『高木』と言う表札を通り過ぎると、庭先で制服を干す雷の姿があった。タンクトップに半ズボンと言うスタイルをしている事からも、帰宅途中に雨に降られた事は明白だった。
雷は真っ先に走り寄って来る弟妹と、その後ろから歩いて来る親友達に気付いた。
「風牙、雨、どこ行ってたんだよ。ていうか、ちゃんと傘持ってったんだな。それならついでに俺にも届けてくれたらよかったのに……」
唇を尖らせる雷に、風牙はタックルをかました。軽く雷が仰け反る。
「うっ……。いきなり、何を」
「にーちゃんがバカだからいけないんだぜ! 子供を頼んなよな」
「さっき、子供じゃないって言ったくせに……」と刃が不満を零すと、再び脛に激痛が走った。
「てめっ! 同じ箇所狙うのは卑怯だぞ!」
刃は、傘を振り回しながら玄関扉へ向かう風牙を涙目で追い掛けた。
残された兄妹と華音。
雷は妹と親友を交互に見、合点がいった様で困った様に笑った。
「わざわざ弟と妹を送り届けてくれてありがとうな。せっかくだから、上がってけよ。前よかちっとは片付いてるとは言え汚いし、大したもん出せないけど」
「あぁ、うん。せっかくだから……って、刃は既に家に上がったみたいだけど」
華音が苦笑し、雷が後ろを向くと、風牙と刃が追い掛け合う形で木造平屋建ての家に入っていくところが見えた。
雷は溜め息をついた後、雨の肩を抱いて開きっぱなしの玄関を潜った。
最後に入った華音が引き戸を閉めようとすると、扉は軋んだ音を立ててゆっくりと閉じた。5ミリ程度隙間が空いているのが気になったが、これ以上は閉める事が出来ず雷も真っ直ぐ伸びた廊下を進み出していたので、華音は扉から手を離して靴を脱いで「お邪魔します」と言いながら家に上がった。
障子の向こうが客間及び家族の憩いの場で、華音と刃はそこへ通された。
一面畳張りの室内の中央に置かれた大きな丸テーブルを挟んで向かい合わせで座り、障子の向こうへ消えていった雷を待つ。
風牙と雨は2人仲良く廊下の突き当たりの風呂場へ向かい、今頃は玩具やお湯で遊んでいる事だろう。
華音と刃の視界の端には出しっぱなしの玩具や小学校の教科書、ランドセルが散乱していた。雷がせっせと片付けても、次の日にはこうなっていると言う。
ただでさえ広くはない室内が余計に狭く感じられた。けれど、空間そのものに家族の温もりが感じられて来客にも確かな安心感を与えていた。
華音と刃がまったりしていると、障子がスライドして3人分の麦茶の入ったコップと袋に入ったままのお菓子を盆に載せた雷が登場した。
「おまたせ」
そう言って、雷はそれぞれの前に麦茶を置くと、テーブルのど真ん中に封を開いたお菓子を置いた。
2人が礼を言ってコップに口を付けると、雷も席に着いて麦茶を飲み始めた。
話題は互いに雨に濡れた事についての不満から始まり、最終的に華音の過去話に行き着いた。
華音は自ら、雷にも自分の過去を語ったのである。理由は、刃に話したのだから、同じく親友である彼にも聞いてほしかったからだ。
雷は麦茶を飲み干し、腕を組んで難しい顔をした。
「そうか。何となくそうじゃないかと思っていたが……そうか……。その、大変……だったな」
「ごめん。何か空気悪くして」
「いや、それはいいんだが。逆にそんな辛い事を俺にも話してくれてサンキューな」
「だけど、やっと前に進めそうな気がするんだ。母さんを許せる日も近いかなって思うんだ。だから、前ほど辛くない」
華音が朗らかな顔で言うと、重く沈んだ空気がフッと和らいだ。
雷の眉間の皺が伸ばされ口角が上がり、刃の表情も明るさをすっかり取り戻していた。
「それからさ……」と華音がまた切り出す。「これからはその……「華音」って呼んでくれないか? 昔みたいに」
少し面映く、自然と視線は2人から逸れていた。頬はほんのり赤く色付いていた。
刃と雷は顔を見合わせ、華音の方を向くとニッと笑った。
