華音が親友達と教室へ戻ると、少しざわついていた。華音を見ては、クラスメイトは何かぼそぼそと言っている。
雰囲気からして悪口ではなさそうだが、華音は怪訝な顔で自分の席へと向かう。
そこで、クラスメイトの異変の原因が判明した。
「これは……」
机上に、縦型で純白の封筒が堂々と置かれていた。
大きく力強い字で『鏡崎華音くんへ』と書かれている。
後ろから、刃と雷がひょっこり顔を出した。
「何だ、それ。ラブレター?」
刃はニヤニヤしているが、それが正解であるかどうか華音には分からなかった。
筆跡は男子か女子か判断がつかないし、差出人の名前もない。何より、漢字が微妙に間違っている。『華』の横棒が1本足りない。
親友達、クラスメイト達が遠巻きに見る中、華音は訝しげな表情のまま封を開いて1枚の紙を取り出す。
書かれていた内容は以前女子からもらった事のある手紙の内容と似ているが、雰囲気に甘酸っぱさはない。そして、やはり差出人の名前はなかったのだが、代わりに桜のイラストがピンク色の蛍光ペンでざっくり描かれていた。
華音は手紙を丁寧に畳んで封筒に戻し、何事もなかったかの様に机の横に掛けた鞄に押し込んだ。
周りは、まだ興味の目を華音へ向けている。
「何が書いてあったんだよ?」
刃がしつこく訊くが、華音は「たいしたものでもないよ」と笑って答えた。
余計に皆の好奇心を煽る。
教室に、チェリーブロッサムの香りを散らして桜花が入って来た。華音と目が合うと、不敵に笑い、サッと席に着いた。
華音はスマートフォンを取り出し、魔女と歴史改竄の事に関して話し合った内容でメッセージが途切れているSNSの画面を表示させる。
伝えたい事があるなら、わざわざ手紙なんて書かずにこっちに送ってくれればいいのに。
放課後、手紙の指示通りに華音は1人で体育館裏に向かった。
差出人――――桜花はもう既に仁王立ちで待ち構えていた。
それを見た途端、帰りたい衝動に駆られた。今なら視線が向いていないし、引き返せる。そんな淡い期待も一瞬で打ち砕かれた。
「来たわね。華音」
「お、桜花……」
名前を呼ばれてしまったら、もう逃れられない。
観念して近付くと、桜花に手首を掴まれ、背中を壁に叩きつけられた。一瞬何が起こったのか分からない華音。
状況整理する前に、桜花が壁に手の平を付き、チェリーブロッサムの香りが間近に迫って華音は完全に拘束されてしまった。
女の子が男の子にされたらキュンとする状態だろうが、逆パターンは唯々恐ろしいだけだ。それに、桜花が放つ雰囲気には手紙同様、甘酸っぱさは一欠片もない。
華音から血の気が引いていく。
「えっと? これ……何。オレ、どうなるんだ……」
「華音。よく聞きなさい」
桜花はもう片方の手を肩に掛けた鞄に突っ込み、スッと何かを取り出した。
華音の目の前に押し付けられたのは、数学の教科書だった。
華音の肩から力が抜けた。
「わたしには難解なのよ。聞いた話によると、キミは学年トップの成績だそうね。そんなキミにお願いしたいのよ」
「つまり、勉強を教えてほしいって事?」
「そ、そうよ」
桜花は手を下ろし、気不味そうに栗色の目を伏せた。
「いいよ」
「えっ! 本当!?」
桜花は頬を桜色に染め、華音を見上げた。
華音は予期していなかった桜花の反応に困惑しつつ、もう一度首肯した。
「テスト期間中は暇だしね。数学だけでいいのかな?」
「…………いえ」
桜花はそっと、鞄から別の教科書を取り出した。
「まさかの全部……」
華音はゴクリと息を飲んだ。
しかし、よく考えてみたら桜花は転校してきて間もない。少し授業についていけていなくても、仕方がない事なのだ。
学校案内も引き受けた事だし、その延長線と思えば……――――なんて思うものの、華音はその後、軽々しく引き受けた事に後悔する事となる。
制服姿で電車に揺られる。周りは同じく学校帰りの学生が多い。華音の隣には桜花が立って居る。普段なら、絶対にない光景だ。
