アルナの壮大な話に、オズワルドと華音はこれ以上掘り下げる事をやめて脳内で情報処理を開始した。あてにしていなかっただけに、今得た情報の容量に暫し苦戦する。

「まあ……それだけしか分からないから、必死に魔物徘徊させて生命力を奪うついでにブラックホールの魔女の居場所を捜してるんだけどね」

 アルナは溜め息混じりに呟いた。その表情や声色からも、うんざりしている様子が覗えた。無表情無感動口調でありながらも、歴史改竄を望んでいた火星の魔女エンテとは違い、そこまでの執着心がないようにもとれた。

「……アルナは過去を変えたくないのか?」

 華音が疑問に思った事をそのまま口にしてみると、アルナは高い天井を見上げて少し沈黙し、それから迷いのない瞳でまっすぐ華音を見つめた。

「アルナの家族は皆、戦争で死んじゃった。えーっと、何100年前だっけ……」
「……400年」と、何処か固い声でオズワルドが口を挟む。
「そう! 400年ぐらい前にスペクルムではね、エルフと人間が大きな争いをして多くの命が失われたんだ。アルナも巻き込まれたんだけど、運良く生き延びて。でも、家族も友達もみーんな死んじゃって独りになった。そんな時、シーラ達と出逢って……戦争をなかった事にしようって事になって、最終的に歴史改竄する事になったんだけどー。正直、実感が沸かないって言うか……過去を変えて絶対に幸せになれるって保証されてるワケじゃないし。アルナはともかく、オズワルドこそ過去変えたいんじゃない? 400年前なら戦争に巻き込まれたハズ……」
「…………私の話はいい。ブラックホールの魔女について知っている事はそれだけなんだな?」
「うん。お前、顔色悪いけど大丈夫か?」

 アルナとオズワルドは相容れぬ関係であるが、さすがに相手を思いやれない程アルナは冷酷ではなかった。
 華音も気になっていた。
 話題が400年前の戦争の事になった途端、明らかにオズワルドの表情が変化した。単純に具合が悪くなったと言う理由ではなかったが、掘り下げられるのを嫌ったオズワルドが「何でもない」と言った事でこの場は納得する他なかった。
 ほんの少しだけ冷め切った空気をどうにかしようと、華音は必死に思考を巡らせてふと気になる事を思いついた。

「すごく……どうでもいい事なんだけど」
「どうでもいい事なら却下だ」

 淡々とした口調で答えたのはオズワルド。言葉には刺がびっしり含まれていたが、ある意味で普段通りに戻っていた。
 腹立たしく思いつつも安心した華音は、気にせず続けた。

「転生って、死んで生まれ変わる事だよね。それって、リアルムとスペクルム、それぞれの次元で行われるものじゃないのか? さっきの話だと、スペクルムの住人である魔女がリアルムの住人へ転生した事になってるけど……」
「何だ。やはりどうでもいい事じゃないか。だが、まあ……教えておいてやろう」

 オズワルドは腕を組み、口角を上げた。

「異世界転生だ」

 自信たっぷりに言い放つが別に驚く事ではない。そのままだ。
 華音が呆然としていると、オズワルドが予想外の事を話し出した。

「近年のライトノベルとやらで流行っているだろう。まさにそれだ」
「ライ……って、え? まさかそっちにも……」

 華音は風間刃が愛読している可愛いヒロインが目印の小説を思い浮かべ、オズワルドの現実離れしたファンタジーな外見を見て困惑した。……あまりに似合わない。
 しかし、オズワルドはあっさりと否定した。

「そんな訳ないだろう。私は使い魔を通じて、そちらの情報を得ている。そうだな……最近はキャラクターのイラストで溢れているアートな街を見てきた。こちらの世界の住人は想像力が凄く、感心する。なかなかに興味深い」

 恐らくは秋葉原を指しているのだろうが、表現の仕方で大分印象が変わるなと華音は思った。それにしても一体何の情報を得ているのだろうと、スペクルムの魔法使いが少し不安になった。
 話がやや逸れたので、オズワルド自身が軌道修正する。

「つまり、転生はリアルムとスペクルム間で行われると言う事だ。リアルムで死んだ者はスペクルムへ、スペクルムで死んだ者はリアルムへ転生するんだ。これが所謂、異世界転生になる訳だ。その時、記憶は保持されないから、何も知らずに過ごす事となる。スペクルムでは転生に関しての研究が行われている故、私の様に仕組みを知っている者も多々居るが、そちらで生きた前世の記憶を持つ者は誰1人として存在しない。しかし、リアルムではスペクルムの世界観と酷似した物語が語り継がれているのだが、それは“記憶の欠片”を持つ者が希に存在するからだ。あとは例外として、同次元で関わりの深かった者が接する事で生前の記憶や能力が蘇る事がある……それがブラックホールの魔女だ」
「そう言う事なのか。オレの前世はそっちだったって実感沸かないけど」
「そうだろうな。私も同じ気持ちだ。……ブラックホールの魔女はわざわざリアルムへ転生した。何か意味があるのか」

 最終的な疑問は、やはりブラックホールの魔女の事である。
 アルナがこれ以上の事を知らない為、ここで疑問解決にはならなかった。

「だけど、ブラックホールの魔女が目覚めなければ何の意味もないんだよね。他の魔女よりも先に、オレ達が東京に居るって言う彼女を見つけ出したらいいんじゃない? アルナも魔女だし、魔物を使って探索出来るだろ?」