「俺的には「華音ちゃん」も捨てがたいけど、それもいいな! てか、多分無意識にそう呼んでたかもしんね」
「勿論だ。華音」
「うん。やっぱり、この方がしっくり来るな」
華音は満足げに1つ頷くと、笑顔を見せた。
それからの時間は、お菓子をつまみながら普段通りの他愛ない会話で盛り上がった。
華音の正面にあるガラス戸の外は、太陽の僅かな光を残して殆ど暗闇に落ちていた。そんな中を、太陽とは違う怪しげな赤の光をぎらつかせて黒々とした影が蠢いた。それは1つだけでなく、2つ……3つと数を増やし、民家の屋根を飛び越えていく。
あれは……魔物か。
華音の心の呟きは、物干し竿に青みがかった烏が止まった事で確信へ変わった。
夕日を映した使い魔の幻想的なサファイアブルーの瞳がじっと主の行動を見守っていた。
華音は親友の横顔をそれぞれ見、遠慮がちに会話を中断させた。
「悪いけど、オレもう帰るよ。これから行かなきゃいけない所があったんだ」
「んー? りょーかい!」
「分かった。気ィ付けてけよ」
刃、雷の順で、一切の疑いもなく返した。
華音はこっそり安堵し、鞄を肩に掛けて席を外した。
長い廊下に出ると、はしゃぐ子供達の声が反響して来た。
楽しそうだ。まだ暫くは風呂場から出て来ないだろう。
他に鏡がある場所ってないかな。帰るって言った手前、あんまりウロウロ出来ないんだけど……外へ出ても鏡がないだろうし……。
華音は風呂場に背を向け、玄関へ向かって歩いて行く。
鏡なんて、室内でもそこら中に置くものではない……と諦めかけた時、進行方向にある壁に丸い鏡がかかっているのが見えた。丁度、靴箱の横だ。入る時は雷の後を追うのに必死で気付かなかった。
鏡に近付くと、既に魔法使いは居た。
「カノン、さっさと片付けるぞ」
「言われなくても」
2つの手の平が鏡越しで重なり合い、そこからパッと強い青光が放たれる。
2人は幻想的な光に包まれ、漸く同じ空間で向かい合う。
オズワルドはふわりと華音の前へ舞い降り、自信たっぷりな顔で彼の両肩を掴んだ。瞬間、オズワルドの身体は半透明となり、華音の身体に重なる様にして消えていく。
刹那、別次元の自分を取り込んだ華音の身体は更なる強い光を放ち、徐々に姿を変えていく。漆黒の髪は水色へ、同じく漆黒の瞳は琥珀色へ、クリーニングしたばかりの夏の制服は純白のローブになった。
周りの光が薄れると、親しみある高木家の玄関に別次元の住人となった華音が立って居た。
華音は念の為風呂場や居間の方へ振り返り、どちらの扉も開いた形跡がない事を確認すると足早に外へ出た。
そこで合流したゴルゴが青水晶の杖へ変化して華音の手に収まり、華音は塀から隣の民家の屋根へ飛び移り、沈む夕日へ向かって駆けていく魔物の背中を追い掛けた。
狼の形状をした魔物が合計3体、いずれも華音へ背を向けたままだ。気付いていないのか、華音に構っている暇がないのか……どちらか分からない。
でも、チャンスだ。この距離からなら魔術を当てる事が出来る。
華音は水属性のマナを集め、意識を集中させる。
脳内に呪文が浮かび、静かだがよく通る声で口に出す。
「グロスヴァーグ!」
収束したマナが空中に巨大な魔法陣を描き、そこから大量の水が吹き出して大津波となる。
魔物はあっさりと1体残らず、魔術の餌食となって消滅した。
華音は民家の屋根の上、杖を下げてきょとんとする。
「何か……やけにあっさりしていたような」
『そうだな。それに、生命力をまだ奪っていなかったようだな。たまにはこんな事もあるかもな。もう魔物の気配は感じないし、今日はこれで終わりかな』
オズワルドがスペクルムへ還ろうとした時、不意に後ろから強大な魔力と気配を感じた。
華音も同じモノを感じ取ったのか、無意識のうちに振り返っていた。
電柱の上に立って居たのは……。
「アルナの魔力が感知出来たので探っていたのですが……偶然、ですね」
