お化け屋敷は例外として、他のアトラクションは最低でも30分は待った。アトラクションを楽しむ時間よりも、待ち時間の方が長くて華音は元より、桜花も疲れきった様子だった。
だから、今は少し遅い昼食――――否、空が黄昏に染まりゆく時刻だから、早めの夕食を摂っている最中だった。
華音の向かいの席で、桜花は彼と同じメニューを幸せそうに頬張っていた。
「やっぱりメガハンバーガーよね! ここのはタレが濃厚で、マヨネーズたっぷりで美味しい」
口周りが汚れても、お構いなしだ。
華音はそっと桜花の手元に新しいおしぼりを置いて、食べ終えたハンバーガーの包みを綺麗に畳んだ。
「桜花ってさ、ボリュームのあるものが好きなんだ?」
華音が問うと、桜花はハンバーガーを下ろしてきょとんとし、舌で口周りを舐め取って答えた。
「この際、華音には言うけど、その通りなのよ。よく見抜いたわね」
「分かりやすすぎるよ。だけど、学校とかじゃ周りの女の子の好みに合わせてるみたいだけど、どうして?」
「……だって、変じゃない?」
そうでなくとも変だと返したかったが、揺れる栗色の瞳を見て、華音はそれを飲み込んで別の言葉を選んだ。
「自分の好きな物を食べる事が変な事だとは思わないけど」
「……一応、わたし、女の子なのよ。華音は男の子だから、そう言うの食べてもおかしくないけれど、わたしだとおかしいの。異端なのよ。ほら、女の子って甘い物とか、あっさりした物とか食べてるイメージでしょ? あと少食。だからね、がっつり食べていると、大食いとか言われちゃうの……」
「……言われた事あるの?」
「……ない、けど。でも……」
「それならいいんじゃない? オレはそう言う事でおかしいとは思わない。オレは好きな物を好きなだけ、美味しそうに食べる娘の方が好きだな」
華音の表情や声色はいつになく優しく、先程のメロンクリームソーダの様に甘くて爽やかで、桜花はドキッとした。
桜花は目の前の漆黒の瞳が見られなくなり、ややずらした。そこに丁度居たのは、一組みのカップルで、仲睦ましい様子にまた心臓が揺れ動いた。
桜花は胸に手を当て、普段とは違う自分の格好を改めて見た。
そういえば、華音は1度も今日の桜花の格好について触れていない。
せっかく時間をかけてオシャレしてきたのに、少しだけ桜花は寂しい思いがした。
「か、華音は……」
「ん?」
華音は残りのドリンクを飲み干し、桜花を見た。
桜花は顔を上げ、漆黒の瞳をしっかり捕らえた。
目が合った瞬間、華音の方もドキッとした。
「華音は……その、今、好きな娘が居る……の?」
言い切ってから桜花は後悔し、赤面して俯いた。
フワッと吹いた風に、華音は舞い上がる黒髪を押さえながら、遠くを眺めて小さく微笑んだ。
「居ないけど、きっとそうなるだろうなって……気になる娘は居るよ。いや、もしかしたらもう……」
桜花には、華音が一層遠くに感じた。
「そうなんだ……」と、自分で答えさせておいて、興味のない返事が無意識に口から出た。
胸がズキンと痛む。怪我をした訳でもないのに。こんな感情は初めてで、戸惑いを外へ追い出す様に、桜花は残りのハンバーガーを口一杯に詰め込んだ。
その後、桜花が窒息しかけ、慌てて華音が背中を叩いて水を差し出したのだった。
日が完全に暮れてしまう前に帰ろうかと提案した華音だが、観覧車から夜景が見たいと言う桜花の強い要望で、結局まだ遊園地に留まった。
少し子供の数は減ったが、まだまだ沢山の人が往来し、にゃにゃっぴー以外のマスコットが度々現れては色んな来訪者に連れ去られていった。
煉瓦の道を2人並んでゆったりと歩く。さすがに、1つのアトラクションで30分待ち、はたまた3時間待ちなどをしていたら、全てのエリアは回る事が出来ない。
仕方なく諦め、すぐに楽しめそうなところを探す。
「あ! あれとか、すぐ乗れそうよ」
桜花は笑顔を弾けさせたが、華音は苦笑いを浮かべた。
「あれ、濡れるやつだよ?」
「上等よ! わたしは華音にやられたから、もう耐性がついているの」
「オレが故意にやったんじゃないからね?」