 華音が提案すると、アルナの表情が渋った。

「確かにそうだが……カノン。それやっちゃうと、皆にアルナの居場所が特定されちゃうぞっ。今はリアルムに溶け込む様に全身に魔術かけてるけど、魔物を出現させる時は解かなきゃいけない。あ。ちなみに、この魔術のおかげでアルナは他の人にはふつーの美少女に見えるから! エルフってここじゃあ幻の存在だからバレたらマズイからなっ」

 美少女って自分で言うものじゃないだろ、と華音は心の中で突っ込んで表情を曇らせた。

「それは困るね。オレとオズワルドの事もバレる可能性あるし」
「でも、適度ならだいじょーぶ! 1日数分だけ探索可だぞっ」

 アルナがぱちんと片目を瞑って星を飛ばす様は、茶目っ気があるが確かな頼もしさがあった。

「アルナ……。助かるよ」
「カノンの為ならアルナ頑張るぞっ」

 これで、ブラックホールの魔女の件は一旦隅に置いておく事が出来る。
 その筈だが、鏡面の魔法使いはまだそこに居た。視線は真っ直ぐ月の魔女へ向いている。

「……まだアルナに用か?」

 視線をそれとなく受け取ったアルナは半目でオズワルドを見返した。
 オズワルドは真剣な表情で口を開く。

「精霊についてだ。今は分離してしまっているが、そもそもどうやって取り込んだ? お前達の様に魔力の強い者ならば精霊の居る(ゲート)の前までは行けるだろうが……」
「それか。アルナ達はお前から受けた傷を癒すと同時に、待っていたんだ。精霊が消滅し、再び蘇るのを」

 アルナがニヤリと笑い、オズワルドは目を見張った後すぐに苦い顔をした。
 華音はと言うと早くも置いてけぼりになり、所在なさげに倒れたままのゴルゴとほわまろに視線を下ろした。
 オズワルドは後悔の入り混じった低い声で言う。

「産まれたばかりの精霊なら取り込むのも容易と言う訳か……」
「そう言う事! でも、精霊が消滅するには途方もない時間を要するからな。下手すれば、アルナ達が死んだ後だったかもしれない。奇跡だ。精霊の寿命と門の場所を教えてくれたのはブラックホールの魔女だったんだけどなっ」
「精霊にも寿命があるのか?」

 2羽から視線を離した華音が話に割り込むと、オズワルドが丁寧に答えてくれた。

「勿論、私達とは根本的に身体構造の違う精霊にも寿命がある。星にだってあるんだ。そこに住む者に寿命がない筈がない。不老はあれど、不死はこの宇宙空間には存在しないんだよ」
「そっか……。精霊なんて夢物語みたいだけど、こうしてエルフとか魔法とか存在するもんな。寿命があるのは当然か」

 扉の向こうから足音が聞こえ、此処に居る全員の耳がそれを捉えて自然と口を閉ざした。少しばかり緊張感が走る。
 ほわまろはぴょんとアルナの肩に乗り、ゴルゴはサファイアブルーの瞳をパッチリと開け、素早く天窓から飛び去った。それに続き、オズワルドも鏡面から消えようとした時。数回のノックの後、控えめに扉が開いた。

「あの……華音くん。アルナちゃんのお洋服、どうですか?」

 顔を覗かせたのは、家政婦の水戸だった。
 ラベンダー色のシュシュで結った茶色の後ろ髪に焦げ茶色のたれた瞳、シンプルなシャツとジーンズの上にお気に入りのパステルイエローのエプロンを身に付けた、ふんわりとした雰囲気の若い女性。特に変わった点は見当たらないが、オズワルドは彼女を一目見た途端ゾッとした。理由は分からない。
 ふと、水戸の視線が鏡面に注がれ、認識される筈がないのにオズワルドは逃げる様にサッと消えた。

「水戸さん、どうかした?」

 華音はまさか、と内心冷や冷やしつつも平静を装って声を掛けた。
 水戸はすぐに鏡面から視線を華音へ移し、いつものほんわかした笑みを浮かべて首を左右に緩く振った。

「何でもありません。それよりも、アルナちゃんは?」
「アルナはカノンに無理矢理服を脱がされたぞっ」

 アルナが平らな胸を反らせて自信満々に言い、華音は戸惑い、水戸は一瞬凍り付いた。

「な、何勘違いされる言い方するんだよ! あ。違うからね! ソースがついた上着だけを脱いでもらって、今洗濯してるだけだから!!」

 華音が視線を後方へ向けると、確かに規則的な心地よい音を立てて洗濯機が稼働していた。
 水戸はほっと胸を撫で下ろし、すぐに笑顔に戻った。

「そうですか。じゃあ後は私がやっておきますので、華音くんは朝食を食べて支度して下さい。あんまりゆっくりしていると遅刻してしまいますよ」
「あ、うん。ありがとう」

 華音は水戸の横を摺り抜け、食べかけの朝食の残されたリビングへと戻った。アルナも、金髪ツインテールを揺らしながら華音の後を追っていった。
 水戸は2人の足音が遠ざかると、再度大きな鏡を確認した。
 そこに映るは己という名の現実。不審なものは何1つ映ってなどいない。

「あら? 口周りにソースが……。華音くんに見られてなかった、わよね」

 水戸は頬をほんのりと赤らめ、指でソースを拭った。