夕影の中を颯爽と駆ける獣の影は、その眼をメラメラと赤く滾らせて地上の彼方此方に視線を巡らせる。
丁度、木陰から1人夕影の下へ暢気に出て来た。
魔物の視線がそこに絞られたところで、後ろから同じく民家の屋根を伝って来た華音と桜花が到着した。
魔物は魔法使い達を一瞥すると、それが何ともないかの様に、着地点を見定める。
「アイシクルスピア!」
華音が放った氷の刃が飛び降りようとした魔物の前足を掠め、妨害。魔物の意識は、仕方なく魔法使い達へ向けられた。
魔物が鋭い牙と爪で襲いかかって来て、華音は杖で受け止める。その間に、桜花が詠唱を開始する。
火のマナが集まり出すが、一瞬のうちに分散して桜花の困惑した声が響いた。
「た、沢山来たわ!」
魔物を振り払い、振り返った華音の目に飛び込んで来たのは此方へ向かって来る魔物の軍団。その数、20。
姿形も様々で、最初の1体と同じ狼も居れば、鹿も居るし、巨大な蛇も居る。一面の黒の中で、炯々として射る双眸が夕影を受けて一層赤々と際立ち、恐怖を煽る。
魔物達は重力を無視し、宙を自由に渡り歩いている。
大蛇が二枚舌をちらつかせ、真っ先に少女へ蠕動する。
桜花の姿がその大口に隠され、華音は血の気が引いた。すぐに救出に向かおうとするのだが、足元に転がった魔物がそれを許さない。
華音は反応が一歩遅れ、今度は反対に魔物によって転がされた。
仰向けになった華音に、容赦なく魔物は牙を剥く。
かぶりつかれる刹那、華音は素早く起き上がって杖を振るう。
頑丈なそれが魔物の口内を打ち、牙を何本が砕いた。
目の前の敵が一時戦闘不能になったのを認めると、華音は丸々と肥えた大蛇に向き直る。
桜花の姿が見えない。代わりに、他の魔物達が向かって来るのが見えた。
「桜花! っもう……こいつらの相手してる場合じゃないのに!」
華音は焦燥感を露にし、乱暴に杖を振り回す。
大蛇が急に呻きだし、黒い身体が変形し始める。華音が何体かを仕留めた時には、それは風船の如く破裂し、華音の見覚えのある姿がそこに凛として立って居た。
身体を構成していた黒い物体が、雨となって桜花に降り注ぐ。
全身を黒く染めても美しい姿は、戦場に乱れ咲く一輪の花の如し。
桜花の周囲には火のマナの残骸が残っていた。
桜花は身体についた魔物だったものを振り落とし、華音の横に並んだ。
「さすがだね……。ちょっと心配しちゃった」
華音が手を動かしながら横目を向けると、桜花も手を動かして苦笑した。
「一瞬視界が真っ暗になって焦っちゃったけど、ドロシーと煉獄が一緒だったから何とかなったわ」
ほぼ全ての魔物が屋根の上、或いは地上へ横たわった。
先の大蛇は、魔物と呼称するに相応しく、身体が彼方此方に飛び散っても個々で蠢いていた。
華音と桜花は背中合わせで、詠唱を始める。
「アシッドスプリング!」
華音の透き通った声と共に、対象の足元から透明な水が湧き出る。
「イラプション!」
桜花の凛とした声と共に、対象の足元から紅蓮の岩漿が湧き出る。
そして、水と岩漿はそれぞれ、水は毒で、岩漿は熱で、魔物を溶かしていく。
ほんの数秒で黒く醜い景色は清められ、辺り一面に生命力と言う名の光が舞い上がって星の海となった。
美しさに見とれるも、まだ終わりではなかった。
『一匹、上手く躱したぞ』
華音の脳内でオズワルドが言い、琥珀色の瞳に一瞬獣の影が映り込んだ。
「これで終わりかと思ったのに」
魔物は屋根から飛び降り、地上を走る。その先には、最初に倒した魔物の獲物だった青年が居た。
青年は危機が迫っている事など知る由もなく、平和な一時を謳歌する様に天へ向かって大きく伸びをしている。
さて、出掛けるか……とバイクに跨った所で、平和は割かれた。
青年はあっさりと平和を手放し、バイクから崩れ落ちて意識を奪われた。
側には雄鹿の形をした魔物が、何処か勝ち誇った様にどっしりと立って居た。
真上からその姿を捕らえた華音は白いローブをひらりと舞い躍らせ、地上へ着地。その勢いのまま、魔物へ向かう。
視界一杯に杖が入った瞬間、魔物は身軽に後ろへ飛び退き、魔法使いに背を向けて走っていった。
華音はすぐに追いかける。