「それに、華音だって噴水に落ちたから平気な筈……」
「それも事故だし! もう日が沈むし、この時季でも冷えるよ」
「冷えたら、わたしがドロシーの力を借りて火を起こすから安心しなさい」
「そんな事で、王女の力を使わないであげて!」
「さあ、もう時間よ! 急がなきゃ!」
桜花は階段を我先にと駆け上り、三日月型のボートを出航させようとしている係員に待ったの声を掛けた。
既に他の乗客で座席が埋まっており、唯一空いている2席――――桜花は最前列の奥、華音は中央列の手前――――にそれぞれ座った。
乗客を乗せたボートはゆっくりと、船着場から離れていった。
華音と桜花も何度か渡った橋の下を潜り、まだ長蛇の列を成しているアトラクションの傍を通り過ぎ、ボートから流れる楽しげな音楽が悠久の時を告げた。
アトラクションの入場口に書かれていた『注:濡れます』の警告が嘘の様に、今のところ何もなく優雅だ。そう、今のところは。
突然と、音楽が切羽詰ったかの様なテンポのものに変わり、ボートが小さく揺れて、同乗していた係員の男性が態とらしい演技を始めた。
「く、来るぞ!? この川の主が!!」
また、ボートが揺れ、少し水飛沫が乗客にかかった。小学生ぐらいの子は悲鳴を上げ、隣の母親に抱きついた。
他の者にも、やや緊張が走る。桜花と華音は“他の者”から溢れており、桜花は幼子みたいにはしゃぎ、華音は頬杖をついてぼんやりと成り行きを眺めていた。
更に、ボートが大きく揺れると、バシャーンと激しい水飛沫と共に、巨大ナマズが出現した。勿論、作り物であるが、つぶらな瞳に細いひげ、ヌメっとした身体の質感まで、ディティールにこだわりがあって、非常にリアルだった。スペクルムにいそうな風貌だ。
登場でかなりの水飛沫が船上に落ちたのにも関わらず、巨大ナマズが暴れる事でまた大量の水飛沫が降り注いだ。
係員も、乗客も、髪から水を滴らせていた。幸い、華音の乗っている方には、あまり水飛沫はかからなかった。
桜花はびしょ濡れになりながらも、アトラクションを存分に楽しんだ――――のだが。
ボートを降りた彼女の服は、白であった為に、完全に中が透けてしまっていた。
夕焼け色に染まったワンピースは、以前の猫耳パーカーよりも艶かしい。
華音の視線は、自然と桜花から逸れていた。
華音の所作に気付いた桜花は、自分の服が透けている事にも気が付いた。
「いつの間にこんな……」
困惑した声を上げるも、華音の前で平然と着替えを始めた桜花だ。透けている事に関しては何も気にしないだろう……と、華音は視界に少し入っている桜花に対してそう思っていた。
しかし、実際違ったのだ。
「や、やだ……。し、下着が見えちゃうじゃない……」
瞳を潤ませて、その場に蹲ってしまった。
華音は喫驚し、桜花の大半の女性と同じ反応に戸惑いを隠せなかった。
「だ、大丈夫。見てないから……。だけど、桜花。一糸纏わぬ状態じゃないなら問題ないんじゃ……」
「そんな訳ないじゃない!」
「え……桜花が言ったのに?」
衝撃の連続で、華音に休む暇はない。
桜花はそのまま動こうとせず、顔も上げなかった。身体が小刻みに震えている。それは羞恥心故なのか、寒さ故なのか、その両方なのか……華音には断定する事が出来なかったが、震える少女をこのままにはしておけなかったので、七分袖の水色パーカーを脱いでその細い肩に掛けた。
薄手だが、震える体を包んでくれる感触に、桜花は驚いて顔を上げた。
「オレは殆ど濡れなかったから、それを着てて。少しはマシだろうから」
夕焼けの中、Tシャツ姿になった華音が微笑んだ。Tシャツと言っても、パーカーと同じぐらいの袖の長さで、あまり大胆に肌の露出がなかった。
桜花は立ち上がり、パーカーでキュッと体を包んだ。
「ありがとう……」
恥ずかしさで真っ赤に染まっただろう顔は上げられなかったが、頬の色が夕焼けに溶け込んで、身体の熱との境目を曖昧にしていた為に殆ど無意味だった。
「とりあえず、何処か屋内に入って温かい物でも飲もうか。あと、タオルも借りよう」
「う、うん」
華音が歩き出し、桜花は半歩後ろをついていった。
