スペクルム カノン




「華音……なのか?」

 草むらから現れた雷が夢現の様に問い掛けた先。
 そこには、親友とよく似た不思議な格好の少年が立って居た。
 雷の隣で刃も目を見張ったまま硬直していた。
 両者共に硬直し、暫しの沈黙が降りた。風も止み、緩やかに青空を流れる白い雲だけが時間の経過を告げる。
 華音は俯き、停止しそうな思考を何とか巡らせた。

 あれ? これって普通にまずくない? この姿を見られると、ずっとオレはオズワルドの姿!? いやいやいや、それよりもまずはこの状況をどうにかしないと! オレだって知られる訳にはいかない、絶対に――――!

 華音の内側では、オズワルドがニヤニヤ笑っているが声に出さない限りは華音には分かる筈もなかった。
 華音は顔を上げる。この時には完璧な真顔が作られていた。

「カノンって誰だ? 私はそいつではない。人違いじゃないのか?」

 何故か、オズワルドの口調になってしまい腹立たしく思いつつも、表情そのままで2人の反応を待った。
 少し間を空け、今度は刃が口を開いた。

「いや、華音だろ」
「違うと言っている」

 親友の真っ直ぐな眼差しに、少し華音は後ずさる。背中にひんやりとした汗が伝った。
 刃は華音の目の前まで歩いて来て、透き通った水色の髪に手を伸ばした。

「何でそんなかっこしてんの? コスプレ?」

 その時、刃の背後に禍々しい赤の光が2つ見え、華音は刃の手を摺り抜けて杖を振るう。

「ひぇっ」

 刃は顔面蒼白で身を屈め、背後でドサッと何かが落ちる音が響いた。

「お、狼? ……いや、何か――――また来た!」

 目の前の黒い物体を観察する雷の視界の端に、別の物体が映る。今度は少し大きく、その形状は熊と酷似していた。
 草むらがガサガサと揺れ動き、忙しなく黒の物体は増えていく。狼が大半を占めるが熊も何体か居て、まさに獰猛な肉食獣の集いだ。
 やがて、華音の手では負えない数の魔物が3人を包囲した。
 華音は一般人の親友達を背に庇い、杖を両手で構えて水属性のマナを集める。もう自分の正体がどうとか気にしている余裕はなかった。

「凍れ!」

 言葉と共にマナを放つと、周囲に冷気が漂い前方から順に凍らせる。
 魔物の動きは止まる。だが、ほんの一瞬。奇跡的に冷気の届かなかった位置に居た1体の魔物が口から吐き出した炎により、呆気なく氷は溶かされた。華音が次の行動に移る暇はなかった。
 魔物は一斉に3人へ飛び掛る。
 華音は杖を振り回し、魔物を吹き飛ばしていく。それでも防ぎきれず、うち何体かが背後へと牙を剥く。
 すっかりダンゴムシ状態の刃の横、雷が自慢の拳を握って果敢に立ち向かう。
 鍛え抜かれた身体より繰り出された強力な一撃は見事魔物の腹を穿ち、意識さえも奪った。
 雷の足元に数体の魔物が転がり、華音は目を瞬かせ「おお……」と無意識に感嘆の声を漏らしていた。
 地面が一通り黒で埋め尽くされると、華音は乱れた呼吸を整えて意識を集中させる。
 大気中の水属性のマナが引き寄せられ、脳内には呪文が浮かび上がる。杖を構え直し、はっかりとした口調で声に出す。

「グロスヴァーグ!」
「フレイムレイン!」

 何故か別の声が重なった。
 大波が周囲を飲み込み始めたところに、紅蓮の炎が雨の如く降り注ぐ。
 せっかく獲物に食らいついていた大波が炎の熱に蒸発し始め、やがて相殺。
 華音は地面にしっかり残された魔物を見、落胆した。

「嘘……。せっかく仕留めたと思ったのに……」

 元凶は分かっている。
 火の魔術を放つ者など、リアルムでは1人しか居ない。
 華音は草むらを掻き分けて現れた赤い衣装に身を包んだ少女に、湿った視線を向けた。

「桜花……」
「ご、ごめんね? またタイミング間違えちゃった……」
「それはもういいんだけど、早く……」
「あれ? 高木くんに、風間くんも一緒なの?」

 桜花はアメジスト色に変化した大きな瞳にクラスメイト達を映し、首を傾けた。
 その反応は2人も同じだった。

「まさか、赤松……なのか?」
「桜花ちゃん!?」

 雷、刃は順番に言う。
 華音と同様色合いや服装は異なるが、そうとしか考えられない。いや、名前を呼んだ時点でそれは確かとなってしまった。
 桜花が来るといつも事態が悪化する……と頭を抱える華音だが、視界に蠢く黒を認め瞬時にマナを集め直す。
 親友達が上手い事桜花の気を引いていたおかげで、今度は無事に魔術が発動。大渦潮が全ての魔物を飲み込み、消滅させ、囚われていた生命力を解放させた。

