リアルムとスペクルムはまるで鏡合わせの世界で、2つで1つ。どちらか一方の時間だけを操作する事は不可能。
 従って、魔女がもし歴史改竄に成功した場合はスペクルムだけでなく、リアルムの歴史も変わってしまう。
 居た筈の人物やあった筈の物が消滅し、居なかった筈の人物やなかった筈の物が誕生すると言う事だ。それはつまり、破滅と同意語。
 現在(いま)のオズワルドも華音も、皆、なかった事とされてしまう。
 スペクルムだけの問題ではないと言うのはそう言う事だ。
 これまで華音の中で夢現だった事が妙に現実味を帯びてきた。唯、魔物を倒すだけではオズワルドの役目を代行した事にならない。歴史改竄そのものを阻止しなくては意味がないのだ。



「あと7人か……」
「何があと7人だ?」

 独り言に応える声があり、華音は机に預けていた上体を慌てて起こした。
 顔を正面に向けると、雷と刃がスマートフォン片手に立っていた。今、声を発したのは雷だった。

「あー……いや。何か夢とごっちゃになってたみたい。気にしないで」

 華音は小さく笑いながら、立ち上がる。
 親友の背後に見える壁掛け時計は、もうとっくに昼休みの時間を示していた。
 授業中も、魔女と歴史改竄の事を考えており、チャイムの音も耳を右から左へ通り抜けていた。
 華音が一歩踏み出すと、2人も歩き出す。

「華音ちゃん、最近ぼんやりしてるよな~。恋は盲目! そう言う事か!?」

 右隣を歩く刃は、拳を握り締めて確信に満ちた嬉しそうな顔をしている。
 左隣の雷も、何だか嬉しそうだ。
 そう言えば、この2人の中で華音と桜花が付き合っている事になっていた。未だ、華音はそれを弁解出来ていなかった。

「ぼんやりしているのは否定しないけど……。原因は桜花じゃないから」

 すると、2人はニンマリと笑った。

「俺、桜花ちゃんの事言ってねーし?」
「鏡崎、何かもう駄目駄目だな」
「うっ……」

 弁解しようとするだけ、事態が悪化する。
 華音はこれ以上、言葉を紡ぐのをやめようと誓った。
 廊下で、何人かの生徒と擦れ違う。皆、3人と同じくブレザーを羽織っておらず、景色はこの一週間で大分初夏に近付いた。あと数週間もすれば、全校生徒夏服へ切り替わる。

「まさか、中間もその調子じゃねーだろうな?」

 雷がニヤニヤしながら、華音の顔色を窺った。
 来週は中間テストがあり、今日の授業で教師がテスト範囲の説明をするまで華音はすっかり忘れていた。焦りはしなかったが、学校生活に意識が向いていなかった自分に驚いた。
 それだけ、非現実な出来事に振り回されていたのだ。
 華音は瞬きし、落ち着いた様子で答えた。

「さすがにテストはちゃんと受けるよ。オレの事より、2人は大丈夫か? 特に刃」
「うん? 俺の心配してくれんの? 華音ちゃんやっさしぃ~!」

 刃が華音に抱きつこうとし、華音が少しかがむと、頭上を色黒の拳が横切った。
 ゴスッと音がした。

「雷! ぶったな!? 俺のハリのある左頬を!!」

 刃は焦げ茶色の瞳を潤ませ、少し赤くなった左頬を摩る。
 雷はやめるどころか、拳を構え、臨戦態勢。

「よし、じゃあ平等に右頬もやってやろう」
「や、やめろ! 腫れ上がってハムスターみたいになっちゃうっ。そんな俺、可愛すぎてもう鏡が見られなくなる!」

 2人のお決まりの茶番に挟まれ歩く事数分、漸く食堂についた。

 本日の食事は男3人で摂る。この前まで同席していた美少女桜花は、今は別の女子グループの中だ。
 友達の作り方が分からないと悩んでいた事を聞いていた華音は、楽しそうにしている桜花を一瞥して安心した。けれど、やはり周りに合わせて料理を選んでいるのは気がかりだった。