最初は桜花が先導していたのに、今は立場が逆転していた。けれど、案外お互いに、不快にはならなかった。寧ろ、落ち着いた。
「華音は……暑くても肌をあまり出さないのね。今日はそれなりに、昼間は暑かったと思うのだけれど」
「うん。夏でも半袖は着ないな。制服は指定だから、着るけど。昔、全身の痣や傷を隠す為に、極力露出を控えていたからね。多分、それが今でも染み付いているんだと思う」
「そうだったの……。ごめんね、華音」
「謝らなくてもいいよ。気にしてないし。それに、ほら」
言いながら、華音は袖を捲って白い腕を見せた。
「もう何処にも痣や傷はないから」
本当に、綺麗な腕だった。
それを見た瞬間、桜花は泣きたくなった。
「そっか……それなら、気にする事はないわね。……良かった」
「それに、母さんの事はちゃんと許せる日が来ると思うから、もう平気なんだ」
歪なカボチャのコロッケは、あの日の幸せを思い出させてくれた。華音はもう1度それを思い出して、カボチャの甘さと一緒に噛み締めると、フッと桜花に穏やかな顔を向けた。
「さあ、早く行こう? 観覧車、乗るんだろ? 時間なくなるよ」
「あ。そうだったわね。行きましょう」
桜花も穏やかな顔で返し、2人はその位置を保ったまま近くに見えて来た建物に入っていった。
ゆっくり回る観覧車を足場にし、ぼんやりと黄昏の空に浮かぶ満月を背景にして小さな魔女は口を三日月型に歪めた。
金髪ツインテールが夜風に揺れ、リボンとフリルがあしらわれた白のケープが風を孕む。線の細い肩には、魔女と同じルビー色の瞳をもった白兎がちょこんと乗っていた。
月の魔女アルナは瞳に遊園地全体を映し、歪んだ口から幼い声を零した。
「さあ、アルナの可愛い魔物ちゃんたち! 狩りの時間だぞっ」
手を天へ向けると、空中にブラックホールの様な歪みが幾つも生じ、そこから一体ずつ魔物が飛び出した。
赤い双眸を滾らせ、魔物は本能のままに生命力を求めて地上へ散っていった。
手下達を見送りながら、アルナはゴンドラをぴょんぴょん兎の様に飛び越えていく。
「さぁて、アルナは魔法使い狩りといこうかなっ! あははっ楽しみ~」
だから、今は少し遅い昼食――――否、空が黄昏に染まりゆく時刻だから、早めの夕食を摂っている最中だった。
華音の向かいの席で、桜花は彼と同じメニューを幸せそうに頬張っていた。
「やっぱりメガハンバーガーよね! ここのはタレが濃厚で、マヨネーズたっぷりで美味しい」
口周りが汚れても、お構いなしだ。
華音はそっと桜花の手元に新しいおしぼりを置いて、食べ終えたハンバーガーの包みを綺麗に畳んだ。
「桜花ってさ、ボリュームのあるものが好きなんだ?」
華音が問うと、桜花はハンバーガーを下ろしてきょとんとし、舌で口周りを舐め取って答えた。
「この際、華音には言うけど、その通りなのよ。よく見抜いたわね」
「分かりやすすぎるよ。だけど、学校とかじゃ周りの女の子の好みに合わせてるみたいだけど、どうして?」
「……だって、変じゃない?」
そうでなくとも変だと返したかったが、揺れる栗色の瞳を見て、華音はそれを飲み込んで別の言葉を選んだ。
「自分の好きな物を食べる事が変な事だとは思わないけど」
「……一応、わたし、女の子なのよ。華音は男の子だから、そう言うの食べてもおかしくないけれど、わたしだとおかしいの。異端なのよ。ほら、女の子って甘い物とか、あっさりした物とか食べてるイメージでしょ? あと少食。だからね、がっつり食べていると、大食いとか言われちゃうの……」
「……言われた事あるの?」
「……ない、けど。でも……」
「それならいいんじゃない? オレはそう言う事でおかしいとは思わない。オレは好きな物を好きなだけ、美味しそうに食べる娘の方が好きだな」
華音の表情や声色はいつになく優しく、先程のメロンクリームソーダの様に甘くて爽やかで、桜花はドキッとした。
桜花は目の前の漆黒の瞳が見られなくなり、ややずらした。そこに丁度居たのは、一組みのカップルで、仲睦ましい様子にまた心臓が揺れ動いた。
桜花は胸に手を当て、普段とは違う自分の格好を改めて見た。