桜花はスマートフォンに視線を落とし、華音は過ぎ去る街並みを車窓から眺める。大分日が傾いた青空を、使い魔の烏が優雅に羽ばたいていた。
華音は桜花の横顔を一瞥し、心の中で溜め息をついた。
勉強を教えると約束したはいいが、桜花の自宅まで連れて行かれる事となるとは。学校でいいのではないかと伝えたが、桜花は頑なに拒否。
周りに、勉強が出来ない事を知られたくない様子だった。
車内アナウンスが入り、桜花が「次で降りるわ」と呟いた。
徐々に電車の速度が緩やかになり、車窓から駅名が見えた所でピタリと停った。駅名がアナウンスで繰り返され、扉がプシューと開く。
扉近くに居た人が降りて行き、華音と桜花も流れに乗って電車を降りた。
桜花の住むアパートは駅から少し歩いた所の、閑静な住宅街にあった。コンビニ以外には目立った店のない、街中とは真逆の雰囲気だ。
桜花がカンカン靴音を鳴らしながら、古びた階段を慣れた様子で上がって行き、華音も続いた。
歩く度に、階段がミシミシと悲鳴を上げていて耐久性が心配される。また、建物自体も元は白かったのに、今ではすっかりくすんでしまっていて、所々罅割れていた。
華音の自宅とは雲泥の差だが、刃の住むアパートも似た様な感じだったので特に驚きはしない。
唯、華音を不安にさせたのは、部屋の扉前に着いた桜花が言った言葉だ。
桜花は振り返り、鍵を片手に自信満々に言った。
「うち、お父さんと2人暮らしなの。そして、そのお父さんはまだ仕事。つまり、この家には誰も居ないのよ」
「その自信は何なんだ。逆に、それって大丈夫?」
「誰か居たら、その……恥ずかしいじゃない」
桜花は鍵を差し込んで回す。
「もしかして、桜花って……オレが思っている以上に勉強が出来ない……とか?」
「……キミの想像がどれぐらいかは知らないけれど、決して他言出来る程の成績でない事は確かよ。だからこそ、誰にも知られる訳にはいかないの。さ、上がって」
桜花が扉を開き、華音が遠慮がちに入ると、桜花も入って扉がパタンと閉まった。
玄関からすぐの部屋の隣が桜花の部屋で、ドアノブに猫のプレートが掛けられていた。
華音はてっきり正面に見える和室のリビングに案内されるかと思っていたので、桜花の部屋に案内されて驚いた。
別に下心がある訳ではないが、何となく異性の部屋に入るのは気不味い。対して、桜花は平然とし、華音に丸テーブルの前に座る様に促した。
華音は言われるがまま、猫柄の座布団に腰を下ろし、脇に鞄を下ろした。あまり他人の部屋を観察するのは良くないと思いつつも、ぐるりと見回す。
全体的に淡い色調の物が多めの室内で、窓から青空がよく見える。化粧品や小物が置かれた鏡台と、ベッドの上の可愛い縫いぐるみが女の子らしい。沢山並ぶ縫いぐるみの中に、この前華音がゲームセンターで取ってあげた桜色の猫も並んでいた。
桜花自身もそうだが、この部屋に入った瞬間から良い香りがしている。
何だか落ち着かず観察をやめると、視界の端にネクタイを緩める桜花の姿が入った。
邪魔だからネクタイを外すのか……と思いきや、それだけで終わらなかった。桜花は鼻歌を歌いながら、シャツのボタンを上から順番に外し始めた。
華音は困惑した。
「ちょっと! 何してるんだよ」
「何って……着替えるのよ。部屋着にね」
桜花は、猫耳フードのラベンダー色のパーカーを掲げて華音の方を向いた。
開いたシャツの間から、レースがあしらわれた桜色の下着がチラッと見えた。
「待って! オレ、居るから! いきなり着替えるなんておかしいでしょ」
華音の頬は赤い。
「華音も私のお父さんみたいな事言うのね。一糸纏わぬ状態を見せている訳ではないし、何をそんなに……」
「それを疑問に持つキミの神経を疑うよ! 着替えるなら、オレ出て行くから!」
華音は立ち上がり、足早に部屋を出て行った。
桜花は訳が分からず、華音の姿が見えなくなると平然と着替えを続行した。
