周辺の建物の明かりが殆ど消え、闇に散りばめられた星達が寂しそうにちらつく時刻。テレビやゲームを散々楽しんだ刃と、それに付き合った華音にも睡魔が押し寄せて来た。
刃が、部屋の明かりを常夜灯へ切り替えた。
華音は飲みかけの麦茶を飲み干すと、当然の様にベッドへ向かった。
「これ……邪魔だな」
そう言って、等身大クッションを床に放った。途端、刃の悲鳴混じりの声が響いた。
「かがみん、何してくれんの!? この娘、ことりちゃん! 俺の嫁!」
「え……」
困惑した顔で、華音は刃が拾い上げたクッションを再確認した。
アッシュグレーの髪を左右2つに結った、セーラー服の可愛い女の子のアニメキャラクターだ。少し服がはだけ、頬をほんのり赤く染めている。
「彼女欲しがってるのに、それを嫁と言ってしまっていいのか……?」
「それとこれとは別! もう、分かってないなぁ」
「とにかく、寝るのに邪魔だから」
「邪魔って! 大体、そのベッドは俺が今から使うの! かがみんは絨毯の上で寝てよ」
「客に絨毯勧めるなよ」
華音はベッドに転がる。
「招かれざる客だかんな!? って、言ってる傍から寝るなぁ」
刃はクッションを置き、定員オーバーのベッドへ乱入した。
ベッドは2人分の重さで、ギシギシと頼りない音を立てた。
互いの肩がぶつかって狭い。
刃は眉を吊り上げ、華音の頬を抓った。
「ほら! 狭いんだから、早く絨毯行きな」
「嫌だ」
華音は、刃の頬を抓り返した。
向き合う顔は変形し、ふざけている様にしか見えない。
2人は吹き出した。頬を離し、笑い合う。
そうして、空気が穏やかになると、刃は真っ直ぐな瞳で華音の何処か寂しげな瞳を捕らえた。
「……何か辛い事あったら言えよ? 俺じゃ頼りになんねーかもだけど、親友だからさ」
「な、何だよ。急に」
華音は一瞬たじろいだが、刃の瞳の綺麗さに平静を取り戻した。瞳は合わせられなかった。
「急にって言うか、ずっと心配はしてたんだけどさ」
「……前に、雷にも同じ様な事言われた。そうだな……今は言えないけど、いつか言える時が来たら話すよ。オレの事」
「そっか。気長に待ってるぜ」
刃はニッと頼もしい笑みを浮かべると、天井を向いた。
華音も天井を向き、そっと目を閉じた。
言葉の途切れた静寂が、睡魔を自由にさせ、2人の意識を攫っていく。
時計が時を刻む音だけが頻りに響く中、静かな寝息が聞こえ始め、入れ違いにゲージの中からガサゴソと小さな物音がし始めた。
華音が意識を手放したのは、ほんの少しの間だけだった。すぐに、息苦しさに目が覚めた。見ると、首に刃の腕が絡みついていた。耳元で、刃の愉快そうな寝言が聞こえた。
「ようやく捕まえたぜ……レアドラゴン! そのウロコから武器をつくる……」
華音はじたばた動き回り、その手から逃れようと試みる……も、がっちりホールドされていて逃げる事が叶わなかった。
このまま絞殺されてしまうのではないかと半ば本気で焦り始めた華音の耳に、騒がしいノックの音が流れ込んで来た。こちらの状況など、お構いなしだ。
咳き込みながら顔を横へ向けると、青みがかった烏が外から硝子扉を突っついているのが閉じたカーテンの隙間から見えた。と、同時に聞き慣れた男の声が聞こえた。
「カノン、魔物が現れた。イチャついてるとこ悪いが……」
遠慮がちに言っている風を装い、その声色は愉快だった。
華音は力ずくで刃の腕を振り解き、棚の上に置かれた鏡の前に立った。そこには、華音ではなく、華音と同じ顔の魔法使いオズワルドが映っていた。
怒りを湛えた華音の顔を見て、益々オズワルドの口角が上がった。
「若さ故の過ちって事か」
「何言ってんだ。危うく、オレは絞殺されるとこだったんだぞ」
「物騒だな。まあ、それはとにかくだ。早く手を重ねろ」
オズワルドが手の平を向け、華音はそこに手の平を重ねようとしたが、手を下ろして後ろをそっと一瞥した。
「刃が起きたらどうしよう……」
ガサッ。
「うわっ!?」
突如聞こえた物音に、華音の心臓が飛び跳ねた。鏡面の魔法使いは、変わらぬ笑みを浮かべていた。
華音が恐る恐る視線を向けた先に、物音の正体が身を潜めていた。
