目の前に広がるは広大な青空とそれを映して波打つ海。時折吹く風に潮の香りが運ばれて来て、照り返す日差しは力強く、まさに南国を感じさせる。
 華音は1人、南国の風景を独り占め出来る場所で休憩していた。店の裏手にある階段を下った先の、南国の木が1本生えたささやかな休憩場所だ。
 丁度今腰掛けている木製のベンチが木陰に覆われており、この炎天下でも少しばかり涼しかった。
 他のメンバー達は暑さに負けず、商店街巡りを今も楽しんでいる事だろう。
 華音は早くもリタイアだ。
 暫くぼんやり海を眺めていると、青の中に一点黒い物体が見えた。それは羽ばたきながら徐々に此方へ近付いて来て、数秒で華音の目の前まで到達した。
 黒かと思ったが、改めてみると少々青みがかっている。
 華音が右腕を差し出すと、青みがかった烏はちょこんと止まった。

「ゴルゴ。こんな所にまで来るのか」

 毛繕いを始めたゴルゴの頭を撫でてやる。
 ゴルゴが落ち着いている様子から魔物出現の報せではない事は確かだが、華音はあまりいい気分ではなかった。

「……せっかくの修学旅行なのに、オズワルドの監視付きか」

 尤も、それは華音が対象ではなく、華音の周囲が対象なのだが。
 魔女達が存在する限り、この世界の平和は約束されない。スペクルムの魔法使い達に使命を託された華音と桜花には休む暇すらないのだ。
 それでも、こんな時ぐらいは休みたいし楽しみたい。修学旅行が終わるまでは何事もありませんように、と華音は神に……この場合はシーサーに祈っておいた。

「そう言えば、カツオ武士は還ったんだな」

 初登場以来、使い魔の鷲の姿を見ていなかった。
 名前を付けた事で愛着が湧いたのか、華音はとても残念に思った。
 トントンと階段を下りる音が後ろから聞こえ、ゴルゴは木の上に移動した。
 華音は後ろを振り返る。

「桜花?」
「華音――――って、きゃっ」

 そこには最後の2段から滑り落ちた桜花が居た。
 華音は素早く立ち上がって、桜花のもとへ駆けつけてしゃがんで手を差し出した。

「大丈夫?」
「あ、ありがと……」

 桜花は真っ赤になった顔を俯かせ、素直に華音の手を取って立ち上がった。
 怪我はしなかったがスカートが砂まみれで、桜花はまだ顔を真っ赤にしながら手で砂を払った。
 それから、2人はベンチに並んで座ってのんびりと流れゆく時間に身を委ねた。
 改めて2人きりになると、会話はパッと出て来ない。共通の話題と言えば、スペクルムの魔法使いや魔女の事であるが、南国まで来てする話ではない。
 表面上平静を保っているが、内心華音は隣から香るチェリーブロッサムの香りにドキドキしていた。ベンチの横幅があまりない為、距離が近いのも要因だ。

「あ! そうだった」と、桜花は急に声を上げて鞄を漁り出す。そうして、手にしたのは透明な包装紙に包まれた饅頭だった。
「はい、華音。シーサー饅頭よ」

 それをズイっと、華音の顔面に近付けた。
 華音は仰け反り、片方の手の平を桜花に向けた。

「ごめん。オレ、甘い物好きじゃないんだ」

 桜花は好きだけど、と言う言葉は心の中でのみ付け足した。
 桜花は自分の膝に両手を下ろし饅頭を大切そうに包んで、シュンっと悲しげに俯いた。

「せっかく華音の為に人混みを掻き分けて買ってきたのにな……」
「オレの為? あ……えーっと、じゃあ」
「はい、華音。あーん」

 今度は包み紙から出して、華音の顔面に近付けた。桜花の顔も自然と近くなる。
 華音は当然口で迎え入れる事はせず、頬を真っ赤に染めて狼狽えた。

「ちょ、桜花……。さすがにそれは」
「だって、華音が食べてくれないから……」
「わ、分かった! 食べるから! 普通に食べるから!!」

 華音は桜花から手早く饅頭を奪い取り、かぶりついた。

 ガツッ。

「んん?」

 普通の饅頭ではありえない食感がし、華音は食べかけの饅頭を眼前に持ってきた。今のは明らかに異物であった。案の定、ふんわりとした生地と更に大粒のあんこに包まれた白い陶器の様な物体が発見された。

「桜花、これ店の人に……」

 クレームを、と言おうとした所で異物に見覚えがある気がして指先で引っこ抜いてみて、あっさり問題が解決された。

「シーサー……」
「だから、シーサー饅頭なのね! 納得」

 桜花が瞳をキラキラさせて、華音の手にちょこんと乗った小さなシーサーを覗き込んだ。
 華音はシーサーと暫し見つめ合い、ハッと我に返って首を左右にぶんぶん振った。

「いや、駄目だろ! 気付いたからよかったものの、下手すれば誤飲して酷い場合は窒息する。何なんだ……この危険な食べ物は」
「えぇー。面白い発想だと思うけどな。でも、謎が解決してよかったわ。わたしじゃ調べようがなかったから」
「……ねえ、それって」