 桜花はそわそわしつつも、一生懸命周りに合わせて笑顔を作った。
 ところが、話題が来週の中間テストの事となり、みるみるうちに桜花の顔が青褪めた。

「テ、テスト……。テストなんだね」
「そうだよ~。桜花ちゃん、この学校に転校してきたからには相当頭良いんでしょ?」
「ここ偏差値高いもんね~」
「私なんて、制服目当てで入っちゃったから、正直授業ついてくのキツイ」

 他の女子3人が期待の眼差しを桜花に向け、桜花は無理矢理笑みを作るしかなかった。
 最早返答は「そうだね」ばかりになっていた。
 女子の1人が桜花の背後に視線を向け、両手で頬を包み込んで恍惚とした表情を浮かべた。
 桜花が振り返ると、親子丼をガッツリ頬張る華音の横顔が見えた。

「やっぱり、今回のトップも鏡崎くんかなぁ」
「当然だよ。鏡崎くん以外考えられない」

 隣の女子も、同じ表情で熱く語る。

「本当、天才だよねぇ。授業はしっかり聞いてるけど、噂によれば家では一切勉強しないみたいだし、塾にも行ってないんだって」
「鏡崎くんってさ。頭良いし、運動神経抜群だし、優しいし、顔もカッコイイし、お金持ちだし、まさに理想の男子! あぁ~結婚したい!」
「でも、ライバル多すぎて私勝てる気がしない……」
「と言うか、告白を受け入れてもらえた女の子居ないらしいよ。鏡崎くんの理想って、意外と高いのかも……」

 恋の話に花を咲かせたかと思えば、溜め息をついてどんより女子達の空気は重たくなった。
 桜花は3人を順番に見た後、遠慮がちに話を戻した。

「あ……えっと、彼ってそんなに頭良いんだ」
「先生も教える事ないんじゃないかってぐらいね。あと、教えるのも上手いんだよ~。あたし、前にちょっと勇気出して聞いてみたら、丁寧に分からない所を教えてくれて」

 彼女はその時の事を思い出したのか、頬をまた赤く染めている。
 桜花はもう一度華音を見た。

「ふぅん……」

 視線を感じて華音がふと、横を向くと、桜花と視線が合った。だが、桜花がすぐに逸らした為に一瞬だけだった。
 華音も視線を戻し、親友との談笑に戻った。

「でさ~時の魔法使いの力で、その後過去に行くんよ。そんで、護れなかった恋人を今度こそ護ったワケ。そうして、未来では2人は永遠に結ばれる事となったのさ」

 刃が今期の深夜アニメの内容を語り、珍しく雷も興味を示していた。

「そりゃ良いな。変えたい過去を変えられるなんて、すっげー良い。俺もそんな力があったらなぁ」
「だろ。共感得られるってとこも魅力でさ~。俺も時を渡って、可愛い女の子と出逢いたい!」

 一瞬目を離した隙に、話がここまで発展していたとは。また、今朝華音がずっと考えていた事と重なっていたので一層驚いた。
 歴史改竄は最早、ファンタジーの世界ではなく、現実の世界で起ころうとしているのだ。

「……オレは今のままで良い」
「なんだよー。かがみん、つれないな」
「本当に変えられるワケねーんだから、せめて理想だけでもいいと思うけどなー」

 唇を尖らせる刃も、苦笑を浮かべる雷も、此処で食事をしている生徒達も、皆知らない。華音だけが知っている事実。
 華音はもう一度桜花を一瞥し、少し考えた。
 果たして、同じ使命を背負った桜花はそこまで知っているのだろうか?
 分からないので、後で桜花のSNSのアカウントにメッセージを送る事にし、空になったどんぶりと湯呑を乗せたトレーを持って席を立つ。

「鏡崎、もう行くのか?」

 まだ、雷の食器にはおかずが残っていた。

「残り時間寝るから」
「寝るって。かがみん、テスト近いのに余裕だなぁ」

 まだ、刃の食器にもおかずが残っていた。

「いつもの場所で寝てるから、時間になったら起こしに来てよ。それじゃ」

 華音は2人の生返事を背中で聞きながら、食器返却口へ向かった。