『どうやら、1人も被害が出なかったようだな』

 脳内で響くオズワルドの声に、華音は安堵した。
 フッと気が緩むと、途端に親友達が詰め寄ってきた。

「な、なあ……今の何?」
「華音と桜花ちゃんだよな?」

 雷は消滅した魔物の事を、刃は目の前の魔法使い達の事を、それぞれ気にしていた。
 華音はもう騙しきれないかと肩を竦め、溜め息混じりに応えた。

「そうだよ。オレは華音。こっちは桜花。魔物――――さっきの化け物を倒す為に魔法使いの力を借りてるんだよ……」

 不本意ながらも真剣に真実を伝えたと言うのに、その後に訪れたのは何故か虚しいばかりの静寂だった。
 内側に居る魔法使いも何も言ってくれない。
 此方の空気など関係なしに、向こうでは騒がしい生命の気配が感じられた。先程のオズワルドの言葉通り1人も生命力を失う事なく、皆等しく現世の続きが再開された。
 その余波を受けたのか、雷と刃の石化状態も程なくして解けた。

「魔法使いってマジかよ? どう見てもコスプレ……」

 再び刃の手が華音の髪へ伸びて来て、触れた途端にパッと髪は水色から漆黒に、その他も親友達が見慣れた少年のものへと戻った。
 絶妙なタイミングでオズワルドの魂が別次元(スペクルム)へと還ったのだ。同時に、ドロシーの魂も帰還した様で桜花もすっかり元通りになっていた。使い魔達も動物形態へ戻り、森の中を駆けていった。
 親友達が驚く手前、一番に驚いていたのは華音本人だった。
 自分で確認出来る服装だけでも、魔法使いのものではないと分かる。つまり、あれは嘘だったのだ。

 一生オズワルドの姿のままじゃなかったのか!?

 思い返せば、オズワルドと知り合って間もない頃通行人に目撃されそうになった事があった。あの時は杖で殴り倒した魔物の下敷きにしてしまった事によって、運良く(通行人にとっては不幸でしかなかった)免れたのだ。そんな重大な事であればその時に言っている筈である。従って、本気で狼狽える華音を嘲笑する為についた嘘である事は明白であった。
 華音はフツフツと湧き上がって来る怒りを鎮め、今最も気にするべき現実と向き合った。
 華音の姿が一瞬で元に戻った光景を目の当たりにし、またも親友達は言葉を失って石像と化していた。

「驚いただろうけど、今ので分かっただろ? 言っとくけど、これ現実だから」

 華音の柔らかな言葉により、2人の2度目の石化が解けた。
 刃と雷は同時に瞬きを繰り返し、現状を飲み込む様に唾を飲み込んだ。

「信じがたいが……納得はいった。最近の華音、何っつーか不思議な感じしてたから。思えば、妹と弟が急に道端で倒れた時から色々状況おかしかったしな」

 雷が最初にそう言うと、刃の脳の隅っこで熟睡状態だった記憶が呼び起こされた。

「そういや、何だかんだ華音に言いくるめられてたけど、ゲーセン行った日の出来事はフツーじゃなかったなぁ。でもさぁ……ちょっとまだ分かんないんだよなー。魔物倒す為―とか、それって親玉が居るって事? ほら、アニメとかでよくあんじゃん。悪者が世界征服とか何とか」
「大体はそんな感じ」

 言って、華音はじっと刃を見つめた。
 刃は「何?」と少々くすぐったそうに首を傾げた。
 華音は目を閉じ、瞼の裏に少し前の記憶を映して口を開いた。

「1月ぐらい前、オレと刃が居残りで帰りが遅くなった日があっただろ。始まりはそこからだ。魔物が現れ、刃は生命力を奪われて気を失った。魔物は人間の生命力を奪い、主である魔女へ届けるのが役目だ。刃が倒れた後、オレも襲われて……その時に力を貸してくれたのが魔法使いのオズワルド・リデルだ。オズワルドは別次元……スペクルムって呼ばれている世界に居るオレなんだ。でも、全然性格違うけどね。アイツは何かこう捻じ曲がってる……って今はいいか、それは。とにかく、オズワルド自身はこっちには来れないんだけど、魂だけは来る事が出来る。そうしてオレがその魂を取り込む事によって、オレはオズワルドの姿と魔力を手にする事が出来るんだ。桜花も同じで、桜花はドロシー王女の魂を取り込んで戦ってる。魔物は魔術でしか倒す事が出来なくて、倒せずに魔女に生命力を届けられてしまえば、奪われた人間は2度と目を覚まさない。そうならない為に、オレ達は戦っているんだ」

 話を聞き、刃と雷はゾッとした。
 もし華音が助けてくれなければ、自分や自分の大切な者は2度と目を覚まさなかったに違いない。
 次に飛んで来た雷からの疑問は想定内であった為、華音はすぐに対応した。
 まずは魔女(プラネット)の事、次にその目的。知っている事は全て話した。情報量はとてつもなく、簡素にまとめても説明が長引いてしまった。雷は真剣に耳を傾けてくれていたが、桜花はふらふら近辺を歩き出し、刃は何度も欠伸を繰り返しては目に涙を貯めていた。
 遠くから、華音達を呼ぶ声が聞こえた。
 4人は顔を見合わせ、心の中で頷き合うと自然と足を声のする方へ進めた。
 クラスメイト、教師、インストラクター……意識を取り戻した彼らが、今度は姿の見えない華音達4人を心配しているのだ。
 早く戻らなければ、また変な騒ぎになってしまう。
 4人は急いだ。
 途中雷の視線を感じた華音だが、話の続きはまた追々。苦笑を向ける事で一旦勘弁してもらった。