やっとの事で入場口を潜り抜けると、変わらず沢山の人と、鮮やかな色彩、賑やかな音に包まれた。
 空中に張り巡らされたレールに、そこを高速で駆け抜ける乗り物、円盤の上で円盤ごとゆったりクルクル回る作り物の馬、天を目指しては急降下していく座席、水面を優雅に進む三日月型のボート、悲鳴が木霊する怪しい屋敷、売店、その他沢山のもので溢れかえり、まるでひっくり返したおもちゃ箱の様だった。

「これが遊園地なのね」

 入場口付近で言った言葉を桜花はまたしても同じ表情で繰り返し、目に映る全ての物に感動の目を向けては、ふらふら歩いていった。その様子は、宇宙人が初めて地球に降り立ったかの様だった。
 この時、もう華音と桜花の手は離れていたが、華音は離さなければよかったと思うぐらい彼女を見失わない様に必死だった。

「桜花! 1人で好きな所に行くのは構わないけど、ちゃんと集合場所決めてからに……あ、ごめん。ついてくから、先に行かないで」

 華音は駅での出来事を思い出し、桜花を1人で歩かせまいと思い直した。
 桜花は小首を傾げ、華音の腕を掴んだ。

「キミって寂しがり屋さん? いいわ。勿論、最初から置いていくつもりはないから。安心しなさい」
「ち、違うから! 何か、それじゃあオレの方が駄目な奴みたいじゃん」

 華音は恥ずかしさで頬をほんのりと赤く染めた。本日、いや、桜花と出会ってから何度目だろう。特に最近は、心臓の音もうるさくて、締め付けられそうになる。
 華音は桜花の腕を静かに払い、己の胸を押さえた後、桜花の半歩前に出た。

「桜花はオレを何だと思っているんだよ」
「何だとって、うさぎさん?」
「人間だよ!」
「……いえ、寂しがり屋だけどついツンツンしちゃう――――そうか。キミは猫さんね!」
「華音だよ! キミ、態と言ってるでしょ。と言うか、そう言う事じゃなくてね……」
「それじゃあ、行きましょう。かにゃん」

 桜花が華音を追い越して歩いていき、華音は「変なあだ名付けるな!」とすぐにその小柄な背中を追い掛けた。



「華音、何か楽しそうだからあそこに行きましょう」

 桜花は幼子の様に無邪気な目で、前方の怪しげな屋敷を指差した。
 錆び付いた重厚な両扉に、蔓がのさばるくすんだ外壁。扉上にドロっとした血の様な字体で『サタンの館』と記されていた。
 所謂、お化け屋敷だった。
 今も尚、悲鳴が木霊していた。
 半歩後ろで立ち止まる華音を、桜花は振り返り得意げな顔で拳を強く握った。

「大丈夫よ! 何も恐くないわ! わたしがかにゃんを護るから」
「違う! 誰が恐いって言ったんだ。それに、その呼び方やめろ。オレはキミが心配なんだよ」
「心配しなくても大丈夫だって。わたしたちは普段魔物と戦っているけれど、ここに登場するのは作り物なのよ? 恐い筈がないわ」
「それはそうなんだけど……。そこを恐がらせるのが作り手って言うか。あ、いや。本当にオレは大丈夫って自信あるけど。桜花は多分……」
「それじゃあ、どれだけ緻密な作りか判断してやろうじゃない! そして、わたしが一回でも悲鳴を上げたら、彼らの勝ちにしてあげましょう」
「何それ。何で上から目線なんだよ。って、桜花!?」

 桜花が勇ましい足取りで、迷わず大扉へ向かっていき、華音は再び追い掛ける形になった。
 我ながら情けない、と華音は女の子のペースにまんまと流されている己に憫笑した。


 血塗れのゾンビ、飛び交うリアルな作り物の蝙蝠、頭上から滴る赤い液体、足元から突き出した血塗れで血の気のない無数の手……仄暗い中で唯一の光源は高い天井からぶら下がる緑色をしたランプのみで、それも度々点滅を繰り返しては独りでに揺れた。両耳には地底から湧き出るかの様な、悍ましい呻き声が行く先々で聞こえ、先に歩いていた女性グループの甲高い悲鳴と相まって、地獄と呼称するに相応しい空間だった。
 この様な人を恐がらせる為だけに存在している場所で、桜花が悲鳴を上げない筈がなかった。
 入る前は意気揚々と、華音の前を歩いていた彼女だが、いつの間にか華音の背中にぴったりとつき、恐怖に襲われる度に甲高い悲鳴を華音に浴びせて、首を締め付けた。


 正直、桜花が一番恐かった……。

 華音は隣でまだ青白い顔をしている桜花を一瞥し、背凭れに上体を預けて空を見上げた。
 2人はお化け屋敷から出た後、互いに別の理由で疲弊して木製のベンチで休憩する事にした。
 あれから数分経つが、一向に桜花の顔色は良くならない。
 華音はもう1度桜花に視線を戻し、顔をそっと覗き込んだ。