 華音はじとっと桜花を見た。

「だって、何か食べるの恐かったんだもの」
「恐いって。キミはいつも変な食べ物食べてるじゃないか……」
「変なって失礼ね。カレーライスも、ミートボールも食べ物よ? シーサーは食べ物じゃないわ。毒味させてごめんね? お詫びにこれあげるから」

 桜花は慈悲深い顔で、華音の手に一粒のキャンディを落とした。
 刃のポケットで別れを告げた筈のそれが、また舞い戻って来た。捨てても戻って来る呪いの人形よりも、よっぽどかホラーだと華音は思って消沈した。

「うん。何事もなかったし今回は許すよ。…………ありがとう」

 一応礼を言って、シーサーと共にミートボールキャンディをズボンのポケットに入れた。
 シーサーが出て行った饅頭の残りはあまり食べる気はしないが、中途半端に残すのも作った人に申し訳ないと思い一気に口へ放り込んだ。
 あんこの甘味が容赦なく華音の味覚を蹂躙し、咀嚼してすぐにペットボトルのお茶を口内に流し込んだ。
 桜花もお茶を飲み、海を眺めて寛いでいた。まだ立ち去る様子はなく、単に華音へ毒味をさせる為に来た訳ではなさそうだった。
 華音はペットボトルの蓋をしっかり閉じ、桜花の横顔を見た。

「班の娘達はいいのか?」
「大丈夫よ。何か、皆突然別行動しようってなって……」
「突然?」
「そうなの。わたしが華音の姿を発見した時に丁度、柄もっちゃんが別行動しようって提案して皆賛成で」
「…………それって」

 まさか、と思い華音が後ろを確認すると、店の外壁から3つ覗いていた顔が慌てて引っ込んだ。
 華音は肩を竦め、階段下まで歩いて行く。桜花は訳が分からずベンチに座ったまま、華音の背中を目で追った。

「ねえ、一体いつから居たの?」

 華音がやや大きめな声で問い掛けると、観念した様に3人の男女が太陽の下へ現れた。うち、1人に桜花は驚いた。

「柄もっちゃん!?」
「あはは。ごめん、桜花ちゃん。鏡崎くんは勘が鋭いから駄目だねぇ」

 柄本はおさげを弄りながら、苦笑を浮かべた。
 華音も柄本の姿には驚いたが、それよりも残りの2人――――刃と雷の方に意識がいった。

「お前達さ……何してるんだよ。ていうか、さっきの質問に答えろ」

 刃と雷は顔を見合わせ、刃が額に汗を浮かべながらも楽しそうに答えた。

「桜花ちゃんが階段を下りる所から……かな。その後、桜花ちゃんが転んでお前が助けて、いいムードじゃーん……って思ってたら、桜花ちゃんがあーんするし。これはもう相思相愛なのかと」

 みるみるうちに、華音の眉が吊り上がり頬が真っ赤に染まった。

「あれは違……って、勝手に覗くなよ!」
「そりゃ悪かったと思うけど、これでも応援してんだぜ? な?」と、柄本に同意を求め、柄本はこくりと頷いた。

 いつの間に彼らが仲良くなったのか、華音と桜花にはさっぱりだ。

「鏡崎くんもそうやって怒るんだね」
「柄本さん。キミもキミだよ」
「ごめんごめん。じゃーさーせっかくだから、このメンバーでお茶しようよ。さっきいい感じの喫茶店見つけたんだ」
「そいつはいいな」と、真っ先に同意を示したのは刃だ。雷も頷いている。

 華音がちらりと桜花を振り返ると、彼女が小走りで近寄って来て――――転んだ。

「もう。何やってるんだよ、桜花」

 華音が助けにいくと、背中に3人のニヤついた視線が突き刺さった。

「いつもありがとう、華音」

 華音の手を取って立ち上がった桜花が照れ笑いすると、華音はドキリとした。しかし、未だに背中に突き刺さる視線によって熱が一気に下がり、興醒めした華音は桜花に「行こう」と一言だけ声を掛けて3人のもとへ向かった。

「そういやさ、さっき烏を腕に止めて話し掛けてなかったか? 何か、前に学校で見たゴルゴだっけ? に似てた気がしたんだが」

 喫茶店へ向かう途中の道で、華音の隣を歩く雷が唐突にそう訊いて来た。
 華音は返答に困った。

「気のせいだよ。唯の烏。オレ、動物に好かれる体質みたいだから、色々来るんだよ」

 嘘であって嘘ではない。動物に好かれる体質と言うのは事実であった。
 雷は「ほーん」と口先では納得を示したものの、目はまだ疑いを秘めていた。
 華音は気まずくなって雷から視線を逸らすと、丁度前を歩いていた3人の足が止まって目の前に木造の喫茶店が見えていた。
 3人の足が迷わずそこへ入っていき、華音は雷に笑い掛け共に彼らの後へ続いた。
 運良く話をはぐらかす事が出来た、一先ずは。