水中の画像が映し出された。
 大きな水槽の中で色取り取りの魚が優雅に泳ぎ、時折ヘンテコな顔の大きな魚が通り過ぎていった。
 画面上部に記されている文字と取材している女性タレントの台詞で、今話題の都内の水族館である事が分かった。
 最近出来たばかりで休日ともなると都内の人のみならず、観光客まで押し寄せて混雑している。せっかく水辺の生き物に癒やされに来たのに、人を観察して終わると言っても過言ではない。特に小さい子供なんて背丈が低い分人混みに埋もれてしまって可哀想である。

 そう言えば、テーブルセット納品したんだっけ。

 華音は女性タレントが腰掛けたテーブル席を見てぼんやりと思った。
 大手家具メーカ鏡崎家具は、都内を中心に日本全国の施設から受注生産をしていて値段はそれなりに張るものの、高いデザイン性と品質、確かな信頼がある為に顧客満足度が非常に高い企業だ。都内で新設された施設からは必ずと言っていい程注文が来る。
 華音がテーブルセットに気を取られているうちに、女性タレントの目の前には既視感のあるかき氷がドンッと置かれていた。
 さらさらとした氷山にたっぷりの果肉入りのマンゴーソースがかけられ、仕上げにつやつやでぷるぷるの物体がどっさり添えてある――――

『ナマコとグソクムシのマンゴーかき氷です!』

 テレビの声と華音の心の声が重なった。
 女性タレントが恐る恐るスプーンで氷を掻き分けると、そこに現れたのは勿論グソクムシだった。

『きゃああぁぁっっ!?』

 本気の叫びがテレビを震わせた。
 そりゃそうだよな……と華音は苦笑し、ふと桜花の事を思い出した。彼女もこのゲテモノを食べていたと言う事は、同じ場所に居たと言う事だ。
 水族館で連想されるのは家族、そしてカップルだ。

 デ、デートじゃない……よな。いや、もしそうなら彼氏以外の男に近況報告しない筈。うん。

 華音は自分を無理矢理納得させ、テレビを切った。
 実際、桜花はクラスメイトで友達の柄本日向(えもとひなた)と一緒であった。