短足のくせに、意外にもにゃにゃっぴーは速い。まるで、魔法使い達をおちょくっている様だ。
 1人で走っていた華音の数歩後ろに桜花も続く。
 2人がにゃにゃっぴーに追いついたのは、近くの川の前だった。
 水面が街灯を反射させてキラキラ揺れる。

「お前、一体何なんだ!」

 華音がにゃにゃっぴーを乱暴に掴むと、弾みでその重たそうな頭部がゴロンと落ちた。
 月明かりに照らされて、正体が明らかとなる。

「あなたこそ何なんですかぁ? 俺、唯のバイトっすよ?」

 それは、金髪の若い男性だった。
 華音は力なく手を下げ、桜花は数歩後ろで大好きなキャラクターの中身にショックを受けていた。
 背中に汗が伝い、華音はぞぞっと寒気を感じた。顔は青白い。

「ヤバイ……唯の一般人だった…………どうしよう」
『いや、カノン。水面をよく見ろ』

 思考が停止しそうな華音の脳内に、オズワルドの冷静な声が直接響いた。

「水面……?」

 あまり気乗りせず見ると、水面に映っている筈の男性の姿が何処にもなく、代わりに金髪ツインテールの少女が映っていた。
 華音はその姿を以前、見た事があった。

「つ、月の魔女!?」

 すると、男性がくつくつと笑い始め、俯いたかと思えば、顔を上げて口を三日月型に歪めた。黒色の双眸がルビー色に変わり、ぎらりと光った。

「鏡はそこにあるものを映す、真実だ。水面もまた同じ事。オズワルド、王女、やっと会えたねぇ!」

 声が段々と男のものから幼い少女のものへと変わっていき、その姿も徐々に歪んでいく。そして、一層強い光が男性を中心に辺り一面を包み込み、光が薄れた時にはそこに居た筈の男性は、水面に映っていた少女へと変わっていた。服装も、フリルとリボンたっぷりの白いケープに黒いブラウス、暖色系チェック模様のカボチャパンツ、リボンがあしらわれた茶色いブーツになっていた。細い肩には、赤い瞳の小さな白兎がちょこんと乗っていた。

「改めまして、月の魔女アルナとその相棒ほわまろです。以後お見知り置きを……って、もうお前達に以後はないんだけどなっ」

 アルナは恭しくお辞儀をすると、八重歯をニッと覗かせてあどけない笑みを作った。
 華音と桜花、2人の中にいるオズワルドとドロシーは気を引き締めた。
 魔法使い達に敵意を向けられているにも関わらず、アルナは全く動じず、遊び相手を前にしているかの様に楽しげだ。

「魂のみをこっちへ移動させているようだねぇ。それも、こっちの次元の自分自身に。そうする事で、アルナ達の邪魔をしてたって訳だ」

 華音と桜花はドキリとした。目の前の魔女には、全て見抜かれている。
 アルナは予想通りの2人の反応に、愉快そうにニヤニヤ笑った。

「それが分かれば、もうアルナ達の敵じゃないね! あーでも、安心するといいぞっ。アルナはこの事を他の皆には言ってないからな。言う必要がない、が正しいか。さっきも言ったけど、お前達はここでおしまい。アルナが倒すんだからなっ」

 杖を構え、華音は桜花をかばう様にして前に出た。
 少し距離を詰めたアルナは、相変わらずの笑顔だ。

「王女モドキを護るのはオズワルドの意思か、お前自身の意思か。……ふふっ。オズワルド、お前は王女をずいぶんと可愛がっているようだな? 王女だったら、もう1人居るのに、そいつだけを贔屓しているように見える。そういえば、第2王女だけ毛色が違ったなぁ。もしかして、娘か?」
「え? 娘って……」

 華音は瞠目し、後ろを振り返って桜花――――ドロシーを見た。
 桜花も、彼女の中に居るドロシーも、華音と同じ表情を浮かべていた。

『カノン。アイツの喉を潰せ』

 華音の脳内に、オズワルドの低く刺のある声が響いた。
 内側からチクチクと刺す様な威圧を感じ、華音は息苦しく思った。

「何怒ってるんだ」

 本当の事を言われたからなのか? とは間違っても訊けない。

『違う。……詠唱出来ない様にする為だ』

 オズワルドの殺気を同じく感じ取ったアルナは、一層愉快そうに弾むように前方へ駆けていく。

「オズワルドに絶望を与えるのも面白そうだ! まずは王女から始末に決定~! あれ? でも、こっちにいる魂は壊せるのかなぁ? あははっ! 試してみよーっと」

 オズワルドの感情に押し潰されそうになっている華音の脇を摺り抜け、小さな魔女は無邪気な笑みを湛えたまま桜花の懐へ飛び込む。
 そこで、右の拳に淡い光を纏わせて軽く飛躍し、桜花の頭上目掛けて振り下ろす。
 桜花がサッと後ろへ飛び退くと、桜花の居た場所にアルナの小さな拳が叩き落とされ、タイルにクレーターが出来た。

