道端で、数人が倒れ、周りが取り囲んでいた。
 スペクルムの魔法使いを憑依させた華音と桜花は、電柱からその様子を眺めていた。今、堂々と出て行ける状況ではない。
 華音が気になって今潜り抜けて来た自動扉を振り返ると、丁度、刃と雷が慌てた様子で出て来た。
 華音の苗字を口にしている事から、華音を捜しに来たのは確実だ。
 いきなり話の途中で動物達と外へ飛び出したのだから、心配するのは当たり前の事だった。
 戻ったら、どう言い訳をしようかと考えながら必死に息を殺す。
 刃と雷は、始めは華音と桜花を捜していたが、人集りに気付いて走っていった。

「何か事件か? 人が倒れてんぜ」

 刃が人集りの合間から事件現場を確認すると、隣の雷がガッと彼の腕を掴んだ。

「何だよ、雷……」
「何か来る!」

 雷が叫んだ時には、悲鳴が巻き起こって人集りがどんどん散っていった。
 そして、開けた道から、7体の熊の形状の魔物が物凄い速さで駆けて来た。
 慌て出す刃。反対に、雷は少し冷静だった。
 あの得体の知れない生物は、以前出会った事がある。華音は近所の犬だと言ったが、改めて見ると、そんな可愛いものではなかった。

 犬ではなければ、これは一体……。

 思考の海に半身を浸けた雷を、すぐに刃の悲鳴混じりの声が呼び戻した。
 気付くと、得体の知れない生物がもう間近に迫り、狙いを雷と刃に定めていた。
 この場には、2人しかいない。

「何なんだよ、これ!? え? 悪夢? 悪夢見てんの? 夢でも、痛いのだけは嫌だよ、俺」

 刃は可哀想な程震え、鞄を抱き締めている。
 雷は奥歯をギリっと噛み締め、拳を構える。

「よく分かんねーけど、大人しくやられる訳にはいかねーな」


 親友達の様子を陰で見ていた華音は飛び出そうとする桜花を押さえながら、意識を研ぎ澄ませてマナを集めていた。

「凍れ!」

 力強い声に呼応し、マナが魔物の周囲に集って青白い光を放ち、一瞬で凍り付かせた。
 刃と雷は手の力を緩め、きょとんとした。
 得体の知れない生物が襲って来たかと思えば、一瞬で氷漬けになった。
 一体何が起きているのか、状況理解が追いつかない。
 まだ意識が夢現の親友達のもとへ、華音は白いローブをはためかせて近付き、気付かれる前にその後頭部に杖を振り下ろした。

「……ごめん」

 華音は長い水色の睫毛のかかった琥珀色の瞳に、崩れていく刃と雷を映した。
 桜花の力も借り、2人を安全な場所へ移動させると、再び魔物と向き合う。
 魔物の氷は解けていた。
 華音は半歩後ろの桜花を振り返らず、言った。

「すぐに片付けるよ」
「ええ」

 桜花はローズクオーツの水晶の杖を構え、マナを集める。
 前方で、華音が魔物7体の相手を引き受ける。
 杖を振り回し、次々と雪崩込む魔物を吹き飛ばす。
 魔物は地面に転がっても、すぐに起き上がって鋭い牙と爪を魔法使いの少年へ向ける。
 終わりの見えない肉弾戦に、華音の息も上がる。
 周囲の温度が上昇し、魔物1体ずつの足下に魔法陣が展開する。

「燃やし尽くしてあげる――――イグニションサークル!」

 桜花の声を合図に、魔法陣にボッと紅蓮の炎が灯り、隣の炎と結合し、次第に大きな炎の輪となる。そして、炎は魔物を飲み込みながら、天へと伸びていく。
 魔物の悲痛な叫びと、火の粉が青空から降り注いだ。
 消滅する魔物の体内から、生命力が舞い上がり、倒れている持ち主へと還っていく。
 フワッと、焦げた臭いが2人の鼻をついた。
 辺りを見回すと、小さな炎が木造の建物を食らっており、2人は青褪めた。

「まさか、一連の火事の犯人って……」

 華音がじろりと桜花を見ると、桜花はぶんぶん首を横に振った。

「わ、わたしじゃないわ! こ……これは、わたしだけど」

 遠くでサイレンの音が鳴り響いた。ビルの隙間から、黒煙が青空を覆い尽くしているのが見えた。

「ほら!」
「とにかく消火しなくちゃな……」

 華音は水を放ち、一瞬で炎を消した。
 これで無事終わり。
 まだ、憑依が解けるまで時間がある。魔物を生み出した犯人を追うなら今だと思った華音だが、いつもの様にオズワルドからの指示がない。
 思えば、憑依前に鏡面で対面してから、1度も声を聞いていなかった。
 此処には居ないのか? と思うも、自分の姿が、魔法使いが此処に居る事の証明。
 桜花はドロシーと会話しているようで、1人で困った顔をしたり、照れたり、何やら楽しそうだ。
 華音は後ろから肩を叩く様に、自分の中に居るオズワルドに声を掛けた。
 すると、返って来たのは欠伸。
 緊張感がまるでなかった。

