郊外にある緑に囲まれた2階建ての家。主に手放されてそのままになっている筈のそこに、何者かの気配があった。
 それは陽光をたっぷりと取り込む大きな窓のある1階のリビングに集中していた。
 リビングには新しく持ち込んだと思われるソファー、ローテーブル、テレビなどが置かれ、やや輝きを失ったフローリングに敷かれたカーペットと薄暮時から役目を果たすカーテンはどちらも落ち着いた色合いでセンスの良さを感じさせる。
 この部屋を作り上げた者こそ、今ソファーに優雅に腰掛けている女性だ。
 海を思わせる真っ青な長髪を前髪ごと後ろで先の方だけ緩く編み、燃える様なルビー色の瞳は長い睫毛に半分程覆い隠されている。
 豊満な胸を包むのは細い寒色系の布のみで、とても頼りない。それを補うかの様に、紺色の袖はたっぷりと膨らみ、同色の裾がキュッと絞られたスカートはしっかりとへそ下から足元までを包み込んでいる。
 足にはハイヒール、唇には真っ赤なグロスを塗り重ね、まさにその姿は完璧で妖艶であった。
 しかし、彼女は“人間”ではない。明らかに人間とは異なる長い耳を持つ彼女は、この次元(リアルム)とは違う次元(スペクルム)のみに存在するエルフ族だ。
 妖艶なエルフ――――水星の魔女シーラの口から漏れるのは溜め息ばかりだった。

「アルナの奴、何処までも自由だな……」
「あの娘、ホント馬鹿なんだから!」

 隣で怒りを露にするのは仲間の、果実を思わせる鮮やかなオレンジ髪に赤目の、メタリックなワンピースを身に纏ったエルフの少女――――金星の魔女ジュエル。
 2人の放つ空気の色は真逆であるが、不穏である事は一致していた。せっかくの麗らかな陽光も無意味だ。

 コトン。

 2人の目の前のローテーブルに淹れたてのハーブティとクッキーが置かれた。

「まあまあ。とりあえず、ハーブティでも飲んで。心も身体も休まるわよぉ」

 2人が視線を上げた先に、春の日差しの様に穏やかな微笑みを湛えた少女が立って居た。
 彼女もエルフで、2人の仲間だ。薄い浅葱色の毛先が螺旋を描く長髪に花冠を乗せ、本来ルビー色である瞳は完全に閉じていた。笑顔だからではなく、常だ。
 名をアロマーネ、木星の魔女である。

「ありがとう」
「ありがたい……けど、お礼は言わないからね」

 シーラは微笑み返し、ジュエルは素直になれずに怒りの表情を返した。
 相変わらずの仲間の様子を微笑ましく思いながら、アロマーネもソファーに腰を掛けて一緒にティータイムを楽しんだ。

「でも……唯一の回復役が抜けたとなると、大変ねぇ」

 ティーカップ片手にのんびり言うアロマーネの口調は、台詞とは裏腹に全く深刻そうではなかった。
 ジュエルはクッキーを口へ運んで豪快に咀嚼音を響かせ、シーラは静かにティーカップをソーサーに置いて頭を抱えた。

「こっちは精霊と分離し、エンテも居なくなってしまって戦力がダウンしていると言うのに、万が一ただでさえ魔力が私より強いオズワルド側についてしまったとなると……はあ」
「え? シーラよりも強いの、アイツ」

 皿のクッキーを半分程胃に収めたジュエルが口を挟んだ。
 アロマーネも興味津々な顔でシーラの顔色を覗っている。
 シーラは2人の視線を受け取り、躊躇なく肯定した。

「同じ水星の魔法使いだが、奴の魔力は私を上回るのだ。使い魔を多数従えている事からも、強者である事が分かる。使い魔を解放し、魔力を手元に戻せば……大陸の1つや2つ、海底に沈める事が出来るだろうな」
「半分人間のくせに……」

