無人の入場ゲートを足早に通り過ぎ、華音と桜花はゴンドラへ乗り込んだ。
 2人を乗せたそれはゆっくりと上昇し始めた。
 座席を足場にし、窓を開ける華音の瞳に美しい夜景が広がった。園内アトラクションの光、近辺の繁華街の光、海上を滑る船の光、海上を跨ぐ大橋の光…………実に多くの光が、夜の闇に溶け込んだ地上を明るく照らしていて、天上の星空とはまた違った儚さと力強さがあった。

「……普通に観覧車、乗りたかったね」
「そうね」

 同じ光景を見ていた桜花も、心からそう思った。
 華音が窓からゴンドラの上へ這い出て、桜花に手を差し伸べる。
 桜花はその手を取り、華音の横へ並んだ。上空の風が容赦なく2人を攫おうとするも、2人は杖を支えに何とか耐えた。
 ゆっくり、ゆっくり、軋む音を立てながらゴンドラは上昇していき、満月に大分近付いた。

「ようこそ! 月夜のパレードへ!」



 今、頂上となっているゴンドラの上に、満月をバックに逆光となった小さき魔女の影が立って居た。観覧車の骨組みから溢れる七色の光を映すルビー色の瞳が、一層怪しく輝く。
 やがて、華音達の乗っているゴンドラが頂上に達すると、アルナは下っていくゴンドラから身を投げて一瞬白光に包まれた後、再び姿を現した。それも、2人の頭上。

『カノン! 上だ!』

 オズワルドの素早い呼び掛けにより、華音は桜花にも注意を呼び掛け、2人それぞれ別の方向へ散った。直後、2人が足場にしていたゴンドラにアルナの拳が振り下ろされて突き破った。
 衝撃で、観覧車全体が大きく揺れた。
 華音は上昇するゴンドラ上、桜花は下降するゴンドラ上、そして、アルナは自身が破壊したゴンドラ内に居た。
 華音は敵の姿をしっかりと捉え、琥珀色の瞳を光らせた。
 アルナは散乱する瓦礫の中から立ち上がり、すぐに周囲のマナが大きく揺らいだ事に気付く。

「うっそ! このタイミングで!?」

 ゴンドラ内の気温が僅かに下がり、水属性のマナが渦巻いていく。そして……

「メイルストローム!」

 華音の声が響き渡り、マナは大渦潮へと変わってゴンドラ内を満たす。
 逃げ場のないアルナは大渦潮に飲まれ、ぐるぐる回る。顔が何度も浮き出ては水中に沈む。呼吸する事さえままならない。
 ゴンドラが水圧によって弾け、水が飛び散る。
 アルナも外へ弾け飛んだが、身を翻して骨組みに着地。水を滴らせながら、乱れた呼吸を整える様に息を吐いた。

「ソウルバーン!」

 そこへ、桜花の魔術が炸裂。
 球状に膨れ上がった炎が大爆発を起こし、アルナを巻き込む。
 アルナは寸前で魔法壁を張り、その莫大なマナを自身の体内へ流し込んだ。
 静かな煙だけが残り、ゴンドラ上の桜花はきょとんとした。

「ちょうど魔力が足りなくなってきたんだよねーっ。ごちそーさま! これで、治癒術使えるぞ」

 アルナは光に包まれて一瞬でダメージをゼロにし、骨組みを伝って桜花のもとへ向かう。
 桜花が杖を構えると、目の前に氷の刃が降り注いだ。それらは全てアルナを攻撃対象としていた。
 しかし、アルナは魔法壁で弾き、桜花を狙う武器とした。
 氷の刃が桜花に飛んでいく。
 後ろへ飛び退いた桜花だが、着くべき足場がなかった。

「きゃあ!」

 そのまま転落。ニヤリと、月の魔女が歪な笑みを浮かべた。

「桜花!」

 頂上から華音の声が響き、それに呼応する様に水属性のマナが瞬時に集い、桜花を包み込んだ。
 アルナの顔から笑みが消えていく。
 桜花は、弾力性のある巨大な水泡をクッションにして助かった。
 水泡は空中でぷかぷかと浮き沈みを繰り返して漂っている。

「なーんだ。助かっちゃったかー。落ちて頭パックリも面白かったのにぃ」
「お前、本気で……。――――桜花、早く戻って! それ、もうもたないかも」

 華音はアルナの言動に身震いし、頭を振って桜花に声を掛けた。
 桜花は素直に従い、ひょいっとゴンドラ上へ飛び乗った。丁度、華音が乗っていた。途端、水泡は弾けてマナの光を散らして消えた。

「さっきはごめん。オレの魔術が桜花に当たるところだった……」
「それは気にしていないわ。あ! 華音、来るわ!」

 桜花が視線を向けている先から、アルナが右手に月属性のマナを纏わせて降って来た。
 華音は杖を盾にする。

「このっ!」

 全身の力を込め、ずっしりと重い一撃を見事押し返した。

「それは予想外~!」

 アルナはそう叫びながら、飛ばされ、骨組みに激突して崩れた。そこへ、華音は走り込む。
 起き上がろうとするアルナの両腕をがっちり掴み、後ろを一瞥する。

「桜花、今だ!」

 その言葉の意味を理解した桜花は躊躇しつつも確かに頷き、詠唱を始める。
 アルナは華音の腕を振り解こうと暴れた。

「何するんだ! アルナに触ルナ!」
「こうでもしないと、魔法壁で魔術を弾くか吸収するだろ。オレ達には時間がないんだ。これで終わりにする」
「お、お前だって無事じゃすまないぞっ!?」
「……精神的にはね。だけど、今オズワルドであるオレにはドロシーである桜花の魔術は効かないんだ」
「火属性……水の加護…………。やだぁ! アルナ、こんな負け方したくない~っ!」

