鏡崎家具と言えば、日本有数の家具・インテリア企業トップ5に入る有名企業だ。
時代に合ったスタイリッシュなデザインでありながらも、何処か落ち着く雰囲気を持つ商品は年齢、性別問わず人気があり、鏡国高校や鏡崎宅にも商品の一部が置かれている。
鏡崎家具は華音の祖父が設立したが、今の有名企業へ発展したのは、祖父が亡くなって社長が父の鏡崎音夜へ代わった後だ。
しかし、そんな最中、音夜も病に倒れてしまい懸命な治療も虚しく他界。専務であり、妻である華織が父の遺言通りに継ぐ事になったのだが、当時は父の様に経営が上手くいかずに徐々に経営が傾いてしまった。
一時は倒産寸前まで追い込まれたが、華織の努力もあって今の鏡崎家具があるのだ。
朝目覚めて身支度を済ませた華音は、水戸の待つリビングへ行かずに反対側の和室へ足を運んだ。
洋風な家の中で浮いている此処には、音夜の仏壇が置いてある。
華音は座布団の上で正座し、遺影の父に笑い掛けた。
「最近何だか忙しくてさ。まあ、母さんの方が忙しいけどね。もうずっと家に帰って来ないよ。でも、父さんが遺した会社の為だから仕方ないよね」
父は黙ったまま、笑顔で息子の話に耳を傾けている。
こうして向かい合うと、2人は本当によく似ている。
艶やかな黒の短髪に、睫毛の長い漆黒の瞳、白い肌、あどけなさの残る笑顔もそっくりだ。まるで、未来の自分を映す鏡の様だ。
「それじゃあ、もう行かなきゃ。またね、父さん」
華音はもう一度遺影に微笑むと、立ち上がって父との別れを告げる。
廊下を出てすぐに、水戸が声を掛けてきた。手には、ハンガーにかかったままのブレザーを持っている。
「おはようございます、華音くん。こちら、クリーニングに出してしまいますね」
「うん。頼むよ」
今日から、カッターシャツにネクタイ、ズボンで登校するつもりだ。恐らく、もうブレザーを羽織ってくる生徒は殆どいないだろう。
水戸は穏やかな顔で返事をした後、少し憂いを宿した顔で続ける。
「……それで、あの。華織様は今夜帰宅されるご予定でしたが、お仕事の方が忙しいらしく、帰れないそうです」
「そっか。それなら仕方ないね。オレなら気にしてないから、気にしないで」
「そうですか……。また華織様からご連絡がありましたら、お知らせしますね」
「ありがとう。――――あ」
ズボンに手が触れた時、ポケットが平らな事に気付いた。
いつも入れているスマートフォンを洗面台に置きっぱなしにしていた。
華音はリビングへ向いていた足を洗面所の方へ向け、取りに向かう。
その背中に、水戸は「朝食出来ていますので」と言うと、リビングへと歩いていった。
気にしてない、それは水戸を気遣った言葉ではなく、華音の本音だった。
母が帰って来る事を心底望んでなどいない。一緒に生活を共にしている水戸の方がよっぽどか大切だ。
逆に母が帰って来られないと知って、安心感さえ抱いてしまった。
本当は、そんな自分自身が嫌で堪らない。こうして何不自由なく生活出来ているのは、母の存在があるからこそ。もっとちゃんと向き合わなければならないのに。
しかし、華音から母に接する事はないし、母も現に連絡事項は全て水戸を通じて伝えるので、話す機会すらない。
華音と母の関係はあの日のまま凍り付き、進んでいなかった。
どうしてこんな事になってしまったのだろう。思い出そうとしても、背中の火傷痕が疼くだけで、恐怖だけが残ってしまう。
華音は洗面台脇に置かれたスマートフォンを手に取ってズボンのポケットに滑り込ませると、鏡を見る。
「……こんなところに寝癖付いてたな」
分かりきっていた表情よりも、髪の方が気になって手櫛で軽く整えた。
所々はねていて、アホ毛もあるが、こればかりは直らなかった。
ゆらりと、水面が揺れる様に鏡面が揺れ、黒髪の高校生が水色髪の魔法使いへと変化した。スペクルムの魔法使いオズワルド・リデルだ。