 ジュエルは唇を尖らせ、またクッキーを頬張り始めた。
 魔力のある者ならば、使い魔を従える事が可能だ。但し、使い魔は瀕死の生物に己の魔力を注ぎ込む事で完成し、それを新たな心臓として動く為に、主は魔力をその分削る事となる。つまり、使い魔が増えれば増えるだけ、魔力が減るのだ。勿論、使い魔を解放すれば、使い魔は消滅して魔力は戻る仕組みとなっている。
 現在魔力が削られているオズワルド・リデル(正しくはその魂を取り込んだ鏡崎 華音であるが、彼女らはその事を知らない)に、火星の魔女エンテは倒されたのだ。魔力を完全に取り戻したら、残りの7人(アルナを抜いて6人)の魔女など一瞬で消されるだろう。

 まさか、人間に飼われていただけの何も出来ない子供がこれほどまでの脅威となるとはな……。

 オズワルドと初めて逢った時の遠い記憶を呼び起こし、シーラは1人苦笑した。

「ねえ、そう言えばさ……クランとライラとウィンドールは何処行ったの?」

 あっという間にクッキーを平らげたジュエルが話題を振った。
 アロマーネは辺りを見渡して「そう言えば……」と小さな声で零し、シーラが答えた。

「ライラとウィンドールはロケットの打ち上げを見に行った。クランは……」
「ロケットぉ? 何それ」
「あら、ジュエルは知らないのぉ? 宇宙空間に行く事の出来る画期的な乗り物の事よ。ね、シーラ」
「ああ。こちらの人間の技術は大したものだ。宇宙に行く事など、まるで精霊か神の業だ」
「へぇ。あの電波双子、そのロケットとやらに乗り込んで一緒に宇宙へ行ったりしないわよね」

 ジュエルの脳内では、双子が宇宙空間でふわふわ浮かぶ光景が容易に想像出来た。
 彼らは美しい外見からは想像出来ないぐらいの、意味不明発言ばかりする何を考えているのか検討がつかない電波なのだ。魔力はプラネットの中でもトップクラスなのに、それを台無しに出来る程だ。
 シーラとアロマーネの脳内でも同じ光景が広がったが、シーラは頭を振って落ち着いた態度で返した。

「いくらなんでもそれはないだろう。1度宇宙空間へ行ったら、もう暫くは戻って来れん。それぐらいアイツらにも分かる筈だ」
「まあ、信頼しているのねぇ。信頼と言えば、シーラの使い魔はちゃぁんと役目を果たしているのかしら?」

 にっこりと、普段通りの笑みで問いかけるアロマーネ。だが、少しだけ陰りが見えた。
 シーラはプラネットを束ねる者として、堂々たる面持ちで居住まいを正した。

「今のところは順調だ。ちゃんとオズワルドの動きを監視している……だが、魔法鏡(まほうきょう)の間と呼ばれるところへは共に入る事が出来ない故、そこで何をしているのか分からん。恐らく、此方(リアルム)へ何らかの力を送り我々を邪魔している」
「なーんだ。それじゃあ、あんまり役に立ってないじゃない」

 ジュエルが唇を尖らせ、皿に手を伸ばしたがもうクッキーはない。諦めて、少し冷めたハーブティを口に含んだ。

「今のところはそうかもしれないが、順調だと言っただろう。私にも策がある。ヴィルヘルム王子は特にオズワルドを忌避している。そこを利用するのだ。まずは王子を此方側へつかせる事。しかし……あまり近付き過ぎても勘づかれる。現に、昨夜もう少しのところでオズワルドに気付かれるところだった。少し時間をかける事になるが、此方(リアルム)でも既にクランが動き出している」

 カチャ。

 部屋の扉が開き、石鹸の香りがふわっと舞い込んで来た。
 そして、優雅な足取りで入室して来たのは、三角形の連なる独特な模様でありながらも落ち着いた色合いの着物を着た女性だ。
 ルビー色の瞳は小さく眉は太めで唇は薄く、美人顔とは言えないがとても包容力のある優しげな顔立ちをしている。髪はチョコレートブラウンで、後ろ髪は首筋を覆う程度の長さだが、左の横髪の一房だけが少し長くリボンで飾りつけている。