 アルナが子供の様に泣き喚くと、ずっと大人しかった白兎が牙を剥き、主の腕を掴む華音の腕に噛み付いた。

「いった! え? 兎って噛むの? いててて」

 更に、華音によじ登って首筋をガジガジする。肌に直接なので、激痛が走り、血も出る。
 だが、華音はアルナを離さなかった。そのうちに、桜花の魔術が発動。

「ソウルバーン!」

 味方を巻き込んで、大爆発が起きた。
 骨組みが崩れ、全身火傷を負ったアルナが転落。華音は崩落寸前で桜花のもとへ戻った。

「何か、やっぱかわいそうだけど、これで……」
「ねえ、何で兎に齧られているの?」

 桜花はアメジスト色の瞳を瞬かせた。

「え? まだ居るの? 痛いって!」

 華音は首筋を齧る白兎をむんずと掴むが、なかなか離れない。
 転落していたアルナの身体が光に包まれる。エンテの様な最期を迎えるのだろう。
 華音の隣でも、光がちらついた。猫の姿に戻った煉獄を胸に抱く桜花だ。

「そろそろドロシーが還っちゃうみたい……」
「そっか。じゃあ、此処は危険だからゴンドラの中に入ろう」

 窓を開け、桜花を先にゴンドラ内へ送った華音は頭上で輝いた光にハッとした。

「アルナ……!」

 光の中から月の魔女が現れ、頂上のゴンドラにトンッと降り立った。
 華音の肩に乗った白兎がそわそわし始めた。

「アルナは……エンテみたいに雑魚じゃない……そんな簡単に死ぬもんか! アルナは、アルナは強いんだ! お前みたいにモドキじゃない……!」

 強気な態度を見せるも、もう身体はボロボロ、桜花のおかげで魔力を回復したと言えど一時的に過ぎず、魔力もあまり残されていない、声も震えてしまっている。もういっそ、負けを認めて潔く散っていくのが美しいと思うぐらい、みすぼらしい姿だ。
 憐れむ華音に、オズワルドはそっと告げる。

『コイツは一番タチが悪い。命は所詮玩具、価値を理解出来ていない……心はずっと子供のままだ。ここで消しておくべきだ』
「そう……だな」

 ガジガジガジ。

 白兎が華音の首筋を齧る。
 華音は白兎と痛みを完全にシャットアウトし、意識を集中させる。止めの呪文を脳裏に並べる。

「月夜のパレードはこれでおしまい。――――ヘイルテンペスト!」

 無数の氷の粒が吹き荒れ、嵐となる。
 哀れな月の魔女がそれに飲まれる刹那、白兎が跳んだ。

「ほわまろ!?」

 アルナの叫びが響くと、白兎は月にも負けない強い光を放って魔術を弾いた。
 月属性、水属性、2つの大きなマナがぶつかり合い、爆発が起きる。
 アルナはその場に尻餅を付き、華音は腕で視界を覆う。
 白兎は力尽き、落ちていく。

「やだぁ! ほわまろ――――っ!」

 アルナは泣き叫ぶ。両の目からは大粒の涙が溢れていた。その姿は残虐な魔女とは程遠い、無垢な少女だった。
 華音はそれを見た瞬間、自然と身体が動いていた。

『駄目だ! カノン、戻らなければお前も……』

 オズワルドの声はそこで途絶え、空中へ身を投げた華音の髪は水色から黒色へ、瞳は琥珀色から漆黒色へ、白いローブは水色パーカーへと戻っていった。
 ゴンドラ上のアルナ、既に地上へ降り立ってもとの姿へ戻った桜花が不安に駆られる中、華音は空中でしっかりと白兎を両腕に収めた。

「……良かった」

 華音は腕の中の体温に安堵し、そっと目を閉じた。魔法使いの力がない唯の高校生の自分には、もうこの最悪な展開を回避する術はない。

 ぼふっ。

 背中に柔らかい感触を得、華音は固く閉じていた目を開けた。

「これは……バルーン……?」

 奇跡的に、華音は観覧車横のにゃにゃっぴーのバルーン上へ落下したのだった。

「まさか、コイツに助けられるとは……」

 散々恐れていたマスコットに命を救われ、今後ファンになろうと誓う。
 腕の中で、白兎がもぞっと動いた。口を華音の頬へ近づけ、前歯……ではなく、舌をペロッと這わせた。

「く、くすぐった……」

 つい、華音の顔に笑みが浮かんだ。
 そこへ、小さな影が降り立った。

「ほわまろ……ホント、よかった」

 アルナだ。
 まだ、顔は涙で濡れていた。

「アルナ……。はい」

 華音が笑顔で白兎を返すと、アルナは大事そうに受け取った。

「ありがと……。もう、バカ。お前も死ぬとこだったんだぞっ。ホントバカだな、無茶しちゃって……」

 その顔は笑っていて、これまで見せていた笑顔よりも何倍も輝いてみえた。
 本当は、世界を破滅へと導く悪い奴ではないのかも……そんな事をぼんやりと華音が思っていると、いつの間にかアルナの姿が消えていた。