独特な模様の着物を風に遊ばせながら微笑む、土星の魔女クランだった。
雷は真っ先に走り寄って来る弟妹と、その後ろから歩いて来る親友達に気付いた。
「風牙、雨、どこ行ってたんだよ。ていうか、ちゃんと傘持ってったんだな。それならついでに俺にも届けてくれたらよかったのに……」
唇を尖らせる雷に、風牙はタックルをかました。軽く雷が仰け反る。
「うっ……。いきなり、何を」
「にーちゃんがバカだからいけないんだぜ! 子供を頼んなよな」
「さっき、子供じゃないって言ったくせに……」と刃が不満を零すと、再び脛に激痛が走った。
「てめっ! 同じ箇所狙うのは卑怯だぞ!」
刃は、傘を振り回しながら玄関扉へ向かう風牙を涙目で追い掛けた。
残された兄妹と華音。
雷は妹と親友を交互に見、合点がいった様で困った様に笑った。
「わざわざ弟と妹を送り届けてくれてありがとうな。せっかくだから、上がってけよ。前よかちっとは片付いてるとは言え汚いし、大したもん出せないけど」
「あぁ、うん。せっかくだから……って、刃は既に家に上がったみたいだけど」
華音が苦笑し、雷が後ろを向くと、風牙と刃が追い掛け合う形で木造平屋建ての家に入っていくところが見えた。
雷は溜め息をついた後、雨の肩を抱いて開きっぱなしの玄関を潜った。
最後に入った華音が引き戸を閉めようとすると、扉は軋んだ音を立ててゆっくりと閉じた。5ミリ程度隙間が空いているのが気になったが、これ以上は閉める事が出来ず雷も真っ直ぐ伸びた廊下を進み出していたので、華音は扉から手を離して靴を脱いで「お邪魔します」と言いながら家に上がった。
障子の向こうが客間及び家族の憩いの場で、華音と刃はそこへ通された。
一面畳張りの室内の中央に置かれた大きな丸テーブルを挟んで向かい合わせで座り、障子の向こうへ消えていった雷を待つ。
風牙と雨は2人仲良く廊下の突き当たりの風呂場へ向かい、今頃は玩具やお湯で遊んでいる事だろう。
華音と刃の視界の端には出しっぱなしの玩具や小学校の教科書、ランドセルが散乱していた。雷がせっせと片付けても、次の日にはこうなっていると言う。
ただでさえ広くはない室内が余計に狭く感じられた。けれど、空間そのものに家族の温もりが感じられて来客にも確かな安心感を与えていた。
華音と刃がまったりしていると、障子がスライドして3人分の麦茶の入ったコップと袋に入ったままのお菓子を盆に載せた雷が登場した。
「おまたせ」
そう言って、雷はそれぞれの前に麦茶を置くと、テーブルのど真ん中に封を開いたお菓子を置いた。
2人が礼を言ってコップに口を付けると、雷も席に着いて麦茶を飲み始めた。
話題は互いに雨に濡れた事についての不満から始まり、最終的に華音の過去話に行き着いた。
華音は自ら、雷にも自分の過去を語ったのである。理由は、刃に話したのだから、同じく親友である彼にも聞いてほしかったからだ。
雷は麦茶を飲み干し、腕を組んで難しい顔をした。
「そうか。何となくそうじゃないかと思っていたが……そうか……。その、大変……だったな」
「ごめん。何か空気悪くして」
「いや、それはいいんだが。逆にそんな辛い事を俺にも話してくれてサンキューな」
「だけど、やっと前に進めそうな気がするんだ。母さんを許せる日も近いかなって思うんだ。だから、前ほど辛くない」
華音が朗らかな顔で言うと、重く沈んだ空気がフッと和らいだ。
雷の眉間の皺が伸ばされ口角が上がり、刃の表情も明るさをすっかり取り戻していた。
「それからさ……」と華音がまた切り出す。「これからはその……「華音」って呼んでくれないか? 昔みたいに」
少し面映く、自然と視線は2人から逸れていた。頬はほんのり赤く色付いていた。
刃と雷は顔を見合わせ、華音の方を向くとニッと笑った。
「俺的には「華音ちゃん」も捨てがたいけど、それもいいな! てか、多分無意識にそう呼んでたかもしんね」
