沖縄に到着し、空港から一歩踏み出せばすぐに視界一杯に青を臨む事が出来た。空と海の色が混じり合い、境界線が分からない程に青々として美しい。空に浮かぶ白い綿菓子の様な雲の白さが際立つ。
 日差しは容赦なく地面を叩き、都会の暑さとはまた違った暑さがあった。
 鏡国高校の生徒らが宿泊するホテルはこの近くにあり、海を24時間何処からでも堪能出来る場所だ。そこへ荷物だけ運んでもらい、今から大型観光バスに揺られて博物館へ向かう。
 窓の外はオーシャンビュー。新人バスガイドの話に耳を傾けながら、何人かの生徒は桜花からもらった飴を口に放り込んだ……途端、ほぼ同時に噎せた。
 周りで咳き込む声が反響する中、桜花は幸せそうに飴を口内で転がして海を眺めていた。

「桜花ちゃん……よくそれ食べられるね」

 隣で柄本が苦笑を浮かべていた。飴は口にしてすぐに駄目だった様で、ティッシュにくるんでさよならした。勿論、桜花には内緒で。
 桜花は柄本を見、頬を飴の形にしたまま小首を傾げた。その動作が小動物の様で愛らしい。
 同性である柄本も、つい頬が緩んでしまう。

「ね、ところでさ。桜花ちゃん、もしかして……いや、絶対? 鏡崎くんの事好きでしょ」

 囁く様に言われ、桜花は心臓が跳ねた反動で飴を飲み込みそうになった。
 何とか喉の入口で留まった飴を頬に転がし、軽く咳き込む。心配する柄本に手の平を前に突き出す事で制し、呼吸をゆっくり整えて答えた。

「嫌いではないわ。けれど、柄もっちゃんの思ってる事とは多分違うから」
「え――? だって、桜花ちゃん結構鏡崎くん見てるよね? その視線がこう、熱っぽいって言うか……」
「わ、わたし……そんなに見てた?」
「うん。休み時間とか、昼食の時とか。今朝、鏡崎くんの膝にダイブした時は攻めたな~! って感心しちゃったんだけど……。そもそも無自覚だったんだ」
「そ……そうだったんだ」

 自分ではそんなつもりはなかったから、柄本の言うように無自覚だったのだろう。今度からは気を付けようと誓う桜花の頬は桜色だった。
 バリバリ飴を噛み砕く。最後の最後まで口内を満たすミートボールの味を堪能していると、また柄本から声がかかった。
 また恋バナかと身構えた桜花だったが、桜花の瞳をじっと見つめる柄本の瞳は真剣そのものだった。まるで、これから起こる未来を見透かしているかの様に。

「どうしたの?」

 恐る恐る桜花が訊ねてみると、柄本は桜花の瞳を捕らえたまま口を開いた。

「桜花ちゃんもさ、不思議なオーラがあるよね」
「オーラ……?」
「何かが憑いてる様な……でも、悪霊ではない、生霊の様な何か。此処ではない何処かから時々お邪魔している感じ」
「あ……それって」
「何か心当たりあるの? 実は鏡崎くんも似たようなオーラなんだよね」
「……ううん! 何でもない! へぇ……柄もっちゃんは霊感あるんだねぇ」
「そうだよ~。ハッキリしたものは見えないけど、ぼんやりとしたものなら見えるし、感じるの」
「ちょっぴり恐いね」

 笑ってやり過ごす桜花は、内心焦っていた。
 何も知らない筈の柄本がドロシーやオズワルドの魂を感じ取っている……。特別に隠せとは言われていないが、何となく現実味がない為に自然と華音と2人だけの秘密となっていた。
 万が一バレてしまったら、一体どうなるんだろう?
 桜花は窓ガラスに映る自分を見たが、鏡ではないそこには当然、別次元(スペクルム)の自分は居なかった。


 博物館では各クラスに担当スタッフが付き、解説を聞きながら館内を回って琉球王国の歴史について学ぶ。
 クラスの中でも更にグループに別れ、はぐれない様に担当スタッフの後をついていく。
 グループの最後尾を歩いていた華音は、またふと視線を感じて踵を返した。

「三田先生」

 そこで優しげな笑みを浮かべていたのは、白衣姿が麗しい三田先生だった。

「あの……オレに何か?」

 躊躇いがちに訊いてみると、三田先生は微笑みを湛えたまま華音の間近に歩み寄った。

「いいえ。鏡崎くんでしたね。私の知り合いによく似ていたものですから」

 さりげなく、華音の横髪を弄っている。
 華音はやんわりと躱し、身体の向きを変えた。

「早く行かないとはぐれてしまいます。早く行きましょう」
「……そうですね」

 華音が先に歩いていき、三田先生が後に続いた。
 華音は背中に確かに感じる気配に、不審感を抱いていた。

 あの人は何か隠してる。もしかしたら……いや、そんなまさか……ね。



 博物館で琉球王国の歴史をしっかり学んだ生徒達が次にバスで運ばれたのは、昔の面影が色濃く残った古き良き商店街。そこで班行動となり、各班思い思いの場所へと散っていった。
 華音は班長である刃に大人しく従い、とある工房を訪れた。正面口で大小様々な色どりも豊富なシーサーの置物がお出迎え。更にぞろぞろと奥へ進んでいくと、同級生達の姿がちらほら見受けられた。
 皆、席に着いて漆喰の塊をゴム手袋で捏ねて整形していた。
 刃は、客の作業を興味深そうに眺める強面の中年男性に声を掛けた。