華音は背中を扉に預け、深い溜め息を吐いた。
雰囲気からして悪口ではなさそうだが、華音は怪訝な顔で自分の席へと向かう。
そこで、クラスメイトの異変の原因が判明した。
「これは……」
机上に、縦型で純白の封筒が堂々と置かれていた。
大きく力強い字で『鏡崎華音くんへ』と書かれている。
後ろから、刃と雷がひょっこり顔を出した。
「何だ、それ。ラブレター?」
刃はニヤニヤしているが、それが正解であるかどうか華音には分からなかった。
筆跡は男子か女子か判断がつかないし、差出人の名前もない。何より、漢字が微妙に間違っている。『華』の横棒が1本足りない。
親友達、クラスメイト達が遠巻きに見る中、華音は訝しげな表情のまま封を開いて1枚の紙を取り出す。
書かれていた内容は以前女子からもらった事のある手紙の内容と似ているが、雰囲気に甘酸っぱさはない。そして、やはり差出人の名前はなかったのだが、代わりに桜のイラストがピンク色の蛍光ペンでざっくり描かれていた。
華音は手紙を丁寧に畳んで封筒に戻し、何事もなかったかの様に机の横に掛けた鞄に押し込んだ。
周りは、まだ興味の目を華音へ向けている。
「何が書いてあったんだよ?」
刃がしつこく訊くが、華音は「たいしたものでもないよ」と笑って答えた。
余計に皆の好奇心を煽る。
教室に、チェリーブロッサムの香りを散らして桜花が入って来た。華音と目が合うと、不敵に笑い、サッと席に着いた。
華音はスマートフォンを取り出し、魔女と歴史改竄の事に関して話し合った内容でメッセージが途切れているSNSの画面を表示させる。
伝えたい事があるなら、わざわざ手紙なんて書かずにこっちに送ってくれればいいのに。
放課後、手紙の指示通りに華音は1人で体育館裏に向かった。
差出人――――桜花はもう既に仁王立ちで待ち構えていた。
それを見た途端、帰りたい衝動に駆られた。今なら視線が向いていないし、引き返せる。そんな淡い期待も一瞬で打ち砕かれた。
「来たわね。華音」
「お、桜花……」
名前を呼ばれてしまったら、もう逃れられない。
観念して近付くと、桜花に手首を掴まれ、背中を壁に叩きつけられた。一瞬何が起こったのか分からない華音。
状況整理する前に、桜花が壁に手の平を付き、チェリーブロッサムの香りが間近に迫って華音は完全に拘束されてしまった。
女の子が男の子にされたらキュンとする状態だろうが、逆パターンは唯々恐ろしいだけだ。それに、桜花が放つ雰囲気には手紙同様、甘酸っぱさは一欠片もない。
華音から血の気が引いていく。
「えっと? これ……何。オレ、どうなるんだ……」
「華音。よく聞きなさい」
桜花はもう片方の手を肩に掛けた鞄に突っ込み、スッと何かを取り出した。
華音の目の前に押し付けられたのは、数学の教科書だった。
華音の肩から力が抜けた。
「わたしには難解なのよ。聞いた話によると、キミは学年トップの成績だそうね。そんなキミにお願いしたいのよ」
「つまり、勉強を教えてほしいって事?」
「そ、そうよ」
桜花は手を下ろし、気不味そうに栗色の目を伏せた。
「いいよ」
「えっ! 本当!?」
桜花は頬を桜色に染め、華音を見上げた。
華音は予期していなかった桜花の反応に困惑しつつ、もう一度首肯した。
「テスト期間中は暇だしね。数学だけでいいのかな?」
「…………いえ」
桜花はそっと、鞄から別の教科書を取り出した。
「まさかの全部……」
華音はゴクリと息を飲んだ。
しかし、よく考えてみたら桜花は転校してきて間もない。少し授業についていけていなくても、仕方がない事なのだ。
学校案内も引き受けた事だし、その延長線と思えば……――――なんて思うものの、華音はその後、軽々しく引き受けた事に後悔する事となる。
制服姿で電車に揺られる。周りは同じく学校帰りの学生が多い。華音の隣には桜花が立って居る。普段なら、絶対にない光景だ。