「おお、クランか。丁度いい」

 シーラが微笑むと、土星の魔女クランも微笑み返して3人のもとへ歩み寄った。
 ふわっとまた、今度は3人の間近に石鹸の香りが漂う。

「え? クラン、何処か行くの? もしかして、デート!?」

 ジュエルが頬を紅潮させクランへ指を差したが、他の者の反応は至って普通だった。特に、ジュエルに指差された本人は口元を手で覆い上品な笑みを浮かべた。

「ふふ。残念ですが、仕事です。まあ、そうでなくとも、女性たる者身だしなみはきちんとしなくてはなりませんよ? ジュエル。お口周りに食べかすが付いています」
「ふぇ!? あ、本当だ……。う……恥ずかしい」

 ジュエルは指で食べかすを払い、先とは違う意味で顔を真っ赤にして俯いた。

「そこが愛らしくて魅力的だと思いますよ。それでは皆さん、行って参ります」

 クランはジュエルのオレンジ頭を優しい手つきで撫で、恭しく一礼して来た時と同じ優雅な足取りで部屋を出て行った。

「あら。もう少しゆっくりしていけばよかったのに。ハーブティもあったのよぉ」

 相変わらずの間延びした声で不満を零すと、アロマーネはせっせと食器を片付け始めた。シーラも手伝う。

「ありがとう、シーラ」
「礼には及ばん。さあ、私達もブラックホールの魔女とホワイトホールの魔女捜索続行だ」
「シーラも真面目ねぇ。ハーブに水をあげてからね」
「ああ。と言うか、水ぐらい私の魔術で与えておこう」
「助かるわぁ~。便利ね、水の魔術って」

 2人は話しながらキッチンの方へ歩いていった。
 すっかり綺麗に片付いたテーブルに、ジュエルは気怠そうに上体を伸ばした。

「えー。もう少しゆっくりしようよ。駅前にさ、スイーツ食べ放題のお店が出来たんだけど……」
「私は行かないぞ。甘い物ならば、アロマーネが作ってくれるしな」
(わたくし)は気になるけどぉ。でも、ジュエル。貴女、食べてばかりだと太るわよ?」

 片付けを終えたシーラ、アロマーネが順に戻って来てそう言った。
 ジュエルはシーラの言葉にガッカリし、アロマーネの言葉にムッとした。

「た、食べてばかりじゃないし! あたしだってきちんと働くわよ! もうっ……先に行ってるからねっ!」

 そして、ジュエルは窓から飛び出していった。
 シーラとアロマーネは顔を見合わせ、くすりと笑った。

「早く歴史改竄して、エンテと再会し……幸せだったあの日々を取り戻そう」
「そうね。ミッドガイア王国のオリバー王が恋仲だったエルフの女性を公開処刑したあの日、全てが変わってしまった。いえ、それ以前から人間とエルフは不仲だった訳だけど……。とにかく、それが発端であんな大戦争が起きてしまった。多くの者は死に、何とか生き延びた(わたくし)達の最愛の者達ももう……」

 2人の脳裏には、同じ悲劇の光景が広がっていた。
 見渡せば、赤色ばかり。炎の色、血の色、どれも、何処も、赤赤赤赤赤赤、全部赤。
 その色を吸い込んだ様に2人の瞳は赤く、波の様に揺れていた。
 シーラは「はあぁ」っと息と共に悍ましい記憶を吐き出し、代わりに新鮮な空気を取り込んだ。

「とにかく私達はあの戦争をなかった事にしなくてはならない。その為には一刻も早く、歴史改竄の鍵を全て手に入れなければ」

 2人は庭に植えてあるハーブに水を遣り、ジュエルに遅れを取らぬようにそれぞれ街の中へ散っていった。