そこにあるのはゲージ、そしてその中でおがくずを掻き分けて活発に動く小さな動物が1匹……。薄い黄色の身体に、額から背中にかけてスッと入った1本線、ひまわりの種を器用に掴む小さな手足、ぴくりと動く小さな耳、細いヒゲと一緒にヒクヒク動く小さな鼻、暗闇の中で一層際立つ漆黒の大きな瞳……イエロージャンガリアンハムスターのイエスだった。
「不思議な動物だな」
「スペクルムには居ないのか?」
「ああ。唯のネズミなら居るが。それよりも、カノン。早くしろ」
「あ、うん」
2人が手を重ね合わせると、青白い光が生まれ、周囲を包み込んだ。
眩い幻想的な光の中、華音はオズワルドと対面する。自信たっぷりな笑みでオズワルドが華音の両肩を掴むと、その身体は華音に重なる様に消えていった。
瞬間、華音の身体が一層強い光を放った。
光が完全に消え、視界が現実へ戻って来た時には華音の姿は、今さっき鏡面に居た魔法使いを写し取ったかの様に、出ている耳以外は全て同じになっていた。
白い手袋をはめた手には、いつの間にか窓の外に居た筈の使い魔が杖となって収まっていた。
オズワルドの魂を取り込んで、その姿を手に入れた華音は夜の世界へ一歩踏み出す。と、1つの視線がまだじっと向けられていた事に気付き、踵を返した。
「イエス……見てたんだ」
華音は苦笑いを浮かべ、ゲージに近付いた。
イエスは後ろ足で器用に立ち、別次元の住人の姿となった少年を大きな瞳で見つめていた。その黒々とした瞳に、何でも見通されている様な気がした。
「これあげるから。刃には内緒だ」
華音は近くに置いてあった小動物用のクッキーを1枚袋から取り出し、ゲージの隙間からイエスに手渡した。
イエスはクッキーを口に咥えると、満足した様に寝床へ戻っていった。
華音は息を吐き、改めて硝子扉に手を掛けた。そっとスライドさせ、夜の世界へと飛び出していった。
寝返りを打った拍子に、刃は誰も居なくなった空間に片手を叩きつけてうっすら意識を取り戻した。
「ん……あれ? 華音? んー……まあ、いっか…………」
すぐに睡魔が勝利し、刃は覚醒する事なく、深い深い夢の湖に落ちていった。
視界が狭くなり、白い用紙上の手書きの文字が浮き出て泳ぎだす。
頭部が重みでガクンと机上に向かって下がり、それを手に持ったシャーペンのお尻が受け止めた事でパッと意識が戻ってきた。
え? オレ、まさか寝そうになった?
華音は微かに痛む額を摩りながら、教卓を見た。
そこから、行儀よく席に着く生徒達を厳しい目で絶えず監視していた寒川先生は幸いにも、その目を腕時計に向けていた。
華音は胸を撫で下ろし、教師に倣って黒板の上の壁掛け時計に視線を移した。
テスト終了まで、残り10分以上。人によっては“もう”かもしれないが、華音にとっては“まだ”だった。華音の机上の解答用紙は、全てきっちり文字で埋め尽くされていた。見直しは1回したから、もう十分だ。
テスト期間中だろうが、深夜だろうが、一切関係なく魔物は街を徘徊して罪もない人々を襲った。その度に、華音や桜花がスペクルムの魔法使いの力を借りて魔物を退治した。
華音の現在の疲労はその為で、桜花も同じかと思われたが、彼女の場合はテストと言う名の魔物を相手にし続けた事による疲労だった。今も頭を抱え、なかなか埋まらない解答用紙と睨めっこをしている。
華音は筆記用具を解答用紙の横に綺麗に並べ、両手を膝の上に置いて姿勢を正した。
寒川先生が教室全体に鋭い視線を走らせ、教室の彼方此方で、迫る時刻に焦燥感が湧き上がる。そんな切羽詰った空気を裂くように、チャイムが鳴り響いた。
ホームルームと清掃が終わり、放課後になると、教室内から緊張が炭酸の様にしゅわしゅわ抜けていった。ざわつき、皆、それぞれ友人達と今日のテストの話などで盛り上がった。
華音は近くで盛り上がるクラスメイトの輪に入らず、静かに帰り支度を整えていた。胸に広がるは、周りと同じ安堵。
テストはこれで最後。午後は授業がないので、漸くこの退屈な時間から解放される。
今から何をしようか……と暢気に考えている矢先、平穏をぶち壊す羽音が窓の外から聞こえた。
ゴルゴだ。と言う事は魔物……か。