「大丈夫か? ……だから言ったのに」
「う、うるさいわね……。暗いところから、明るいところに出たから目と身体がついていけないだけなの」

 少し強い口調で返すも、桜花は顔を上げなかった。
 華音は立ち上がった。

「じゃあ、何か飲み物買ってくるよ」
「ん……それなら、赤味噌アイスをお願い……」
「赤味噌!? いや、オレ飲み物って言ったよね」
「さっき見掛けて美味しそうだったから……。アイスは飲み物よ」
「ま、まあ……アイスでもいいんだけどさ。赤味噌……ね……」

 納得のいかないまま、華音は桜花ご要望の謎のアイスを買いに売店に向かった。


 本当にこれで良かったのか?

 華音は右手に揺れる、コーンに乗った薄茶色のアイスを見て眉を潜めた。左手では、自分用に買ったメロンクリームソーダがたぷんっとプラスチックコップの中で揺れた。
 桜花の待つベンチが見えて来ると、華音は足を止めた。
 何か傍に居る。
 華音はそっとそれを観察した。
 子供程の背丈のド派手なピンクの猫――――のマスコットだ。短い2本の足で立ち、同じく短い両手をぴょこぴょこ動かしていた。
 着ぐるみの向こうには桜花が居て、スマートフォンで嬉しそうに着ぐるみを写真に納めていた。
 どっしりとした存在感に始め気圧されていた華音も、着ぐるみだと分かると安堵して歩みを進めた。その時、着ぐるみがぐるんと向き直り、大きなアメジスト色の瞳が華音を映して華音はビクッと肩を震わした。
 着ぐるみのくせに、物凄い目力だった。逆に、作り物だから、恐ろしいモノがあった。
 蛇に睨まれた蛙状態の華音に、桜花も気付いてぶんぶん手を振った。

「おかえりー!」
「あ……うん……。買ってきたよ、アイス」

 桜花の能天気さに毒気を抜かれ、華音はあっさり、目力拘束を解かれた。
 華音は謎の味のアイスを桜花に渡し、再度、傍らの着ぐるみを見た。
 間近で見ると、一層迫力があった。

「こ……こいつは?」

 華音が着ぐるみを指差すと、着ぐるみは嬉しそうに両手をぴょこぴょこ動かし、喋る事が許されないそれに代わって桜花が興奮気味に答えた。

「遊園地のマスコットキャラクターのにゃにゃっぴーよ! すっごい可愛いでしょう!?」
「にゃにゃっぴー……ね」

 華音には、にゃにゃっぴーに対して桜花と同じ感想は持てなかった。
 そこへ、小さな子供達が数人、保護者と一緒にやって来て、物凄い目力を持つマスコットキャラクターは2人に手を振る様な仕草をして連れ去られていった。
 着ぐるみが居なくなってくれて安心した華音だが、桜花は名残惜しそうにしていた。

「もう少し一緒に居たかったなぁ……」

 寂しい気持ちを紛らわす様に、赤味噌アイスをペロッと舐めた。
 途端、桜花の顔にパァっと花が咲いた。

「こ、これ! 美味しい!」
「え。美味しいの、それ」

 華音は思わず、口に含んでいたメロンソーダを吹き出しそうになった。何とか口内に留まらせたが、噎せ返ってしまった。
 咳き込みながら、桜花を見ると、桜花はまた一口、二口……と、アイスを口へ運んでは顔を綻ばせた。

「見た目よりも濃厚! 味噌感はあんまりないけれど、甘いバニラと混じり合って絶妙な味わいを生み出しているわ。格別! やっぱりわたしは正しかった……! 華音も食べる?」
「キミの味覚は信用ならないし、いらないよ」

 華音の脳裏に、たこ焼き味のアイスとカレーライスモンブランが蘇った。あれは、人生でもう二度と味わう事のないだろう、悲惨な味だった。
 それに、異性が口を付けたものを家族でも恋人でもない限り、抵抗なく食す事は出来なかった。
 その辺りについては、やはり桜花は自覚がないな……と華音は半ば呆れ、半ば心配になった。
 そんな矢先、アイスを平らげた桜花がサッと華音からメロンクリームソーダを奪い取った。

「アイス食べたら喉渇いちゃった~」

 そのまま、躊躇いなく飲みかけのそれを少し飲み、華音の手に戻した。

「ありがとう。でも、これにもアイス入ってたからあんまり意味なかったわ」
「それはいいんだけど……。あのさ」
「なぁに?」
「な、何でもない」

 華音は無垢な瞳から目を逸らし、カップに視線を落とした。
 中身はまだ少し残っている。
 ここで気にしたら負けか……と観念し、ストローに口を付けた。心なしか、ほんのりとチェリーブロッサムの香りがした気がした。