魔物は民家の間の狭い通路を、大きな角を引っ掛ける事なく悠々と進んでいって、どんどん華音との距離を引き離す。
太陽が本日最後の光を力の限り放つのを見届けながら、華音もマナを存分に集めて前方へ放つ。
パキパキとコンクリートが凍り付き、冷気の波が魔物の無防備な背中に手を目一杯伸ばす。
しかし、既の所で躱されてしまう。
目の前の氷の道は虚しくも、マナへと還って飛散し、幻想的な光の道へと変わった。
華音は幻想的な光を浴びながら、魔物の背中をひたすらに追う。
生命力、日没、魔法使いの帰宅時間――――それらのタイムリミットが一斉に襲いかかり、一層焦りを感じる。
なかなか魔物に追いつけない。
華音が焦燥感に支配されている最中、前方、上空より少女の悲鳴が聞こえた。
急いで駆け付けると、桜花が地上にペタンと座って居た。しかも、最後の魔物をクッションにして。
「屋根から足を滑らせたんだけど、何かがクッションとなってくれたおかげで助かったわ……」
額を拭う桜花の顔は青白い。
「それ、魔物だよ……」
華音は苦笑して近付き、杖を構える。
桜花は瞠目し、慌てて尻を持ち上げて気絶した魔物を見下ろした。
「そんな! えっ!? な、何か……わたしってカッコ悪い…………」
「いつも通りだと思うけど」
「ちょっと! それは酷いんじゃないかしら」
「……だけど、助かった。止めを刺すから、そこから離れて」
言って、華音はマナを集め始め、桜花はそれに従う――――が、途中で転んだ。
華音は驚きつつも、もう既に魔術は発動していて、大波が魔物を飲み込んで暴れ、激しい水飛沫が桜花に容赦なく降りかかった。
魔物は生命力を吐き出して消滅し、水浸しになった地面には桜花だけが残された。
全身ずぶ濡れになってしまった哀れな魔法使いに、もう1人の魔法使いは表情を引き攣らせて手を差し伸べた。
「何でそんなタイミングで転ぶかな」
「だ、だって……! うぅ……冷たいよ」
桜花は華音の手を取って立ち上がり、ぴったり貼り付く衣服に不快感を覚えた。
メリハリのあるボディラインがより強調され、華音は耐え切れずに視線を逸らした。
脳内ではオズワルドの茶化す声が聞こえる……かと思いきや、真面目な声が聞こえた。
『すぐ近くに魔女が居る!』
「ま、魔女!?」
「えっ? 魔女?」
桜花は華音の声に反応し、辺りを頻りに見渡す。
「あ! あそこに……」
魔女を発見したのは、華音が先だった。
見上げた屋根の上、斜陽を静かに見つめる和装の魔女の姿があった。三角形の連なる模様の振袖が、風に揺さぶられる。
『あれは土星の魔女クランだ』
オズワルドがそっと告げる。
華音もオズワルドも月の魔女アルナ以外と出くわすとは思っていなかった為、正直に驚いている。
幸い、土星の魔女は2人の魔法使いには気が付いていない。
此処で撃退したいところであるが、オズワルドとドロシーはもう此処に留まる事は出来ず、仕方なく還っていった。
土星の魔女も、ほぼ同時に姿を消した。
太陽も勤務を終え、月とバトンタッチ。闇が空全体を覆い隠した。
華音も帰ろうとして、桜花を振り返るや否や頭を抱えた。
憑依が解けても、全身びしょ濡れである事は変わりはない。
ボディラインを強調する様にぴったりと肌に貼り付いた猫耳パーカーに、ウェーブした赤茶色の髪から滴る水が艶かしい。
この状態の少女を1人帰らす訳にもいかないし、何より鞄を赤松家に置いて来てしまった。きちんと自宅まで送り届ける他はない。
「帰ろうか」
顔が熱くなるのを誤魔化す様に、態と笑みを作った。
桜花は小さく返事をし、華音の後に続く。が、足首に痛みを感じて立ち止まる。
気付いて華音が踵を返した。
「桜花? もしかして、さっき転んだ時に足くじいた?」
「そうみたい……」
桜花は恥ずかしさのあまり、目を伏せた。
華音は一瞬困惑の色を浮かべたが、すぐに桜花に近付いて背中を差し出した。
今度は、桜花が困惑した。
「え? 大丈夫よ……わたし、歩けるから」
「いいから。家まで運ぶよ」
華音に押し切られ、桜花は渋々華音の背中に全身を委ねた。
華音って、意外と力あるんだ……。じゃなくて、恥ずかしい。申し訳ない。わたし、重くないかしら。……華音の背中、あったかいなぁ。