華音は憂鬱な気持ちで、鞄を肩に掛けて席を立った。急ぎ足で教室を出る。途中、雷と刃に呼び止められたが、応える余裕はなかった。
刃が、部屋の明かりを常夜灯へ切り替えた。
華音は飲みかけの麦茶を飲み干すと、当然の様にベッドへ向かった。
「これ……邪魔だな」
そう言って、等身大クッションを床に放った。途端、刃の悲鳴混じりの声が響いた。
「かがみん、何してくれんの!? この娘、ことりちゃん! 俺の嫁!」
「え……」
困惑した顔で、華音は刃が拾い上げたクッションを再確認した。
アッシュグレーの髪を左右2つに結った、セーラー服の可愛い女の子のアニメキャラクターだ。少し服がはだけ、頬をほんのり赤く染めている。
「彼女欲しがってるのに、それを嫁と言ってしまっていいのか……?」
「それとこれとは別! もう、分かってないなぁ」
「とにかく、寝るのに邪魔だから」
「邪魔って! 大体、そのベッドは俺が今から使うの! かがみんは絨毯の上で寝てよ」
「客に絨毯勧めるなよ」
華音はベッドに転がる。
「招かれざる客だかんな!? って、言ってる傍から寝るなぁ」
刃はクッションを置き、定員オーバーのベッドへ乱入した。
ベッドは2人分の重さで、ギシギシと頼りない音を立てた。
互いの肩がぶつかって狭い。
刃は眉を吊り上げ、華音の頬を抓った。
「ほら! 狭いんだから、早く絨毯行きな」
「嫌だ」
華音は、刃の頬を抓り返した。
向き合う顔は変形し、ふざけている様にしか見えない。
2人は吹き出した。頬を離し、笑い合う。
そうして、空気が穏やかになると、刃は真っ直ぐな瞳で華音の何処か寂しげな瞳を捕らえた。
「……何か辛い事あったら言えよ? 俺じゃ頼りになんねーかもだけど、親友だからさ」
「な、何だよ。急に」
華音は一瞬たじろいだが、刃の瞳の綺麗さに平静を取り戻した。瞳は合わせられなかった。
「急にって言うか、ずっと心配はしてたんだけどさ」
「……前に、雷にも同じ様な事言われた。そうだな……今は言えないけど、いつか言える時が来たら話すよ。オレの事」
「そっか。気長に待ってるぜ」
刃はニッと頼もしい笑みを浮かべると、天井を向いた。
華音も天井を向き、そっと目を閉じた。
言葉の途切れた静寂が、睡魔を自由にさせ、2人の意識を攫っていく。
時計が時を刻む音だけが頻りに響く中、静かな寝息が聞こえ始め、入れ違いにゲージの中からガサゴソと小さな物音がし始めた。
華音が意識を手放したのは、ほんの少しの間だけだった。すぐに、息苦しさに目が覚めた。見ると、首に刃の腕が絡みついていた。耳元で、刃の愉快そうな寝言が聞こえた。
「ようやく捕まえたぜ……レアドラゴン! そのウロコから武器をつくる……」
華音はじたばた動き回り、その手から逃れようと試みる……も、がっちりホールドされていて逃げる事が叶わなかった。
このまま絞殺されてしまうのではないかと半ば本気で焦り始めた華音の耳に、騒がしいノックの音が流れ込んで来た。こちらの状況など、お構いなしだ。
咳き込みながら顔を横へ向けると、青みがかった烏が外から硝子扉を突っついているのが閉じたカーテンの隙間から見えた。と、同時に聞き慣れた男の声が聞こえた。
「カノン、魔物が現れた。イチャついてるとこ悪いが……」
遠慮がちに言っている風を装い、その声色は愉快だった。
華音は力ずくで刃の腕を振り解き、棚の上に置かれた鏡の前に立った。そこには、華音ではなく、華音と同じ顔の魔法使いオズワルドが映っていた。
怒りを湛えた華音の顔を見て、益々オズワルドの口角が上がった。
「若さ故の過ちって事か」
「何言ってんだ。危うく、オレは絞殺されるとこだったんだぞ」
「物騒だな。まあ、それはとにかくだ。早く手を重ねろ」
オズワルドが手の平を向け、華音はそこに手の平を重ねようとしたが、手を下ろして後ろをそっと一瞥した。
「刃が起きたらどうしよう……」
ガサッ。
「うわっ!?」
突如聞こえた物音に、華音の心臓が飛び跳ねた。鏡面の魔法使いは、変わらぬ笑みを浮かべていた。
華音が恐る恐る視線を向けた先に、物音の正体が身を潜めていた。