そういえば、華音は1度も今日の桜花の格好について触れていない。
せっかく時間をかけてオシャレしてきたのに、少しだけ桜花は寂しい思いがした。
「か、華音は……」
「ん?」
華音は残りのドリンクを飲み干し、桜花を見た。
桜花は顔を上げ、漆黒の瞳をしっかり捕らえた。
目が合った瞬間、華音の方もドキッとした。
「華音は……その、今、好きな娘が居る……の?」
言い切ってから桜花は後悔し、赤面して俯いた。
フワッと吹いた風に、華音は舞い上がる黒髪を押さえながら、遠くを眺めて小さく微笑んだ。
「居ないけど、きっとそうなるだろうなって……気になる娘は居るよ。いや、もしかしたらもう……」
桜花には、華音が一層遠くに感じた。
「そうなんだ……」と、自分で答えさせておいて、興味のない返事が無意識に口から出た。
胸がズキンと痛む。怪我をした訳でもないのに。こんな感情は初めてで、戸惑いを外へ追い出す様に、桜花は残りのハンバーガーを口一杯に詰め込んだ。
その後、桜花が窒息しかけ、慌てて華音が背中を叩いて水を差し出したのだった。
日が完全に暮れてしまう前に帰ろうかと提案した華音だが、観覧車から夜景が見たいと言う桜花の強い要望で、結局まだ遊園地に留まった。
少し子供の数は減ったが、まだまだ沢山の人が往来し、にゃにゃっぴー以外のマスコットが度々現れては色んな来訪者に連れ去られていった。
煉瓦の道を2人並んでゆったりと歩く。さすがに、1つのアトラクションで30分待ち、はたまた3時間待ちなどをしていたら、全てのエリアは回る事が出来ない。
仕方なく諦め、すぐに楽しめそうなところを探す。
「あ! あれとか、すぐ乗れそうよ」
桜花は笑顔を弾けさせたが、華音は苦笑いを浮かべた。
「あれ、濡れるやつだよ?」
「上等よ! わたしは華音にやられたから、もう耐性がついているの」
「オレが故意にやったんじゃないからね?」
「それに、華音だって噴水に落ちたから平気な筈……」
「それも事故だし! もう日が沈むし、この時季でも冷えるよ」
「冷えたら、わたしがドロシーの力を借りて火を起こすから安心しなさい」
「そんな事で、王女の力を使わないであげて!」
「さあ、もう時間よ! 急がなきゃ!」
桜花は階段を我先にと駆け上り、三日月型のボートを出航させようとしている係員に待ったの声を掛けた。
既に他の乗客で座席が埋まっており、唯一空いている2席――――桜花は最前列の奥、華音は中央列の手前――――にそれぞれ座った。
乗客を乗せたボートはゆっくりと、船着場から離れていった。
華音と桜花も何度か渡った橋の下を潜り、まだ長蛇の列を成しているアトラクションの傍を通り過ぎ、ボートから流れる楽しげな音楽が悠久の時を告げた。
アトラクションの入場口に書かれていた『注:濡れます』の警告が嘘の様に、今のところ何もなく優雅だ。そう、今のところは。
突然と、音楽が切羽詰ったかの様なテンポのものに変わり、ボートが小さく揺れて、同乗していた係員の男性が態とらしい演技を始めた。
「く、来るぞ!? この川の主が!!」
また、ボートが揺れ、少し水飛沫が乗客にかかった。小学生ぐらいの子は悲鳴を上げ、隣の母親に抱きついた。
他の者にも、やや緊張が走る。桜花と華音は“他の者”から溢れており、桜花は幼子みたいにはしゃぎ、華音は頬杖をついてぼんやりと成り行きを眺めていた。
更に、ボートが大きく揺れると、バシャーンと激しい水飛沫と共に、巨大ナマズが出現した。勿論、作り物であるが、つぶらな瞳に細いひげ、ヌメっとした身体の質感まで、ディティールにこだわりがあって、非常にリアルだった。スペクルムにいそうな風貌だ。
登場でかなりの水飛沫が船上に落ちたのにも関わらず、巨大ナマズが暴れる事でまた大量の水飛沫が降り注いだ。
係員も、乗客も、髪から水を滴らせていた。幸い、華音の乗っている方には、あまり水飛沫はかからなかった。
桜花はびしょ濡れになりながらも、アトラクションを存分に楽しんだ――――のだが。
ボートを降りた彼女の服は、白であった為に、完全に中が透けてしまっていた。