桜花はスマートフォンに視線を落とし、華音は過ぎ去る街並みを車窓から眺める。大分日が傾いた青空を、使い魔の烏が優雅に羽ばたいていた。
華音は桜花の横顔を一瞥し、心の中で溜め息をついた。
勉強を教えると約束したはいいが、桜花の自宅まで連れて行かれる事となるとは。学校でいいのではないかと伝えたが、桜花は頑なに拒否。
周りに、勉強が出来ない事を知られたくない様子だった。
車内アナウンスが入り、桜花が「次で降りるわ」と呟いた。
徐々に電車の速度が緩やかになり、車窓から駅名が見えた所でピタリと停った。駅名がアナウンスで繰り返され、扉がプシューと開く。
扉近くに居た人が降りて行き、華音と桜花も流れに乗って電車を降りた。
桜花の住むアパートは駅から少し歩いた所の、閑静な住宅街にあった。コンビニ以外には目立った店のない、街中とは真逆の雰囲気だ。
桜花がカンカン靴音を鳴らしながら、古びた階段を慣れた様子で上がって行き、華音も続いた。
歩く度に、階段がミシミシと悲鳴を上げていて耐久性が心配される。また、建物自体も元は白かったのに、今ではすっかりくすんでしまっていて、所々罅割れていた。
華音の自宅とは雲泥の差だが、刃の住むアパートも似た様な感じだったので特に驚きはしない。
唯、華音を不安にさせたのは、部屋の扉前に着いた桜花が言った言葉だ。
桜花は振り返り、鍵を片手に自信満々に言った。
「うち、お父さんと2人暮らしなの。そして、そのお父さんはまだ仕事。つまり、この家には誰も居ないのよ」
「その自信は何なんだ。逆に、それって大丈夫?」
「誰か居たら、その……恥ずかしいじゃない」
桜花は鍵を差し込んで回す。
「もしかして、桜花って……オレが思っている以上に勉強が出来ない……とか?」
「……キミの想像がどれぐらいかは知らないけれど、決して他言出来る程の成績でない事は確かよ。だからこそ、誰にも知られる訳にはいかないの。さ、上がって」
桜花が扉を開き、華音が遠慮がちに入ると、桜花も入って扉がパタンと閉まった。
玄関からすぐの部屋の隣が桜花の部屋で、ドアノブに猫のプレートが掛けられていた。
華音はてっきり正面に見える和室のリビングに案内されるかと思っていたので、桜花の部屋に案内されて驚いた。
別に下心がある訳ではないが、何となく異性の部屋に入るのは気不味い。対して、桜花は平然とし、華音に丸テーブルの前に座る様に促した。
華音は言われるがまま、猫柄の座布団に腰を下ろし、脇に鞄を下ろした。あまり他人の部屋を観察するのは良くないと思いつつも、ぐるりと見回す。
全体的に淡い色調の物が多めの室内で、窓から青空がよく見える。化粧品や小物が置かれた鏡台と、ベッドの上の可愛い縫いぐるみが女の子らしい。沢山並ぶ縫いぐるみの中に、この前華音がゲームセンターで取ってあげた桜色の猫も並んでいた。
桜花自身もそうだが、この部屋に入った瞬間から良い香りがしている。
何だか落ち着かず観察をやめると、視界の端にネクタイを緩める桜花の姿が入った。
邪魔だからネクタイを外すのか……と思いきや、それだけで終わらなかった。桜花は鼻歌を歌いながら、シャツのボタンを上から順番に外し始めた。
華音は困惑した。
「ちょっと! 何してるんだよ」
「何って……着替えるのよ。部屋着にね」
桜花は、猫耳フードのラベンダー色のパーカーを掲げて華音の方を向いた。
開いたシャツの間から、レースがあしらわれた桜色の下着がチラッと見えた。
「待って! オレ、居るから! いきなり着替えるなんておかしいでしょ」
華音の頬は赤い。
「華音も私のお父さんみたいな事言うのね。一糸纏わぬ状態を見せている訳ではないし、何をそんなに……」
「それを疑問に持つキミの神経を疑うよ! 着替えるなら、オレ出て行くから!」
華音は立ち上がり、足早に部屋を出て行った。
桜花は訳が分からず、華音の姿が見えなくなると平然と着替えを続行した。
華音は背中を扉に預け、深い溜め息を吐いた。