「な、何なのよ……あれ」

 桜花の震えた声に、ドロシーは何も応える事は出来ずに同じ様に動揺していた。
 アルナは苦笑しながら、拳をタイルの間から抜き反対の手でパッパッと砂埃を払った。

「ありゃー外しちゃったかぁ。アルナ、肉体系じゃないからなぁ~」

 また、拳に光を纏い出した月の魔女。
 先程よりも桜花に緊張が走り、自然と杖を握る手に力が入る。また、傍観する事となってしまった華音にも、確かな緊張と焦りが走った。

「お、おい。オズワルド。あれは何だよ。あんな小さな身体なのに、力ありすぎじゃないか」
『アルナの持つ月の魔力は、肉体や魔術を一時的に強化させる事が出来る。……やはり、エンテ同様にアイツも精霊と分離しているな』

 オズワルドは華音の中から、冷静に敵を分析する。
 以前戦った時より、魔力は半減。しかし、元が強大である為決して雑魚ではないのだが、攻撃系魔術を得意とするオズワルドとドロシーの前では圧倒的に不利である筈。それなのに、アルナの魔力は少しも揺らがない。
 オズワルドは思案する。

『しかし、此処まで肉体強化が可能なものなのか……』
「オレは元のアルナの強さを知らないけど……。うーん……」

 華音も首を捻り、何気なく見上げた先に満月が見えた事で、スッと記憶が呼び覚まされた。

「満月だ! 確か、月の魔力って月の満ち欠けに左右されるって言ってなかったか?」
『――――そうだ。その通りだ。満月は月の魔力が最大限に引き出される。だから、今夜私達の前に堂々と現れたのか』

 オズワルドは納得すると、アルナを分析の対象から排除の対象へと切り替えた。連動して、華音は表情を引き締めて杖をしっかり構えた。
 アルナが再び肉体強化させた拳で、桜花に襲いかかる。
 今度は避けずに杖で受け止める桜花……だが、重い。

「くっ……!」

 桜花は歯を食い縛り、目一杯アルナを押し返そうとする。間近に見える幼い顔は、桜花とは対照的で楽しそうだ。
 アルナの力が桜花を押し始める。
 メキメキと、杖が悲鳴を上げ始める。
 そこへ。

 ヒュン!

 真横から、月の魔女目掛けて氷の刃が次々と飛んで来た。
 アルナは体勢をそのままに、空いている方の手を突き出して月属性のマナで視認する事の出来ない壁を形成させる。
 氷の刃はそれに阻まれ、対象を貫く事をしないまま術者のもとへ戻って来た。
 華音は幾つか杖で弾き、残りは横へ飛び退いて躱した。
 何1つ役目を果たせなかった氷の刃は、静かに水属性のマナへと還っていった。
 華音の介入によって、少なからずアルナの心にも手元にも隙が出来、それを見逃さなかった桜花はアメジスト色の瞳を光らせ、杖を握る両腕に全身の力を込め、見事力比べに勝利した。
 軽く後方へ吹き飛んだアルナは宙返りする。その時に、沢山の色鮮やかな光を見た。ライトアップされたアトラクションだ。
 アルナはふわりと着地すると、無邪気な笑みを浮かべ2人の魔法使いに背を向けて光に誘われる様にして軽やかに駆けていった。
 2つに結われた金の髪が後方へ流れて動物の尻尾の様に揺らぎ、白いケープが風を孕んでパラソルの様に綺麗に広がる。

「アルナ、こんなヘンテコなとこ初めて! スペクルムにはないもんねっ」

 声色も、身体同様軽やかで楽しげだ。
 華音と桜花はすぐに、無邪気な背中を追い掛けた。

「さっきまでドロシーの魂を壊す……とか言っていたのに、急にどうしたのかしら」

 桜花が大きな瞳をパチパチさせると、一歩前を走る華音は微苦笑した。

「好奇心旺盛で、飽きっぽい……まるで子供みたいだな」

 アルナは無人のボート――――少し前、華音と桜花が乗ったアトラクション――――に乗り込んだ。
 ボートはすいすい、水上を滑っていく。
 2人が追いついた時には、ボートは船着場から離れた所で揺れていた。

「きゃあぁぁっ!!」

 若い女性の悲鳴が反響し、2人の意識と視線は魔女から逸れてその声の主を探した。
 結局被害者の姿は視界に入らなかったが、代わりに禍々しい獣の影が幾つか横切った。

「そうそう。こーしてる間にも、ちゃぁんとアルナの可愛い魔物ちゃん達はお仕事してるからな」

 遠ざかっていくボートからアルナが愉快そうに笑い、華音は杖をギュッと握り、桜花は赤いポニーテールを翻す。

「桜花?」

 華音が一歩踏み出した桜花の背中に声を掛けると、彼女は振り返って頼もしい笑みを浮かべた。

「わたしが倒して来るわ! 華音はアルナをよろしくね」
「ああ。だけど、無茶しないでよ?」
「大丈夫よ! わたしに任せなさい!」

 桜花が駆けていくと、すぐに華音は魔女を乗せて今も尚遠ざかっていくボートを川沿いに追い掛けていった。