『……何だ。終わったのか?』

 声にも破棄がない。寝起きの状態そのものだ。
 華音は驚き、呆れた。

「魔物は全部倒したよ。お前……まさか、寝てたのか?」
『いや。起きてはいたが、頭がぼんやりとする。少々寝不足なようだ』
「そう。……何かあったか?」

 別次元の自分であるからか、何となく通じるモノがあった。
 オズワルドは瞠目し、それから目を閉じて静かに笑った。

『お前の様な子供にまで心配されてしまうとはな。何もなかったと言えば嘘になるが、何かあった、と話す程でもない。それよりも、魔女……しかも、2人、東の方角に居る』
「オレと見た目が一緒なのに、約400歳差……。と言うか、普通の会話の流れで重要な事言うなよ」
『急げ。あと10分を切った』
「はいはい。――――桜花!」

 桜花の方を見ると、桜花もしっかりと頷いて、2人で魔法使いらが示す方角へと走っていった。


 街中は人が溢れていて、隠れたり、遠回りしたり、人目を避けるだけでかなりの時間を要した。
 制限時間はあっと言う間で、魔女達の姿も拝めぬまま、華音と桜花は元の高校生へと戻ってしまった。
 空を駆けていく烏、塀を駆けていく黒猫を見送り、息をつくと華音は元来た道へ爪先を向けた。

「もう戻ろうか」
「そうね。高木くんと風間くんも目を覚ましている頃かしら……」
「あぁー……あの2人か」

 華音は頭を抱え、先に歩き出していた桜花が振り返って目を瞬かせた。

「嬉しくないの?」
「嬉しいけど。何て説明しよう……」

 桜花が居る為、まともな嘘はつけそうもない。
 氷魔法で固まってしまったかの様に、冷たくて自由の利かない身体を、桜花に促されるままに無理矢理に動かす華音。
 今度は、親友と言う名の新たな敵に立ち向かう決心を固めたのだった。




 ゴォゴォと音を立て、紅蓮の炎が燃え広がっていく。柱を根から喰らい、綺麗に陳列された伝統工芸品を喰らい、店先の暖簾と看板を喰らい……。手当たり次第、全てを腹に収めていく。
 青く澄んだ空は黒煙が塗り潰し、小鳥1羽寄り付かない。
 わらわら馬鹿みたいに集まって来ているのは、人間達だけだ。
 大切なモノを全て炎の餌食にされた人が居ると言うのに、まるで観光地を訪れたかの様な気軽な感覚で携帯端末を握り締め、パシャパシャ現場を写真に収めている。挙句、SNSなんかに投稿している人も居る始末。


「人間は暇な奴らばかり」

 隣の建物の屋上の縁で、足をぶらぶらさせている魔女は興味なさげに人間達を一瞥すると、大きくなっていく炎を眺めた。

「やっぱり、炎は綺麗」

 中性的な声は無感動で、尚且つ表情も読み取りづらいので、自らの心情を表したその言葉も、唯の言葉でしかない。まるで、台本をそのまま読み上げただけの様。
 声だけでなく、外見も中性的だ。
 首筋までの黒髪は癖があり、毛先が彼方此方に跳ね上がっている。ぼんやりとした瞳はルビー色。白いキャミソールの上に黒いキャミソールを重ね着している様なデザインのトップスに、臙脂色のバルーンハーフパンツを着用している。手にはグローブ、足にはショートブーツ、どちらも鉄製だ。
 あまり凹凸のない胸元も相まって、彼女の姿は見ようによっては少年にも見える。
 魔女の名は、エンテ。火属性のマナを司る、通称火星の魔女だ。
 エンテの後ろには、もう1人魔女が居た。白兎を肩に乗せた、金髪ツインテールの小柄な月の魔女アルナだ。
 アルナはエンテに負けないぐらい胸元に凹凸はないが、フリルとリボン一杯の服装のおかげで少女にしか見えない。
 アルナはエンテの隣に腰を下ろした。

「炎なんて熱いだけ。どこが良いの」
「アルナにはこの魅力、分からないんだ。残念。人間の棲家、焼けばどんどん炎上がる。綺麗。炎に閉じ込められた人間、魔物に生命力奪わせる。一石二鳥。ぼく、アルナよりも効率良い」
「はぁ~? あのね! アルナはオズワルドモドキと戦ったんだからなっ。悪趣味なお前とは違うの!」
「アルナ、追い詰められた。オズワルドモドキ、倒してない」
「た、ただ水かぶっちゃっただけだし! エンテ、お前生意気だぞっ」

 アルナは小さな手で、エンテの殆ど動いていない頬を抓る。
 エンテは色のない声で「いてて」と悲鳴を上げるが、表面上、あまり痛そうではない。
 実際、エンテの血色の良い頬に更に赤みが増した事から、アルナに結構力を入れられたのは確かだった。
 エンテは抓られた頬を摩り、真下で消防車による消火活動が始まると、興味をなくした様にスッと立ち上がった。
 アルナと白兎はエンテを目で追う。

「次、燃やしてくる」

 エンテはそう言い残し、時空間魔法で消えていった。
 残されたアルナは白兎を撫で、足をぶらぶらさせて消されていく炎を見下ろした。

「魔物もすぐに倒されちゃうし、何かオズワルドだけじゃないかもだし。ちょーっとメンドーになってきたなぁ」

 そう不満を零すアルナだが、その表情は遊具や玩具で遊ぶ子供の様だった。