「さっき電話した風間でーす」
「おお! 兄ちゃんか。いいぜ、いつでもシーサー作れるからな。好きな席に着くといいぞ」

 刃の明らかな校則違反の外見や軽率な口調を一切咎める事なく、男性は気前よく立てた親指を前に突き出して白い歯を見せた。
 強面は生まれ持った顔付きである様だ。
 刃は男性の言葉に従い、班長らしく班を率いて空いた席に座った。5人横へ並ぶのは不可能だったので、華音と刃と雷、宮本と品川の二手に分かれて向かい合わせの席だ。
 強面の男性を始めとする、屈強な職人の男達が必要な道具をそれぞれの前にどっさり置いていく。
 隣でゴム手袋をはめてやる気に満ちている刃を横目に、華音は表情を曇らせた。

「これ……えっと、シーサー? 作る流れになってるけど、オレの美術の成績知ってるよな?」
「ぎり3だろ? いいじゃん。授業じゃないんだし、定番イベント楽しまなきゃ!」

 刃は他人事の様に軽くあしらい、自分の作業を進めていく。
 華音の右隣では雷が同情の視線を送っていて、向かいでは既に宮本と品川が制作に取り掛かっていた。
 他の席でも、皆真剣にシーサー作りをしており、端では職人達が待機している。
 とても、途中で投げ出せる雰囲気ではない。
 華音は己を奮い立たせ、ゴム手袋をはめた。

「こうなったら意地でも作ってやる! 沖縄の守り神シーサーを!」


 工房内がざわつき出した。屈強な職人達、他の席で作業していた同級生達が華音達の席を取り囲んで机上に降り立った5体のシーサー(正しくはうち3体)を眺め、感想を漏らしていた。

「こりゃ、すげーな。とても初心者には思えん……」
「ああ。最近の若いもんは器用だな……」

 感心を通り越して、恐れ戦いているのは職人達。

「これ、イベントとかで売れんじゃね?」
「売り物みたーい」

 純粋に目を輝かせているのは同級生達。
 彼らから高い評価を得ているのは、宮本と品川が作り出したシーサーだった。
 意志の強そうな瞳、綺麗に揃えられた歯、渦を巻く毛……それら全ての造形が細かく、漆喰の塊から産まれたとは思えない精巧な作りだ。デザインも表に置いてある様な伝統的なものとは違い、まるでソーシャルゲームに出て来そうな今風のデザインである。
 賞賛の的である宮本と品川もまんざらでもない様で、鼻を高くしている。

「伊達にソシャゲーやってねーぜ」
「幻獣とかは俺らの得意分野だ」

 そして、注目を浴びているシーサーがもう1体。
 職人達は度肝を抜かれた様子だった。

「こいつぁ……」
「何なんだ?」
「とてもこの世のものではないな……」

 どの角度から見ても、記憶の中には存在しない不思議な物体がそこにはあった。
 同級生達もゴクリと生唾を飲み込み、未知の生物を発見したかの様な表情でシーサーと思しき物をまじまじと見ていた。
 刃と雷は笑いを堪えるので精一杯で、腹を抱えて蹲っている。
 華音は先程大注目を浴びた宮本と品川作のシーサーを一瞥し、自身の前に鎮座する物体を眺めた。
 皆の注目は、今度は此方へ向いていた。と、言う事は今の感想はこのシーサーに向けられたもの……この、結構上手く出来たのではないかと自負しているこのシーサーに。

「え。どう見ても立派なシーサーだと思うんだけどな……」

 華音は首を傾げ、もう1度自作シーサーを隅々から眺めた。
 ボコボコ歪なのは毛の力強い流れを再現したからで、顔のホリが深いのは凛々しさを際立たせる為。四肢だってどっしりしている。何処にもおかしな点は見当たらない。
 皆の感想が腑に落ちず、華音はまだ首を傾けたまま。
 そうして、遂に親友達が声を上げて笑い始めた。

「おいおい! それ、自信作だったのかよっ」
「俺の妹と弟の方が断然上手いぞっ」



 つられて周りにも笑いが広がっていき、外まで漏れた騒がしさは通行人の足を止めさせた。
 華音は周囲を見回し、困惑した。

「皆酷くない!?」

 唯、最初に刃が声を掛けた職人だけは真剣な眼差しで華音の肩を叩いた。

「魔除けの効果はかなり期待出来そうだから安心するといいぞ」
「いえ、あの……。それ、褒めてます?」
「勿論だとも! あと30分ぐらいでしっかり固まるから、他んとこ回った後にでもまた立ち寄ってくれ」
「うーん……。はい。じゃあ、また」

 納得はいかないが納得する他ない。
 これ以上笑いの的にされたくなかった華音はサッサと席を立って、刃と雷の腕を引っ張り、宮本と品川には目で合図を送って班全員で工房を後にした。