夕焼け色に染まったワンピースは、以前の猫耳パーカーよりも艶かしい。
華音の視線は、自然と桜花から逸れていた。
華音の所作に気付いた桜花は、自分の服が透けている事にも気が付いた。
「いつの間にこんな……」
困惑した声を上げるも、華音の前で平然と着替えを始めた桜花だ。透けている事に関しては何も気にしないだろう……と、華音は視界に少し入っている桜花に対してそう思っていた。
しかし、実際違ったのだ。
「や、やだ……。し、下着が見えちゃうじゃない……」
瞳を潤ませて、その場に蹲ってしまった。
華音は喫驚し、桜花の大半の女性と同じ反応に戸惑いを隠せなかった。
「だ、大丈夫。見てないから……。だけど、桜花。一糸纏わぬ状態じゃないなら問題ないんじゃ……」
「そんな訳ないじゃない!」
「え……桜花が言ったのに?」
衝撃の連続で、華音に休む暇はない。
桜花はそのまま動こうとせず、顔も上げなかった。身体が小刻みに震えている。それは羞恥心故なのか、寒さ故なのか、その両方なのか……華音には断定する事が出来なかったが、震える少女をこのままにはしておけなかったので、七分袖の水色パーカーを脱いでその細い肩に掛けた。
薄手だが、震える体を包んでくれる感触に、桜花は驚いて顔を上げた。
「オレは殆ど濡れなかったから、それを着てて。少しはマシだろうから」
夕焼けの中、Tシャツ姿になった華音が微笑んだ。Tシャツと言っても、パーカーと同じぐらいの袖の長さで、あまり大胆に肌の露出がなかった。
桜花は立ち上がり、パーカーでキュッと体を包んだ。
「ありがとう……」
恥ずかしさで真っ赤に染まっただろう顔は上げられなかったが、頬の色が夕焼けに溶け込んで、身体の熱との境目を曖昧にしていた為に殆ど無意味だった。
「とりあえず、何処か屋内に入って温かい物でも飲もうか。あと、タオルも借りよう」
「う、うん」
華音が歩き出し、桜花は半歩後ろをついていった。
最初は桜花が先導していたのに、今は立場が逆転していた。けれど、案外お互いに、不快にはならなかった。寧ろ、落ち着いた。
「華音は……暑くても肌をあまり出さないのね。今日はそれなりに、昼間は暑かったと思うのだけれど」
「うん。夏でも半袖は着ないな。制服は指定だから、着るけど。昔、全身の痣や傷を隠す為に、極力露出を控えていたからね。多分、それが今でも染み付いているんだと思う」
「そうだったの……。ごめんね、華音」
「謝らなくてもいいよ。気にしてないし。それに、ほら」
言いながら、華音は袖を捲って白い腕を見せた。
「もう何処にも痣や傷はないから」
本当に、綺麗な腕だった。
それを見た瞬間、桜花は泣きたくなった。
「そっか……それなら、気にする事はないわね。……良かった」
「それに、母さんの事はちゃんと許せる日が来ると思うから、もう平気なんだ」
歪なカボチャのコロッケは、あの日の幸せを思い出させてくれた。華音はもう1度それを思い出して、カボチャの甘さと一緒に噛み締めると、フッと桜花に穏やかな顔を向けた。
「さあ、早く行こう? 観覧車、乗るんだろ? 時間なくなるよ」
「あ。そうだったわね。行きましょう」
桜花も穏やかな顔で返し、2人はその位置を保ったまま近くに見えて来た建物に入っていった。
ゆっくり回る観覧車を足場にし、ぼんやりと黄昏の空に浮かぶ満月を背景にして小さな魔女は口を三日月型に歪めた。
金髪ツインテールが夜風に揺れ、リボンとフリルがあしらわれた白のケープが風を孕む。線の細い肩には、魔女と同じルビー色の瞳をもった白兎がちょこんと乗っていた。
月の魔女アルナは瞳に遊園地全体を映し、歪んだ口から幼い声を零した。
「さあ、アルナの可愛い魔物ちゃんたち! 狩りの時間だぞっ」
手を天へ向けると、空中にブラックホールの様な歪みが幾つも生じ、そこから一体ずつ魔物が飛び出した。
赤い双眸を滾らせ、魔物は本能のままに生命力を求めて地上へ散っていった。
手下達を見送りながら、アルナはゴンドラをぴょんぴょん兎の様に飛び越えていく。
「さぁて、アルナは魔法使い狩りといこうかなっ! あははっ楽しみ~」