そこにあるのはゲージ、そしてその中でおがくずを掻き分けて活発に動く小さな動物が1匹……。薄い黄色の身体に、額から背中にかけてスッと入った1本線、ひまわりの種を器用に掴む小さな手足、ぴくりと動く小さな耳、細いヒゲと一緒にヒクヒク動く小さな鼻、暗闇の中で一層際立つ漆黒の大きな瞳……イエロージャンガリアンハムスターのイエスだった。
「不思議な動物だな」
「スペクルムには居ないのか?」
「ああ。唯のネズミなら居るが。それよりも、カノン。早くしろ」
「あ、うん」
2人が手を重ね合わせると、青白い光が生まれ、周囲を包み込んだ。
眩い幻想的な光の中、華音はオズワルドと対面する。自信たっぷりな笑みでオズワルドが華音の両肩を掴むと、その身体は華音に重なる様に消えていった。
瞬間、華音の身体が一層強い光を放った。
光が完全に消え、視界が現実へ戻って来た時には華音の姿は、今さっき鏡面に居た魔法使いを写し取ったかの様に、出ている耳以外は全て同じになっていた。
白い手袋をはめた手には、いつの間にか窓の外に居た筈の使い魔が杖となって収まっていた。
オズワルドの魂を取り込んで、その姿を手に入れた華音は夜の世界へ一歩踏み出す。と、1つの視線がまだじっと向けられていた事に気付き、踵を返した。
「イエス……見てたんだ」
華音は苦笑いを浮かべ、ゲージに近付いた。
イエスは後ろ足で器用に立ち、別次元の住人の姿となった少年を大きな瞳で見つめていた。その黒々とした瞳に、何でも見通されている様な気がした。
「これあげるから。刃には内緒だ」
華音は近くに置いてあった小動物用のクッキーを1枚袋から取り出し、ゲージの隙間からイエスに手渡した。
イエスはクッキーを口に咥えると、満足した様に寝床へ戻っていった。
華音は息を吐き、改めて硝子扉に手を掛けた。そっとスライドさせ、夜の世界へと飛び出していった。
寝返りを打った拍子に、刃は誰も居なくなった空間に片手を叩きつけてうっすら意識を取り戻した。
「ん……あれ? 華音? んー……まあ、いっか…………」
すぐに睡魔が勝利し、刃は覚醒する事なく、深い深い夢の湖に落ちていった。
視界が狭くなり、白い用紙上の手書きの文字が浮き出て泳ぎだす。
頭部が重みでガクンと机上に向かって下がり、それを手に持ったシャーペンのお尻が受け止めた事でパッと意識が戻ってきた。
え? オレ、まさか寝そうになった?
華音は微かに痛む額を摩りながら、教卓を見た。
そこから、行儀よく席に着く生徒達を厳しい目で絶えず監視していた寒川先生は幸いにも、その目を腕時計に向けていた。
華音は胸を撫で下ろし、教師に倣って黒板の上の壁掛け時計に視線を移した。
テスト終了まで、残り10分以上。人によっては“もう”かもしれないが、華音にとっては“まだ”だった。華音の机上の解答用紙は、全てきっちり文字で埋め尽くされていた。見直しは1回したから、もう十分だ。
テスト期間中だろうが、深夜だろうが、一切関係なく魔物は街を徘徊して罪もない人々を襲った。その度に、華音や桜花がスペクルムの魔法使いの力を借りて魔物を退治した。
華音の現在の疲労はその為で、桜花も同じかと思われたが、彼女の場合はテストと言う名の魔物を相手にし続けた事による疲労だった。今も頭を抱え、なかなか埋まらない解答用紙と睨めっこをしている。
華音は筆記用具を解答用紙の横に綺麗に並べ、両手を膝の上に置いて姿勢を正した。
寒川先生が教室全体に鋭い視線を走らせ、教室の彼方此方で、迫る時刻に焦燥感が湧き上がる。そんな切羽詰った空気を裂くように、チャイムが鳴り響いた。
ホームルームと清掃が終わり、放課後になると、教室内から緊張が炭酸の様にしゅわしゅわ抜けていった。ざわつき、皆、それぞれ友人達と今日のテストの話などで盛り上がった。
華音は近くで盛り上がるクラスメイトの輪に入らず、静かに帰り支度を整えていた。胸に広がるは、周りと同じ安堵。
テストはこれで最後。午後は授業がないので、漸くこの退屈な時間から解放される。
今から何をしようか……と暢気に考えている矢先、平穏をぶち壊す羽音が窓の外から聞こえた。
ゴルゴだ。と言う事は魔物……か。
華音は憂鬱な気持ちで、鞄を肩に掛けて席を立った。急ぎ足で教室を出る。途中、雷と刃に呼び止められたが、応える余裕はなかった。