桜花は華音の背中に、顔を埋めた。
丁度、木陰から1人夕影の下へ暢気に出て来た。
魔物の視線がそこに絞られたところで、後ろから同じく民家の屋根を伝って来た華音と桜花が到着した。
魔物は魔法使い達を一瞥すると、それが何ともないかの様に、着地点を見定める。
「アイシクルスピア!」
華音が放った氷の刃が飛び降りようとした魔物の前足を掠め、妨害。魔物の意識は、仕方なく魔法使い達へ向けられた。
魔物が鋭い牙と爪で襲いかかって来て、華音は杖で受け止める。その間に、桜花が詠唱を開始する。
火のマナが集まり出すが、一瞬のうちに分散して桜花の困惑した声が響いた。
「た、沢山来たわ!」
魔物を振り払い、振り返った華音の目に飛び込んで来たのは此方へ向かって来る魔物の軍団。その数、20。
姿形も様々で、最初の1体と同じ狼も居れば、鹿も居るし、巨大な蛇も居る。一面の黒の中で、炯々として射る双眸が夕影を受けて一層赤々と際立ち、恐怖を煽る。
魔物達は重力を無視し、宙を自由に渡り歩いている。
大蛇が二枚舌をちらつかせ、真っ先に少女へ蠕動する。
桜花の姿がその大口に隠され、華音は血の気が引いた。すぐに救出に向かおうとするのだが、足元に転がった魔物がそれを許さない。
華音は反応が一歩遅れ、今度は反対に魔物によって転がされた。
仰向けになった華音に、容赦なく魔物は牙を剥く。
かぶりつかれる刹那、華音は素早く起き上がって杖を振るう。
頑丈なそれが魔物の口内を打ち、牙を何本が砕いた。
目の前の敵が一時戦闘不能になったのを認めると、華音は丸々と肥えた大蛇に向き直る。
桜花の姿が見えない。代わりに、他の魔物達が向かって来るのが見えた。
「桜花! っもう……こいつらの相手してる場合じゃないのに!」
華音は焦燥感を露にし、乱暴に杖を振り回す。
大蛇が急に呻きだし、黒い身体が変形し始める。華音が何体かを仕留めた時には、それは風船の如く破裂し、華音の見覚えのある姿がそこに凛として立って居た。
身体を構成していた黒い物体が、雨となって桜花に降り注ぐ。
全身を黒く染めても美しい姿は、戦場に乱れ咲く一輪の花の如し。
桜花の周囲には火のマナの残骸が残っていた。
桜花は身体についた魔物だったものを振り落とし、華音の横に並んだ。
「さすがだね……。ちょっと心配しちゃった」
華音が手を動かしながら横目を向けると、桜花も手を動かして苦笑した。
「一瞬視界が真っ暗になって焦っちゃったけど、ドロシーと煉獄が一緒だったから何とかなったわ」
ほぼ全ての魔物が屋根の上、或いは地上へ横たわった。
先の大蛇は、魔物と呼称するに相応しく、身体が彼方此方に飛び散っても個々で蠢いていた。
華音と桜花は背中合わせで、詠唱を始める。
「アシッドスプリング!」
華音の透き通った声と共に、対象の足元から透明な水が湧き出る。
「イラプション!」
桜花の凛とした声と共に、対象の足元から紅蓮の岩漿が湧き出る。
そして、水と岩漿はそれぞれ、水は毒で、岩漿は熱で、魔物を溶かしていく。
ほんの数秒で黒く醜い景色は清められ、辺り一面に生命力と言う名の光が舞い上がって星の海となった。
美しさに見とれるも、まだ終わりではなかった。
『一匹、上手く躱したぞ』
華音の脳内でオズワルドが言い、琥珀色の瞳に一瞬獣の影が映り込んだ。
「これで終わりかと思ったのに」
魔物は屋根から飛び降り、地上を走る。その先には、最初に倒した魔物の獲物だった青年が居た。
青年は危機が迫っている事など知る由もなく、平和な一時を謳歌する様に天へ向かって大きく伸びをしている。
さて、出掛けるか……とバイクに跨った所で、平和は割かれた。
青年はあっさりと平和を手放し、バイクから崩れ落ちて意識を奪われた。
側には雄鹿の形をした魔物が、何処か勝ち誇った様にどっしりと立って居た。
真上からその姿を捕らえた華音は白いローブをひらりと舞い躍らせ、地上へ着地。その勢いのまま、魔物へ向かう。
視界一杯に杖が入った瞬間、魔物は身軽に後ろへ飛び退き、魔法使いに背を向けて走っていった。
華音はすぐに追いかける。
魔物は民家の間の狭い通路を、大きな角を引っ掛ける事なく悠々と進んでいって、どんどん華音との距離を引き離す。