「勿論だ。華音」
「うん。やっぱり、この方がしっくり来るな」
華音は満足げに1つ頷くと、笑顔を見せた。
それからの時間は、お菓子をつまみながら普段通りの他愛ない会話で盛り上がった。
華音の正面にあるガラス戸の外は、太陽の僅かな光を残して殆ど暗闇に落ちていた。そんな中を、太陽とは違う怪しげな赤の光をぎらつかせて黒々とした影が蠢いた。それは1つだけでなく、2つ……3つと数を増やし、民家の屋根を飛び越えていく。
あれは……魔物か。
華音の心の呟きは、物干し竿に青みがかった烏が止まった事で確信へ変わった。
夕日を映した使い魔の幻想的なサファイアブルーの瞳がじっと主の行動を見守っていた。
華音は親友の横顔をそれぞれ見、遠慮がちに会話を中断させた。
「悪いけど、オレもう帰るよ。これから行かなきゃいけない所があったんだ」
「んー? りょーかい!」
「分かった。気ィ付けてけよ」
刃、雷の順で、一切の疑いもなく返した。
華音はこっそり安堵し、鞄を肩に掛けて席を外した。
長い廊下に出ると、はしゃぐ子供達の声が反響して来た。
楽しそうだ。まだ暫くは風呂場から出て来ないだろう。
他に鏡がある場所ってないかな。帰るって言った手前、あんまりウロウロ出来ないんだけど……外へ出ても鏡がないだろうし……。
華音は風呂場に背を向け、玄関へ向かって歩いて行く。
鏡なんて、室内でもそこら中に置くものではない……と諦めかけた時、進行方向にある壁に丸い鏡がかかっているのが見えた。丁度、靴箱の横だ。入る時は雷の後を追うのに必死で気付かなかった。
鏡に近付くと、既に魔法使いは居た。
「カノン、さっさと片付けるぞ」
「言われなくても」
2つの手の平が鏡越しで重なり合い、そこからパッと強い青光が放たれる。
2人は幻想的な光に包まれ、漸く同じ空間で向かい合う。
オズワルドはふわりと華音の前へ舞い降り、自信たっぷりな顔で彼の両肩を掴んだ。瞬間、オズワルドの身体は半透明となり、華音の身体に重なる様にして消えていく。
刹那、別次元の自分を取り込んだ華音の身体は更なる強い光を放ち、徐々に姿を変えていく。漆黒の髪は水色へ、同じく漆黒の瞳は琥珀色へ、クリーニングしたばかりの夏の制服は純白のローブになった。
周りの光が薄れると、親しみある高木家の玄関に別次元の住人となった華音が立って居た。
華音は念の為風呂場や居間の方へ振り返り、どちらの扉も開いた形跡がない事を確認すると足早に外へ出た。
そこで合流したゴルゴが青水晶の杖へ変化して華音の手に収まり、華音は塀から隣の民家の屋根へ飛び移り、沈む夕日へ向かって駆けていく魔物の背中を追い掛けた。
狼の形状をした魔物が合計3体、いずれも華音へ背を向けたままだ。気付いていないのか、華音に構っている暇がないのか……どちらか分からない。
でも、チャンスだ。この距離からなら魔術を当てる事が出来る。
華音は水属性のマナを集め、意識を集中させる。
脳内に呪文が浮かび、静かだがよく通る声で口に出す。
「グロスヴァーグ!」
収束したマナが空中に巨大な魔法陣を描き、そこから大量の水が吹き出して大津波となる。
魔物はあっさりと1体残らず、魔術の餌食となって消滅した。
華音は民家の屋根の上、杖を下げてきょとんとする。
「何か……やけにあっさりしていたような」
『そうだな。それに、生命力をまだ奪っていなかったようだな。たまにはこんな事もあるかもな。もう魔物の気配は感じないし、今日はこれで終わりかな』
オズワルドがスペクルムへ還ろうとした時、不意に後ろから強大な魔力と気配を感じた。
華音も同じモノを感じ取ったのか、無意識のうちに振り返っていた。
電柱の上に立って居たのは……。
「アルナの魔力が感知出来たので探っていたのですが……偶然、ですね」
独特な模様の着物を風に遊ばせながら微笑む、土星の魔女クランだった。