「オズワルド。えっと……おはよう?」
「ああ。お前の父親はお前そっくりだな。いや、お前が父親そっくりなのか。もう他界していたのだな」
オズワルドは、窓の外から使い魔が見た光景を思い出して、憂いの表情を浮かべた。
仏壇はスペクルムにはない風習だが、華音の様子から察した。
華音は苦笑した。
「見てたんだ。そう。もう8年近くなるかな……。オズワルドの父さんは……」
言ってから、オズワルドの父親が人間である事を思い出した。
今度はオズワルドが苦笑した。
「人間は400年も生きられないからな?」
「……ごめん。あれ? でも、母親はエルフ……」
エルフが1000年生きる事はオズワルドから聞いていたが、オズワルドの表情に変化はなかった。
「処刑されたよ」
「しょ、処刑!?」
華音は目を見張った。
「スペクルムでは他種族同士の交際は認められていないんだ。特に、人間とエルフは啀み合っている。今は処刑される事はないが、当時は見つかればすぐに処刑された」
「そんな……。お前、よく生きていたな……」
「私もそう思うよ。しかし……いや、やめよう」
「え、何」
「私の話よりも、魔女の話だ」
オズワルドは、いつもの自信たっぷりな表情で笑った。
華音が、8人の魔女を殲滅させる任務を代行する事となって数週間。漸く、1人目となる火星の魔女を倒す事が出来た。
あと、残るは7人。うち、1人はきっとまだこの地区に居ると推測されるので、次のターゲットはその魔女――――アルナに決まった。
「エンテは居場所がないから、歴史を変えるって言っていたけど……。それって、オズワルドが推測していた、ブラックホールの魔女の復活と関係あるのかな」
華音が問い掛けると、オズワルドは強く頷いた。
「歴史を変えると言うのなら、その線は強くなったな。ブラックホールは時空を歪める天体だ。それだけでは意味をなさないが、ホワイトホールと合わせれば、過去と現在と未来を繋げる事が出来る。つまり、奴らの言う所の歴史の改竄が可能な訳だ。一般に、扉から送られてくるマナを私達魔術師は扱う訳だが、この2つからはそれとは別に、時空を操れる力を受け取れるのではないかと思う。何せ、闇属性と光属性を扱う魔術師を見た事がないからな。私の知らない力があっても不思議ではない」
「ホワイトホールって、マルチバースを繋げているワームホールの事だよね。じゃあ、ホワイトホールの魔女も居るって事?」
「ああ。私は見た事がないが……」
「それなら、今度こそアルナを生け捕りにして、もっと詳しく訊いておいた方がいいんじゃないか? ブラックホールの魔女とホワイトホールの魔女の居場所とか。結局、その2人が歴史改竄の能力を持っているなら、そこを抑えるべきだと思うけど」
「その通りだな。だが、エンテ以上の事をアイツが知ってるか怪しいところだ。前戦ってみて、想像よりもアホだったのでな……」
オズワルドは態とらしく肩を竦めた。
アルナの脳レベルに関しては、華音も否定する材料がなく、頷くしかなかった。
捕まえやすいのは確かだが、それに意味がない可能性の方が高い。欲しい情報と交換を条件に人質に取ったとしても、他の6人は放置しそうだ。
「でも、前にオズワルドが魔物を使って魔女達がブラックホールの魔女を捜索しているんじゃないかって推測したけど、それが本当ならまだ見つかっていないって事……」
「それまでに7人を殲滅させれば、復活はない。恐らく、奪った生命力は奴の復活の材料だから。100年前の魔法大戦の時も、魔物が奪った生命力をブラックホールの魔女に与えていた。そう……。シーラは400年前に「世界をこの手で消す」そう言って、後に魔法大戦を引き起こしたんだ……」
不敵に笑う水星の魔女を思い出し、オズワルドは揺れる琥珀色の瞳を伏せた。
シーラは今度こそ、有言実行するつもりだ。100年前叶わなかった夢を、別次元まで来てその手で。