太陽が本日最後の光を力の限り放つのを見届けながら、華音もマナを存分に集めて前方へ放つ。
パキパキとコンクリートが凍り付き、冷気の波が魔物の無防備な背中に手を目一杯伸ばす。
しかし、既の所で躱されてしまう。
目の前の氷の道は虚しくも、マナへと還って飛散し、幻想的な光の道へと変わった。
華音は幻想的な光を浴びながら、魔物の背中をひたすらに追う。
生命力、日没、魔法使いの帰宅時間――――それらのタイムリミットが一斉に襲いかかり、一層焦りを感じる。
なかなか魔物に追いつけない。
華音が焦燥感に支配されている最中、前方、上空より少女の悲鳴が聞こえた。
急いで駆け付けると、桜花が地上にペタンと座って居た。しかも、最後の魔物をクッションにして。
「屋根から足を滑らせたんだけど、何かがクッションとなってくれたおかげで助かったわ……」
額を拭う桜花の顔は青白い。
「それ、魔物だよ……」
華音は苦笑して近付き、杖を構える。
桜花は瞠目し、慌てて尻を持ち上げて気絶した魔物を見下ろした。
「そんな! えっ!? な、何か……わたしってカッコ悪い…………」
「いつも通りだと思うけど」
「ちょっと! それは酷いんじゃないかしら」
「……だけど、助かった。止めを刺すから、そこから離れて」
言って、華音はマナを集め始め、桜花はそれに従う――――が、途中で転んだ。
華音は驚きつつも、もう既に魔術は発動していて、大波が魔物を飲み込んで暴れ、激しい水飛沫が桜花に容赦なく降りかかった。
魔物は生命力を吐き出して消滅し、水浸しになった地面には桜花だけが残された。
全身ずぶ濡れになってしまった哀れな魔法使いに、もう1人の魔法使いは表情を引き攣らせて手を差し伸べた。
「何でそんなタイミングで転ぶかな」
「だ、だって……! うぅ……冷たいよ」
桜花は華音の手を取って立ち上がり、ぴったり貼り付く衣服に不快感を覚えた。
メリハリのあるボディラインがより強調され、華音は耐え切れずに視線を逸らした。
脳内ではオズワルドの茶化す声が聞こえる……かと思いきや、真面目な声が聞こえた。
『すぐ近くに魔女が居る!』
「ま、魔女!?」
「えっ? 魔女?」
桜花は華音の声に反応し、辺りを頻りに見渡す。
「あ! あそこに……」
魔女を発見したのは、華音が先だった。
見上げた屋根の上、斜陽を静かに見つめる和装の魔女の姿があった。三角形の連なる模様の振袖が、風に揺さぶられる。
『あれは土星の魔女クランだ』
オズワルドがそっと告げる。
華音もオズワルドも月の魔女アルナ以外と出くわすとは思っていなかった為、正直に驚いている。
幸い、土星の魔女は2人の魔法使いには気が付いていない。
此処で撃退したいところであるが、オズワルドとドロシーはもう此処に留まる事は出来ず、仕方なく還っていった。
土星の魔女も、ほぼ同時に姿を消した。
太陽も勤務を終え、月とバトンタッチ。闇が空全体を覆い隠した。
華音も帰ろうとして、桜花を振り返るや否や頭を抱えた。
憑依が解けても、全身びしょ濡れである事は変わりはない。
ボディラインを強調する様にぴったりと肌に貼り付いた猫耳パーカーに、ウェーブした赤茶色の髪から滴る水が艶かしい。
この状態の少女を1人帰らす訳にもいかないし、何より鞄を赤松家に置いて来てしまった。きちんと自宅まで送り届ける他はない。
「帰ろうか」
顔が熱くなるのを誤魔化す様に、態と笑みを作った。
桜花は小さく返事をし、華音の後に続く。が、足首に痛みを感じて立ち止まる。
気付いて華音が踵を返した。
「桜花? もしかして、さっき転んだ時に足くじいた?」
「そうみたい……」
桜花は恥ずかしさのあまり、目を伏せた。
華音は一瞬困惑の色を浮かべたが、すぐに桜花に近付いて背中を差し出した。
今度は、桜花が困惑した。
「え? 大丈夫よ……わたし、歩けるから」
「いいから。家まで運ぶよ」
華音に押し切られ、桜花は渋々華音の背中に全身を委ねた。
華音って、意外と力あるんだ……。じゃなくて、恥ずかしい。申し訳ない。わたし、重くないかしら。……華音の背中、あったかいなぁ。
桜花は華音の背中に、顔を埋めた。